美容院『アンジェリ』が後一週間で一周年を迎える頃。
この異世界では雪が舞っている事もしばしば。
寒空に暖房も常時回転している状況だ。
店内は温かさに満ちている。
寒い外から店内に入って来るお客さんは口を揃えて、暖かいと感想を述べている。

上着を受け取ると共に、お客さんに暖かいおしぼりを手渡すと、
「はあー・・・」
と解れて表情が緩む。

時が過ぎるのは早いものだ。
でも充実した一年だったと思う。
それなりに満足しているよ。
沢山の笑顔に出会えたし、新たな仲間も得られたし。
なによりたくさんのお客さんに喜んで貰えたからね。
これが美容師の本懐だったりもする。
結局の所、喜んで貰えること、綺麗になったと、可愛くなったと、カッコよくなったと感じて貰えることが美容師の最大の喜びであったりする。
より美しく、より可愛く、そしてよりカッコよく。
そう受け止めて貰えたら御の字だ。
美容院『アンジェリ』はまだまだこれからですよ!
もっとたくさんの人の笑顔に会いに行きますよ。
俺の弟子達も順調に育ってきているしね。
大いに期待して下さいな!



開店の支度を整えながら、お店の外を眺めると雪が舞っていた。
まだ国王が訪れるよりも前の時間帯。
朝の7時よりも15分程早いぐらいの頃。
灼熱の太陽はまだ顔を出しておらず、店先は暗い儘だ。
店内の照明の光が、庭先を照らしていた。
この景色は日本では拝むことは出来ない。
それなりに絵になるなと心に留めたくなる。
印象深い光景が俺の視線の先にはあった。

深々と降る雪が、庭先を白の世界に染め上げようとしていた。
俺が始めてこの世界に転移した時を思い出させる景色だった。
ふう・・・どうにも感慨深いな。
もう一年を迎えるのか・・・
長かったような、短かったような・・・
どっちなんだろうか?

あの時に出会った赤ずきんちゃんは今では俺の一番弟子だよ。
奇妙な出会いだなと思う。
いや、ここは最高の出会いだったと言っておこうか。
実際シルビアちゃんとの出会いから、俺の異世界人生が始まった事に変わりは無いし。
あの子に出会わなければ、こうも上手くいっていなかっただろう。
特にシャンプー屋になっていた時には本当に助かった。
彼女はボランティアとして頑張ってくれていたし。
それが無ければテンパりまくっていただろう。

そして驚くほどにこの子は優秀だ。
これまで弟子を取った事は何度もあるが、この子は群を抜いている。
俺には過ぎた弟子だと思う。
贅沢な悩みだと言われそうだが、時々この子を何処まで押し上げようかと真剣に悩む時がある。
それは余りに彼女は優秀で、かつ努力を惜しまないシルビアちゃんを俺はどうすべきかと悩んでしまうのだ。
荒い言い方をすればどうとでも育てられる。
彼女を俺の好きな様に育てあげられるのだ。
でもそこには彼女の意見や想いは介在しない。
当然コミュニケーションを重ねて、彼女の考えや想いを引きずり出そうとするのだが、彼女の発言や視線から感じる想いは一つでしかない。
それはお任せしますという、俺に全てを委ねるという信頼の証だ。
嬉しくもあるが、困りごとでもある。

俺だって美容師として日々研鑽を重ねてはいる、間違っても日本一の腕があるとは思ってもいないし、それほど傲慢にもなれない。
この異世界では話しは違うのは十分承知はしているが・・・
時間の有る時には、ユーチューブで他の美容師がカットしている所を参考にしてみたりとか。
時にはイメージトレーニングをしてみたりだとか。
色々と努力は続けているよ。

その為、一件手放しで育ってくれるシルビアちゃんも、俺にとっては嬉しい悩みだったりもするのだ。
彼女を見ていると、俺も気が抜けない。
もっと研鑽を重ねなくてはと真摯に感じてしまう。
俺の背中はどう映っているのか?
師匠として肩幅の広い背中を見せられているのだろうか?
そんな想いに駆られてしまう。



今日もライゼルはせっせと店先の庭園の世話をしていた。
辺り一面の雪にライゼルの足跡だけが残っている。
雪が降っているってのに・・・性の出る事だ。
俺には無理だな。
寒さで身体が固まってしまうよ。
それだけあいつは国王に早く会いたいのだろう。
微笑ましい事だ。

流石にライゼルに声を掛ける事にした。
「ライゼル、中で暖まれよ」

「ああ、ジョニー。ありがとう、もう少しで中に入る」
ライゼルは店先に夢中だ。
集中力が半端ない。
こいつはもう一端の庭師だな。

「ほどほどにな」

「おうよ!」
夢中になっているライゼルに一声かけてから、俺はコーヒーを淹れることにした。
もはや手慣れた作業だ。
暖まるといったら温かいコーヒーだろう。
これが一番暖を取れる。
お腹の中から暖まれるしね。
一息つくにはこれでしょうよ。

俺はエアコンのスイッチを入れて、朝食と昼飯の支度を始める。
最近ではこのルーティーンになっているから、ライゼルの朝食も俺が作っている。
まあ次いでだから別にいいのだけどさ。
一人前作るのも、二人前作るのもたいして変わらない。
料金を請求する気にもならない。
なあなあであるのは否めない。
でもそれで良いと思っている。

今日の朝食はパンだから、パンをトースターで焼いている隙に、器に卵とチーズとニンニクパウダー、醤油とマ●シム、そしてアクセントにベーコンビッツを混ぜて、しっかりと溶いてから焼き始める。
フライパンにバターを落として、薄く伸ばしてから焼き始める。
そしてトーストされたパンに乗せて、完成となる。
簡単な卵焼きサンドだな。
サンドして無いけど・・・卵焼き乗っけトースト?
どうでもいいか?

汁物は今日はコーンスープだ。
インスタントだが、これはご愛敬。
インスタントであろうがなかろうが、ライゼルには関係ない。
こいつは何であれど、美味い!美味い!と連呼して食べている。
まあ、ここで不満を言われた日にはこいつを俺は追い出してやるんだけどね。
文句なんて言わせねえよ。
俺の好意で無銭飲食をさせているんだからさ。

朝食を食べ終わって、コーヒーを飲み終わると、ライゼルは勢い勇んで店先に駆け出していった。
店先で国王を迎え入れることに拘りがあるみたいだ。
笑顔のあいつを咎める気にもなれないよ。
まあ、好きにしてくれ。
でもこんなに雪が降っている中で外で待っていなくてもと、俺は想うのだが・・・
どうなんだろうか?
風邪を引くなよ。
心配が先に立ちそうだよ。
しょうがないから俺は傘を貸してやった。
安定のコンビニ傘だけどね。

そんなライゼルを他っといて、俺は昼飯を作る。
今日はすまないがほとんど手抜きだ。
だって予約表は完全に埋まっているからね。
俺の昼食の時間は殆どないだろう。
もう慣れっこだけどさ。

要は冷凍食品をふんだんに使った弁当だ。
俺がやった事は、弁当箱に冷凍食品を詰め合わせただけ。
でもこれが美味しいと評判だから許して欲しい。
手抜きっていいよね?
そう思いません?
それにしても最近の冷凍食品は凄いな。
詰めるだけって・・・最高じゃん!

そうこうしていると、国王の一団が店先に現れた。
少々店先が騒がしくなる。
さて、営業を開始しましょうかね。

ライゼルは庭先で跪いて国王を迎えている。
でも下は向いていない。
毎回顔を上げて、笑顔で嬉しそうにしている。
お越し下さいまして光栄ですと、自慢げだ。
国王は足早にライゼルに駆け寄ると、ライゼルの腕を取って立たせている。
そして二人して庭先で会話を楽しんでいた。

今日は流石にシュバルツさんに促されて二人は店内に入ってきた。
ライゼルよ・・・店先を見せたいのは分かるが、天候を考えなさいよ。
国王も国王だよ。
風邪を引くよ?
知らねえぞ。
雪で覆われていて、花なんて真面に見れないでしょうに。
これは親心だな、やれやれ。

そして今日は珍しく、伯爵も同行していた。
この時間に同行したことはこれまでなかった筈。
どうしたんだろうか?

「伯爵、おはようございます」
俺は気さくに声を掛ける。

「ジョニー店長、今日も寒いな」
厚着な伯爵はそれでも寒そうにしている。
店内で暖まって下さいな。

「ですね、店内で暖まってって下さい。それでどうしたんですか?珍しいですね、この時間に伯爵が来るなんて」
俺は受付のソファーに誘導しようとしたが、伯爵は留まったままだ。

「今日は直接手渡したい物があってな」

「ん?」

「これを受け取って欲しい」
伯爵は一通の封筒を手渡してきた。
俺は封筒を遠慮も無く受け取った。
軽く顎を引いて、封筒を眺めて見ると、その封筒には封蝋がなされていた。
おおー、封蝋なんて始めてみたぞ。
こんな感じなんだ。
へえー、それなりにしっかりしているな。

笑顔で俺の様子を眺めている伯爵。
封を開けてくれと、その表情が語っている。

「これを俺にですか?」

「そうだ、是非開けて中を確認して欲しい」

「はあ・・・」
俺は封蝋を開けて、中身を取り出す。
パキッと封蝋が折られる音がした。
その中身は厚手の二つ折りにされている書状だった。
これはいったい?・・・

俺はこの世界の文字が読めない為、ライゼルに手渡す。
どれどれとライゼルが俺に代わって手紙を拝読する。
そして目尻を緩めるライゼル。

「おお!ジョニー、晩餐会の招待状だぞ!・・・えっ!国王様、私も参加して宜しいのですか?」
嬉しそうに国王を眺めるライゼル。

「ライゼルは『アンジェリ』の専属の庭師であろう?であれば『アンジェリ』のスタッフということではないか?違うか?」
国王はにこやかだ。
隣でシュバルツさんも笑顔で頷いていた。
ここに伯爵が追い打ちをかける。

「ライゼル殿だけでは無く、ライジングサン一同も是非お越しください。ライ
ジングサン一同も『アンジェリ』の夜の部のスタッフでございますからね」
優しい視線でライゼルにそう語る伯爵。
そこに一定の配慮を感じさせる。

「本当に宜しいので?」
そう伺いつつも笑顔の儘のライゼル。

「ええ、ここは遠慮は無用です。国王様は10日後にはメイデン領を発たれます。是非お越し下さいませ」
その発言に一瞬寂しさを眼に宿したライゼル。
また父親と離れ離れになる事が寂しいのだろう。
そうに決まっている。
ということは、この晩餐会は国王の送別会みたいなものなんだろうね。
伯爵も大変だな。
でもこれでやっと肩の荷が降りるのだろう。
これまでお疲れ様でした。
ここはそう言っておこうか。

俺は居たたまれず、ライゼルの肩に手をおいた。

ライゼルは表情を改めると、
「是非参加させて頂きます!」
いつもの食えない笑顔で答えていた。

こいつも精神力が強くなったみたいだな。
切り替えが速い。

それにしても晩餐会って・・・
ちょっと浮かれそうになるな。
俺にとっても始めての出来事になる。
とは言っても伯爵のお屋敷には一度伺っている。
でも宴会場は見ていない。
はて・・・どんな会になるのなら?

ライゼルが言うには、このお店のスタッフ全員が招待されている様だ。
であれば、シルビアちゃん達にとってもいい息抜きになるだろう。
そう俺は安易に考えていた。
晩餐会か、ちょっと面白そうだな。
そんな軽い感想であった・・・



晩餐会に招待されたことをスタッフ達に伝えると、全員が浮足立ってしまった。
不味ったな・・・伝えるタイミングを間違ってしまったよ。
なんで朝礼で話してしまったんだろう。
ちょっと考えれば分る事だってのに・・・
全員が営業時間中であるにも関わらず、夢見心地であった。
珍しくシルビアちゃんは計算間違いをするし。
マリアンヌさんは時々ぼーっとしているし。
クリスタルちゃんは既に緊張の面持ちをしている。

こんなんで大丈夫なのか?
一週間もつのかい?
相当浮かれてしまっているのか、シルビアちゃんはお客さんに晩餐会に招待されたと自慢していた。
ちょっとそれは止めといた方がよくないか?
気持ちは分からんでもないけどさ・・・
困ったことにクリスタルちゃんも同じだった。
頼みの綱のマリアンヌさんまで・・・
あれまあ・・・

夜の賄いの時間では、何を着て行こうか?
どんな髪形にしていこうかとガールズトーク全開だった。

でも服装に関しては俺も気に掛けないといけない。
どうしようか?
誰に聞こうかな?
ライゼルは無いな・・・リックもな・・・他の者達に聞かれたら、こいつらの素性がバレてしまうかもしれないしね。
そうなるとクロムウェルさんに聞くしかないよね。

「クロムウェルさん、どんな格好で行くべきでしょうか?」

「そうですねえ、私はジョニー店長の執事みたいな者ですので、いつも通りの格好で行かせていただきますよ、ジョニー店長は着飾っていくべきでしょうねえ」
はい?俺の執事?何言ってんのこの人?
でもやっぱりか・・・
気軽にとはいかないよね。
普段着なんて話にならないだろうな。
でもここは敢えてジーパンにスニーカーとか?
いや・・・止めておこう。
日本の常識が罷り通るとは思わないが、流石に気が引ける。
襟は正すべきだろう。

「俺はこの国の着飾った衣服は持ち合わせていないんですよね」

「そうですか、であればいつも通りで宜しいのでは?今回は御友人として招待されておりますのでねえ」
そうはいかんだろう・・・
俺もそれなりの格好でないと浮いてしまうだろうし。
恥ずかしい思いはしたくはないよ。
ちゃんとドレスコードは弁えたいですよね。
紳士としてはさ・・・

「宜しければ、私が見繕っておきましょうか?」

「いや、それには及びません」
だってこの人さあ、時々無茶苦茶ふざけるんだもん。
信用はしているけどそれは話しが別だよ。
それに絢爛な衣装なんて準備されたらたまらんぞ。
ヒラヒラ大目とかさ。
柄じゃないんだよね、そんなの。
しょうがない、貸衣装屋にでも今度行ってみましょうかね。
何かそれっぽい物があるだろう。
最近は王家や伯爵家の人達を見慣れているから、それなりの衣装を探し当てる事が出来るだろう。
モーニングかタキシードか・・・そんな処だろうな。
どうとでもなりそうだ。

そして俺は皆に声を掛けた。
「皆は晩餐会に着ていく衣装を持って来てくれないか?せっかくだから衣装合わせをしてみよう」

「いいのですか?」
全員の眼が輝く。

「なにより、どんな髪形が似合うのかを考えたい」

「やったー!」
シルビアちゃんはガッツポーズを決めていた。
そんなお気軽なシルビアちゃんを脇に置いて、俺は意味ありげに全員を見回すと、
「ここは美容師の本気を見せないとね、違うかい?」
決め顔で宣言してみた。
一番美容師から程遠いクロムウェルが真っ先に反応した。

「ホホホ、ジョニー店長の腕の見せ処ですねえ」
自分を取り戻したであろうマリアンヌさんが頷く。

「これは勉強しなくては・・・」
全員の眼付が一変した。
そう、これは冷静になって考えてみると美容師の腕の見せ処なのだ。
この国に無い、豪勢な髪形をお披露目しよう。
いっちょかましてやろうかってね。
こうなってくると血が騒いでくるな。
まるで成人式を彷彿とさせる。
豪快なのを決めるとするか。
となると・・・