海獣たちに襲われてから丸一日。このイグルーにも実家のような安心感ってやつを抱き始めた。
そうやって氷細工のテーブルの前でくつろいでいたが、足と背中の打撲傷が痛む。
「シシシ、自分の怪我で一番ダメージ受けてやんの」
「あれが囮作戦なら成功だったんじゃね? スズカの手前でコケたらセイウチもビックリして逃げてったし」
「それで轢いてったらもっと面白かったかも」
「ユキ、意地悪やめなさい」
エプロン姿のスズカがユキを窘める。
軽く頭をグリグリしてお仕置する姿は、もはや大家族の長女だ。
「ありがとねソーヤ。二回も助けてもらっちゃった」
「お互い様だよ。それに俺、ここ来た瞬間からスズカに助けられたじゃん」
「じゃあ一回分そっちが多いから、はいお礼。口開けてあーん」
「あーん!!」
「やめてよスズカ。コイツのノリに染まらないで」
自家製ヨーグルトを乗せたスプーンが口の中へ運ばれる。甘くてとろける味わいが、スズカに食べさせてもらうことで更に深くなる。
ユキの顔は強ばっていく一方だが。
「にしてもフルーツで主食代わりかぁー。まったく料理上手は羨ましいよ」
テーブルの真横。我が物顔で居座るミカさんはフローズンチェリーを投げて口に入れた。
もうボウル一皿分は食べ続けている。
環境適応に優れているというか、猫のように自由奔放というかだ。
今もケラケラ笑いながら昨日の子アザラシに餌付けしている。
「おお良い子だなー『モチマロ』ぉ」
「ミカさん、そんな名前付けてまさか食べようってんじゃないっすよね?」
「その発想になる坊主の方がヤバいぞ? 名前付けた生物は食わんだろ普通」
おお怖いとふざけた調子でミカさんはモチマロを撫で回す。
名前通り白い餅のようなアザラシはふてぶてしく「ブモッ」と鳴いた。
「スズカ、俺も手伝うよ。コップってどこかな?」
「ありがと。そっちの棚の下の段にあるから」
「はいよ。人数分あっかなぁ……」
「ここで気付いて動けるのはポイント高いぞ坊主ぅ」
「てかアンタが一番年上だろ? ちょっとはスズカ手伝ってやれよ」
「お姉さんはお湯で作れるメニューしか作れないんだ~」
「家庭科赤点か」
「大丈夫だってソーヤ。一人ぐらいお客さんが増えたって大して変わんないって」
「スズカ、油断は禁物だぜ? この手の輩は最初もてなすと当たり前のように入り浸り始めっから。サークルに一人ぐらいいる厄介なタイプだから」
「輩とは心外だな坊主! 命の恩人に随分な言い草じゃないかー」
「俺が助けてもらったこととスズカに迷惑かけんのは別でしょーよ!」
うるさかったのかモチマロはユキの足元へ逃げていった。
擦り寄ってくるアザラシに、冷ややかだったユキの表情もあっという間に柔らかくなる。
「アタシはそんな長くお邪魔する気はないんだけど、ソーヤの坊主はどうすんのさ?」
「そうだなぁ。あと数日ぐらいで帰れたらとは思ってるかな。親も家に戻る頃だし」
答えると目を丸くしたユキがガタッとテーブルを揺らす。
「お前っ、まさか家出とか放浪旅してた訳じゃなかったのか!?」
「リュックに画材しか詰めてないヤツが遠出してるわけないだろ?」
「い、言われてみたらそうだけど! ココに来ても慌てた様子ないからてっきり……」
いつもは邪魔そうにしてるユキが、意外にも衝撃を受けていること自体に驚いた。
その傍ら、スズカはポンと手を鳴らして提案してくる。
「そしたらちゃんと帰らなきゃじゃんね! 私、ダンジョンの出口まで送ってくよ」
俺としては有難い限りだったが、ユキはまだモヤモヤした表情だ。
「良いのかよスズカ。せっかくの男手が……」
「帰るとこがある人なんだから、帰さない訳に行かないでしょう」
「っ……!」
「でしょ? ソーヤ」
「え? あ、そうだな。うん」
――その言い方に引っかかるものはあった。
まるで自分は違うと、帰るところがないのだと告白しているみたいだった。
そもそもダンジョンの現地人という訳でもないと知った時から、その違和感は抱いた。
ただそれを、夏の浮ついた気持ちの陰へ隠していただけだ。
「ま、そうは言ってもすぐ帰るって訳じゃないんだろう? 今日ぐらいはのんびりしてけよ坊主」
「そ、そうさせてもらうつもりっす。まだダンジョンの見てないとこ回れたらって思ってたし」
「ソーヤお前、まーた絵描くために変なとこ連れてくんじゃないだろーな~?」
「今度は遊ぶだけだから大丈夫だって。それに今回はミカさんもいるんだし」
「アタシを何だと思ってやがる?」
俺が感じた一瞬の静寂は過ぎ、氷の家屋はすっかり賑やかな空気に戻っていた。
ここへ来た時は食器の音が気になったものだが、今では騒がしい笑い声ばかりが反響している。
「あっはは、良いじゃん。準備出来たらみんなで今日も出かけよーよ!」
雰囲気の変わったイグルーの中で、スズカが一番嬉しそうにしていた。
窓から聞こえる風鈴の音、氷床の下を泳ぐ花火のような魚、エキゾチックなフルーツの香り。
同じ物を食べ、部屋の冷気で涼みながら、今日の予定を考える。
祖父母の家で親戚や近所の子供と過ごした八月の記憶が視界で重なる。
夏のこんなのんびりした時間が好きだったんだと、風は俺に思い出させた。
そうやって氷細工のテーブルの前でくつろいでいたが、足と背中の打撲傷が痛む。
「シシシ、自分の怪我で一番ダメージ受けてやんの」
「あれが囮作戦なら成功だったんじゃね? スズカの手前でコケたらセイウチもビックリして逃げてったし」
「それで轢いてったらもっと面白かったかも」
「ユキ、意地悪やめなさい」
エプロン姿のスズカがユキを窘める。
軽く頭をグリグリしてお仕置する姿は、もはや大家族の長女だ。
「ありがとねソーヤ。二回も助けてもらっちゃった」
「お互い様だよ。それに俺、ここ来た瞬間からスズカに助けられたじゃん」
「じゃあ一回分そっちが多いから、はいお礼。口開けてあーん」
「あーん!!」
「やめてよスズカ。コイツのノリに染まらないで」
自家製ヨーグルトを乗せたスプーンが口の中へ運ばれる。甘くてとろける味わいが、スズカに食べさせてもらうことで更に深くなる。
ユキの顔は強ばっていく一方だが。
「にしてもフルーツで主食代わりかぁー。まったく料理上手は羨ましいよ」
テーブルの真横。我が物顔で居座るミカさんはフローズンチェリーを投げて口に入れた。
もうボウル一皿分は食べ続けている。
環境適応に優れているというか、猫のように自由奔放というかだ。
今もケラケラ笑いながら昨日の子アザラシに餌付けしている。
「おお良い子だなー『モチマロ』ぉ」
「ミカさん、そんな名前付けてまさか食べようってんじゃないっすよね?」
「その発想になる坊主の方がヤバいぞ? 名前付けた生物は食わんだろ普通」
おお怖いとふざけた調子でミカさんはモチマロを撫で回す。
名前通り白い餅のようなアザラシはふてぶてしく「ブモッ」と鳴いた。
「スズカ、俺も手伝うよ。コップってどこかな?」
「ありがと。そっちの棚の下の段にあるから」
「はいよ。人数分あっかなぁ……」
「ここで気付いて動けるのはポイント高いぞ坊主ぅ」
「てかアンタが一番年上だろ? ちょっとはスズカ手伝ってやれよ」
「お姉さんはお湯で作れるメニューしか作れないんだ~」
「家庭科赤点か」
「大丈夫だってソーヤ。一人ぐらいお客さんが増えたって大して変わんないって」
「スズカ、油断は禁物だぜ? この手の輩は最初もてなすと当たり前のように入り浸り始めっから。サークルに一人ぐらいいる厄介なタイプだから」
「輩とは心外だな坊主! 命の恩人に随分な言い草じゃないかー」
「俺が助けてもらったこととスズカに迷惑かけんのは別でしょーよ!」
うるさかったのかモチマロはユキの足元へ逃げていった。
擦り寄ってくるアザラシに、冷ややかだったユキの表情もあっという間に柔らかくなる。
「アタシはそんな長くお邪魔する気はないんだけど、ソーヤの坊主はどうすんのさ?」
「そうだなぁ。あと数日ぐらいで帰れたらとは思ってるかな。親も家に戻る頃だし」
答えると目を丸くしたユキがガタッとテーブルを揺らす。
「お前っ、まさか家出とか放浪旅してた訳じゃなかったのか!?」
「リュックに画材しか詰めてないヤツが遠出してるわけないだろ?」
「い、言われてみたらそうだけど! ココに来ても慌てた様子ないからてっきり……」
いつもは邪魔そうにしてるユキが、意外にも衝撃を受けていること自体に驚いた。
その傍ら、スズカはポンと手を鳴らして提案してくる。
「そしたらちゃんと帰らなきゃじゃんね! 私、ダンジョンの出口まで送ってくよ」
俺としては有難い限りだったが、ユキはまだモヤモヤした表情だ。
「良いのかよスズカ。せっかくの男手が……」
「帰るとこがある人なんだから、帰さない訳に行かないでしょう」
「っ……!」
「でしょ? ソーヤ」
「え? あ、そうだな。うん」
――その言い方に引っかかるものはあった。
まるで自分は違うと、帰るところがないのだと告白しているみたいだった。
そもそもダンジョンの現地人という訳でもないと知った時から、その違和感は抱いた。
ただそれを、夏の浮ついた気持ちの陰へ隠していただけだ。
「ま、そうは言ってもすぐ帰るって訳じゃないんだろう? 今日ぐらいはのんびりしてけよ坊主」
「そ、そうさせてもらうつもりっす。まだダンジョンの見てないとこ回れたらって思ってたし」
「ソーヤお前、まーた絵描くために変なとこ連れてくんじゃないだろーな~?」
「今度は遊ぶだけだから大丈夫だって。それに今回はミカさんもいるんだし」
「アタシを何だと思ってやがる?」
俺が感じた一瞬の静寂は過ぎ、氷の家屋はすっかり賑やかな空気に戻っていた。
ここへ来た時は食器の音が気になったものだが、今では騒がしい笑い声ばかりが反響している。
「あっはは、良いじゃん。準備出来たらみんなで今日も出かけよーよ!」
雰囲気の変わったイグルーの中で、スズカが一番嬉しそうにしていた。
窓から聞こえる風鈴の音、氷床の下を泳ぐ花火のような魚、エキゾチックなフルーツの香り。
同じ物を食べ、部屋の冷気で涼みながら、今日の予定を考える。
祖父母の家で親戚や近所の子供と過ごした八月の記憶が視界で重なる。
夏のこんなのんびりした時間が好きだったんだと、風は俺に思い出させた。



