ライゼルの現在の髪形だが・・・坊主だ。
此処までになるのにそう時間は掛からなかった。
凡そ二週間。
そりゃあ毎日2センチ切っては、俺の手直しが入りを繰り返していたらこうなる。
当然の結果だ。

「もうこうなったら、シルビアの練習には付き合えないな・・・すまない・・・」
そう溢していた。

いや、これまでよく頑張ったとここは褒めてあげよう。
俺には出来ない芸当だ。
ワンレンからの坊主。
日に日に短くなっていく髪の毛にライゼルは、最初は何とも思っていなかったみたいだが、どんどんと表情が険しくなっていた。
余りの変貌ぶりに、本人がついていけていなかったみたいだ。
口には出していなかったが、その表情を見ればその動揺は明らかだった。
最終的には諦めたみたいだが・・・

折角だからと、金髪を白髪染めで黒色にしてやった。
気晴らしのイメチェンってね。
本人は満更でもないご様子だが、俺から言わせると、只のスポーツ刈りの中坊にしか観えない。
気を抜くと噴き出してしまいそうだ。
プププッ・・・野球部かっての。

髪形ついでに言うと、メイランは晩餐会でセットしたドレッドの儘だ。
ドレッドは解くことは出来ない。
一度造ってしまったら最後、その解決法は切ってしまうしかない。
メイランもそれを分かっての施術だったからいいけれど・・・
その俺の想いとは裏腹に、本人はドレッドである事を誇りに思っているみたいだ。
であればいいけどさ。
でもドレッドはシャンプーが大変なんだよな・・・
揉み込んで洗わないといけない。
意外に手間暇が掛かるんですよね、ドレッドって。
乾かすのもそれなりに大変だ。
手間暇がかかるのがドレッドなんですよ。
こればかりは経験したことがある人しか分かって貰えないよね。



シルビアちゃんのカット練習は連日続いている。
俺も目が離せない。
いくらこれまで俺のカットを見続けてきたといっても、実際に自分でハサミを握ってみるとそれは全くの別物なのだ。
シルビアちゃんは試行錯誤を繰り替えしている。

それに影響を受けてか、マリアンヌさんとクリスタルちゃんも、血気盛んに練習に励んでいる。
シルビアちゃんには負けていられないと、ハサミを手にする腕にも力が入っている。
ここは力んじゃ駄目だよ、カットに不要な力みは要りませんからね。

最近ではヤンレングスさんが造ったカット用のハサミや、ゴンガレスさんが造ったロッドが持ち寄られている。
ここはこうした方が良いのでは?あれはこうしましょうと、俺との職人談義が尽きない。
この二人も熱心だ。
正に一流の職人である。

ゴンガレスさんがロッドに執着するのは、ドM眼鏡から、
「完成したら、髪結い組合で大量に購入させて貰います」
と言われているからだ。
それはヤンレングスさんも同様である。

因みにこの異世界のカット用のハサミは小指を添える支えが無い。
これが無いと、不安定になるのは間違いない。
マリアンヌさんとクリスタルちゃんのハサミもこの形状だが、日本のハサミを渡すのもどうかと思い、今は保留としている。

その理由は、彼女達はそのハサミで数年にかけて技術を磨いてきているのだ、突然違う形状のハサミを持たされても戸惑うだろうとの判断だ。
だが、その俺の危惧も的外れであったみたいだ。

二人はヤンレングスさんの試作品のハサミを、
「とても使い易いです!」

「これは安定します!」

愛用のハサミに成り代わっていた。
おお・・・なるほど・・・小指の偉大さを学ぶいい機会になったよ。
小指の支えは大事だなと。
参考になります。

美容道具はまだ何とかなりそうな物だが、問題は・・・
カラー剤とパーマ液だった。
これはどうともしがたい。
なによりその成分を俺は知らないし、知った処でその製造方法が分からない。

美容材料屋の森君に無理を言って、どういう成分で、どうやって造っているのか調べてくれと無理難題を押し付けたのだが、
「神野さん・・・すいません・・・企業秘密の壁を破れませんでした・・・」
こう言った回答をされてしまった。

やっぱりか・・・これを簡単に教えてしまっては、美容メーカーの名折れである。
こう言ってはなんだが、期待はしていなかったよ。
すまんな森君よ・・・試す様で悪かったな・・・
此処ばかりは、打開策が今の処思いつかない。
どうしたもんだか・・・



ここで前にパーマの工程について話をした事が有ったが、折角だから追記事項を話しておきたい。
それは禁止事項だ。
そう聞くと身構えてしまうのだが、これはあくまで念のための処置であるから、そう身構えないで欲しい。
ニュアンスとしてお勧めできませんぐらいの話だ。
それは何かと言うと、俺は家のスタッフ達には、必ず十代後半から三十代後半以降の、妊娠の可能性の恐れがあるお客さんには、妊娠している可能性があるかをヒアリングする様に徹底している。

具体的には、妊娠四カ月目から七カ月目は、カラーとパーマの施術を受ける事はお勧めできない、という事をちゃんと伝える様にしている。
その理由は様々あるが、先ずはこの妊娠周期はデリケートな時期である為、長い時間、一定の姿勢で施術を受けることが儘ならない事が有るからだ。
施術を受ける側としても、同一の姿勢で居続けないといけない事は、それなりにストレスになる。
これは妊婦さんなら誰もが経験していることだろう。
髪を切って貰っている時に、頭を振るなんて暴挙に出ることなんて出来ない。
それをしてしまったら、そちら責でこんな残念な髪形に成りましたとなってしまうだろう。
実はこの現象に子供のカットが当て嵌るのだが、それはまた別としておこう。


誤解を承知でお話しすると、妊婦さんには気を使ってしまう。
腫れ物に触れるとまでは言わないが、安全に気を付けてくれと気遣いたくなる。
その歩行すらも見守りたくなるのだ。
ちょっと気にし過ぎだと、お叱りを受けるかもしれないが、ここは俺の性格だと受け止めて欲しい。
これでいて心配性なんでね。
それにこの時期の妊婦さんは俺の知る限り、ホルモンのバランスを崩しやすく、それが母体のみならず胎児にも影響すると聞いたことがある。
誤解を招くのを承知で言わせて欲しい。
「五体満足の子供を産んで下さい」
そう切に願うのだ。

より深い話をすると、前にも述べた通り、パーマ液やカラー剤には、少なからず薬品が混じっている。
その薬品が経皮吸収する恐れがあり、それが胎児に影響する可能性が否定出来無い。

解説させて貰おうか。
最初に言うと、これは科学的に立証されている出来事ではないし、全くもって確証の無い話である。
あくまで可能性の一つとして、念の為の処置であると受け止めて欲しい。
万が一を想定しているだけに過ぎないのだから。

カラー剤や、パーマ液を使って施術する際に、髪の毛以外に薬液が掛かってしまうのは、防ぎようがない。
カラー剤を塗る時に髪だけではなく、頭皮に付着せずに薬液を塗るのは不可能だ。
それはパーマ液も同様である。
その為、どうしても経皮吸収は起ってしまう。

具体的には、毛穴は髪を生やしており、汗をかき、其れと同時に外気から毛穴を通じて付着物を体内に吸収する性質がある。
要は簡単な話をすると、虫に刺さされた時を想像してみて欲しい。
蚊に腕を刺されて腫れてしまったとする。
その腫れた箇所を十字に爪で後を付けるのも悪くないが、それでは痒みは収まらない。
それ処か、もっと痒くなるという体験をしたことが俺は何度もある。

そんな話をしたいのではなくて、蚊に刺さたらム●を塗る。
ある意味当たり前の行為だ。
雨が降ったら傘をさすと同様に。
靴を脱いだら揃えると同様に。
そのメカニズムは、蚊に刺されて蚊の毒が周って、蚊に刺された箇所に炎症を起こす。
刺された箇所にム●を塗って、その炎症を抑えることに寄って痒みが収まる・・・
どうして痒みが収まるのか?
それはム●の中の炎症を抑える成分が、毛穴から吸収されて、炎症を抑えてくれるからだ。
これが経皮吸収だ。

分かって貰えるだろうか?
頭皮の毛穴からカラー剤や、パーマ液の薬液が吸収され、それが血管内の血液に混じって、全身を駆け巡る。
その様な出来事が起こる可能性があるのではないか?というお話だ。
それがもしかしたら胎児に影響を与えるのでは?
という、限りなく薄い極僅かの可能性の事柄であるのだ。
これは残念ながら数字で示すことは出来ない。
その為科学的には立証されていない。
こんな実験なんて出来無いのだからそうなる。
もしこんな非人道的な実験を行なおう物なら、瞬時に世間からつま弾かれるだろう。
そんな限りなく薄い可能性の話ではあるのだが、新たに生まれる生命に、想いを寄せたいのは、人としての本能だと受け止めて欲しい。
そんな些細な想いである。

そしてもう一つ、一番大きな理由としてはその匂いにある。
カラー剤やパーマ液は、独特な匂いを発している為、その匂いに妊婦さんはどうしても反応してしまう事があるのだ。
要は悪阻である。
俺には経験の無い話であるのだが、妹の美幸に言わせると、炊き立てのご飯の匂いすらも気分が悪くなって、悪阻を発症してしまったのだとか。
あんな炊き立ての美味しそうな匂いですらも反応してしまうのが悪阻だ。
悪阻とは実にやっかいである。
こう言った側面もあって、妊娠四カ月目から七カ月目の妊婦さんには、カラーとパーマはお勧めしていない。
お客さんファーストのこのお店にとっては、重要な要素である。



他にも禁止事項はある。
特に厳格に取り締まっているのは、武器の持ち込み禁止である。
これはどうしても認められない。
特に冒険者達にとっては、馴染みのある獲物を携帯出来無いのは、落ち着かないらしいのだが、そんな事は知ったこっちゃない。
安全第一のこのお店では、これを守らない限り、店内に入る事すらも認められていない。
武器は入店時に預かり、万が一これに違反した際には出入り禁止となる。
残念ながら数名のお客さんは出入り禁止となってしまった。
その全員が斥候の冒険者だったのだが・・・
なんで隠しナイフを太腿や踝に隠しているのだか・・・
バレバレなんだけど・・・

因みに防具は問題ない。
アーマープレートを着込んで施術を受ける人なんて、一人もいないんだけどね。
でも籠手を外したくないという冒険者は数名いた。
なんでだろうね?

次の禁止事項は、ペットの入店不可である。
その為、店先の道路脇には、首輪を括り付ける様に、木枠が設置されている。
ペットをこの木枠に繋げて来店してくれという気遣いだ。
間違っても店内にペットを連れての来店は、認めませんよという事を禁止事項としている。

俺は断然の犬派だ、犬が大好きである。
実際、俺は幼少期の頃には犬を飼っていた。
愛犬のララ、ララは雑種犬だ。
俺がある時拾ってきた。
俺の大好きな相棒だった。
ララは俺にとっては只のペットでは無い。
辛かった時期の俺と美幸を癒し、励まし、前を向かせてくれた存在だ。
ララが亡くなった時には、恐ろしいまでの喪失感を覚えた。
もう立ち直れないかと思う程に。
その為、その後俺はペットを二度と飼わないことにしている。
もうあんな想いをするのは勘弁願いたい。
俺はもう一度あの辛い経験をするだけの精神力は無い。
それぐらいの喪失感を感じてしまったのだった。

時に田舎の美容院では、稀に我物顔で、床に鎮座している看板犬がいる。
まるでここにいる事が当然だと、何が悪いのかと自分の縄狩りを主張している。
そんなお店もあるにはある。
それはそれでいいと思う。
店主の判断でそうしているのだから。

だが、どうしてもペットが苦手な人はいる。
犬が苦手な友人に言わせると、小型犬すらも脅威に感じるとのこと。
対峙すると、飛び掛かられたらどうしようと、緊張が解けることは無いという。
そういった人は大体が、子供の頃に犬に噛まれたことがあるとか、睨まれて怖い思いをしたとか、そんな経験をしたのだろう。
それに他の友人は、どうしても猫の目が怖いと感じるらしい。
誰もがペット愛好家ではないという話だ。
そう言った理由があり、店内へのペットの入店は認められないのだ。
個人的には犬をワシャワシャとしたい。
でもここはお客さん優先。
俺の趣味趣向は二の次にしなくてはならない。



色々と偉そうに語っているジョニーだが、実は最もこの美容院『アンジェリ』の最大の禁止事項はこうなっている。
それはこのお店に危害を加えるである。
これは何を以てでも排除される事項であった。
ジョニーに限った話では無い。
ライゼルであったり、リックであったり『アンジェリ』を愛する者達は多数いるのだ。

先日も、血迷ったやくざ者が、無遠慮にお店に踏み込んできて、ショバ代を要求して、ジョニーの回し蹴りを顔面で受け止める事態となっていた。
ジョニーを舐めてはいけない。
こいつは空手の有段者なのだ。
実践空手で有名な道場の黒帯なのだ。
今は職業柄、その道からは外れてしまったのだが、未だその足技は健在なのである。
ジョニーは拳を握る事は無い、手を傷つける訳にはいかないからだ。
でも毎日の立ち仕事でその足腰は健在である。
その鍛えられた足技は衰えていないのだ。

それ処か、それを聞きつけたライゼル達に、やくざ者は尻の毛すらも抜かれている始末。
ある意味これが一番の禁止事項であった。
因みにこれをシルビア達一行は、感情の抜け落ちた表情で、一部終始を眺めていた。
またかと言いたげであった。
どうしてそんな無謀な事をするのかと、神経を疑っているぐらいだ。
なんなら私も手を貸しましょうか?と顔に書いてある。



そしてジョニーは実はプチ潔癖症であった。
汚れている事が許せない!とまではいかないが、ゴミをそこいらに放置される事は許せなかった。
なにも髪一つとまでは言わないが・・・
そうであったら嬉しいのだが、そこまでの理解は求めていない。
でも明らかにゴミが散乱している様は許せない。
ここは綺麗好きであるとしておこうか。
特に衛生観念の強い美容師ならではの観点であったりもする。
その為、店内では何があってもゴミをそこら辺に捨ててはならない。
ゴミはゴミ箱へが、徹底されている。

というのも、ジョニーの心情は、当たり前の事を特別当たり前にするである。
どういう事かと言うと、それは簡単な話で。
靴を揃えるであったり、こちらから挨拶を行うであったり、大きな声で挨拶をしようと言ったり、片付けをするであったり、ルールを守るであったりの、当たり前の事でしかない。
でもこれが実に難しい事でもあったりする。
そしてゴミをゴミ箱へ、も当たり前のこととなっている。

当たり前の事を特別一生懸命に行う。
これがジョニーの心情であったりもするのだ。
厳粛な禁止事項が美容院『アンジェリ』では徹底されているという話であった。