結果的に言うと、相当豪勢な社員寮兼温泉宿が出来上がりつつあった。
後は細かい作業を経て、完成となるらしい。
ゴリオンズ親方が言うには、二週間後には完成するみたいだ。
長い期間、お疲れ様でございます。
よかったらこちらの甘味を皆さんで味わってくださいな。

着工から8カ月。
遂にその全貌が現れつつあった。
本当はここまでの建設物となると、こんな短期間では建たないものだ。
異常な程にスピードが速い。
それを叶えた理由は、圧倒的なまでの人海戦術。
資金に物を言わせた職人の数であった。
この領内全ての大工達や職人達に加えて、依頼を受けた冒険者達が集まってきたのでは無いかと思える程、大勢の人達が大挙していた。
ゴリオンズ親方の鼻息は常に荒かった。

「ここまでの遣り甲斐は感じ事がねえってなもんよ!ええ!ジョニー店長よう!」
捻じり鉢巻きを括りながら、毎日これを聞かされた。
はあ、いったいどうなっているのやら。
確認するのが怖いよ。
まあほとんど見えているけどね。
困ったものだ・・・



クロムウェルさんから提出された、その事業計画書を読み解く限り、これは・・・ドル箱じゃないか・・・
本当に良いのかい?
ほぼ丸投げですよ?
凄い事になってんな・・・
これは住宅ローンの繰り越し返済に充てよう。
それに限るな。
宝くじに当たるって・・・こういうことなのかもしれないな。
そんな感想が零れていた。

温泉旅館兼社員寮の経営が全て上手くいっている事は、クロムウェルさんのお陰であったのを知ったのは、数年後の話であった。
ああ・・・クロムウェルさん・・・あんた・・・凄すぎますって。
クロムウェルさんは、この温泉宿の後方的な経理や裏方作業を、一手に引き受けていたのだった。
俺はそんな事は微塵も知らない。
この温泉宿を一人で裏支えしてくれていたのだ。

そもそも事業計画書を作っているなんて・・・優秀過ぎるよ。
俺はそんな事は全く知りもしなかったってのに。
でも本人は飄々としている。
今でもしれっと誰かの背後を取って楽しんでいるのだ。
やはりこの人はスーパー執事だ。
どうにも痒い所に手が届く存在である。
もうこうなってくると頭が上がらないよ。

でも欲張らないクロムウェルさんは、あまり給料を沢山貰おうとはしてくれない。

本人曰く、
「毎日が遣り甲斐に満ち溢れていますので、私には充分ですねえ、私はジョニー店長の執事みたいな者ですのでねえ」
とのこと。

下げた頭が上がりませんよ。
ていうか、事実上の経営者はあなたでしょうが、こう言いたくなるよ。
俺の執事?ちゃんちゃら可笑しいよ。



社員寮は25室、管理は全てクロムウェルさんが行ってくれる、それもほぼ一人で。
温泉宿は40室もある。
温泉宿で働くスタッフは、あれよあれよと増えて行って、30名近くになっている。
マリアンヌさんの旦那さんのポルナルドさんに全部丸投げだ。
聞く処によると、温泉のスタッフだけに留まらず、料理人や配膳のスタッフ、仲居さんまでいるらしい。
でもこれで足りるのかい?お客さんの倍はスタッフが必要だと思うのだが?
丸投げしているから口は挟まないけどさ・・・
先日スタッフを紹介されたが、誰が何さんでどの仕事を行うのかはいまいち分からなかった。
これは丸投げの弊害だな。
まあ皆さんよろしくお願いします。
こんな経営者ですが許して下さい。
ごめんなさい・・・

この温泉だが、既に完成しており、俺達は幾度も入泉している。
温泉に通じていない俺でもよく分かる。
無茶苦茶泉質がいいと・・・なんなんだよこの温泉は・・・最高かよ!
特に肌に良いのがよく分かる、お湯が肌にしっとりと纏わりつく。
言うならば美肌の湯である。
肌がプルプルになるのだ。
これは純粋に嬉しい。
それに疲れが恐ろしい程軽くなる。
こんな泉質はあり得ないのでは?とは口が裂けても言えなかった。
ここは異世界ならではと、受け止めるしかなそうだ。

温泉同好会の方々に言わせると、
「こんなに効果効能のある温泉は他にはない、万病に効くかもしれないな」
という事らしく、まだ一般開放されてはいないが、人気が出るのは間違いなさそうだった。

更に、その温泉のお湯を引き込んで、道路脇に足湯場が出来上がりつつある。
ホスピタリティー溢れる演出だ。
道行く人々が無料で利用できる足湯場となる予定である。

この足湯場に関しては、実は俺が言い出した事だった。
お節介を焼いた様で申し訳ないが、なんだか何もしていないとの罪悪感を、拭い去ることが出来なかったからだ。
ここは少しでも領民の皆さんのお役に立ちたいと思い、口を挟ませて貰った。
要らない世話ならごめんなさい。
悪気は有りませんので・・・
何かしらメイデン領の為に成ればとの想いを籠めてみただけです。
それにこの異世界には足湯場はないらしい。
足湯はいいよ、特に足の疲れには最高ですよ。

この異世界には足湯文化は無かった様だが、俺の提案をポルナルドさんはあっさりと受け入れてくれた。
これは面白いと両手を叩いて喜んでくれた。
ジョニー店長は天才だな、という要らない一言を添えて。
すいません、只の日本の文化です・・・
パクっただけです・・・

領民の方々には是非足湯で日頃の疲れを癒して頂きたい。
少しでもお役に立てたら光栄です。
特に冬場は暖まると思いますよ。

温泉の方は無料とはいかないけどね。
でも温泉のみに入泉する事はできる。
旅館に泊まらなくても温泉は利用可能だ。
値段の設定なども、全部ポルナルドさんに丸投げだ。
俺達『アンジェリ』一行は、当然無料で入泉可能。
有難い福利厚生である。
またシルビアちゃんから、待遇が良すぎると言われてしまいそうだよ。
好待遇で文句を言われるとはなあ・・・気真面目過ぎるよ。
全く・・・



この足湯場だが、一般公開に先立って、伯爵が最初に利用して、簡単な式典が行われるらしい。
何故らしいかというと、俺は式典に出席する様に言われたのだが、すまないが断らせて貰ったよ。
その日は既に予約でいっぱいなのだ、それも三カ月も前からね。
俺は足湯場の式典よりもお客さんを優先するよ。
当たり前でしょう?だって、三カ月も前から予約をとって、心待ちにしてくれているんだよ?
これを俺は裏切ることは出来ない。
お客さんファーストの俺にとっては、式典を優先するなどあり得ない選択だ。
伯爵のお願いでも、ここははっきりと断らせていただきましたよ。
俺はお客さん優先なんでね。
それを理解している伯爵は、あっさりと食い下がってくれたけどさ。
理解が早くて助かりますよ。
そういうだろうと思っていたと言われてしまったのは、これまでの俺の姿勢を観察した結果なのだろう。

そしてこの温泉宿を中心に市井が出来つつある。
要は温泉街が出来上がり始めているのだ。
世間に与える温泉のインパクトは大きい、温泉は巨大なマグネットになるからだ。
温泉はこの異世界では数少ない娯楽となる。
伝え聞く限り、この異世界の娯楽と呼べる物は、アルコールとギャンブルぐらいしかない。
とても健康的とは言えない。
絵画などの芸術もあるにはあるが、それを嗜む者は限られている。
スポーツ等も無く、そもそもその概念すらも無い。
その為、ある意味温泉は、この異世界にとっては唯一の娯楽である。
人が集まらない訳が無い。
満員御礼は約束されているのだ。

そうなると、当然そのお客目当てにお店が立ち並ぶことは必然。
気が付くと、そこらじゅうで建設ラッシュが起こっていた。
今の俺が聞き及んだ限りのラインナップを述べると。
鋳掛屋、鍛冶屋、道具屋、硝子屋、飲食店、八百屋、お肉屋、宿屋、問屋そして一般家屋。
他にも何か分からない建物が建設中である。
日本みたいに建設看板なんて無いから、お客さんの噂で聞いた限りでしかない。
こういう時はお客さんの噂話は役に立つ。
お客さんの噂話も馬鹿に出来ない。
それなりに高角度の話が多いし、信憑性の高い噂話が多い。
噂の集まる美容院は噂話に事欠かない。
噂好きのお客さんも多いしね。
まあ、要らないゴシップネタも中にはあるのだけれどさ。
誰と誰が付き合っているとか・・・あそこの御主人は浮気をしているとか・・・
どうでもいいです。

最近は新規店舗の店主が俺の元に挨拶に訪れることが多い。
どうしてか、皆さん俺の所に挨拶に訪れる。
俺は町内会の会長ではないのだが?なぜだろうか?
街長でもありませんよ?
後々知ったのは、俺はこの街の陰のフィクサー的な存在と思われていたらしく、先ずは挨拶に行かないと、この街ではやっていけないと思われていたらしい。
な訳ないだろう・・・。
・・・どうしてこうなった?
誰の差し金だよ・・・
伯爵や王家との繋がりがそう見せたということなんだろうね。

そう言えば、マリアンヌさんの義息子のトランザムが、この商店に名を連ねることになった。
止めておけばいいのにとは言えなかった。
彼なりに勝負に出たみたいだ。
今の街の方がお客さんは多いだろうに・・・
どうやら奥さんが背中を押したらしい。
両親の近くに居たいのかもしれないね。
おいおい、トランザムよ、尻に敷かれてんなあ。
まあ、今後ともよろしくな。

少しでも応援できればと、俺はマリオさんに彼を紹介して、土地の賃借代を勉強して下さいと話をしておいた。
身内の身内はもはや身内である。
ここは俺を立てて、マリオさんはそれなりに勉強してくれたらしい。
具体的な数字を俺は知らない。
というより敢えて聞いていない。
まあ、マリオさんもマリアンヌさんとは親しくしているから、当然とも思われる。
本当はマリンヌさんから話しても良いと思っていたのだが、マリアンヌさんに是非とお願いされてしまった。
であれば、それぐらいは可愛い弟子の為に俺は骨を折りますよ。

この街の影のフィクサーは俺では無く、このマリオさんだと思うのだが?
どうなんだろうか?
だってこの街の土地の地主は、殆どマリオさんなんだからさ。
でもマリオさんはなぜだか俺を立てたがる。
どうしてなんだろうか?・・・
分からなくはないが、正直言うと止めて欲しい。
不要な注目は集めたくはないんだよ。
ここら辺の匙加減はマリオさんなら分かってくれると思うのだが、時々食い違ってしまう。
何とも歯痒いな・・・

鋳掛屋の主人のゴンガレスさんと、鍛冶屋のヤレングスさんは、最近ではしょっちゅう美容院『アンジェリ』に訪れている。
二人の目的は単純で、ゴンガレスさんはお店の雑貨や道具、設備などを観たいこと、そしてヤレングスさんは俺のハサミを観たいからだ。
二人共生粋の職人だ。
どうにか『アンジェリ』にある製品や、材料や道具を実用化したいと、真剣になっているのだ。
これを俺は嬉しく受け入れていた。
とても簡単にはいかないことは分かってはいるが、実用化を期待したい。
特に鍛冶技術に関しては他事ではない。
その理由は明らかだ。

俺としては優れたハサミを造って欲しい、もうこれに尽きる。
というのは、最近頭を過るのは、この異世界生活は何時まで続くのだろうか?という単純な疑問だ。
だって、俺からしてみると、どういった理由でこの異世界に、俺の最愛のお店を繋げたのかがさっぱり分からない。
恐らくそれなりの理由があるのだろうとは思う、神様成りのね。
でも有る時、その理由が人知れず達成されて、もう来なくていいよと言われてしまったら、こちらとしては困ってしまう。
突如卒業しろと、卒業証書を手渡されてもさあ、という話である。

この異世界の美容文化が中途半端に無くなるのは嫌だし、何より俺の弟子達にはまだまだ美容師として育って貰わないといけない。
俺は弟子である三人を立派な美容師に育て挙げると決めている。
これは是が非でも成し遂げなければならない。
これは目標でも無く、必ず成し遂げるものなのだから。
未だ日本で美容院を開業したいという未練はある。
でも一度乗った船を、中途半端に下船するなんて無責任なことは出来ないし、したく無い。

その為、この異世界である物で美容院に必要な設備や、道具を揃えられる様にしたい。
美容師は、身体一つで出来ることは限られてしまう。
どうしても道具や、設備が必要だ。
先ずの目標はハサミをヤレングスさんには造れるようになって欲しい。
彼には何度か俺のハサミの研ぎも見学して貰っている。
彼は顎に手を当てて、唸っていた。
参考で見せるぐらいはいくらでも手伝いますよ。

ゴンガレスさんは今はロッドが気になる様子。
手に取って素材を確認している。
ロッドは軽く、それなりに頑丈な素材であれば代用が効くだろう、とは彼の意見だ。
全くその通りです、是非ロッドを造ってくださいな。
この二人の腕前に期待だ。



温泉の影響は温泉街が出来上がることだけでは無かった。
公共事業も行われているのだ。
伯爵も大胆だ。
ここぞとばかりに勝負に出ている。
好景気を終わらせないと、道路工事を開始したのだ。
伯爵は俺に気を使ってか『アンジェリ』の前面道路から、道路の敷石工事を開始した。
それに公共事業ともなると大掛かりである。
百名以上の作業員が、道路に加工された石を敷き詰めている。
ハンマーでガンガンと石を叩いていた。
これで馬車での移動が速くなるだろう。
歩き易くもなるだろうしね。
移動時間の短縮は様々な効果があるからね。
日本とは違って自動車なんてないのだから、これは大きな一歩ですよ。
移動とはそれほど経済に与える効果は大きいのだ。
ここは説明する必要は無いだろう。
流通を加速させることは天下を獲るに等しいのだ。
ここに踏み込んだ伯爵は英断を果たしたことになる。

それにこの世界の技術を舐めてはいけない。
ちゃんと上下水道の技術を有していたのだ。
その為、側溝や水を引き込むパイプもしっかりと根ざしていた。
領の北部にあるヘンリコ川から水が引き込まれており、しっかりと浄化の魔法で安全な水が提供されていた。
これを俺は感心していた、と同時に衛生管理がなされていると胸を撫で降ろしてもいた。

道路工事の現場監督さんがわざわざ挨拶に訪れてくれたよ。
「数日間工事で煩くしますが、よろしくお願いします」
律儀な事です。

伯爵辺りの入れ知恵かな?
挨拶はいいからさっさと仕事に掛かってくれよ。
職人さん達が手薬煉引いて待っているよ。

後日伯爵から聞いた話では、領民の数が随分と増えたらしい。
どういう事かと言うと、公共事業は何もこの温泉街だけに限った話ではなかったみたいだ。
領内の他の箇所でも大々的に行われているらしい。
そしてそれを耳にした者達が、領内外に関わらず集まってきたらしい。
要は仕事の無い者達が、血気盛んに集ってきたとのこと。
その為領民が増えたという事だ。

この異世界には仕事が無いと困っている人達が多い様である。
こうなってくると一大事業だ。
実際に領内が活気に溢れているのは肌で感じている。
というのも、お客さん達の噂話も、あそこにこれが出来たとか、そっちにあれが出来たとかの話しが多い。
実に喜ばしい事だ。
メイデン領は開発事業に沸いていた。
この先も発展し続ける事を切に願うよ。
俺もこのメイデン領の領民みたいなものだしね。

因みに伯爵は相当温泉に入りたいのか、この温泉街に別荘を建てるらしい。
贅沢な話だよ。
今はゴリオンズ親方が手が離せない為、社員寮兼温泉旅館が完成した後に、別荘の構想に取り掛かるらしい。



そして足湯場だが、実はちょっとした気遣いを施している。
それは、足湯に浸かる前に足を洗いたいだろうと、洗い場を造って貰ったのだ。
其処には洗浄用に、ボディーソープが常時設置されている。
有難い事にクロムウェルさんが管理してくれていた。
借りパクされない様にと、ボディーソープは鎖で繋がれている。
難儀だねぇ。

これは誰でも使ってもいい事になっている。
時々しれっと洗濯をしている人を見かけるが、誰も文句を言わない。
可哀そうにと冷ややかな視線を投げかけるだけだ。
それを察知して、洗濯をしている人は逃げる様にどこかに行ってしまう。
だったらやらなければいいのに・・・

そしていつからか、この街の街道筋は、シャンプー街道と呼ばれることになっていた。
誰が言い出したのかは分からない。
その理由は、街道筋を歩いていると、足湯場の洗い場から香る、ボディーシャンプーの匂いがするからである。
香り深いと誰もが喜んでいた。
そんな情緒溢れるお話であった。