地上からの日差しが途絶えれば、地下のダンジョンにも夜は訪れる。
ここの特殊な性質か、氷から僅かに蓄光か反射光の輝きが天井と氷土に散らばる。星屑の砂浜に見違える大地に様変わりだ。
辺りで明かりが灯るのはこのイグルーの中。
レトロな照明器具は俺達の着物をよく照らしていた。
「浴衣なんてあるのか!」
「上からここに流れ着いたみたいでね。乾くのに凄く時間かかったんだ」
「ボクはラムネ柄ー!」
「アタシはアサガオぉ〜」
「ええっ、そのサイズでミカ入るの?」
「おん? やるか小娘?」
昼間の海で距離が縮まったようで、ミカさんとユキはふざけて浴衣越しにお互いをくすぐり合う。
スズカは終始楽しそうに微笑んでは、モチマロに夕食のサバをあげていた。
「なんだか、お泊り会みたいだな」
蚊取り線香の匂いがない事が不自然に思えるほど、かまくらの中は賑やかだ。親戚の家に従兄弟達と泊まった日もこんなものだった。
窓枠に肘を掛け、夜風を感じながらこの一時を噛みしめる。鼻から抜ける吐息のように、暖かな団欒の空気が心地良い。
しばらく眺めていると、すぐにユキがバテて床に伸びた。
「み、ひひひっ、ミカ、それいじょっ、やめ……」
「はっはぁん? さては笑い疲れて反応する元気もないなぁ」
「む、むぃっ、だっ」
反撃の余力も失ったユキは陸の魚のようにビクンと跳ねては、くすぐりに苦しんでいた。
大人げないミカさんも大概だが、それにしたってユキの体力切れが早過ぎる。
「ユキは体力ないなー。外で運動してこなかった口だろ?」
「そんなことに、時間、使ってるぐらいなら、はぁっ、別の、有意義なこと、してたいんだっ!」
「マジで息上がり過ぎだろ! 運動も立派なメンテナンスなんだぜ。ほらほら、鍛えてないとこんな簡単に高い高いされるぞ」
「なあああああああぁぁぁぁぁぁ!? はぁぁぁぁなぁぁぁぁぁせェェェェェェェェ!!」
「んなペチペチじゃ外れないぞー?」
「す、スズカ助けてよー!」
「はーい。十分後ぐらいにね~」
「裏切りものぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
※
「――あ。寝て、た」
どうやら遊び疲れて気絶するように眠っていたらしい。どのタイミングで寝てしまったのかも覚えてない。
ただ枕投げの後のようなこの現場と、雑魚寝状態のユキ達を見れば一目瞭然だった。
水でも飲もうかと半身を起こすと、一人だけいないことに気付く。
窓からチラッと見えた浴衣姿を追いかけ、俺はイグルーの中から出た。
「スズカ?」
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
「いや、なんとなく目が覚めただけ。そっちは夜風に当たってる感じ?」
「まあね。この場所で暑くなったの、久しぶりだったから」
「そしたら暑苦しいのがお隣に失礼させてもらうよ」
彼女の横から見上げたダンジョンの天井は、天の川に引けを取らない輝きで満ちていた。
上から生える氷がキラキラと輝いて、風に載せられた水流が霧状になって宙を舞う。化学反応なのか、エメラルドからマゼンタの光を帯びてオーロラを作り出している。
天井を埋め尽くす星の河、揺らめく極光のカーテン、鏡のようにそれらを映す静謐の海。
現実味のない、あまりに美しい景色だった。
だからこそ、俺はずっと疑問だったんだ。
「スズカ達はさ、このダンジョンから出たりしねえの?」
「当面、出る予定はないかな」
「今はフルーツや魚もあって自給自足出来てるっぽいけど、ずっとここで暮らしてける訳でもないだろ?」
「……出れるようになったら、出てみるかもね」
いつもなら晴れ空のようにカラッと明るいスズカが、今はこの藍色の海のように静寂を纏っている。憂いを孕んで、微笑みは寂し気だ。
少し躊躇うように間を置いてから、苦笑交じりに彼女は語る。
「こんなこと言うの、らしくないんだけどさ。地上に戻っても居場所、ないんだよね」
「……理由は敢えて触れない方が良いとこかな?」
「そう、だね。ごめん、ちょっと今は言えそうにないかも」
「気にすんなって。言いづらいことなんてあって当然なんだし」
「……私を必要としてる人なんていない、って思ったら、なんだか戻りたくなくってさ」
喉からキュッと絞り出したように、スズカは告白する。
事情は分からなくても、唇を噛み締める仕草と僅かに震えた声音でその悲痛さだけは理解できた。
「あはっ、女々しくてヤダなぁ。こういうのってキャラじゃないんだけど」
「女々しいって、スズカは女の子だし良いんじゃねえの。弱音吐きたい時ぐらい情けなくなろうよ」
「本当、ソーヤは変わってるね。私を女の子扱いするやつっていたことないよ」
「何言ってんの? 会った時から俺、スズカのことは強くて人並み以上に可愛い女の子って思ってるけど」
「なっ!? ななっ、何言って……」
「あ、強いって心的な意味でね? ごめん、誉め言葉だから」
「そこじゃなくて!」
恥ずかしさで狼狽えるスズカはいつもの彼女に戻りつつあった。
少しでも元気を出してほしいと思って、俺は続ける。
「凛としてしっかりしてるのもスズカの良いとこだし、たまにこうやって弱いとこ見せれんのも良いとこだよ。普通のヤツには出来ないって」
「そう、かなぁ? 自分じゃそんな風には思わないや」
「周りから見えてる自分って案外、別人みたいに思うもんだって。自画像とか描いたことない?」
「自画像? はないけど……」
地面の雪に人のようなシルエットを描いてスズカに見せる。敢えて下手くそな輪郭で。
「自画像描く時ってさ、鏡で自分見るか写真撮るしかない訳よ」
「そういうものなんだ」
「そ。けどどっちも、本当の自分じゃないんだよ」
「どういう意味?」
「鏡で見た自分は左右反対だ。写真でも縦横比が微妙にズレてたり、色味や明るさが違ったりする。だからどんな手を使っても、本当の自分は描けないってわけ」
「なる、ほど?」
「絵描きの理屈じゃ分かんないよな。何が言いたいかって言うと、『凪沢涼香』って子は君と俺で全く違う子に見えて、どっちも君だって話」
「違う、私……」
「だから『自分らしさ』とか考えなくても良いと思うよ。少なくとも俺はそう感じてるし」
初めて会った時から、俺の中のスズカという人間は決まっている。
眩しいぐらいに明るくて、困ってるやつがいたら助けずにいられなくて、面倒見が良くて、芯が強い。それでいて年相応に可愛らしい女の子だ。
その胸の奥にしまっている記憶がどんなものであれ、俺から見た彼女を肯定したいと、言葉を紡いでみた。
どれぐらい届いたかは分からないけど、立ち上がったスズカはほんの少しスッキリした表情になったと思う。
「……ちょっと夜風に当たり過ぎたかも。そろそろ私も寝るわ」
「そっか。ごめんな、寝入りばなに変な話しちゃってさ」
「ううん。ソーヤの話、嬉しかったよ」
スズカは「おやすみ」と微笑んで、先にイグルーの中へ戻っていった。
俺は自分の考えも整理しようとしばらく星を見上げた。そして思い出す。
「あ、忘れてた」
スズカを励まそうとしてすっかり忘れてた。
――ここを一緒に出ないかって、誘いたかったんだけどな。
ここの特殊な性質か、氷から僅かに蓄光か反射光の輝きが天井と氷土に散らばる。星屑の砂浜に見違える大地に様変わりだ。
辺りで明かりが灯るのはこのイグルーの中。
レトロな照明器具は俺達の着物をよく照らしていた。
「浴衣なんてあるのか!」
「上からここに流れ着いたみたいでね。乾くのに凄く時間かかったんだ」
「ボクはラムネ柄ー!」
「アタシはアサガオぉ〜」
「ええっ、そのサイズでミカ入るの?」
「おん? やるか小娘?」
昼間の海で距離が縮まったようで、ミカさんとユキはふざけて浴衣越しにお互いをくすぐり合う。
スズカは終始楽しそうに微笑んでは、モチマロに夕食のサバをあげていた。
「なんだか、お泊り会みたいだな」
蚊取り線香の匂いがない事が不自然に思えるほど、かまくらの中は賑やかだ。親戚の家に従兄弟達と泊まった日もこんなものだった。
窓枠に肘を掛け、夜風を感じながらこの一時を噛みしめる。鼻から抜ける吐息のように、暖かな団欒の空気が心地良い。
しばらく眺めていると、すぐにユキがバテて床に伸びた。
「み、ひひひっ、ミカ、それいじょっ、やめ……」
「はっはぁん? さては笑い疲れて反応する元気もないなぁ」
「む、むぃっ、だっ」
反撃の余力も失ったユキは陸の魚のようにビクンと跳ねては、くすぐりに苦しんでいた。
大人げないミカさんも大概だが、それにしたってユキの体力切れが早過ぎる。
「ユキは体力ないなー。外で運動してこなかった口だろ?」
「そんなことに、時間、使ってるぐらいなら、はぁっ、別の、有意義なこと、してたいんだっ!」
「マジで息上がり過ぎだろ! 運動も立派なメンテナンスなんだぜ。ほらほら、鍛えてないとこんな簡単に高い高いされるぞ」
「なあああああああぁぁぁぁぁぁ!? はぁぁぁぁなぁぁぁぁぁせェェェェェェェェ!!」
「んなペチペチじゃ外れないぞー?」
「す、スズカ助けてよー!」
「はーい。十分後ぐらいにね~」
「裏切りものぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
※
「――あ。寝て、た」
どうやら遊び疲れて気絶するように眠っていたらしい。どのタイミングで寝てしまったのかも覚えてない。
ただ枕投げの後のようなこの現場と、雑魚寝状態のユキ達を見れば一目瞭然だった。
水でも飲もうかと半身を起こすと、一人だけいないことに気付く。
窓からチラッと見えた浴衣姿を追いかけ、俺はイグルーの中から出た。
「スズカ?」
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
「いや、なんとなく目が覚めただけ。そっちは夜風に当たってる感じ?」
「まあね。この場所で暑くなったの、久しぶりだったから」
「そしたら暑苦しいのがお隣に失礼させてもらうよ」
彼女の横から見上げたダンジョンの天井は、天の川に引けを取らない輝きで満ちていた。
上から生える氷がキラキラと輝いて、風に載せられた水流が霧状になって宙を舞う。化学反応なのか、エメラルドからマゼンタの光を帯びてオーロラを作り出している。
天井を埋め尽くす星の河、揺らめく極光のカーテン、鏡のようにそれらを映す静謐の海。
現実味のない、あまりに美しい景色だった。
だからこそ、俺はずっと疑問だったんだ。
「スズカ達はさ、このダンジョンから出たりしねえの?」
「当面、出る予定はないかな」
「今はフルーツや魚もあって自給自足出来てるっぽいけど、ずっとここで暮らしてける訳でもないだろ?」
「……出れるようになったら、出てみるかもね」
いつもなら晴れ空のようにカラッと明るいスズカが、今はこの藍色の海のように静寂を纏っている。憂いを孕んで、微笑みは寂し気だ。
少し躊躇うように間を置いてから、苦笑交じりに彼女は語る。
「こんなこと言うの、らしくないんだけどさ。地上に戻っても居場所、ないんだよね」
「……理由は敢えて触れない方が良いとこかな?」
「そう、だね。ごめん、ちょっと今は言えそうにないかも」
「気にすんなって。言いづらいことなんてあって当然なんだし」
「……私を必要としてる人なんていない、って思ったら、なんだか戻りたくなくってさ」
喉からキュッと絞り出したように、スズカは告白する。
事情は分からなくても、唇を噛み締める仕草と僅かに震えた声音でその悲痛さだけは理解できた。
「あはっ、女々しくてヤダなぁ。こういうのってキャラじゃないんだけど」
「女々しいって、スズカは女の子だし良いんじゃねえの。弱音吐きたい時ぐらい情けなくなろうよ」
「本当、ソーヤは変わってるね。私を女の子扱いするやつっていたことないよ」
「何言ってんの? 会った時から俺、スズカのことは強くて人並み以上に可愛い女の子って思ってるけど」
「なっ!? ななっ、何言って……」
「あ、強いって心的な意味でね? ごめん、誉め言葉だから」
「そこじゃなくて!」
恥ずかしさで狼狽えるスズカはいつもの彼女に戻りつつあった。
少しでも元気を出してほしいと思って、俺は続ける。
「凛としてしっかりしてるのもスズカの良いとこだし、たまにこうやって弱いとこ見せれんのも良いとこだよ。普通のヤツには出来ないって」
「そう、かなぁ? 自分じゃそんな風には思わないや」
「周りから見えてる自分って案外、別人みたいに思うもんだって。自画像とか描いたことない?」
「自画像? はないけど……」
地面の雪に人のようなシルエットを描いてスズカに見せる。敢えて下手くそな輪郭で。
「自画像描く時ってさ、鏡で自分見るか写真撮るしかない訳よ」
「そういうものなんだ」
「そ。けどどっちも、本当の自分じゃないんだよ」
「どういう意味?」
「鏡で見た自分は左右反対だ。写真でも縦横比が微妙にズレてたり、色味や明るさが違ったりする。だからどんな手を使っても、本当の自分は描けないってわけ」
「なる、ほど?」
「絵描きの理屈じゃ分かんないよな。何が言いたいかって言うと、『凪沢涼香』って子は君と俺で全く違う子に見えて、どっちも君だって話」
「違う、私……」
「だから『自分らしさ』とか考えなくても良いと思うよ。少なくとも俺はそう感じてるし」
初めて会った時から、俺の中のスズカという人間は決まっている。
眩しいぐらいに明るくて、困ってるやつがいたら助けずにいられなくて、面倒見が良くて、芯が強い。それでいて年相応に可愛らしい女の子だ。
その胸の奥にしまっている記憶がどんなものであれ、俺から見た彼女を肯定したいと、言葉を紡いでみた。
どれぐらい届いたかは分からないけど、立ち上がったスズカはほんの少しスッキリした表情になったと思う。
「……ちょっと夜風に当たり過ぎたかも。そろそろ私も寝るわ」
「そっか。ごめんな、寝入りばなに変な話しちゃってさ」
「ううん。ソーヤの話、嬉しかったよ」
スズカは「おやすみ」と微笑んで、先にイグルーの中へ戻っていった。
俺は自分の考えも整理しようとしばらく星を見上げた。そして思い出す。
「あ、忘れてた」
スズカを励まそうとしてすっかり忘れてた。
――ここを一緒に出ないかって、誘いたかったんだけどな。



