粉雪の丘に着地した俺達は服をパンパンと叩いて払った。
 パラソルは柄がちょうど丘の頂上に刺さってビーチフラッグのように立っている。

 生還したばかりだけど、この異国のような景色が現実感や危機感を拭ってしまう。

 俺は呑気に周りを見渡しながら、助けてくれた女の子が顔を真っ赤にしている様子を楽しめている。
 向日葵のような彼女は両手を頬につけていた。

「まったく、初対面の人間にいきなり『可愛い』って……」

「いやー悪い悪い。俺って思ったこと反射的に言っちゃうタイプでさぁ」

「おもっ!? わ、私はそういう言葉似合うキャラじゃないから!」

 そんな風に照れて否定するところが可愛い、と追撃するのは流石に自重した。

 いたずら心がついつい出てしまうが、ここは人としてまず感謝を伝えるべきとこだ。

「助けてくれてありがとう。命拾いしたよ。お嬢さん、名前聞いても良い?」

 俺の言い回しに慣れない彼女は照れ臭そうにしながらも、こほんと咳払いをして向き直る。

 琥珀色の髪を耳に掛け、少女は透き通るようなその名前を口にした。

凪沢(なぎさわ)涼香(すずか)。嫌じゃなきゃ、下の名前で呼んでほしい」

「スズカちゃん、良い名前だねー。俺、花森爽弥。こっちもソーヤって呼んでよ」

「ちゃ、ちゃん付けはやめて。恥ずかしいから……」

「変なとこ照れるね。じゃ、お言葉に甘えて呼び捨てで」

 健康的に焼けている肌だが、顔だけは赤く染まりやすいらしい。

 男勝りで雰囲気は晴れ空みたいに明るい。近所の友達みたいな距離感で接してくれるから話しやすい。
 それ込みでも普通に女の子らしさはあるけど、本人は自覚なしみたいだ。

 言葉や仕草、感じられる人柄全部が明るくて友達になりたくなる。そんな魅力がスズカにはあった。

「ところでスズカ。ここは見た感じ氷のダンジョンっぽいけど、モンスターとかいる? お宝とかあったりとかさ」

「ダンジョン? っていうのかは分かんないけど、ここは地下空間。洞窟の中みたいなのに近いと思うけど……まあこんな景色じゃ、別世界にしか見えないよね」

 見上げた空はちゃんと青く輝いている。水が蒸発して雲を作って、天上から自然光も差している。
 目を凝らしても人工物や土の質感は感じられない。本物の空より空らしい色が頭上を覆ってた。

「太陽みたいのもあんだね」

「詳しくは分かんないけど、地上の光が上手いこと入ってきてるみたいなんだ。それが氷の反射でここまで届いて、空気中の水分が空らしく見せてるみたい」

「天然記念物じゃん。こういうのって地底世界っていうの? 不思議だよな~」

「水や気流が特殊っぽいんだ。原理はよく分かってないけど、ここでの暮らしもそこそこ長いからその感覚だけどね」

「スズカも上から落ちてきたの?」

「半年前ぐらいかな。道歩いたら水溜りに落ちて、気付いたらここに」

「衝撃映像で見るやつ! あれって本当に底なしのもあるんだ」

 この場所の事からスズカの事まで話題が尽きる気配はなかった。

 でもそれを遮るように不機嫌な少年っぽい声が響いて来た。

「まったくスズカは、後先考えず飛び出してくんだからー。追いかけるボクの身にもなってくれよ」

 気付いた時には黒い影がスズカとの間にグイッと割り込む。

 その正体は小柄な背丈と声質からして、年齢は多分中学生ぐらいの子だ。
 ただ、ツルっとした黒いフードパーカーを被ってよたよた歩く姿は、南極の鳥であるアレにしか見えない。

「……ペンギン?」

「よく見ろ節穴。ボクは一般的な人間だ」

 フードを取ると黒髪ショートで精悍な顔つきの少年――もとい少女がむくれっ面を見せた。

「へぇ、ボクっ娘って初めて見たわぁ。てか若いね君。中学生?」

「スズカ、こいつに氷投げて良い?」

 冷めた目つきでボクっ娘は俺を指さす。

 スズカが心配ないと声をかけても、少女は警戒してるのかガルガル唸っている。

「よっ、嬢ちゃん。俺はソーヤ、花森爽弥な。十八歳で高校三年生。春から美大生で、趣味も特技も絵描き。最近は女の子のふくらはぎを描くのにハマってる!」

 ひとまず警戒を解こうとスピーディーに自己紹介を済ませてみた。の筈だったけど、冷ややかな眼差しは一層厳しくなってる。

 不審者を前にした態度で少女はスズカに目配せした。

「本当に信用して良いのこれ? 見るからに軽そうな男だけど」

「確かにびっくりする事は言うけど、ソーヤは根は悪い人じゃなさそうだよ。ちょっとだけ変わってるけど」

「あっははー。この短時間でもう変人認定かあ」

「初対面で性癖暴露する一般人がいて堪るか」

 俺としてはスズカとはまた違ったイジリやすさがあって楽しそうだけど、相手の警戒心は全く解けない。

 代わりにスズカが中継役になってくれた。

「紹介するなソーヤ。この子は初根(はつね)ユキ。ちょっと人見知りだけど、とっても賢くて良い子だから仲良くしてあげてほしい」

「保護者か!」

「ユキって名前なのか。よろしくなユキっ」

「さっき呼び方がどうこうって話してた気がするけど、ボクにはそれナシか?」

 ユキは野良猫みたいな警戒心を見せる一方で、腕をバタバタさせる動きはペンギンそのものだ。


「ひとまず、すぐ出られるって話じゃなさそうだなぁ」

 見上げた空の果てはあまりにも遠かった。電波すら入らないのが不安だが、ここは焦ってもしょうがない。

「探索するっきゃないよな!」

 想像するしか出来なかった幻想がここにある。それを楽しまなきゃ勿体ない。
 絵の道を生きる人間としてはこんな体験、またとないチャンスだ。筆の踊り具合が今からでも想像できる。

「けどその前に、滞在すんなら必要なものもあるよな。俺絵の道具しか持ってないし……」

「そしたら私達の拠点に来ないか? 大したとこじゃないけど」

「良いの!? んじゃお邪魔するぜい!」

「げぇ、スズカ本気?」

「こんな雪道のど真ん中にソーヤだけほっとけないじゃん」

 ユキはブーブー鳴きながらもスズカの方針に渋々従った。

 俺の方は女友達に家へ誘われた気分で、鼻歌交じりに凍結した小道を進み始めた。