晩餐会は佳境を迎えていた。
お陰様で食事を摂れたので、俺のお腹も落ち着きを取り戻したよ。
食事の味はまあまあ。
伯爵家の食事ともなれば、それなりに手が込んだ物が多かったよ。
印象としては牛乳や山羊の乳を使った料理が多かった。
メイデン領は乳製品が特産品だとマリオさんが教えてくれた。

手土産騒動は収まり、場が落ち着き出した処に、壇上に伯爵が登壇した。
場慣れしているだろう、通常営業感が半端ない。
伯爵ともなれば、こういった晩餐会でのスピーチは慣れているのだろうな。
俺にはスピーチは・・・気が重いな。
出来なくはないだろうが、気乗りはしない。
緊張して噛んじゃうかも・・・

全員が姿勢を正し、伯爵に向き直る。
伯爵が場の空気を感じ取り、注目が集まっているのを確認している。
一度全体を見まわしてから伯爵のスピーチが始まった。

「参加者の一同、今日は当家主催の晩餐会に参加頂きありがとう、礼を言うぞ」
遠慮気味に拍手が起こった。
スピーチの最初はこんなものだろう。
それを手で制して続ける伯爵。

「国王様がメイデン領に来られてから凡そ一ヶ月以上が経った、国王様はこのメイデン領をご視察なされて、賛辞を送って下さった」
再び拍手が巻き起こった、先程よりも大きく。
それはそうであろう、国王直々にお褒めの言葉を下さったのだ。
誇らしいに決まっている。
でもこの参加者達は領民なのだろうか?
聊か疑問だ。
だって俺に名乗りを上げた人達は、聞いたことがない領の名を語っていた人もいたし・・・
結局の所、参加者達はどこの誰なのかはよく分からない。

拍手が鳴りやむことを確認してから伯爵がスピーチを続けた。

「国王様、こちらへお越しください」
この発言を受けて国王が登壇した。
それを再び拍手で迎える一同。
国王は軽く手を挙げて受け入れている。
国王はいつも以上に優しい笑顔をしていた。
お土産がかなり嬉しかったみたいだ。

「国王様は三日後に王城へとお戻りになられる」
俺は隣のライゼルをチラ見する。
特に表情に変化はなかった。
国王が帰還することは、もう受け入れているのだろう。

「長きに渡るご視察、ありがとうございました」
伯爵が深々と頭を下げる。
何が視察だ!只の禿げ治療じゃねえか!と言いたくなる。
まあ言わないけどね。
でも視察だ何だと取り繕わないといけないんだろうね。
立場ある人だしさ。
あー、やだやだ。

「数ヶ月に渡る視察は実に有意義であった、メイデン領は余の誇りであるぞ」
この一言に場が揺れる。

「おおー!」

「有難いお言葉!」

「頑張った甲斐があった!」

「誉れ高い!」
その様をにこやかに眺める国王。
新調された王冠がお似合いだ。
ん?この反応を見る限り本当に視察は行っていたみたいだな。
まあでもそうか、家のお店に居ない時間の方が長い訳で、何もずっと遊んでいるなんて出来ないだろうしね。
国王も働いていたという事だね、お疲れ様です。

「皆の者、今後もベルメゾン伯爵を盛り立てておくれ」
この発言を受けて、参加者に向けて伯爵が軽く頭を下げる。
そこに再び拍手が贈られた。



伯爵が手を挙げて場を制した。
これまでと雰囲気が代わり、引き締まった表情をしている。
視線を全体に向けてから伯爵が徐に語り出した。

「このメイデン領は、今大きく舵を切ろうとしている」
ここで一度溜を作る伯爵。
随分と芝居がかっているな。
これが伯爵のスピーチ術か、為になるなあ。
俺には出来ない芸当だな。

「それは主にサービス業全般に置いて大きく変わろうとしている事を、皆なは御存じだろうか?」
俺の隣でマリオさんは大きく頷いている。
俺はいまいち分かっていない。
何のことやらである、何がどう変わっていると?

「その中心にあるのが美容院『アンジェリ』だ」
はい?何の事ですか?
伯爵は俺に視線を送ってくる。
何なんだよ、止めてくれよ!
俺にはさっぱりなのだが?
俺を巻き込むなって!

俺は掌を上に向けて、軽く手を挙げた。
所謂分かりませんのポーズだ。

「なんだ?ジョニー店長は知らないのか?」
今度は首を振って答えてみせた。
分かる訳無いでしょう・・・不意打ちは止めてくれよ・・・伯爵・・・

「『アンジェリ』でのサービスはお手本とされているのだぞ?」
ああ・・・そう言う事か・・・
それは何となく聞いていたよ。
でもそんなにインパクトのある事なのか?
領が舵を切るって・・・大袈裟でしょうよ。
美容院『アンジェリ』が領地の収入を押し挙げているとでも?
それなりにタックスリーさんに支払っている自覚はあるが・・・
でもあくまで、いち美容院にそれほどまでの貢献は無いと思うのだが?

「例えばおしぼり、それにモニター、そしてそこから派生した試食。これらの文化がサービス業を中心に取り入れられている。そして極め付きは接客姿勢だ。他にも食事については大きく変わりつつある」
うーん、なるほど、ちょっとだけ分かる。
確かにおしぼりの文化はこの世界には無かった。
それにモニターに関しては、マリオさんが滅法関心して、広めると公言していたからね。

食事については実は何度かお客さんから、調理法等を相談されたことがあったから、簡単に提案はしたことがあったが、どうやらいつの間にか実用化されていたみたいだ。
これは流石に知らなかったよ。
ていうか教えてくれよな、お客さん達もさ。
連れないなあ・・・

「そして恥ずかしながら、私も美容院『アンジェリ』に救われた一人である事は、皆もよく存じておろう?」
何人もの人達が頷いていた。
フェリアッテの一件は語り草になっているみたいだし。
知ってて当然かな?
ここは俺も頑張りましたよ、ええ!
遠慮はしませんよ!

「温泉が沸いたのは大きな功績だ!」
それを言うかねぇ・・・ていうか、それはいかんだろう。
だってこれは本当にたまたまの出来事であって、俺の実力でも何でもないんだからさ。

運も実力の内なんて言うけど、それは方便であって、今回の俺には当て嵌まらない。
温泉を引き当てたのは、宝くじに当たったのと大差ない。
宝くじを当てて、実力の内だなんて思う人っているのだろうか?
只の運だよ、運。
すまんが俺はそうとしか思えんよ。
実力の内だと思っている人は、直ぐに大金を使い果たして、生活を破綻しているだろうしね。

でも言いたい事は分かりますよ、実際に市井が出来つつあるのは分かっている。
どういうことかというと、温泉という娯楽は人を集める。
要はそれに伴って温泉街が造られる訳だ。
温泉目当てに人が集まり、そしてその人を目当てに商店が立ち並び、やがてそれが街となる。ここに温泉街の出来上がりだ。
実際美容院『アンジェリ』の周辺では、沢山の商店や飲食店等が着工されて、賑やかになっている。

それを早々に察知したマリオさんなんかは、土地を買い漁っていたしね。
ここの土地の価値は格段に跳ね上がると踏んで当然。
俺も土地を買おうかと真剣に悩んでしまったよ。
俺は美容師だからそんな事はしないけどさ。
でも間違いなく儲かると分かっていると手を出しそうになる。

俺は既に温泉を掘り当ててしまったから、ここは欲張らないことにしたよ。
だってこれ以上欲張ると、悪い事が起きそうじゃない?
小市民なんでね俺は・・・上手く行くことは嬉しいが、身の丈に見合っていない上手さは、返って怖くなるんですよね。
そしてその土地を売買しようとしているマリオさんに、俺はまた要らない知恵を貸していた。

ここは売ってしまうのは一時的な利益にしかならないから、賃貸にしたらどうかという提案をしたのだ。
利回りで10%ぐらいでも充分に借り手は居ると思ったからだ。
利回りは・・・銀行屋さんのお客さんに教えて貰った考え方なんですけどね。
ちょっと説明すると、利回りとは投資金額に対する利益の割合のことである。
この利益には利息だけでは無く、投資商品を売却した場合に得られる売却損益も含まれる。
ちょっと分かりづらいかな?

簡単に説明すると、土地の金額が1000万円の物件で、年間の賃料収入が100万円の場合、利回りは10%となる。
また売却損益とは取得した土地を、売買した場合に得られる利益や損失を示している。
今回の場合、マリオさんは購入した土地の金額の10%が、年間での賃貸料とすることと、万が一の場合、その土地を手放す際には、購入した金額以上で売買できることは間違いが無い為、一時的な利益を得るより、将来的に得られる金額を優先しませんか?という儲け話である。
どうにもお金に困ったらいつでも売りに出せるのだからさ。
それにどう考えても土地の値段が下がる事は想像できない。
市井を揺るがす様な事件が起きれば話は別だろうけど、そんな事は想像出来無いでしょうよ。

伯爵が言葉を繋ぐ、
「それに視察に訪れる者は何も国王様に限った話ではない」
へえー、そうなんだ。

「何人もの貴族達がオフレコでこのメイデン領を訪れている」
ん?どうしてかな?
国王が伯爵の隣で頷いていた。

「あの北の蛮族達ですらも、変装して訪れたという情報まである」
んーん?なんだかご大層なお話になってきておりませんか?
これまでの話だと、暗に視察に訪れたり、密偵が暗躍しているってことなのか?
そういうことだよねえ?違うかい?

あれ?家にそんなお客さんが居たのか?
思い当たる節は特にないけど・・・でも相手もプロだ。
悟らせないなんてお手のものなのかもしれないな。
まあでも、特に探られても困る事なんて家には何もないけどね。
あっ・・・神棚があったか・・・ここは知られたくない・・・万全のガードを敷いているから問題無いけどね。

「して、先ほども話した通り、その中心には美容院『アンジェリ』がある。ジョニー店長こちらに来てはくれんか?」
はい?俺も登壇するのか?何で?
スピーチとか嫌なんだけど・・・
でもこれだけの人達が居る中でこれを断る勇気は俺にはない。
雰囲気に飲まれそうだよ・・・
しょうがないなあ・・・
行くしかないよね。っち!

俺が登壇すると今日一の拍手が巻き起こった。
そして怒号とも取れる程に参加者達が騒ぎ出した。

「ジョニー!!!」

「店長!!!」

「よっ!美容師!」

「こっち向いてー!」
何だってんだ?
ちょっと度肝を抜かれてますよ俺は。
どうしたらこうなるの?
たぶん俺は今、顔が引き攣りまくってるんだろうね。
伯爵と国王まで拍手しているよ。
いい加減にしてくれよ。

拍手が止みそうにないから手を挙げて答えることにした。
でもちょっと嬉しくなってきたな、なんだろうこれは?
興奮してきている?
てか家のスタッフ達、騒ぎ過ぎじゃないか?
ライゼル!お前声がデカいんだよ!
シルビアちゃんは手を振っているし、珍しくクリスタルちゃんまで興奮しているぞ。
マリンヌさんまでピョンピョン跳ねてるし。
あっ!モリゾー!お前鼻くそほじってやがったな!

「ジョニー店長、先ずは感謝を述べたい」
伯爵が真っすぐに俺を見つめる。
おおっ!真面目にならなくては・・・

「感謝ですか?」
何のこと?覚えはありませんが?

「そうである、この領地が他領に比べて発展しているのは、美容院『アンジェリ』のお陰と言えるからだ。ジョニー店長!この領地にお店を構えてくれてありがとう!」
この一言を経て、蜂の巣を突いたかの如く騒ぎが大きくなった。

「『アンジェリ』!」

「ありがとう!!!」

「私の髪もセットしてー!」

「俺は白髪染めがしたい!」
変な発言も混じっているが何だってんだよ。
ちょっと騒ぎ過ぎだって。
いい加減、勘弁してくれよ。

そして不意に俺の手に紐が握られた。
ん?これはいったい・・・
振り返るとクロムウェルさんが、俺の背後から俺に紐を握らせていた。
ここでそれをやるのかい?
茶目っけたっぷりな表情でこちらを見ている。
いや、驚いてはいないが、なにこれ?
そう言おうかと思った所に国王が盛大に声を挙げた。

「美容院『アンジェリ』一周年おめでとう!」
そしてそれを皮切りに、おめでとうコールが始まった。

「おめでとう!!!」

「一周年!!!」

「おめでとう!!!」

「一周年ありがとう!!!」

ウヒョーーー!!!
これはやられたーーーー!!!
誰だ犯人は?
どうせライゼルだろう。
くっそう!嬉しいじゃねえかよ!!!
俺は勢いに任せて、力を込めて紐を全力で引っ張った。

パッカーン!と音を立ててくす玉が割れる。
紙吹雪と共に、垂幕が下りてきた。
俺の頭上目掛けて・・・
あっぶな!
垂幕の下部の金属が頭に当たるかと思った・・・
流石にビビったぞ。
カシャリ!
そんな音がした様な気がした。

俺への賛辞が続く。
そして花束を抱えた伯爵と国王が俺に花束を手渡す。
声援に花束を掲げて俺は答えた。

「皆!ありがとう!」
幸せに満ちた時間がそこにはあった。
こんな盛大に一周年を祝って貰えるとは思ってもみなかった。
照れよりも嬉しさが先に立った。
喜びと感謝、賛辞と賞賛。
俺は愛されている事を実感した。
こんな異世界生活も悪くない。
そう想っていた。



その光景を一人こっそりと撮影していたシュバルツ。
後日、ライゼルに送られてきた王妃達の写真と共に、一枚の写真がジョニーに宛てに同封されていた。
写真には、迫りくる垂幕にビビりまくるジョニーが、ありありと映っていた。
目ん玉が飛び出るぐらい驚いている、これは笑える。
そして写真の裏側には「美容院『アンジェリ』一周年おめでとう」と記されていた。
とても愛嬌のある、達筆な文字で・・・