千龍は一瞬、敵意のこもった視線を受け止めながらも、すぐには刀を抜かなかった。

「待ってくれ。俺たちは村を守りに来た。怨霊と通じているわけじゃない」

だが、藤雅の目にはその言葉は届いていないようだった。

「言い訳は聞き飽きた。怨霊が現れると同時に現れた者を、俺は信用しない」

その言葉と同時に、藤雅が左手の札を空へ放る。
札は空中で火を噴き、火の蛇となって千龍たちへと襲いかかった。

「くっ……!」

千龍は咄嗟に村雨を抜き、水気のある斬撃を放つ。
水と火がぶつかり合い、蒸気が爆ぜる。

「火遁術……!」

蒼真が驚きの声を上げた。

「強い……ただの術士じゃない」

「名を名乗れ!」

千龍が叫んだ。

藤雅は片眉を上げると、構えを解かずに答えた。

「犬山藤雅。……犬山道節の血を引く者だ」

その名に、美咲が目を見開く。

「……犬山道節!?」

千龍たちが驚きの色を浮かべた瞬間――

ピリッ、と空気が震えた。

藤雅の胸元と、千龍の腰に帯びた珠が、淡く光を放ち始めたのだ。

「この反応……!」

美咲が叫ぶ。

「やはりあなたも……八犬士の血を継ぐ者!」

藤雅の眉がわずかに動く。
だがその直後、辺りの空気が変わった。

冷たい風が吹き抜けると同時に、神社の背後から、再び怨霊の唸り声が響いた。
今度は数が桁違いだった。十体、二十体ではない。百を超える気配が、森の奥から這い寄ってくる。

「っ……数が多すぎる!」

蒼真が結界を再展開するが、あまりの数に押し負けそうになる。

「村の方に向かってる! 村人が危ない!」

美咲の声に、千龍は迷いなく駆け出した。

「行くぞ、蒼真、美咲! あいつのことは後だ!」

だが、そんな千龍の背を、藤雅は目を細めて見つめていた。

(……村人を、守る?)

彼の心の奥で、鈍く止まっていた何かが、音を立てて動き出していた。

千龍たちが炎の中へと駆けていく背に、確かに“忠”の在り方を見た気がした。

その瞬間、藤雅の掌の中で――珠が強く脈打った。

光が弾け、空に向かって放たれるように澄んだ音が響いた。

他の珠たちも、それに呼応するように共鳴を始める。

「……これは……」

藤雅は、掌に浮かぶ“忠”の珠を見つめながら、息を呑んだ。

熱ではない、だが確かな炎が胸の奥に灯ったような感覚。

それはかつて仕えていた主君の背に感じていたものと、同じだった。

いや、それ以上に――

(俺は……また誰かのために、この力を振るえるのか?)

次の瞬間、藤雅は火遁の札を握りしめ、千龍たちの後を追って駆け出した。

「待て、俺も行く!」

風が、彼の黒髪をなびかせた。

その背には、もう迷いはなかった。