さざ波を立てる氷上の海。沖で流氷が流れる光景は北極海のものなのに、風の程良い冷たさは夏の浜辺だ。

 水滴が頬に飛んでくる海沿いの道を、俺はスズカの後を追いかけて進む。時折ユキに凄まれて距離を開けることを繰り返した。

「ここの気温ちょうど良いな〜! 海風も当たって汗も気になんないわ」

「茹で上がってるその頭、海に数時間ぐらい漬けとけば?」

「近所に溺死体ある方が嫌じゃね!? あ、もしかしてユキも海入りたい? 一緒に泳いでく?」

「待ってろ。お前を誘拐未遂で通報するか、セクハラで訴えるか考えるから」

「ほらほら二人とも。家着いたから喧嘩はそこまでね」

 スズカが手を鳴らす方に目を向ける。

 彼女の背後には氷の家が佇んでいた。

 青や白の多い景色に溶け込む澄んだ氷壁。扉がない代わりに、窓辺には風鈴が揺れている。
 全体像はドーム状にそびえる洋風のかまくらだ。

「これっ、イグルーじゃん! イヌイット伝統の雪の家!」

「ソーヤ詳しいね。勉強得意なの?」

「社会系はすこーしだけ。こういう絵に使える資料とかはよく漁ってるからさ。けど実物よりデッカくね?」

「見よう見まねで作ったからね。あとここの氷がちょっと特殊っぽいから建てやすかった」

 二人に連れられ、巨大なピザ窯型の住居へ入る。

 その見た目にも驚いたが、穴の中は更に衝撃が待っていた。

「中ひろぉっ!」

 テントの中のような内装を想像していた。
 でも実際は雪国の立派な小屋の中。氷でこしらえたログハウスのような部屋があった。


 掘りごたつと同じで地面より床は低い。外から見るより広々していて、十畳は超える快適なスペースだ。
 氷や雪でダイニングテーブルや食器棚は作られてるけど、椅子やベッドはふかふかの布で覆われて温度管理もされている。

 窓辺には風鈴が唄うように鳴っている。造りは雪国のものなのに、居心地はクーラーが効いた夏の部屋みたいだ。

「圧巻だなあ。これを二人が?」

「そうだよ。私は飾り付けの担当」

「冷蔵庫やベッドはボクが作った。勝手に触って壊すなよ」

 その出来栄えには感嘆の息を漏らすことしかできない。

 機能性もオシャレさも兼ね備えた氷部屋。見渡す中、俺は息が白くないことに気付く。

「てか意外と寒くないんだね」

「さっきも言ってたこの氷も雪も、普通じゃないっぽいんだ。ほら、触ってもそこまで冷たくないでしょ?」

「わ、ホントだ。冷えてはいるけどキンキンって感じじゃないや。変だなぁ」

 床やテーブルをペタペタ触ってみても、かき氷より冷たくない温度が維持されていた。

「触り過ぎだろ。女子二人が暮らしてるってこと忘れんなよー」

「はいはい。ベッドダイブしたりタオル吸ったりしないってー」

「きっしょ。そんな発想浮かぶ時点で引くわ……」

 氷壁は俺の笑い声をよく響かせていた。

 そんな中、窓から外を見たスズカは声を上げる。

「あ、そろそろ群れが来る時間だった!」

「群れって?」

「私達のご飯。今からだと思うから、ちょっと待っててね」

「ごはん?」

「スズカー。釣り糸垂らしとくぞー」

 ユキは床にある小さな穴へ針を落とした。

 スズカは目を輝かせて、家の床全体を眺める。

「ほら、お待ちかね」

 瞬間、床全体に花火が広がった。

 パアっと七色に閃光した光の花弁。それは全て、床の下で泳ぐ魚の群れだった。

「綺麗、だ……なんだこの、魚の光り方」

「驚いた? 今晩の夕食になるお魚なんだ。沢山釣るから待ってて!」

「魚が逃げるから。お前は静かにしてろよー」

 虹色の結晶を砕いたようなまだら模様。群れが生み出す幾何学模様は、花火が散らずに踊り回っているみたいだ。

 さっき見た宙を泳ぐ群れよりも床下の魚はずっと数が多く、鮮やかな色彩を放って遊泳している。

「生態系も特殊とか、本当に地球かよここ」

 ここに来てから理解の範疇を超えるものばかりだ。

 それでもその謎や真相にはあまり興味は無い。ただ夏が魅せる幻じみた光景に、俺は素直に身を任せる。

「スズカ、それ餌食べてるって」

「うそっ、もう取られてる!? ああこの練り餌作るの大変だったのに……」

「貸して。ボクは今日焼き魚の気分なんだから!」

 ユキはスズカから竿を受け取って、二刀流で釣りを続行する。

 色彩の群れに糸を垂らして待ち構える少女達は、線香花火で遊んでいるように見えた。