黒い護符を手にした瞬間、美咲の背筋に鋭い悪寒が走った。

「この気配……これは……！」

風が止まり、空が鈍く濁る。時間そのものがねじれたように、空間の歪みが広がっていく。

玲音が周囲を見渡し、短く言った。

「霊域が、再構築されてる」

地面が不気味に震え、まるで呼応するように、空に黒い裂け目が走った。
そこから、ゆっくりと何かが降りてくる。

最初に現れたのは、紅い布をまとった人影。

いや、人ではない。

その姿は人間の輪郭を保っていながら、瞳は虚無で光を宿さず、肌は死人のように白い。
足元には、常に黒い水が滴り落ちていた。

「封が解かれた……？いや……違う、これは……召喚？」

美咲が呟いた。

すると、その“影”が口を開く。

「……犬塚信乃の血脈よ……そして、安倍晴明の因果の徒……」

声は男のようで、女のようでもあり、深い井戸の底から響くような、幽遠な音だった。

景臣が珠を構え、仲間たちに視線を送る。

「構えろ。こいつは風露とは格が違う！」

そのとき、霧の中からもう一体の影が現れた。
鋭い爪に巨大な腕、まるで鬼のような姿。だがその顔は、まさに人間と同じ。
いや、”人間だった者”の顔。

玲音が顔をしかめた。

「人間が変えられてる。これは……術式による強制融合体……！」

刺客は二体。
一人は語る影、陰の意志そのもののような存在。
もう一体は堕ちた者、人間の魂を玉梓の呪術によって改変された兵。

美咲の護符が淡く震え、言葉を吐く。

「これは第九の因を導くための布石」

「第九……」

蒼真が息を呑む。

その時、語る影が手をかざした。

「九つ目の珠が、いずれ現れる。汝ら八つは、その礎……」

次の瞬間、雷鳴のような音と共に、黒い術式が展開され、八犬士の足元が揺れ動く。

「攻撃が来ます！」

白夜が叫んだ。

だが刺客は、そのまま霧の中に姿を溶かしていった。

残ったのは、呪術の刻印だけ。
それは地に浮かび、まるで誰かを呼び寄せるための転写陣。

玲音が解析する。

「これは、玉梓の魂が地上に定着するための媒体。風露は最初の接点にすぎなかった！」

美咲が護符を見つめながら呟く。

「第九の因……彼とは誰なの……？」

静けさが戻った空に、一羽の黒い鳥が舞い、誰にも気づかれぬまま、どこかへ飛び去っていった。