そして、先刻の時間が訪れた。
あー、バックレたい。
本当は営業日なので、お店は締めたくなかったが止む終えまい。
お客さんの予約も無理言って翌日以降にして貰ったよ。
それだけでは申し訳ないので、半額にすると言ったら無茶苦茶喜ばれてしまった。
すんません。
苦情は俺では無く、フェリアッテ夫人にどうぞ。

本当は営業したかったな。
そう考えていると、シルビアちゃんがライゼルを連れてやってきた。
ん?どうしたんだい?
同行は出来ないと思うが?

「ジョニー店長、私のみでお店を開けてもいいでしょうか?何かあった時の為に、ライゼルさんに護衛を頼みました」
シルビアちゃんは頼りになるなあ。

「そうか、助かるよ」

「シャンプーを受けに来るお客さんもいるかもしれませんし、店販商品を買いに来店される方もいるかもしれないので」
有難い、本当に申し訳ない。

「シルビアちゃんすまないね、ライゼルもな」
俺はライゼルを一瞥する。
こいつがいるなら問題無いだろう。
強盗ぐらいなら簡単に撃退してしまうだろう。
腰にはリリスが帯剣されているな。よしよし。
今日は忘れてこなかったな。
こいつの忘れ物癖は病気の域だからね。

「いいってことよ、晩飯は御馳走になるからな。あとワインも」
いつもの如くライゼルはへらへらしている。

「そんなことで良ければいくらでも御馳走してやるよ」
ライゼルは胸を叩いていた。
少々気を使わせてしまったか?

お店の前が騒々しくなってきた。
どうやらお迎えの馬車が到着したようだ。
俺はTシャツの下にある、とある物を握りしめた。
さて、いっちょやったりますか。
誘われるが儘に俺は馬車に乗り込んだ。
鬼がでるか、蛇がでるか。
何であれ掛かってこい!



馬車に揺られること一時間。
ああ・・・ケツが痛い。
前に乗った馬車とは違って広い馬車だった。
座布団が敷いてあって、多少は楽なのだが。
でも痛いものは痛い。
それに腰も痛い。
そして俺の前には壮年の女性が座っている。
齢のころは50歳ぐらいかな?
おそらくメイドさんだろう。
白髪混じりの黒髪で、後ろに束ねている。
余り俺と目を合わそうとはしない。
少し暗い印象を受ける。
化粧は一切していない。
というよりこの世界で化粧をしている人を俺はほとんど見かけていない。
イングリスさんが時々化粧をしているのを見かけるぐらいだ。
それにしても、まだ着かないのか?
結構長い事揺られているぞ。

やっと到着したみたいだ。
それにしてもこのメイドさん。
一度も口を開かなかったな。
話し掛けるなオーラが駄々洩れだったから、こちらからは話し掛けなかったけど。
少々怖かったぐらいだ。
始めに挨拶しただけだったよ。

馬車から降りると、先ずは伸びをした。
あーあ、腰が痛い。
なによりケツが痛い。
ふうー、解れるな。
俺は何度も伸びを行った。
ラジオ体操をしたい気分だった。
腕を前から上に挙げて背伸びの運動!ってね。

俺の目の前には豪華絢爛な建物があった。
デッカ!
髪結い組合のお屋敷ということだったが・・・
家のお店の何倍だ?
商人ギルドよりデカくないか?
大豪邸と言ってもいいかもしれない。
綺麗な庭先、ちゃんと手入れが行き届いているのが分かる。
花壇には花が咲いていた。
女性のメイドさんが庭先の掃除をしている。
これは間違いなく異世界だな。
日本ではこんな建築様式は見たことが無い。
圧巻だ。
ちょっと緊張してしまいそうだ。

先程のメイドさんに誘導されて、建物の中に入る事になった。
さて、どうなることやら。



廊下を歩くと、数名の女性とすれ違った。
ここは男子禁制なのだろうか?
全く男性の気配を感じない。
そしてすれ違った数名には見覚えがあった。
会釈をしたが、返してくれたのは一人だけだった。
なんで無視?
中にはしまったという表情をしている人までいた。
なんでだろうか?
気にしても仕方が無いか・・・
そして大きな扉の前に辿り着いた。
メイドさんによって重厚な扉が開かれる。

其処には真っ赤な絨毯が敷かれていた。
その先には大きな椅子に優雅に座る女性がいた。
一際存在感がある。
それを囲む様に左右に2名づつの女性が並んでいる。
その列から少し離れて兵士が警備していた。
その警備兵も女性だ。
メイランとは違って、力強さは感じないが。
それなりの重装備だ。
アーマープレートを着込んでいる。
其処に先程誘導してくれたメイドさんも加わった。

此処が王の間だと言われても頷けるほど絢爛な部屋だ。
大きな柱には意匠が凝らされており、重厚感を感じさせた。
俺は誘われるが儘に、椅子に座る女性の前に進んだ。
適度な距離の所で止まる。
何となく、これ以上近寄らない方が良いと感じた。

すると声を掛けられた。
椅子に座る女性の右隣に立つ女性が話し掛けてきた。
眼鏡を掛けて几帳面そうな雰囲気を醸し出している。
この人も黒髪で髪を後ろで束ねていた。
メイドさんは全員このスタイルなのだろうか?
自己主張を全く感じない。

「あなたが丈二・神野で合っていますね?」

「はい、そうです」
すると椅子に座った女性が口を開いた。

「ほう、本当に男性とはな・・・」
舐め回す様に見つめられてしまった。
その女性はこれぞ貴族という格好をしている。
派手なドレス。
髪は長く、金髪の縦巻だ。
久しく縦巻の髪は見ていないな。
よく見る転生物に出来てくる貴族とたいして変わらない。
少々縦巻が左右均等になっていないことが気になった。
ここが異世界で無ければどんなコスプレだと言いたくなる。
そしてその顔には化粧が施されていた。
けばけばしく濃厚な化粧だ。
これはあれだな、鉄仮面だな。

でも綺麗な顔立ちをしていた。
化粧がこれでは勿体無い。
だがその佇まいには他者を寄せ付けないプレッシャーが強く含まれている。
気が強そうなのは雰囲気から窺い知ることが出来た。
それに加えて見下した視線が絡んでくる。
蛇の様な締め付ける目線が背筋を凍らせる。
この人が第二夫人だな。
フェリアッテ・ルミ・ベルメゾン。
噂の人物である。

眼鏡の女性が続ける。

「こちらがフェリアッテ・ルミ・ベルメゾン様で御座います。メイデンの領主ロッテルダム・フェン・ベルメゾン伯爵の第二夫人であります。そしてこの髪結い組合の会長でもあらせられます」
それに合わせて、威圧を込めた視線でフェリアッテ夫人が俺を見下ろす。
あー、やだやだ。
これは受け流すに限るな。
何だってこうも高圧的なんだ?
理解に苦しむ。

「はい」

「面白い恰好をしておるのう」
はい?面白い?
思わず着ているジャケットを開いてしまった。
これまで誰にも言われたことはないけどな。
俺が着ているのは普通の白のネルシャツに、グレーの綿のパンツ。
上着は紺のジャケット。
この世界のドレスコードを俺は知らないが、念の為ジャケットを着てきたのだ。
一応相手はお偉いさんだからね。
本当はパーカーにしたかったよ。
ラフな格好が好みなんでね。
もしかしてジャケットがこの世界には無いデザインなのかも?

「そうですか」

「して、丈二・神野よ」
俺は手を挙げて制した。
その反応に眼鏡の女性がイラっとした表情を浮かべる。
フェリアッテ夫人の言葉を遮った事が気に入らないのだろう。

「よかったらジョニーと呼んでください、皆からはそう呼ばれていますので」
フルネームを連呼されるものなんだか嫌だ。
フェリアッテ夫人は少しにやける。

「ほう?そうか。ならばそうしよう。ジョニー、お前は髪結いさんでは無いと言っておるらしいな?」
さっそく始まったな。
ご挨拶も程々にってか?
俺を糾弾しようってことかね?

「そうですね」
俺は真っすぐに夫人の眼を見定めた。
夫人は掛かって来いとでも言いたげな雰囲気だ。

「ならば髪を切らないということか?」

「いえ、カットは行いますよ」

「であれば髪結いさんではないか?」
フェリアッテ夫人は扇子で口元を隠し出した。
想定通りだな。
俺を髪結いさんに仕立て上げようってか?

「いいえ、私は美容師です。美容師は髪を切る事だけではなく。シャンプーやカラー、パーマなんかも行いますので髪結い屋さんとは大きく違いますね」
フェリアッテ夫人は一度頷くと、

「噂のシャンプーか・・・受けてみたいものよな」
興味の眼差しを向けてきた。
へえー、やっぱり興味有か。
元髪結いさんなら当然かな?

「他にもいろいろやっていますので、この国での髪結いさんには当て嵌まりませんね」

「さようか?それはお前の解釈ではないのか?」
確かにそうだが、それだけでもないんだよね。

「そうですが、他にもこの国の私の友人達は、私を美容師と捉えてますよ」

「ふん!小賢しい!」
扇子を畳んで手にピシッと叩きつけていた。
決め顔でこちらを見ている。
はあ?小賢しいだと?

「お前のやっている事は、れっきとした髪結いさんではないか!ハサミを使って髪を切っておるのだろ?」
強引にねじ伏せにきたな。

「ハサミを使って髪は切っていますよ、それだけで髪結いさんだと?」

「わらわはそう捉えておるがのう」
不敵な微笑が口元に浮かんでいる。
これをごり押しする気か?
少々面倒な事になりそうだぞ。
あんたの解釈がなんであれ、俺はそれに付き合う義務はないんだがね?

「・・・」
どうやら俺を強引に髪結いさんに仕立て上げたいみたいだな。
ここまでは予想道りだ。

「従って、お前は髪結い組合に入る義務がある」
やっぱりそうきたか・・・
入る訳ねえだろうが。

「そしてお前のお店も美容院などと宣っておる様じゃが、髪結い屋と改めよ!」
やっぱりお店にも因縁をつけてきたな。
ここは一度ごねてやろう。
相手の反応も見てみたいしね。

「嫌です!絶対に嫌です!」

「嫌じゃと?」
フェリアッテ夫人は肩眉を上げた。
ご立腹か?
怒れ怒れ!

「はい!断じて断ります!」

「貴様!」
今にも立ち上がらんとするフェリアッテ夫人。
俺の抵抗が気にいらないのだろう。
今にも飛び掛かってきそうだ。
こいつ随分と短気だな。
そんなに自分の思う通りにならない事が気に入らないのか?
我儘にも程があるだろうが。

「ちゃんと商人ギルドで確認を取っています。いくら伯爵夫人でもその様な暴挙は行えない筈です。違いますか?」
眉を細めるフェリアッテ夫人。

「チッ!商人ギルド・・・厄介な奴らめ」
フンッと息を吐き捨てる。
こちとら下準備はちゃんとしてますのでね。
勝手に騒いでてくださいな。

「商人ギルドで美容院としてお店は登録しています、その様な申し出は通りませんよ。ですのでお断りさせて頂きます、では、帰っても宜しいですか?」
さっさと帰りたい。
こちとら商人ギルドでちゃんと確認済なんだよ。
無理難題を押しつけて自分の我を通そうとするんじゃないよ!
それにあんたのペースには乗らねえよ。

「まあ待て、そう急ぐなジョニー。ところでお前のカットの技術だが、どんな技術なんじゃ?結構な御手前と聞いておるぞ」
ん?引いてくれたのか?
否、まだ脇は開かないぞ。

「そうですか」
やはり報告は上がっているなと。
にしても結構な御手前って、お茶でも淹れているみたいだな。
カット技術も気なるってか?

「カットの技術については答えたくないですね、フェリアッテ夫人であれば分る事かと思いますが?如何でしょうか?」

「ん?どういう事じゃ?」
首を傾げるフェリアッテ夫人。

「聞く処によるとフェリアッテ夫人は元髪結いさんだとか」

「そうじゃが?」

「であれば分るでしょう?簡単に自分のカット技術を教えたり、学ばせたりすると思いますか?自ら努力して編み出した技術であれば尚の事でしょう。あり得んでしょうが」

「そういうことか・・・」
ウンウンと頷くフェリアッテ夫人。

「分かって貰えましたか?」

「分かる、じゃが教えろ」
下卑た口元を緩めている。
ほう、本性が現れたな。
どうにも俺から搾取しないと気に入らないらしい。
だが、させねえよ!

「嫌です、教えて欲しければ、学びに来てください。自分でカットを受けて学んでみてください。俺の技術は簡単に習得できるものではありませんけどね!」
眼鏡の女性が血相を変える。

「不敬であるぞ!弁えよ!」
はあ?不敬だと?
舐めんなよ。
にしてもいい加減腹が立ってきた、一発かましてやろうか。
俺はお人好しでは無いからな。
そろそろ一発かまさないと気が済まない。

「不敬だと、いい加減にしろよ!勝手に呼びつけてきたのはそちらだろうが!足を運んでやっているのに不敬だと?俺は夫人に仕えた覚えは無いんだがな!それに俺を勝手に髪結い屋に仕立て上げたり、俺の美容院を髪結い屋にしようとしやがって、不敬なのはそっちだろうが!努力を重ねて磨き上げた技術を教えろだと?だったら頭の一つも下げて見ろよ!美容師を舐めんじゃねえよ!」
はあ、言ってやった。
いやー、すっきりした。
不敬罪でも何でもいい。
そっちがその気ならいくらでも喧嘩を買ってやるぞ!

「クッ!」
俺の反抗にたじろぐ眼鏡の女性。
其処に仰々しく声が挙がる。

「アハハハハ!これは面白い!気に要ったぞ!ジョニー!結構!結構!威勢の良い事じゃ!わらわは好きじゃぞ!アハハハハ!」
いえ、結構です。
間に合ってます。
貴方には気にいられたくないです。
マジで・・・

ちぇっ!にしても逆効果だったか。
もっと怒らせてやりたかったのにな。

「ならばわらわに仕えよ!どうじゃ?今よりも倍の給料を払うぞ!それに今よりも大きな家に住ませてやるし、妾も準備しよう!どうじゃ?」
妾はいいな・・・って違うだろ。

「いえ、お断りさせて頂きます!」
ここは断固拒否だ!

「それとお前のお店も寄越せ!わらわの物にしてやるわ!」
はあ?・・・今なんと?・・・
・・・ブチッ!
そんな堪忍袋の緒が切れる様な音がした気がした。
許さねえ!
この婆あ!
俺のお店を寄越せだと・・・
どうしてやろうか・・・

「今なんて言った?・・・」
自分でも不思議なぐらい怒気を孕んだ声だった。

「お前のお店を寄越せと言ったのじゃ!」
フェリアッテ夫人は顎を挙げて、傲岸不遜に俺を見つめていた。
それを受けて、自分でもそれと分かるぐらい俺は目が据わっている。

「ふざけんな婆あ!暴れるぞ!」
俺の発言に身構える護衛兵。
俺の威圧に場が騒めく。
メイドさん達はしどろもどろだ。

「そうか、そうか!暴れるか!良いぞ!やってみよ!それこそ不敬罪で取り押さえてやろうぞ!」
この婆あ・・・どうしてやろうか?
ちょっと待てよ・・・どうしてここまでこの婆あは余裕なんだ?・・・もしかして・・・

「本当によいのか?」
しつこいぞ!

「ええ、構いませんよ」
すると不意に立ち上がったフェリアッテ夫人は俺に近づくと、俺の手を握った。
不意を突く動きに後れを取ってしまった。

「チャーム!」
そう叫ぶと、フェリアッテ夫人の目が怪しく光った。
吸い込まれそうな視線に一瞬意識が持っていかれる。

突然の事に戸惑う一同。
虚を突いた動きに反応出来た者は一人もいなかった。

フェリアッテ夫人の行動に反応して、首から下げているお守りがネルシャツから飛び出して煌々と光った。
辺り一帯を煌びやかな輝きが包み込む。
一瞬視界が奪われる。
どうなってんだよ!
何も見えないぞ。

「アワワワワ!」

「ウウッ!」

「クッ!」
飛び跳ねる様に俺から離れるフェリアッテ夫人。
手を擦って、血相を変えてこちらを睨んでいる。
何が起こったのかと挙動不審にもなっていた。
どうやらフェリアッテ夫人のチャームの魔法をレジストできたらしい。

フェリアッテ夫人は媚薬で第二夫人になったのではなく、この魅惑の魔法で伯爵を虜にしたに違いない。
でも俺には効かなかったみたいだ。
やってくれる。

だからこれまでこの婆あは余裕だったんだな。
この魔法の所為で伯爵はフェリアッテ夫人の傀儡と化しているということなのだろう。
でも俺には効かないよと。
フフフ・・・どうしてやろうかね・・・
さあ、反撃開始だな。