これは凄いな・・・
なんちゅう豪華な屋敷なんだろうか。
それなりに絢爛な邸宅だろうとは想像していたが、これは予想を遥かに超えている。
敷地面積は優に千坪以上はありそうだ・・・
俺の家の十倍以上は確実だな。
東京ドーム・・・何個分かは分からない。
そもそも東京ドームによく例えられるが・・・
東京ドームは何坪なんだ?
ググってみるかな?
今はいいか?この世界には関係ないし・・・

それに庭先だけでも相当に広い、庭先は綺麗に整えられている。
ライゼルがこれを見たらどう思うんだろうか?
俺にとって、あいつは最早庭師でしかない。
ライゼルの事はどうでもいいかな?
でもあいつもこれほどの庭園は観たいだろうなあ・・・

開門し、馬車でそのまま敷地内に続く道を辿る。
豪邸の眼の前で馬車はその足を止めた。
そういえば、この馬車もマリオ商会製の馬車なんだろうか?
乗り心地から言えばそうなんだろうね。
俺の尻も腰も凝ってないからね。
いい乗り心地でしたよ、マリオさん。
グッジョブです!
こうなると俺も嬉しくなってしまうな。
だって、俺のアドバイスからこうなった訳でしょ?
鼻が高くなるってもんでしょうが。
違うか?
でも俺のアドバイスとは言わないでくれという理不尽。
俺も随分身勝手だな。
ごめんなさい、マリオさん。
苦労を掛けます・・・
ハハハ・・・

ギャバンさんに誘われるが儘に、俺は後を付いて行く。
こうなるとお上りさんの気分だよ。
場違い感が自分でも分かるってもんだ。
一応革靴に、ジャケット、スラックスにワイシャツを着てきたけどさ・・・
返って目立ってないか?
でもこれ以外の格好を思いつかなかったし・・・
増してやこの世界の正装を俺は知らないし、持ってもいない・・・
どうしたもんか・・・
伯爵なら許してくれるよね?
そう祈るしかないよな?

通りすがるメイドさんや執事の方達から仰々しいお辞儀をされてしまった。
なんだか偉い人になった気分だ。
顎が上を向いてしまいそうだ。
いやいや、ここは勘違いしてはいけないな。
俺は只の美容師ですよ。
一般市民ですからね。
勘違いさせないでくださいよ。
やばい、やばい。
俺には似合わないよ・・・

処々で芸術品と思わしき壺や、絵画が飾られていた。
お高いんでしょうね?たぶん・・・
それにしても広い。
いや、広すぎるぞ!
ギャバンさんに付いていっているが、それなりに歩いているような気がする・・・

悪いが俺はこんな豪邸には住みたくはないな。
だって、自分の部屋に辿り着くのにどれぐらいかかるのだろうか?
日本人気質が抜けないんだろうね・・・たぶん。
コンパクトさも重要ですよね?
違うかい?
手頃が良いってね。
僻んではいないよ。
いや、マジで・・・

大きな両開きの扉の前で、やっとギャバンさんが立ち止まってくれた。
ふう・・・やっとか・・・
広すぎるのも考えものだって・・・
扉を上品にノックするギャバンさん。
実に手慣れている。
こういう処だよね、気遣いって。
俺はそう思う。

その先には伯爵が執務机に向かって絶賛業務を行っていた。
集中して机に齧りついている。
あれ?タイミングを間違えたのか?
なんなら出直しますけど?
こちらを一瞥すると、椅子から立ち上がった伯爵。

「ジョニー店長、待っておったぞ!」
元気よく声を上げると、執務机の前にあるソファーに誘導された。
俺は思わず声を発してしまった、

「仕事中でしたか?大丈夫なんですか?」
気遣う発言をしていた。
だってそうでしょう?仕事中にズカズカと踏み込む訳にはいかないでしょうが。
それぐらいの気は使えますよ、俺にだって。

「ん?ああ、気にしないでくれ。いいから腰かけてくれ」
フランクに接してくれる伯爵。
これでいいのだろうか?
少々気になる。
俺には行儀や作法はよく分からないが、間違っていないのだろうか?
それを察してか、ギャバンさんが俺に視線を向けて優しく頷いていた。
たぶん本当はこんなにフランクなのは駄目なんだろうが、俺としては堅苦しいことは苦手なのでここは甘えさせて貰おうと思う。
ギャバンさん、伯爵、ありがとうございます。
とても助かります。

「ギャバン、紅茶を頼む」

「はっ、畏まりました。ジョニー店長はいかほどに?」
急にそう言われても・・・

「では私も同じ物をお願いします」
これならば問題無いだろうと思う。
伯爵以上にはならないからね。
それに俺は何が以上で何が以下かも分からない。
妥当だよね?たぶん。
ギャバンさんはそそくさと退室していった。

「して、やっと褒美を決めたという事だな?」
やっとが突き刺さるが、事実なので反論は何もない。
待たせてごめんなさい。

「はい、そうです」

「そうか、それは良い。さっそく伺おうか」

「いいですが・・・」
ギャバンさんが紅茶を淹れに退室しているから、伯爵と二人っきりなんだよな。
性急過ぎるって、伯爵・・・
俺達の間柄でもそれはちょっとさ・・・
感じ取ってくれよ・・・
第三者が居ない中での会話は不味くないか?
お金が掛かる話だしね。
俺はそう思っているのだが?

そんな俺の意図を汲み取ったのだろう、伯爵はハッと表情を改めると頭を掻いていた。

「・・・そうか、ギャバンもおらんしな。ここは待つか、少々急いてしまったみたいだな、これはすまぬ」
これが伯爵の出来た部分だよね。
俺みたいな平民に簡単に謝る事が出来る。
地位を得た人でこの様な態度が取れるのは、人格者であると俺は思う。
高位に着いた者ほど頭を垂れるべきだと思うのだが、それを実行できる人は少ない。

「それにしてもジョニー店長の美容院は大盛況らしいな」
空気を読んで伯爵が話題を変えてきた。
助かりますね。
恩に来ます。

「ハハハ、ありがとう御座います」

「ジョニー店長の実力の賜物だな」

「いやいやいや、それほどまででも」
もっと褒めてくれてもいいのですよ?
腕には自信がありますよ。
おっと、これはいけない。
浮かれてしまいそうだ。
でも美容師の腕を褒められるのは無茶苦茶嬉しい。
本音を言えばもっと褒めて欲しい。

「そう言えば話は変わるが、私は明日から王家に呼ばれておってな。領地を外さなければならない。褒美が何であれ、もしかしたらすぐに手を付けられぬやもしれぬ。許せよジョニー」
ん?どういうことだ?

「それは王様から呼び出しを受けているということですか?」

「そうだ、どうしてかは分からぬ。この様な呼び出しは始めてでな。少々面食らっているのだよ」

「へえ、何か事件や事故でもあったのでしょうか?」

「いや、その様な些事で呼び出されることはあり得ぬよ」
些事って・・・事件や事故は大事では?
俺には全く分からない世界だな。
正に異世界だよ。

「これまでにも早急に登城しろ等という事は一度もなかった・・・」

「何か一大事でも?」

「分からぬ、一先ず急ぐしかあるまいよ」

「そういえば・・・これまで聞かなかったんですが、この国は他国との関係はどうなんでしょうか?」
これちょっとした疑問です。

「ふむ、東に国を構えるリッツガルドとは友好的な関係を築けておるよ。しかしな・・・」
伯爵の表情が曇る。

「北の蛮族とは・・・争いが絶えなくてな」

「蛮族ですか?」

「ああ、その風体からそう揶揄しているのだが、あ奴らは広大な土地を有してはいるのだが、その土地は肥沃とはならず。資源が乏しいのだよ」

「なるほど・・・」
だから奪いにくるしかないと。
ふう・・・まあ俺には関係の無い事だけどさ。
日本の現代の科学や知識を使えば、何かしらの知恵は貸せそうに思えるけど・・・
まあこちらから売り込む気は毛頭ないけどね。
それに不要なお節介はしないに限る。
その後も世間話を俺達は楽しんだ。

耳心地のいいノック音が鼓膜を揺らす。
ギャバンさんが入室してきた。
当たり前の様に背筋が伸びている。
紅茶の乗ったワゴンを優雅に引いていた。
おや?もう良い臭いがするな。
鼻腔が喜んでいるぞ。
期待大!

「お待たせ致しました」
微笑を含ませて声を掛けてくれる。

「いえいえ」

「ジョニー店長よ、ギャバンの淹れる紅茶は絶品でな」

「でしょうね・・・」
もう俺は期待で胸が高鳴っているぞ。

「気に入って貰えると嬉しいのですが」
ギャバンさんが謙遜を漏らしている。
絶対に美味しいでしょうよ。
だってもう匂いだけでも美味しいもん。
手慣れた所作で紅茶をテーブルの上に置いてくれる。

先に伯爵が紅茶を口に付ける。
それを確認した後に、俺も紅茶に手を伸ばした。
これぐらいの作法は俺も身に付いている。
高位の人から飲食物は口にしないとね。
お国が違えば、毒味役の人とかがいるのだろうが、この領地ではそこまででは無いみたいだ。
そもそも国の要人を暗殺とか止めてくれよな。
今ではこの伯爵とはそれなりに深い繋がりを持ってしまっているからね。
伯爵に牙を向かれたら俺もそれなりに身構えると思う。
それに伯爵もギャバンさんも随分俺に心を許してくれているからね。
裏切るなんてありえまへんがな。
俺に手を貸せることがあったら応えますよ。
まあ俺は只の美容師なんですけどね。

「旨い・・・嘘だろ?・・・」
お世辞でもなんでもなくそう感じてしまった。
茶葉の渋みや芳醇な甘み、そして味の深みが舌から脳に伝わってきた。
はやりギャバンさんは一味も二味も違う。
紅茶の味を味わっているが故に・・・
下手くそだな・・・
掛かってはいるか?
何にせよギャバンさんはスーパー執事だな。
それに憧れるぐらいダンディーだ。
これは見習わなくてはいけない。

俺達は無言でギャバンさんの紅茶を楽しんだ。
幸せだー!
飲み物って凄いね。
口に含むだけで幸福に成れるだなんて・・・
なんて浸っちゃいけない。
話を進めないとね。

俺は一度場を改め様と遠慮気味に咳をした。

「ギャバンさん、とても美味しかったです。ご馳走様でした。さて、ギャバンさんも同席しましたので、私の要望をお伝えしてもよろしいでしょうか?」

「やっと聞かせてくれるのか、待っておったぞ」
そう答える伯爵。
隣で柔和な笑みを浮かべてギャバンさんも後押しする。

「伯爵は私のお店の前に雑種地が広がっているのは御存じですか?」

「ほう、雑種地とな?ギャバン覚えているか?」
ギャバンさんに確認を取る伯爵。

「はっ、確か『アンジェリ』の前の土地は国有地で、何も開拓されていない雑種地であったかと存じます」

「なるほど、その様な土地があるみたいだな。してその土地がどうしたというのだ?」

「その雑種地を俺にいただけないでしょうか?」
どうしてそう考えたのかいまいち的を得ていない伯爵が質問を投げかけてきた。

「それは構わんが・・・どうしてだ?」

「そこに社員寮兼宿屋を建てたいのです」
そう、俺が捻りだした答えはこれなんです。
ちょっと無理くりかもしれないけど・・・
でもさ、色々考えるとこれに行きついちゃった訳ですよ。

「・・・社員寮兼宿屋とな?」
伯爵が何故だという態度をとっていた。
まあ、そうなるだろうね。
説明致しましょう。

「はい、家の従業員達は朝の10時から夜の7時までの仕事に加えて、修業を行ってる毎日です。出退勤の移動に費やす時間が、人に寄っては往復で2時間ぐらいは掛かっているのが現状なのです」

「ほう、それは大変な事だな」

「であれば、目の前に眠っている土地があるのなら、有意義に使わせて貰え無いかと考えたのです」
そう、要らない時間は削りたい。
俺の弟子達には少しでも今より楽にして欲しい。
それが俺の偽らない想いなのだ。
後はライゼル達がたまに酔っぱらって店先で寝ている時があるからね。
テントを張っているからいいけれど。
今は夏場だから大丈夫だが、冬の時期には凍死でもされたら困るしね。

「それは一向に構わないが建設にはいくらほどかかるのだ?」

「それも知りたいところでして・・・」

「ふむ、規模感にもよりますが、金貨一万枚もあれが充分かと思われます」
ギャバンさんが意見を述べた。

「であればこちらで全て用意しよう、それと先にも述べた通り、私とギャバンは国王様に謁見に伺わなければならない、建設に関しては腕利きの大工の棟梁を紹介する故、親方と詳細は詰めて貰いたい。費用はこちらで全て持つ。遠慮はいらぬよ」

「ゴリオンズ親方ですな」
ギャバンさんが先回りして発言する。

「ゴリオンズ親方ですか?」
特徴的な名前の人だな。
名前はともかくこの二人の紹介ともなれば腕は確実だろう。
でももう少し甘えさせて貰えませんかね。
折角ですので。

「後ですね・・・これは出来ればでいいのですが、そこを管理する人を紹介して貰えませんでしょうか?」
フムと腕を組む伯爵。
そして、はて?と顎に手を当てるギャバンさん。
これは図々しかったかな?
眉を挙げた二人が同時にある人物の名前を言った。

「クロムウェルだな」

「クロムウェル殿では?」
おお!ハモってますねー。
これは期待値が上がりますよ。
して、そのクロムウェルさんとやらはどこのどなたでしょうか?
教えて下さいな。

「その方はいったい?」

「私の前任者で御座います」
なに?!
ギャバンさんの前任者ってことは伯爵の元第一執事!
いやいやいや!そんな大物もったいないでしょうよ。
社員寮の管理人さんには駄目でしょうが!

「ちょっと待って下さい。そんなご大層なお方には向かないのでは?」

「そうでもないぞ、クロムウェルは仕事が出来るし、ギャバンに執事のイロハを叩き込んだ人物だ。間違いはあるまいよ」

「私も先日お会いしましたが、引退してから暇で時間を持て余してしょうがないと零しておりました。現役の引退が早すぎたと悔いておられました」
追随するギャバンさん。

「であれば、打診すれば喰い付いてくるな」

「仰る通りかと」
勝手に納得している二人。
しまったー!
この人達に頼ってはいけなかった。
そんな大物に社員寮の管理や宿屋の主人をさせるなんて、烏滸がまし過ぎるだろう。
だってギャバンさんの師匠ってことでしょ?
絶対に凄腕じゃん!
気が引けるよ流石に・・・

ん?待てよ・・・
という事は、逆にそんな凄い人物が社員寮を管理してくれるのなら、こんなありがたい事はないのでは?
だって元第一執事でしょ?
仕事が出来るに決まっている。
でもシルビアちゃん達が恐縮するんじゃなかろうか?
あの子は空気を読むからなー。
マリアンヌさんとクリスタルちゃんはどうだろうか?
この二入りもたいして変わらないだろう。
特にマリアンヌさんは熟練の気遣いができるしな。

でも、そんな心強い人物なら俺的には、正直言えば嬉しい。
だって安全第一だからね。
社員寮はそうじゃなくっちゃね。

でもさあ、こうなると規模感だよ。
社員寮はともかく、宿屋の規模だよね。
男性一人で熟せる規模感ってどれぐらい?
さっぱり分からん。
よく考えなければ。
はあ、一気に現実が差し迫ってきたぞ。
まあいいか、その親方とクロムウェルさんに希望だけ伝えて丸投げしてしまおう。
うん、そうしよう。
俺は只の美容師なんでね。
ここは本職の方に任せよう。
それに限る。
素人が口を挟むなんてしてはいけない。
プロに任せるでいいでしょ?

明日には親方と元執事をお店に向かわせるとの伯爵の発言にてこの会合は終了した。
本当にこれでよかったのだろうか?