「赤滝っ!」
「っ!?」

 突然、大声で名前を呼ばれてピクッと体が強張った。プシューッと電車が停まり、髪が靡く。
 誰よ、こんな時間に大きな声で人を呼ぶのは。
 声がした方を見ると、思いがけない相手の登場に目を丸くした。
 しかし、何故か先輩も私と同じような顔をしていた。

「……先輩?」

 声をかけると、ハッとした顔をしてニッと笑顔を浮かべた。

「おー。やっぱり赤滝だ。久しぶり」

 ヒラヒラと手を振り、ヘラッと笑う蒼井先輩。ニヶ月前まで私と同じ部署で働いていた先輩で、私の教育係だった人。何事もなかったかのように笑っているけれど、そんな彼に応えられそうにない。

「……お久しぶりです」
「だなー。せっかく駅まで来たのに、終電を逃しちまったよ」

 ヘラヘラと笑う先輩に、ハッとした。
 そうだ、終電ーー!

 そう思い、乗り込もうとした時には電車の扉は閉まって動き出してしまった。

「最悪っ……せっかく間に合ったのに」
「残念だったな。ま、俺も終電逃したし仲間だな〜」

 終電を逃して家に帰れないという絶望的状況にも関わらず、先輩はヘラヘラしていた。

「会社に……戻りたくないし、どうしましょう」
「ベンチで朝まで待つか?」

 近くにあるベンチを指差す先輩。

「嫌ですよ、腰痛くなりそう」
「んー、じゃあどうしたものか」
「あっ」

 顎に手を添えて考える先輩。そんな先輩を横目に、一枚のチラシが目に入った。

「先輩、これってすぐそこのカラオケじゃないですか?」

 そのチラシは、最近新装開店したカラオケのもの。新装開店するために、しばらく閉店していたということめクーポンが付いている。

「あー、カラオケなぁ」

 首筋に手を当て、眉をハの字にする先輩。

「え? 先輩、カラオケ好きじゃなかったでしたっけ?」

 同じ部署で働いていた時、先輩が先導をきってノリノリでカラオケに行っていた。かなり楽しそうに盛り上げていた。だから、カラオケが好きだと思っていたのだけれど、先輩の反応は芳しくなかった。

「そうだけど……まぁ、いっか。行こう」

 あまり乗り気ではないようだけど、私達は改札口を出て歩いて二分のカラオケに向かった。

「……しゃーせー」

 店に入ると、気だるげな店員が入店音に合わせてレジに立った。

「お時間どうされますか?」
「フリーで」
「ワンドリンクか飲み放題、どうされます?」
「飲み放題で」
「お部屋、どうされますかー?」
「別々で」
「え?」
「はい?」

 テンポの良かった会話が、途絶えた。入店してから一度も目が合わなかった店員が私をじっと見た。先輩もきょとんとした顔で私を見ている。

「いや……カラオケの機種ですね。J○YかD○Mか、希望があったら」
「あー、どうしましょう」
「俺はD○M派」
「じゃあ、D○Mで」
「かしこまりましたー」
「あと、部屋は別々で」
「? はーい、かしこまりましたー」

 そう言うと、ドリンクバーの説明をしてくれた後に部屋番号を挟んである伝票を渡してくれた。

「え、あの……別々の部屋が」
「いーからいーから!」

 始発まで時間を潰す間に眠ってしまうかもしれない。先輩とはいえ、男と女。過ちが起きてしまうかもしれない。起きて欲しいという気持ちが少なからずあるけれど、こんなことから始まった関係にハッピーエンドなんてきっとない。

 だから、別の部屋にしたかったのに。