半日以上は歩いた気がする。スズカ達の家はとうに見えなくなって、北欧のような針葉樹の森を抜けた。

 積もった粉雪をキシキシ踏み進んで、日が昇っている内に山を抜ける。ユキだけでなく、俺でも厳しくなってくる。

「ソーヤ、そろそろ疲れちゃった?」

「そうだな、ちょっと足が上がんなくなってきた」

「オッケー。もうちょっとだけ頑張ってね。ゲンさん達のとこが近いから」

 たしかこのダンジョンで自治的なことをやってるとか。ミカさん曰く厳しい人とのことだから少し不安だ。

 そんな事を軽く考えながら、スズカを追いかける形で進んだ。途中でバテたユキを背負い始めてからは疲れの溜まり方が尋常じゃなかった。


 一時間弱、歩いた先で俺は山の麓まで辿り着いた。

 雪化粧を施し、ダンジョンの海まで続く滝を抱えた霊峰がそびえている。
 その手前、俺は目を疑う物体に足を向けていた。

「これ、貨物船か……?」

 雪へ刺さる形で埋まる、巨大な日本の貨物船が山の前に落ちていた。
 錆びと霜で使えないだろうが、甲板はそのまま凍結保存されている。半分以上が地面の中だが、人間なんて簡単に吹き飛んでしまう巨大な船だ。

 目線を動かせばその貨物船以外にも漁船から小舟程度のボートまでが漂着していた。海底からそのまま落ちてきたようで、残骸は遺跡のように大地と同化している。

「近くに海はあるけど、こんな落ちて来るもんかよ? 仮にそれなら、なんでダンジョンが水浸しじゃないんだ……」

 ここまで単なる幻想的な地下空間と思っていたこのダンジョンが、沈没船を拝んで急に現実味を連れてきた。
 特に小型の船を除き、貨物船や漁船が軒並み《《戦時中から戦後まもない頃》》のモデルなことが気になる。

「スズカちゃんか。そっちは新入りか?」

「あ、ゲンさん! 皆さんも」

 ダンジョンの謎に思いを巡らせる中、作業服を着た初老の男性が近付いて来た。

 髪と髭は白髪交じり。少し恰幅は良いが、力仕事をする人特有の締まった体付きなのは服の上から分かる。
 穏やかな表情の中には厳格さが見え隠れする。ミカさんの言ってた通り、自治会長のような雰囲気がある人だ。

「うん、私の友達でお客さんのソーヤ。これから見送りなんだ」

「あどうも。花森爽弥です」

「ご丁寧にどうも。私はこの漂着町を一応仕切らせてもらっている者だ。気軽にゲンと呼んでくれ」

「漂着町?」

「文字通りここへ流れ着いた者の溜まり場だ。この場所には物資から人まで流れ着くことがある。極稀だがね」

 ゲンさんが顔を上げると、船の影から同じ作業服を着た人達が次々に顔を出して来た。
 全部で十数人程度。中高年の男性達は煤や泥で汚れた顔をしかめ、吟味するように俺を見つめていた。

「ゲンさん、誰だその若いのは! 新入りか?」

「町に変なのが来たわけじゃねえよな?」

「安心しろ、スズカちゃんの客人だ! 今夜は泊っていくらしいから、もてなす準備でもしておけ」

 いやいや変人ですよ、なんていつもの調子で答えられる雰囲気じゃなかった。
 明らかに余所者を警戒するオーラが前面に出ている。うちの地元でも見れる、田舎特有の警戒心ってやつだ。

 丁寧な動きを心がけて頭を下げると、納得してくれたのか敵意のような空気はスッと消えた。

「ところでユキちゃんも一緒とは、今日は買い出しかな?」

「ソーヤを上まで送ってたとこなんだけど、みんな疲れちゃったから泊めてほしくて」

「好きなだけ使ってくれ。兄ちゃんもゆっくりしていきなさい」

「お世話になります!」

 厚意に甘えることになった俺は改まってゲンさんにお辞儀した。

「ん、どしたユキ?」

「なんでも」

「ああ、ちょっと大人数は苦手か?」

「別に」

 と言いつつ袖を引っ張る姿は分かりやす過ぎた。スズカもいつもの事なのか、仕方ないなと言うような表情で微笑んでいる。

 案外子供らしい反応を温かく見守っていると、別の中年男性が俺の前にやって来た。
 手に持った皿の上に、きゅうりの浅漬けが爪楊枝付きで並べられている。

「良かったら一つどうだい?」

「いただきますっ! 漬物なんてここにもあるんすね」

 塩っ気があって歯ごたえある漬物をポリポリと齧った。
 塩辛すぎない味付けと爽やかな水気が体に沁みる。ご飯と一緒にいただきたい味だ。

「大した種類もないが、ここなら食料と生活必需品は取り揃えている。ほとんどは自分達で加工しているものだ」

 その人もよく見ればボロボロの靴は修繕してある跡があった。それに周りの沈没船も、目を凝らせば肉を干してある所や洗濯物を干す場所。植物由来の紙製品を加工している船まであった。

 大人達が知恵を振り絞った住処。開拓された無人島のような情緒が漂っている。

「スズカちゃん、この前に濾してた紙から紐を作ってみたんだ。靴か洗濯用にでも使ってくれ」

「これも持ってけ、新作のぶどうだ。酒用に改良した品種だったが、存外甘かったんで調整してみた。こいつはデザートに向いてるぞ」

「加藤さんにミチさんもありがとう! 今度お礼のもの持ってくるよ」

 おじさん達のアイドルと言わんばかりの人気を一身に浴びていた。

 これだけの大人達に柔和な態度にさせるのは、スズカの明るくて献身的な人柄があってこそだと思う。
 聞こえて来る会話のほとんどが、『スズカが以前に手伝ってくれたお礼』という趣旨のものだった。

 その話にユキも巻き込まれ、スズカと共に大人達から猫可愛がりされている。

「そこの、若い君」

 ぼうっと彼女達を眺めてた時、後ろからの声に肩を跳ねさせた。

 振り向くとメガネを掛けた細身の男性が俺を見下ろしていた。
 ゲンさん達とは違ってインテリらしい雰囲気で、表情は乏しい。よれた白シャツゆえに、くたびれた顔が余計目立って見えた。

「君、学生か」

「はい、そうっす。一応、高三です」

「早く去れ。ここは子供が長居する場所ではない」

 冷たく言い放った男性はそれだけ言って、皆とは別方向の沈没船まで一人歩いて行った。

「おいおい先生、言い方ってのがあるだろうに」

 一部始終を見ていた男性達は諫めようとするが、構うことなく先生と呼ばれた男性は戻ってしまう。

「悪いね。頭の良い学者さんってのは気難しいもんだな」

「あの人、見ない顔だね。最近落ちてきた人?」

「おうさ。頭が良くて生活品作りを助けてもらってはいるんだが、如何せんあんな感じでな……」

 元々愛想がない人なのか、それだけ反応するとまた男性達はスズカとの会話を再開していた。

 俺も話に混じろうかと思った時、視界の隅でチラチラ動く物が入ってきた。

「んっ?」

 目を向けると船の陰から、たった今俺に警告してきた細身の男がこっちを見ていた。
 先生と呼ばれた人物は半身だけ出し、俺と目を合わせてハンドサインを送る。

 人差し指をクイクイっと動かして「こっちに来い」と合図を出していた。

 角度の問題で先生は俺にしか見えていない。スズカ達も話に夢中で意識から俺は消えているだろう。


 彼らの注意を引かないように音を殺し、呼ばれた船の陰まで足早に向かった。