スズカやゲンさん達の目を避け、打ち上がった漁船の奥へ進んだ。
俺を手招いた先生という男の後をついて。
「あ、あのぉ……」
「悪いね。彼等に聞かれては困る話だからのでな」
「は、はあ」
不愛想、というより無駄な愛想を振りまかない印象だ。
いかにも合理主義っぽい立ち回りで、俺の方を見ずつかつかと船内を進んでいる。
「ここならば声は聞こえまい」
「おおっ、これが先生の研究室っすか」
「それ以外の何に見える?」
学者らしく船の一室に簡易的な研究室を拵えていた。
メモやスケッチした紙をあちこちに広げ、ダンジョンにある氷や魚の剥製、地図までもが置かれていた。
ただしどれも普通に置いてあるわけではない。近くにバッグや引き出しといった隠せる場所があり、窓や入口からは見えない角度で全て配置されている。
決して他の人間から見られないようにするために。
「ところで君、名前は?」
「花森爽弥、って言います」
「花森君か。よろしく。私は蝉谷《せみたに》紘人《ひろひと》、地質学者をしている」
それ以上の社交辞令的な言葉はなく、蝉谷さんは机の資料を漁る。目線を机上に固定したまま、淡々と語り始めた。
「話は聞いていた。ここから地上に戻るらしいな」
「ええ、そうっすけど」
「だからだ。私が君を呼んだのは」
「もしかして、それってタブーだったり――」
「この日を待っていたっ。君に頼みたいことがある!」
振り向きざまに蝉谷さんはずいっと顔を近付けてきた。驚いて情けない声を漏らしてしまう。
そんな反応はお構いなしに、蝉谷さんは俺の手に何かを握らせる。
「これを、誰にも見られず地上まで持って帰るんだ」
掌にはスマホより一回り大きい氷塊が乗せられていた。なぜか冷たくない、どころか僅かに温かい氷だ。
「氷の塊、か?」
「それを持って可能な限り早急に地上へ出なさい。計算通りなら、その結晶は戻った後に解けて読めるようになる」
「読めるってこれ……何かの書き物っすか?」
「世界の命運を握るメッセージだ」
日常で聞くことのない言葉も、これだけ理知的な大人に言われては嫌でも危機感を煽られる。
生唾を飲み下すまでが酷く長い時間に感じた。
「この地下に落ちてくる前、私はある調査のために現地へ赴き、偶然穴に落ちてここへ辿り着いた」
「俺も似たようなもんです。変な氷の入り口見つけて入ったら落っこちた感じで」
「ッ、氷の入り口だと? どこで、いつ、どうやってそれを見つけた!?」
血相を変えた蝉谷さんに両肩を掴まれた。荒くなった声と見開いた目にビビりながら答える。
「じ、自販機の横っす!」
「自販機だと……?」
「マジですからね。自販機の日陰に氷の入り口が出来てたんで、そこに入りました。三日前ぐらいに」
「その自販機は、どんな場所にある?」
「田んぼ道の途中っす。錆びてボロいけど、それ以外は普通の自販機です」
「田んぼがある地点まで……もうそこまで到達していたのか」
床や壁、虚空に目線を躍らせつつ、彼はブツブツと呟いていた。
思考の整理がまとまった頃合いで再び俺は蝉谷さんの焦燥した顔と向き合う。
「よく聞いてくれ、時間がない。この事実を地上で伝えられるのは、君しかいないんだ花森君」
「事実、伝えるってどういうことっすか」
「ここはあってはならない場所なんだ。ただの綺麗な地下世界だとか、美しい銀世界なんてものじゃない」
頬から滴る汗を拭うことすら忘れ、蝉谷さんは俺へ真実を話そうとする。
「いわばここは、れい――」
重要な何かを言いかけたところで、研究室に物音が近付いてくる。
「おーい」と尋ねる声や足音から、きっと急にいなくなった俺を探しているのだろう。
「彼らが来るな。仕方ない、これ以上は怪しまれる……託したぞ、花森君」
彼がそう告げた直後、入り口からひょっこりと中年の男性が顔を出す。
さっきミチさんと呼ばれていたその人は俺と蝉谷さんの組み合わせに疑問符を浮かべていた。
「あれ、先生? スズカちゃんの連れの子も。どうしたんですかい?」
「何でもない。資料の確認をしていたら、この落ち着きのない子供が勝手にやって来た」
「なッ!?」
「あーあー、先生の機嫌を損ねちまって。ほれこっち来な。怒られんのは嫌だろう?」
「んっ、ぐぐぐ……」
隠すためとはいえ、あんまりな扱いだ。ほれほれとミチさんに手招きされてる間の歯痒さったらありはしない。
言われるがまま黙って出口へ向かいながら、受け取った氷をポケットの奥へ突っ込んだ。
この中のメッセージが何か、なぜ他の人達にバレてはいけないのかは分からない。けど蝉谷さんの命から削り出したような訴えを信じて、言いつけを守る。
研究室を後にする間際、覚悟を決めた学者の眼光が俺のことを貫いていた。
俺を手招いた先生という男の後をついて。
「あ、あのぉ……」
「悪いね。彼等に聞かれては困る話だからのでな」
「は、はあ」
不愛想、というより無駄な愛想を振りまかない印象だ。
いかにも合理主義っぽい立ち回りで、俺の方を見ずつかつかと船内を進んでいる。
「ここならば声は聞こえまい」
「おおっ、これが先生の研究室っすか」
「それ以外の何に見える?」
学者らしく船の一室に簡易的な研究室を拵えていた。
メモやスケッチした紙をあちこちに広げ、ダンジョンにある氷や魚の剥製、地図までもが置かれていた。
ただしどれも普通に置いてあるわけではない。近くにバッグや引き出しといった隠せる場所があり、窓や入口からは見えない角度で全て配置されている。
決して他の人間から見られないようにするために。
「ところで君、名前は?」
「花森爽弥、って言います」
「花森君か。よろしく。私は蝉谷《せみたに》紘人《ひろひと》、地質学者をしている」
それ以上の社交辞令的な言葉はなく、蝉谷さんは机の資料を漁る。目線を机上に固定したまま、淡々と語り始めた。
「話は聞いていた。ここから地上に戻るらしいな」
「ええ、そうっすけど」
「だからだ。私が君を呼んだのは」
「もしかして、それってタブーだったり――」
「この日を待っていたっ。君に頼みたいことがある!」
振り向きざまに蝉谷さんはずいっと顔を近付けてきた。驚いて情けない声を漏らしてしまう。
そんな反応はお構いなしに、蝉谷さんは俺の手に何かを握らせる。
「これを、誰にも見られず地上まで持って帰るんだ」
掌にはスマホより一回り大きい氷塊が乗せられていた。なぜか冷たくない、どころか僅かに温かい氷だ。
「氷の塊、か?」
「それを持って可能な限り早急に地上へ出なさい。計算通りなら、その結晶は戻った後に解けて読めるようになる」
「読めるってこれ……何かの書き物っすか?」
「世界の命運を握るメッセージだ」
日常で聞くことのない言葉も、これだけ理知的な大人に言われては嫌でも危機感を煽られる。
生唾を飲み下すまでが酷く長い時間に感じた。
「この地下に落ちてくる前、私はある調査のために現地へ赴き、偶然穴に落ちてここへ辿り着いた」
「俺も似たようなもんです。変な氷の入り口見つけて入ったら落っこちた感じで」
「ッ、氷の入り口だと? どこで、いつ、どうやってそれを見つけた!?」
血相を変えた蝉谷さんに両肩を掴まれた。荒くなった声と見開いた目にビビりながら答える。
「じ、自販機の横っす!」
「自販機だと……?」
「マジですからね。自販機の日陰に氷の入り口が出来てたんで、そこに入りました。三日前ぐらいに」
「その自販機は、どんな場所にある?」
「田んぼ道の途中っす。錆びてボロいけど、それ以外は普通の自販機です」
「田んぼがある地点まで……もうそこまで到達していたのか」
床や壁、虚空に目線を躍らせつつ、彼はブツブツと呟いていた。
思考の整理がまとまった頃合いで再び俺は蝉谷さんの焦燥した顔と向き合う。
「よく聞いてくれ、時間がない。この事実を地上で伝えられるのは、君しかいないんだ花森君」
「事実、伝えるってどういうことっすか」
「ここはあってはならない場所なんだ。ただの綺麗な地下世界だとか、美しい銀世界なんてものじゃない」
頬から滴る汗を拭うことすら忘れ、蝉谷さんは俺へ真実を話そうとする。
「いわばここは、れい――」
重要な何かを言いかけたところで、研究室に物音が近付いてくる。
「おーい」と尋ねる声や足音から、きっと急にいなくなった俺を探しているのだろう。
「彼らが来るな。仕方ない、これ以上は怪しまれる……託したぞ、花森君」
彼がそう告げた直後、入り口からひょっこりと中年の男性が顔を出す。
さっきミチさんと呼ばれていたその人は俺と蝉谷さんの組み合わせに疑問符を浮かべていた。
「あれ、先生? スズカちゃんの連れの子も。どうしたんですかい?」
「何でもない。資料の確認をしていたら、この落ち着きのない子供が勝手にやって来た」
「なッ!?」
「あーあー、先生の機嫌を損ねちまって。ほれこっち来な。怒られんのは嫌だろう?」
「んっ、ぐぐぐ……」
隠すためとはいえ、あんまりな扱いだ。ほれほれとミチさんに手招きされてる間の歯痒さったらありはしない。
言われるがまま黙って出口へ向かいながら、受け取った氷をポケットの奥へ突っ込んだ。
この中のメッセージが何か、なぜ他の人達にバレてはいけないのかは分からない。けど蝉谷さんの命から削り出したような訴えを信じて、言いつけを守る。
研究室を後にする間際、覚悟を決めた学者の眼光が俺のことを貫いていた。



