少し時間を遡ることになる。
美容院『アンジェリ』にとある夫婦が訪れていた。
それはマリアンヌの娘夫妻である。
自身の屋台で販売している串物を携えて、営業時間終了後に来店していたのだ。
前以ってジョニーがマリアンヌから相談されていた一件である。

その為、本日の夜のバーの営業はお休みとなっている。
一部文句を言う冒険者がいたが、ジョニーに命じられたライゼルによって絞められていた。
ライゼルは何だかんだ言ってもジョニーに忠実である。
ジョニーこと神野丈二は、この夫妻を鷹揚に頷きながら受け入れていた。
少々その表情が鼻につく。
なんでそんなに偉そうなんだ?と問いたくなる。

そんな事はさておき、今から行われる事は美容院の業務とは全く関係ない出来事である。
今回は美容院『アンジェリ』の本業から逸脱した、ジョニーの趣味のお話である。
お付き合いいただけると幸いだ。



前以ってジョニーの話を聞いていたのだろう。
来店するなり深々と頭を垂れる夫妻。
其れを美容院『アンジェリ』のスタッフ全員と、勝手に混じってきたライジングサン一同が迎え入れていた。
「いらっしゃい!」

ジョニーが前に出て笑顔で声を掛ける。
スタッフ達が後に続く。
「「「「「いらっしゃいませ!!!」」」」」

なぜかライジングサンまでもが挨拶を行っていた。
それに構う事無くジョニーが話し掛ける。

「マリアンヌさんの娘さんとお婿さんだね?」

「はい」

「そうです」
二人はジョニーを尊敬の眼差しで見つめていた。
それに一瞬戸惑いを見せるジョニー。
俺の事をどう聞いているのか?とでも言いたげだ。
そして自慢げなマリアンヌ。
急に母親の顔に戻ると、夫妻を紹介し始めた。

「娘のアリーナと義息子のトランザムです。ジョニー店長よろしくお願い致します」
三人は揃って深々と頭を下げている。
それを受けてライジングサン一同は偉そうに腕を組んで頷いている。
流し目でライジングサンを一瞥したジョニーは、一転して軟かな表情で受け止めているが、少々諦めの雰囲気も醸し出していた。
なんでこいつらもいるんだと言いたげだ。

「聞いていますよ、こちらこそよろしくお願い致します。大所帯になってしまって申し訳ありませんね」
ジョニーは頭を掻いていた。
嫌味も交えた発言だが、ライジングサンの面々はそれを感じとる節は無かった。
全く悪気は感じないのだが、それが問題という気がする。

「いえ、たくさんの意見を貰いたので返って助かります、それに母から前もってそうなるだろうと聞いておりましたので」
アリーナが気にしてくれるなと顔の前で手を振っていた。

「そう言って貰えると助かります」
ジョニーは呟く様に答えた後に、横目でライジングサンを一睨みした。
マリアンヌはそんなジョニーを見て微笑む。
ジョニーはため息を漏らしてから表情を改めると、夫妻に向かって問いかける。

「念のための確認ですが、今回の件をどの様に聞いていますか?」
ここは任せてくれと、トランザムがアリーナに視線を送る。

「ジョニー店長は他国の出身であり、料理が得意であると聞いております。義母からは提供されるまかないが楽しみでしょうがないと自慢されていますよ。それに様々な料理法をご存知だとか、義母がジョニー店長に絶大な信頼を寄せていることは充分に聞き及んでおります。それに美容院『アンジェリ』と言えば、この街では知らない者はいないでしょう、あのフェリアッテとの一件も語り草になっていますし」
ジョニーは照れつつも、満更でも無い様子。
そこにアリーナが補足を加える。

「私もそう聞き及んでいます。ジョニー店長は人生を変えてくれたと母が語っておりました」
そこまでなのか?とジョニーは照れを通り越して謙遜している。
これ以上は止めてくれと言いたげだ。
それにしてもジョニーの喜怒哀楽が激しい。
本人は気づいていないのだろうが・・・
そんなことはお構いなくとマリアンヌが先を促す。

「持って来ているのでしょ?早くお出しして」
そうだったと反応した夫妻は、ごそごそと準備を始めた。
皮袋からビニール袋を取り出しす。
これは前もってジョニーからマリアンヌに提供されたコンビニ袋である。
食品を持参するのなら、これで持って来てくれと前もって渡されていたのだ。
袋の中にはたくさんの串に刺さった調理済の肉が入っていた。
それを手渡されて確認したジョニーが、シルビアに指示を出していた。

「シルビアちゃん、お皿とラップをお願いできるかな?」
心得えたときびきびと動きだすシルビア、クリスタルも手伝っている。
大きめのお皿に調理済みの串に刺さった肉を並べると、ラップを巻いてバックルーム引っ込むシルビア。
電子レンジに皿を押し込んでボタンを押す。
その動きに迷いが無い。
この家電の扱い方は身に付いているということだろう。
出来上がりを待っている間にも、テーブルと椅子が用意され、品評会の準備が整えられていく。
勝手知ったるライジングサン一同も手伝っていた。
その動きにこちらも迷いがない。
最早手慣れた作業のようだ。
それをジョニーが一人偉そうに腕を組んで眺めていた。
お前も手伝えよと言いたくなる。

そうこうしていると出来あがりの音が響き渡る。
チーン!

「出来たな」
ライゼルの呟きにモリゾーが答える。

「だで」
お皿を抱えたシルビアが、フロアーに出てくる。
準備されたテーブルにお皿を置くとラップを剥がす。

「おお!聞いてはいたが、調理された食材が温まっている!」
驚きを隠そうともしないトランザム。
隣で目を見開くアリーナ。
それをだから言ったでしょと、マリアンヌが優しく見つめていた。

「凄い・・・」
トランザムの呟きを拾うリック。

「慣れることだな、この店では当たり前の事だ」
平然と答えていた。
誰が仕切る事も無く席に着く一同。
そして大合唱する。

「「「「いただきます!!!」」」」
元気な声が木霊していた。



ハフハフと熱さに耐えながら肉を頬張っている者。
串から外して口にする者もいた。
先ずは匂いからと匂っている者。
見た目を凝視している者。
様々な角度から検証がなされていた。
ジョニーはというと、フーフーと息を吐きかけてから食していた。
口にすると目を瞑って味に集中している。
数噛みすると目を瞑ったまま上を向いていた。
どうやら思う処があるみたいだ。
意味ありげに軽く頷いている。
それをちらりと見たライゼルがコメントを求める。

「ジョニー・・・どうなんだ?」

「うん・・・ここは屈託のない意見を述べよう、全員思った儘の意見を言う様にしよう。他の者達の意見に惑わされないようにな」
答えるかと思いきや、場を回し出したジョニー。
したり顔がちょっとムカつく。
そして様々な意見が述べられる。

「こう言ってはなんだが、物足りない」

「だな」

「同意見だ」

「おでは好きだで」

「私は・・・塩味が足りません」

「悪くはないが・・・」

「これをお金を出してもう一度買うかと言われれば・・・無いかもな・・・」

「やっぱり・・・」

「・・・」
意見を言わない者もいたが、ほとんどの者達が物足りない様子。
その発言にやっぱりかと項垂れる夫妻。

こうなるとジョニーに視線が集中する。
その意を得たりと気取った雰囲気のジョニーが語り出す。
肘をテーブルにつき、両手を鼻の前に組んで、まるで碇●ンドウかという程に決めに掛かっている。
はっきりいって鼻に着く。
今度は偉そうにジョニーがヒアリングを始めた。

「教えてくれないか、なぜ肉料理を?」
口調まで変わっていた。
完全にふざけている。

「それは・・・」
雰囲気に負けて慄くトランザム。
どうにか堪えているアリーナが替わりに答えた。

「それは、主人の実家が肉の卸問屋なので、安く肉を手にいれることが出来るからです・・・」

「なるほど・・・」
先を話せとジョニーが視線で訴えかけている。

「あと、肉はあまり味に変化が無いと考えたからです」

「ほう・・・」
なんとか持ち直したトランザムが補足する。

「それに肉の下処理はお手のものですし・・・」

「そうか・・・」
ジョニーのプレッシャーに耐え切れずトランザムが問いかける。

「ど、どうでしょうか?」

「大体は把握できました・・・リックどう思う?」
いきなり話を振られて戸惑うかと思いきや、平然と答えるリック。

「まあ、妥当な線だよな。実家が肉の卸をしていて安く仕入れられる。その上、肉の下処理はお手の物とくれば手を出しやすい。商売の観点としては間違っちゃいないな」
当然の事と答えていた。
ライジングサンの軍師のリックは流石である。
ジョニーの無茶ぶりにも簡単に答えていた。

「だな、でもいつくか教えて欲しいのだがいいだろうか?」
リックの発言を受けてジョニーが話を繋ぐ。

「はい・・・」

「肉に下味を付けているのかな?」
何のことかと首を傾げる夫妻。

「おっと・・・」
わざと驚く仕草をするジョニー。
余りに芝居掛かっている。

「もしかしてあれか?肉に前もって味を付けているやつか?」
我物顔のライゼルが差し込んでくる。

「ああ、そうだ。お前の好きなニンニクや生姜だ」

「あれは旨い!おい!トランザムとやら、あれはいいぞー!」

「ニンニクや生姜ですか?」
狼狽えるトランザム。

「この国ではガリックとジンジの事さ」
リックが質問を受けて答える。

「ああ、なるほど・・・」

「それにこの国には泡水があるだろ、それも使うんだよ」
ジョニーが追随した。
実はこの国には炭酸水が存在する。
国の北部にある、モルゲの池で自然の炭酸水が沸いているのである。
その為、この国では炭酸水は一般的な飲料であった。

「いいかい?密閉出来る容器に串で複数の穴を開けた肉を入れておく」
ほうほうと頷く夫妻。

「そこにニンニクと生姜を入れて軽く揉み込む、更にそこに泡水を入れて2日間おく。そうすると肉が柔らかくなるだけでなく、臭みもなくなり、肉の味の深みが増すんだよ」

「まさか・・・そんな調理法があったとは・・・」
日本では一般的な調理法だが、ここは異世界。
逆にこの世界ならではの調理法があるのかもしれない。
調子に乗ったジョニーが我が物顔で仕切り出す。
席を立って、一度バックルームに引っ込むと容器を持って現れた。

「これが二日間かけて下味を付けた肉だ」
なんということでしょう。
まるでキュー●ー3分間クッキングさながらの時間配分。
出来上がりがこちら!というテレビの裏側の世界だ。
当然の如くしたり顔のジョニー。

からくりは前持ってマリアンヌからジョニーが詳細を聞いていただけに過ぎない。
ジョニーが先回りして肉を準備していたということだ。
それにしても我物顔のジョニーが鼻に突く。

「おおー!」

「一瞬にして!」

「これは魔法か?」
ライジングサン一同が悪乗りを始める。
当然からくりはライジングサン一同も分かっている。
冒険者とはこんなものだろうか?
騒ぐのが好きな人種の様である。

「確かめてみるかい?」
容器を差し出しているジョニー、それを両手で恭しく受け取るトランザム。

「よろしいので?」
鷹揚に頷くジョニー。
唾を飲み込むと、腹を決めたトランザムがアリーナに目線を送る。
それを受けてアリーナが視線を返す。

容器を開けて中を確認するトランザムとアリーナ。
肉を眺めて唸る夫妻。

「こうなるのか・・・」

「これが下味・・・」
肉を手に取らなくとも分かる夫妻は肉に精通している証左だ。
ここに誘惑の声が掛けられる。

「では・・・焼こうか・・・」
この声に一同が沸騰する。

「よっしゃキター!」

「俺に肉を食わせろ!」

「ジョ肉祭りの開催だ!」

「私はマ●シムを準備するぞ!」
いつもの祭りが始まった。
こうなると収取が付かない。

「よし!バーベキューコンロを準備だ!」
待ってましたとライジングサン一同が色めき立つ。
迷いのない動きで準備を始める。
シルビア達スタッフも各自の動きを始める。
彼女達にとっても手慣れた作業であった。
ジョニーはすかさず他の調理を開始した。
何が始まったかと戸惑う夫婦。
アンジェリワールドが全開であった。



焼き上げた肉を、ゆっくりと噛みながら味を確認する夫妻。

「まったく違う肉だ」

「肉が柔らかい、それに味が深い・・・肉本来の味・・・」
驚きを隠さない夫妻。
其処に近寄るジョニー。

「これをかけてみな」
その手には何かしらの調味料が握られていた。
果たして中身は・・・

軽く会釈すると調味料を受け取るトランザム。
迷いなく肉に調味料を振りかけている。
一口食べると唸っていた。

「これは・・・旨い・・・何なんだ・・・」
トランザムは無言で調味料をアリーナに手渡していた。
期待の眼差しで受け取ると、どっさりと調味料を掛けるアリーナ。
沢山かければいいという訳でもないだろうに。
それでも好反応のアリーナは、にんまり笑顔で肉を頬張っていた。

「これは何でしょうか?ジョニー店長」
その質問を横から掠め獲るライゼル。

「これはな、バジルなどのハーブ類だ」
偉そうに腕を組んで答えていた。
しょうがないなと割り込んできたジョニー。

「正確にはハーブ類を乾燥して粉にしたものだ。ハーブは直ぐに育つからね。苗を持って帰るといい」

「本当ですか?」

「ああ、いいよな?ライゼル」

「かまわんさ、好きにしな」
この庭先は二人の共作だからジョニーは気を使っているのだろう。
ライゼルに聞く必要などないのに。

「ちょうど今朝収穫したばかりだ、それも持ってきな」
ライゼルは偉そうに話していた。
どうやらこの庭先についてはライゼルにそれなりの権限があるみたいだ。

そんなライゼルを無視してジョニーが話を進める。

「こちらも食べてみな」
差し出された皿にはバイソン肉のローストビーフが乗っていた。
それを眺めて固まってしまった夫妻。
まあまあとモリゾーが言葉を添える。

「肉の赤みが残っているからビビッているんだで?分かるだでよ」

「だよな、私も始めは戸惑ったからな」
メイランも追い打ちをかける。

「食べて大丈夫なのでしょうか?」
不安げなトランザム。
というのは、この国では赤みのある肉は食あたりを起こすから厳禁とされていたのだ。

「ここはジョニー店長を信じましょう」
アリーナは受け入れているみたいだ。
一口食べるとローストバイソンを噛みしめていた。

「ああ・・・美味しい・・・なんて味わい深いの・・・幸福の味・・・」
トローンと表情が溶けている。

「そんなになのか?・・・」
驚きを隠せないトランザム。
意を決したのか、顔色が豹変した。

「いかせて頂きます!」
要らない宣言をしていた。

「いけ!トランザム!」

「ビビるな!」

「こちら側にいらっしゃーい!」
不要な応援が巻き起こっていた。
一気に口にするトランザム。

「これは・・・なんてことだ・・・常識を打ち破っている・・・あり得ない」
トランザムは膝から崩れ落ちると、感動して泣き出してしまった。
その様に苦笑いを浮かべるジョニー。
それをほっこりと眺めるマリアンヌが告げる、

「よかったわね、あなた達」
母親の顔で嬉しそうに語りかけていた。

こうして美容院経営とは全く関係のない出来事が『アンジェリ』で行われていた。
その後、ローストバイソンの調理法がジョニーから夫妻に伝えられ、トランザム夫妻は改良に改良を重ねて、自らの味を追求していた。

その後トランザム夫妻の屋台は空前絶後の人気を博すことになるのだが、それはまた別のお話である。