豪華絢爛な一室。
その最奥に重厚な机が鎮座している。
豪勢な椅子に深々と座る老齢の男性がいた。
真っ赤なマントを身に着け、頭には冠を被っていた。
明らかに高貴な者であろうことが伺える。
一際存在感が大きい。
貯えられた髭が年齢を感じさせる。
男性は柔和な笑みを浮かべていた。
その有り様から余裕が伺い知れる。
実質泰然とはこの様な事をいうのかもしれない。
そんな雰囲気を纏っていた。
その机の前にはソファーがあり、煌びやかな衣装を身に纏った男性が腰かけていた。
こちらもそれなりの高貴な雰囲気を醸し出している。
目の前のテーブルには一際目を見張る、高価そうな陶磁器が置かれており、湯気が立ち昇っていた。
その陶磁器を優雅に掴むと皿を下に添える。
それが当たり前の礼儀と言わんかの如く。
実に高貴な振る舞いが板に付いていた。
気取っている節は一切感じない。
本物の紳士然としており、誰が見ても高貴な者であると知れるだろう。
其れぐらい自然の所作だった。
優雅な空気は収まることはない。
頭に冠を被った男性も同様に高価な陶磁器を片手に携えて、飲み物を楽しんでいた。
ゆっくりと流れる時を楽しんでいる様子。
時折目を瞑って深く味わっている。
そこに不意に言葉が発せられる。
「息子よ、如何かな?」
目尻を緩ませて男性が微笑する。
「シュバルツが淹れる紅茶が美味しくないなどありますまい、父上よ」
「そうか、そうか」
味わいつつ紅茶を楽しむ、父と子。
全くもって絵になる。
こんな絵画があっても悪くはない。
一枚の絵画に収まるような、そんな趣きを醸し出している。
ドアが上品にノックされた。
この雰囲気を壊さない様に、ノックの加減に配慮がなされている。
熟練の技なのは明白だ。
コン、コン、コン。
大きくも小さくもない、程よい音を奏でていた。
「入れ」
ソファーに座る息子が答えていた。
いつもそうであるとその表情が物語っている。
遠慮気味に扉が開かれる。
其処には老齢の執事が控えていた。
シルバーヘアーを後ろに束ねている男性だ。
目線を下に落とし、まるで直視することは敵わないとでも言いたげだ。
そうであることが嗜みという雰囲気である。
これが本物の所作というものだろう。
「シュバルツか、入るとよい」
冠を被った男性が答えていた。
「はっ」
目線を上げる事無く入室するシュバルツ。
その佇まいだけでも熟練の執事である事が窺い知れる。
見ていてこちらも背筋が伸びそうだ。
それ程の緊張感と優雅な時間が帯同していた。
「シュバルツ、お前の淹れる紅茶はどうしてこうも美味しいのだ?何か秘訣でも?」
息子が問いかけていた。
挨拶替わりとでも思っているのだろう、一定のルーティーンの節がある。
「滅相も御座いません、恐悦至極に存じます」
そう答える執事のその両手には、銀のトレーが大事そうに抱えられており、トレーの上には手紙が乗せられていた。
「シュバルツよ、そう畏まらんでもよい。ここは私と息子のみだ。楽にせよ」
「はっ」
ここでやっと視線を挙げたシュバルツ。
その眼は嬉しそうに笑みが添えられていた。
「して、それは?」
「はっ、フェルンお坊ちゃまからのお手紙で御座います」
それを聞いて父親が張顔する。
「おお!そうか」
其れとは真逆に眉間に皺を寄せる息子。
今にも舌打ちをしそうだ。
「どうぞお納めください」
仰々しくトレーを差し出すシュバルツ。
手紙をまるで赤子でも受け取るかの様に、丁寧に手紙を受け取る父親。
ウンウンと鷹揚に頷いている。
「これまでは警護の物からの近況を報せる手紙であったのが、どうして本人が?」
怪訝な表情を浮かべる息子。
喜んでいる父親とは随分と対照的だ。
「そう言うではないわ、息子よ。嬉しいでは無いか。ハハハ」
「父上!フェルンは王位継承権を捨てて野に下ったのです。そんな者を気に掛ける必要などありますまい!廃嫡された者ですぞ!」
血相を変えている。
これまでの落ち着きは何処へ行ったのやら。
豹変ぶりが半端ない。
「ホホホ、袖を分かったとは言っても、私にとっては大事な息子である事に変わりは無いのだ。そう食ってかからんでもよかろう?」
父親の落ち着きぶりは変わらない。
「シュタイナーお坊ちゃま、父親の愛は不変でございますよ」
「チッ!シュバルツまで言うか」
息子は臍を曲げていた。
どうやら手紙の差し出し人に思う処があるみたいだ。
「よいではないか、これまでは護衛の者からの報告で近況は知らされてはおるが、この様に直接文を届けてこようなど無かったことだ、嬉しい事ではないか」
「父上!父上はフェルンに甘すぎます!」
「そう言うではない、私はフェルンやルーズベルト、そしてシュタイナーには同等の愛情を向けておるよ。分かっておろう」
「それは・・・」
歯痒い顔をするシュタイナー。
「さて、それよりも・・・」
父親は手紙を見つめる。
その蝋封には印が刻まれていた。
それは父親には見慣れた蝋封であった。
その紋章はダンバレー国の紋章だ。
優雅に羽を広げる鷹の様な鳳が象られている。
蝋封がキッと音を立てて開けられた。
中にある手紙を嬉しそうに取り出す父親。
折り込まれている手紙を拡げて表情を緩めながら読みだした。
早く読みたいとその表情が雄弁に語っていた。
そして、最初はにこやかであったが、その顔はどんどんと曇り出していく父親。
それを見て身構えるシュタイナーとシュバルツ。
「ち、父上・・・」
「王よ・・・」
唾を飲み込む二人。
シュバルツの呟きからこの父親が国王である事が告げられた。
遂には目を見開いた国王はこう言い放った。
「シュバルツ!今直ぐ密偵を準備せよ!」
「なっ!」
「仰せの儘に」
驚くシュタイナーと即座に反応するシュバルツ。
歴戦の差が表れている。
「そして、ベルメゾン伯爵を呼び寄せよ!早急にだ!」
「はっ!」
颯爽と部屋を立ち去るシュバルツ。
そして王冠を被ったダンバレー国王が呟く、
「美容院『アンジェリ』・・・よもやこの様なお店があろうとは・・・待っておったぞ・・・これで王冠の呪いも・・・」
その鬼気迫る様子にシュタイナーは恐れ慄いていた。
父親がこの様に興奮する様は異例の事であった。
シュタイナーはその異変を感じ取っていた。
美容院『アンジェリ』が異世界にオープンしてから半年近くが経っていた。
時の過ぎるのは早い。
俺も齢を取ってしまったな。
というのも俺も36歳になってしまっていた。
ああ・・・もう年齢は数えなくていいよね?
もうこうなると俺も中年だな。
もうとっくに中年だって?
知ってるよ!
みなまで言うなよな!
情緒は無いのか情緒は・・・
ええ、一人寡が板に付いておりますよ!
何か文句でも?
聞いて差し上げますけど?
現に遠慮の無い親父からは、
「そろそろ孫の顔を見せて貰えるよな!丈二!ガハハハ!」
と言われてしまう始末。
煩せえよ!
黙ってろマッチョ爺い!
小姑かっての?
親父には申し訳ないがそんな浮かれた話は全くない。
ええ!寂しいですよ!仕事一筋ですよ!
すまんが既に孫が一人いるのだから俺には余り期待してくれるな。
なんなら妹に再婚を迫ったらどうなんだい?
だって、俺にはさ・・・お店があるのだから。
俺の伴侶は『アンジェリ』でしょうよ?・・・
これ以上は言うまい。
愚痴になりかねないしね。
特に俺の・・・まあいいよ。
寂しいに決まっているだろうがよ!
言わせるなっての!
ふう、これまでを少し振り返ってみようか。
いや、振り返らせて下さい。
だって浮かれた話なんて一ミリもないんだからさ・・・
お店の話ぐらいさせてくれっての。
まあ・・・こう言っては何だが、激動の半年だったよ。
よくもまあこうもいろいろとあったものだ。
言っちゃあ悪いが、俺も色々と堪えれたものだね。
自分で自分を褒めてあげたいぐらいだよ。
先ずは俺のお店を日本でオープンさせれなかったことだ。
これがどうしても尾を引く。
はっきりと言おう、根に持ってます!
今更何を言うと思うかもしれないが、すまんが腹に据えかねているのでね・・・
此処だけは未だに譲れない!
だってさあ、俺の意思に関係なく勝手に異世界で美容院をオープンするしかなかったんだからね!
何の罰ゲームかっての?
罰当たりな事をした覚えはないんだけど?
俺のこれまでの15年間はどうなるってんだよ!
ふざけんな!
これまでの俺の努力を返してくれよ!
くそう・・・
改めて言うが、俺は日本で美容院をオープンさせたいのであって、決して異世界で美容院をオープンさせたかった訳ではないからね!
フンス!
何度でも言ってやろう!
自分の地元の地方都市で、勝手気ままに、自由に俺の好きに、理想とする美容院を開きたかったんだけどね!
もう一回言ってやろうか?
いい加減しつこいよね?
勝手な神様の、何かしらの都合なんだろうけどさ・・・
本音を言えば腹腸が煮えたぎっている。
どうしたら俺の夢を踏みにじる事が出来るのだろうか?
あり得ないでしょう?
それも上側の方々の事情なんでしょ?・・・たぶん・・・
あの駄女神め・・・ふざけんな!
どこかで一回ギャフンと言わせてやろうか?
いい加減お供え物は止めようかな?
・・・
否、訴えてやる!
まあ訴える先は察しが付いているのでね。
フフフ、今は言わないでおくよ。
ここは隠し玉ってね。
それにしても『アンジェリ』は異世界で人気店になってしまったよ。
嬉しくはある。
もっと言うとありがたい。
更に言うとお客さんには頭が上がりません。
ここは謙虚に頭を垂れておこう。
だって、勝手知らない異世界でこうも受け入れて貰えるとは思ってはいなかったからね。
これも出会った者達のお陰なんだけどさ。
特にシルビアちゃんと出会えた事は幸運だった。
あの子に出会わなければこうはなっていないだろう。
始めて出会った時には、マッチ売りの少女と勘違いしそうになったぐらいだよ。
シルビアちゃんは最高の弟子だ。
俺はあの子の為なら何だってできるよ。
それぐらい信頼を置いている。
あの子は俺の愛弟子だ。
そうはっきりと言える。
師匠が弟子を褒めちぎるのは間違っていると言う人が居るかもしれないが、本当の事だからどうしようもない。
実際これ程までに優秀で、手の掛からない子はいないだろう。
放置していても勝手に育ってくれる。
それだけやる気が特出しているということなのだが・・・
ここまでやる気に満ちた子はこれまでに出会ったことがない。
それにこの子は天才だ。
其れも努力が出来る天才だ。
この天才には何を以てしても敵わない。
努力の出来る天才は、正真正銘の天才なのだから。
たぶん将来的にこのお店を誰かに任せる事があるとしたら、俺はこの子にこのお店を任せるだろうと思う。
先を考えすぎかな?
でも自然とそうなるでしょうよ。
其れぐらい全面的な信頼を俺は彼女に置いている。
本人にその気があるのかはさておき。
そしてマリアンヌさんは人が変わったのか?
と言うぐらい活力に溢れている。
始めて会った時の、話しかけてくれるなオーラ全開の、無愛想な女性では一切無くなっている。
今ではこのお店の戦力として欠かせない存在となっていた。
マリアンヌさんはメイキャッパーとしてだけではなく、スタイリストとしても活躍している。
本人はメイキャップに専念したい様だがお店の現状がそれを許さない。
美容院『アンジェリ』は予約をしようものなら2カ月先まで埋まっている状況なのだ。
嬉しい限りである。
その為マリアンヌさんはスタイリストとしても働かなければならない。
当然俺の仕上げは必須なのだが。
カットの基本は出来ているのでここは助かる。
でも感じるに、マリアンヌさんは本当はメイキャップに専念したいのだろう。
その雰囲気をムンムンに発している。
俺もそう出来ればと望んではいる。
もう少し時間と人手が必要だな。
ここは我慢をして欲しい処だ。
そしてクリスタルちゃんはある意味問題となっていた。
それを俺は作為的に眺めていた。
その理由は外の者達の刺激になるのではと考えたからだ。
彼女の学ぼうとする姿勢はシルビアちゃんに引けを取らないほどだ。
でもそれはカット技術と髪に関するものに偏っている。
それだけでは本物の美容師とは言えないという事を彼女は理解していない。
残念な程に。
美容師はカット技術や髪に関する事が全てでは無い。
接客は元より、メイク等。
その範囲は幅広い。
特に接客に関しては重要だ。
ある意味カット技術以上に大切な要素となる。
それをクリスタルちゃんは全く理解できていない。
そして俺はそれを敢えて指摘せずにいる。
本人が気づくか、相談してこない限り教えることはないだろう。
それを感じ取っているシルビアちゃんは流石だ。
商人の娘は伊達ではない。
俺の姿勢をそれとなく理解し、同様の対応をしている。
マリンヌさんは、ちょっとそれ処ではないかな。
自分の事で今は精一杯だろう。
そして困った事にライジングサン一同に加えて、他の冒険者達や、ドM眼鏡がしょっちゅう遊びに来る様になった。
困ってはいないが、たまにいい加減にしろよと思えてしまう。
ライゼルに関しては勝手知ったるを良い事に、たまに庭先でテントを張って寝ている事もあるぐらいだ。
まあこの庭先は二人で造ったから文句は無いのだがね。
でも流石にお店の中で寝ても良いとは俺には言えない。
このお店は美容院であって、宿屋ではないからね。
まあお店の警護代わりになっているから文句はないよ。
こいつは本当にこの店の店先が好きみたいだ。
先日漏れ聞こえる様に、
「俺は庭師になるろうかな?」
とぼやいていたぐらいだ。
どうやら思う節があるみたいだ。
そんな人生も良いんじゃないか?
俺は応援するぞ。
そんな気分になっていた。
最近は食事にお金を取る様になっていた。
それでも良心的な価格だと冒険者達が集まってきていた。
ここは酒場では無いのだけどね。
殆どの者達の目当てはワインである。
実は俺は一度この国のワインを頂いたことがあり、飲んでみたのだが・・・
微妙な味だった。
アルコール度数が高いのは分かる、でも・・・何の違いだろうか?
少々酸味と渋みが強いのだ。
飲めなくは無い・・・でも物足りない。
そしてこれは俺が悪いのだが、調子に乗ってビールを提供してしまったのだった。
大うけすることは分かってはいた。
だがしかし・・・
ここまでとは思ってはいなかった。
今では業務用の生ビールのサーバーがお店に設置されているのだ。
正直言えば少々後悔している。
やり過ぎてしまった。
ここは調子に乗った俺が悪い。
しょっちゅう生ビールを飲ませてくれと昼間から無遠慮に冒険者達が押し寄せて来ている始末だ。
その度に、
「今は無理だ、夜に来い!」
と対応している。
見たら分かるだろうが、美容院の営業中なんだぞ?
お前らアホか?
どうにかしようと価格を上げて対抗処置を取ってみた。
生ビールは一杯銀貨十枚、日本円では千円の強気価格にしたのだが全く効果が無かった。
この国の者達の金銭感覚はよく分からない。
生ビールが一杯千円?あり得んだろうが。
それでもライゼルなんかは一日に四杯近くは飲む。
少々頭を疑うぐらいだ。
ライゼルに言わせると、
「この為に狩りをしているみたいだな!ガハハハ!」
ということらしい。
折角頑張って稼いだお金をほとんど飲み食いに費やしているみたいだ。
こう言っては何だが、心配になってくる。
貯金という概念は無いのだろうか?
モリゾーやメイランにしても同じ様なものだ。
リックは控えめな気がするが、あいつも時々鬱憤を晴らすかの様にガバガバ飲む時があるからね。
まあ冒険者達は全員似た様なものらしい。
俺にはさっぱり分からない。
その日暮らしなんて怖くて仕方がないよ。
そんな事もあってか、美容院『アンジェリ』ではその他売上が異様に高くなっている。
まあ利益になっているから文句は無いのだが・・・
その為今はそれ用の人材を募集しようと考えている。
当初の予定は美容院兼喫茶店のイメージだったのだが、ここに来て美容院兼バー、又は美容院兼居酒屋になりそうである。
うーん・・・不本意だ。
でも修正は可能だろう。
どうしたものか・・・
因みに夜のバーの営業は10時には閉店する。
夜の7時から10時までの時短営業だ。
店員替わりにライジングサン一同と、ドM眼鏡が働いている。
まぁバイトだな。
だってシルビアちゃん達は修業で手がいっぱいだからね。
バーの店員なんてできっこねえよ。
どうしてドM眼鏡が手伝っているのかはよく分からない。
ある時急に手伝いますと言い出してから、なし崩し的に働いている。
なんでだろうね?
こんな半年を迎える美容院『アンジェリ』だった。
それにしても、どうしてこうなった?
俺にはまったく分からないよ。
その最奥に重厚な机が鎮座している。
豪勢な椅子に深々と座る老齢の男性がいた。
真っ赤なマントを身に着け、頭には冠を被っていた。
明らかに高貴な者であろうことが伺える。
一際存在感が大きい。
貯えられた髭が年齢を感じさせる。
男性は柔和な笑みを浮かべていた。
その有り様から余裕が伺い知れる。
実質泰然とはこの様な事をいうのかもしれない。
そんな雰囲気を纏っていた。
その机の前にはソファーがあり、煌びやかな衣装を身に纏った男性が腰かけていた。
こちらもそれなりの高貴な雰囲気を醸し出している。
目の前のテーブルには一際目を見張る、高価そうな陶磁器が置かれており、湯気が立ち昇っていた。
その陶磁器を優雅に掴むと皿を下に添える。
それが当たり前の礼儀と言わんかの如く。
実に高貴な振る舞いが板に付いていた。
気取っている節は一切感じない。
本物の紳士然としており、誰が見ても高貴な者であると知れるだろう。
其れぐらい自然の所作だった。
優雅な空気は収まることはない。
頭に冠を被った男性も同様に高価な陶磁器を片手に携えて、飲み物を楽しんでいた。
ゆっくりと流れる時を楽しんでいる様子。
時折目を瞑って深く味わっている。
そこに不意に言葉が発せられる。
「息子よ、如何かな?」
目尻を緩ませて男性が微笑する。
「シュバルツが淹れる紅茶が美味しくないなどありますまい、父上よ」
「そうか、そうか」
味わいつつ紅茶を楽しむ、父と子。
全くもって絵になる。
こんな絵画があっても悪くはない。
一枚の絵画に収まるような、そんな趣きを醸し出している。
ドアが上品にノックされた。
この雰囲気を壊さない様に、ノックの加減に配慮がなされている。
熟練の技なのは明白だ。
コン、コン、コン。
大きくも小さくもない、程よい音を奏でていた。
「入れ」
ソファーに座る息子が答えていた。
いつもそうであるとその表情が物語っている。
遠慮気味に扉が開かれる。
其処には老齢の執事が控えていた。
シルバーヘアーを後ろに束ねている男性だ。
目線を下に落とし、まるで直視することは敵わないとでも言いたげだ。
そうであることが嗜みという雰囲気である。
これが本物の所作というものだろう。
「シュバルツか、入るとよい」
冠を被った男性が答えていた。
「はっ」
目線を上げる事無く入室するシュバルツ。
その佇まいだけでも熟練の執事である事が窺い知れる。
見ていてこちらも背筋が伸びそうだ。
それ程の緊張感と優雅な時間が帯同していた。
「シュバルツ、お前の淹れる紅茶はどうしてこうも美味しいのだ?何か秘訣でも?」
息子が問いかけていた。
挨拶替わりとでも思っているのだろう、一定のルーティーンの節がある。
「滅相も御座いません、恐悦至極に存じます」
そう答える執事のその両手には、銀のトレーが大事そうに抱えられており、トレーの上には手紙が乗せられていた。
「シュバルツよ、そう畏まらんでもよい。ここは私と息子のみだ。楽にせよ」
「はっ」
ここでやっと視線を挙げたシュバルツ。
その眼は嬉しそうに笑みが添えられていた。
「して、それは?」
「はっ、フェルンお坊ちゃまからのお手紙で御座います」
それを聞いて父親が張顔する。
「おお!そうか」
其れとは真逆に眉間に皺を寄せる息子。
今にも舌打ちをしそうだ。
「どうぞお納めください」
仰々しくトレーを差し出すシュバルツ。
手紙をまるで赤子でも受け取るかの様に、丁寧に手紙を受け取る父親。
ウンウンと鷹揚に頷いている。
「これまでは警護の物からの近況を報せる手紙であったのが、どうして本人が?」
怪訝な表情を浮かべる息子。
喜んでいる父親とは随分と対照的だ。
「そう言うではないわ、息子よ。嬉しいでは無いか。ハハハ」
「父上!フェルンは王位継承権を捨てて野に下ったのです。そんな者を気に掛ける必要などありますまい!廃嫡された者ですぞ!」
血相を変えている。
これまでの落ち着きは何処へ行ったのやら。
豹変ぶりが半端ない。
「ホホホ、袖を分かったとは言っても、私にとっては大事な息子である事に変わりは無いのだ。そう食ってかからんでもよかろう?」
父親の落ち着きぶりは変わらない。
「シュタイナーお坊ちゃま、父親の愛は不変でございますよ」
「チッ!シュバルツまで言うか」
息子は臍を曲げていた。
どうやら手紙の差し出し人に思う処があるみたいだ。
「よいではないか、これまでは護衛の者からの報告で近況は知らされてはおるが、この様に直接文を届けてこようなど無かったことだ、嬉しい事ではないか」
「父上!父上はフェルンに甘すぎます!」
「そう言うではない、私はフェルンやルーズベルト、そしてシュタイナーには同等の愛情を向けておるよ。分かっておろう」
「それは・・・」
歯痒い顔をするシュタイナー。
「さて、それよりも・・・」
父親は手紙を見つめる。
その蝋封には印が刻まれていた。
それは父親には見慣れた蝋封であった。
その紋章はダンバレー国の紋章だ。
優雅に羽を広げる鷹の様な鳳が象られている。
蝋封がキッと音を立てて開けられた。
中にある手紙を嬉しそうに取り出す父親。
折り込まれている手紙を拡げて表情を緩めながら読みだした。
早く読みたいとその表情が雄弁に語っていた。
そして、最初はにこやかであったが、その顔はどんどんと曇り出していく父親。
それを見て身構えるシュタイナーとシュバルツ。
「ち、父上・・・」
「王よ・・・」
唾を飲み込む二人。
シュバルツの呟きからこの父親が国王である事が告げられた。
遂には目を見開いた国王はこう言い放った。
「シュバルツ!今直ぐ密偵を準備せよ!」
「なっ!」
「仰せの儘に」
驚くシュタイナーと即座に反応するシュバルツ。
歴戦の差が表れている。
「そして、ベルメゾン伯爵を呼び寄せよ!早急にだ!」
「はっ!」
颯爽と部屋を立ち去るシュバルツ。
そして王冠を被ったダンバレー国王が呟く、
「美容院『アンジェリ』・・・よもやこの様なお店があろうとは・・・待っておったぞ・・・これで王冠の呪いも・・・」
その鬼気迫る様子にシュタイナーは恐れ慄いていた。
父親がこの様に興奮する様は異例の事であった。
シュタイナーはその異変を感じ取っていた。
美容院『アンジェリ』が異世界にオープンしてから半年近くが経っていた。
時の過ぎるのは早い。
俺も齢を取ってしまったな。
というのも俺も36歳になってしまっていた。
ああ・・・もう年齢は数えなくていいよね?
もうこうなると俺も中年だな。
もうとっくに中年だって?
知ってるよ!
みなまで言うなよな!
情緒は無いのか情緒は・・・
ええ、一人寡が板に付いておりますよ!
何か文句でも?
聞いて差し上げますけど?
現に遠慮の無い親父からは、
「そろそろ孫の顔を見せて貰えるよな!丈二!ガハハハ!」
と言われてしまう始末。
煩せえよ!
黙ってろマッチョ爺い!
小姑かっての?
親父には申し訳ないがそんな浮かれた話は全くない。
ええ!寂しいですよ!仕事一筋ですよ!
すまんが既に孫が一人いるのだから俺には余り期待してくれるな。
なんなら妹に再婚を迫ったらどうなんだい?
だって、俺にはさ・・・お店があるのだから。
俺の伴侶は『アンジェリ』でしょうよ?・・・
これ以上は言うまい。
愚痴になりかねないしね。
特に俺の・・・まあいいよ。
寂しいに決まっているだろうがよ!
言わせるなっての!
ふう、これまでを少し振り返ってみようか。
いや、振り返らせて下さい。
だって浮かれた話なんて一ミリもないんだからさ・・・
お店の話ぐらいさせてくれっての。
まあ・・・こう言っては何だが、激動の半年だったよ。
よくもまあこうもいろいろとあったものだ。
言っちゃあ悪いが、俺も色々と堪えれたものだね。
自分で自分を褒めてあげたいぐらいだよ。
先ずは俺のお店を日本でオープンさせれなかったことだ。
これがどうしても尾を引く。
はっきりと言おう、根に持ってます!
今更何を言うと思うかもしれないが、すまんが腹に据えかねているのでね・・・
此処だけは未だに譲れない!
だってさあ、俺の意思に関係なく勝手に異世界で美容院をオープンするしかなかったんだからね!
何の罰ゲームかっての?
罰当たりな事をした覚えはないんだけど?
俺のこれまでの15年間はどうなるってんだよ!
ふざけんな!
これまでの俺の努力を返してくれよ!
くそう・・・
改めて言うが、俺は日本で美容院をオープンさせたいのであって、決して異世界で美容院をオープンさせたかった訳ではないからね!
フンス!
何度でも言ってやろう!
自分の地元の地方都市で、勝手気ままに、自由に俺の好きに、理想とする美容院を開きたかったんだけどね!
もう一回言ってやろうか?
いい加減しつこいよね?
勝手な神様の、何かしらの都合なんだろうけどさ・・・
本音を言えば腹腸が煮えたぎっている。
どうしたら俺の夢を踏みにじる事が出来るのだろうか?
あり得ないでしょう?
それも上側の方々の事情なんでしょ?・・・たぶん・・・
あの駄女神め・・・ふざけんな!
どこかで一回ギャフンと言わせてやろうか?
いい加減お供え物は止めようかな?
・・・
否、訴えてやる!
まあ訴える先は察しが付いているのでね。
フフフ、今は言わないでおくよ。
ここは隠し玉ってね。
それにしても『アンジェリ』は異世界で人気店になってしまったよ。
嬉しくはある。
もっと言うとありがたい。
更に言うとお客さんには頭が上がりません。
ここは謙虚に頭を垂れておこう。
だって、勝手知らない異世界でこうも受け入れて貰えるとは思ってはいなかったからね。
これも出会った者達のお陰なんだけどさ。
特にシルビアちゃんと出会えた事は幸運だった。
あの子に出会わなければこうはなっていないだろう。
始めて出会った時には、マッチ売りの少女と勘違いしそうになったぐらいだよ。
シルビアちゃんは最高の弟子だ。
俺はあの子の為なら何だってできるよ。
それぐらい信頼を置いている。
あの子は俺の愛弟子だ。
そうはっきりと言える。
師匠が弟子を褒めちぎるのは間違っていると言う人が居るかもしれないが、本当の事だからどうしようもない。
実際これ程までに優秀で、手の掛からない子はいないだろう。
放置していても勝手に育ってくれる。
それだけやる気が特出しているということなのだが・・・
ここまでやる気に満ちた子はこれまでに出会ったことがない。
それにこの子は天才だ。
其れも努力が出来る天才だ。
この天才には何を以てしても敵わない。
努力の出来る天才は、正真正銘の天才なのだから。
たぶん将来的にこのお店を誰かに任せる事があるとしたら、俺はこの子にこのお店を任せるだろうと思う。
先を考えすぎかな?
でも自然とそうなるでしょうよ。
其れぐらい全面的な信頼を俺は彼女に置いている。
本人にその気があるのかはさておき。
そしてマリアンヌさんは人が変わったのか?
と言うぐらい活力に溢れている。
始めて会った時の、話しかけてくれるなオーラ全開の、無愛想な女性では一切無くなっている。
今ではこのお店の戦力として欠かせない存在となっていた。
マリアンヌさんはメイキャッパーとしてだけではなく、スタイリストとしても活躍している。
本人はメイキャップに専念したい様だがお店の現状がそれを許さない。
美容院『アンジェリ』は予約をしようものなら2カ月先まで埋まっている状況なのだ。
嬉しい限りである。
その為マリアンヌさんはスタイリストとしても働かなければならない。
当然俺の仕上げは必須なのだが。
カットの基本は出来ているのでここは助かる。
でも感じるに、マリアンヌさんは本当はメイキャップに専念したいのだろう。
その雰囲気をムンムンに発している。
俺もそう出来ればと望んではいる。
もう少し時間と人手が必要だな。
ここは我慢をして欲しい処だ。
そしてクリスタルちゃんはある意味問題となっていた。
それを俺は作為的に眺めていた。
その理由は外の者達の刺激になるのではと考えたからだ。
彼女の学ぼうとする姿勢はシルビアちゃんに引けを取らないほどだ。
でもそれはカット技術と髪に関するものに偏っている。
それだけでは本物の美容師とは言えないという事を彼女は理解していない。
残念な程に。
美容師はカット技術や髪に関する事が全てでは無い。
接客は元より、メイク等。
その範囲は幅広い。
特に接客に関しては重要だ。
ある意味カット技術以上に大切な要素となる。
それをクリスタルちゃんは全く理解できていない。
そして俺はそれを敢えて指摘せずにいる。
本人が気づくか、相談してこない限り教えることはないだろう。
それを感じ取っているシルビアちゃんは流石だ。
商人の娘は伊達ではない。
俺の姿勢をそれとなく理解し、同様の対応をしている。
マリンヌさんは、ちょっとそれ処ではないかな。
自分の事で今は精一杯だろう。
そして困った事にライジングサン一同に加えて、他の冒険者達や、ドM眼鏡がしょっちゅう遊びに来る様になった。
困ってはいないが、たまにいい加減にしろよと思えてしまう。
ライゼルに関しては勝手知ったるを良い事に、たまに庭先でテントを張って寝ている事もあるぐらいだ。
まあこの庭先は二人で造ったから文句は無いのだがね。
でも流石にお店の中で寝ても良いとは俺には言えない。
このお店は美容院であって、宿屋ではないからね。
まあお店の警護代わりになっているから文句はないよ。
こいつは本当にこの店の店先が好きみたいだ。
先日漏れ聞こえる様に、
「俺は庭師になるろうかな?」
とぼやいていたぐらいだ。
どうやら思う節があるみたいだ。
そんな人生も良いんじゃないか?
俺は応援するぞ。
そんな気分になっていた。
最近は食事にお金を取る様になっていた。
それでも良心的な価格だと冒険者達が集まってきていた。
ここは酒場では無いのだけどね。
殆どの者達の目当てはワインである。
実は俺は一度この国のワインを頂いたことがあり、飲んでみたのだが・・・
微妙な味だった。
アルコール度数が高いのは分かる、でも・・・何の違いだろうか?
少々酸味と渋みが強いのだ。
飲めなくは無い・・・でも物足りない。
そしてこれは俺が悪いのだが、調子に乗ってビールを提供してしまったのだった。
大うけすることは分かってはいた。
だがしかし・・・
ここまでとは思ってはいなかった。
今では業務用の生ビールのサーバーがお店に設置されているのだ。
正直言えば少々後悔している。
やり過ぎてしまった。
ここは調子に乗った俺が悪い。
しょっちゅう生ビールを飲ませてくれと昼間から無遠慮に冒険者達が押し寄せて来ている始末だ。
その度に、
「今は無理だ、夜に来い!」
と対応している。
見たら分かるだろうが、美容院の営業中なんだぞ?
お前らアホか?
どうにかしようと価格を上げて対抗処置を取ってみた。
生ビールは一杯銀貨十枚、日本円では千円の強気価格にしたのだが全く効果が無かった。
この国の者達の金銭感覚はよく分からない。
生ビールが一杯千円?あり得んだろうが。
それでもライゼルなんかは一日に四杯近くは飲む。
少々頭を疑うぐらいだ。
ライゼルに言わせると、
「この為に狩りをしているみたいだな!ガハハハ!」
ということらしい。
折角頑張って稼いだお金をほとんど飲み食いに費やしているみたいだ。
こう言っては何だが、心配になってくる。
貯金という概念は無いのだろうか?
モリゾーやメイランにしても同じ様なものだ。
リックは控えめな気がするが、あいつも時々鬱憤を晴らすかの様にガバガバ飲む時があるからね。
まあ冒険者達は全員似た様なものらしい。
俺にはさっぱり分からない。
その日暮らしなんて怖くて仕方がないよ。
そんな事もあってか、美容院『アンジェリ』ではその他売上が異様に高くなっている。
まあ利益になっているから文句は無いのだが・・・
その為今はそれ用の人材を募集しようと考えている。
当初の予定は美容院兼喫茶店のイメージだったのだが、ここに来て美容院兼バー、又は美容院兼居酒屋になりそうである。
うーん・・・不本意だ。
でも修正は可能だろう。
どうしたものか・・・
因みに夜のバーの営業は10時には閉店する。
夜の7時から10時までの時短営業だ。
店員替わりにライジングサン一同と、ドM眼鏡が働いている。
まぁバイトだな。
だってシルビアちゃん達は修業で手がいっぱいだからね。
バーの店員なんてできっこねえよ。
どうしてドM眼鏡が手伝っているのかはよく分からない。
ある時急に手伝いますと言い出してから、なし崩し的に働いている。
なんでだろうね?
こんな半年を迎える美容院『アンジェリ』だった。
それにしても、どうしてこうなった?
俺にはまったく分からないよ。

