高校の6限なんてしっかり聞いている生徒がいるわけがない。少なくとも俺は窓の外で騒いでいる隣のクラスの女子の方が興味ある。

窓側の席の特権で、体育をしている女子を眺めていれば名前を呼ばれる。

「おい戸田。ちゃんと話を聞け」

「だってこんな状況で集中できないっすよ」

そう答えると先生は渋い顔をして授業に戻った。

お、なんだ?今日はすぐに引いてくれた。いつもなら『そんなこと言わずここの答えを書きに来い』とか言ってくるのに。明日は槍でも降るのか?

そんなしょうもないことを思っているとチャイムが鳴り、クラスメイトも怠そうに挨拶をした。担任が前の授業を受け持っていたこともあり、すぐに解散となった。

幼馴染の海を待つために昇降口に向かう。アイツのことだから、もう少し時間はかかると思うけど。

「すまん翼〜、やっと終わった…」

スマホをいじって待っていれば、パタパタと走りながら海はきた。中性的な顔立ちの海の軽く結ってある髪は、急いだからなのかほとんど解けかけていた。

「髪解けかけてるよ」

「え、ほんとじゃん…結んでー」

「待たせておいてそれか?」

「…自分で結びまーす」

海は口を尖らせながらも結び直した。ゴムを口にくわえて鼻歌交じりに髪を縛り直す海をぼんやりと見つめる。

「よし、おまたせ。…って、なーに?見惚れてた?」
「寝言は寝てから言ってくれ」
「うへ~、辛辣」

無事に会えたことだし、2人で駐輪場まで向かう。あまりの暑さに手で仰ぐも、流れてくる風さえも熱波でどうしようもない。

駐輪場で自転車にまたがりながら駄弁るも、俺たち以外に人はいない。

「はー、あっつ」

「熱すぎて溶けちゃうよ~」

「……」

「何その目」

「…俺からの冷たい目で涼むかな~って」

「なにそれ!あーあ。もう傷ついちゃった。謝罪の意を込めて、可哀想な僕にアイス買ってきてくださーい」

「は?急すぎないか?」

「だって暑いもん」

確かにもう7月だし暑いのは分かるけど、あまりにも理不尽じゃないか?っていうか、謝罪の意はどこに行った。

疑念の目を向けるも、海は暑苦しい甘ったるい声で繰り返す。

「ねーお願い〜」

「お前はめんどくさい彼女か」

「翼の元カノってメンヘラばっかりだもんね」

「そうそう…って何で海が俺の元カノ知ってんだよ。…誰から聞いた?」

「内緒♡」

パチッとウインクを決められるも、それで流せるような内容ではない。本当に何処から情報を得たんだか。

「きしょいからやめてくれ」

「えー…でもアイスは本当に食べたいから買ってきて」

「人件費は?」

「がめつい男は嫌われるよ?」

「海に好かれてればいいわ」

「え、本当に僕のこと好きなの?」

「どうだ、ゾッとしたか?」

「翼からの愛情で暑いからアイス買ってきて」

「……くっそ負けたわ」

渋々購買に向かうも海は着いてくる様子はなく、ひらひらと手を振っていた。本気でパシる気かよ。人件費たっぷり貰うからな。

鞄を海に預けて購買に向かう。購買のおばちゃんにアイスを2つ渡し会計をする。

「はい、ありがとうね。今日暑いから気をつけて部活頑張るんだよ」

「ありがとうございます」

あの優しそうな目はきっと運動部でもやってると思われたかもしれないが生憎こっちは帰宅部所属なんですよ。

なんならこれからいつも通り活動してる部活が終わるぐらいの時間まで駄弁り続けるから帰宅部の活動もしていないことになる。いや、帰宅部なんだから無事に帰ればそれでいいか。

そんなことを考えながら駐輪場に戻ると、海は暑いのかぼーっとしていた。

「ほら、アイス買ってきたぞ」

「ありがと〜。大好きだよ♡」

「お前それでタダにできると思うなよ」

「…やっぱり?」

「当たり前だろ」

海の分のアイスを渡し、袋を開けて1口食べる。

あー、冷たくて美味しい。

「最近急に暑くなってきたね」

「今年は最高気温43℃行くらしいぞ」

「マジ?やってらんないわ~」

アイスを咥え、自転車のスタンドを立てたままカラカラと漕ぐ海は本当に暑そうで、汗をかいていた。

俺よりも少し小さい体躯にこの暑さは辛いのだろう。

そしてアイスを齧る音が響く。

海はチラッとこちらを見た。

「なんだよ」

「ソーダ、美味しそうだな~」

「お前ほんとふざけんなよ」

言わんとすることを察してしまい、目を逸らす。

すると意地でも食べたいようで、肩を掴んで揺らされる。

「ねーえー、翼~!それ一口ちょうだい!」

「分かった分かった!!暑苦しいわ!!!」

観念してアイスを差し出せば、そこそこ大きな口で食べられた。

お前の中の一口はどんだけ大きいんだよ……。

結局、半分以上食われた。

「あー、涼しかった」

「そりゃ良かったですね!!」

「お、怒らないで!?一口って言ったじゃん!」

「遠慮というものを覚えなさい」

2人で言い合っていれば、遠くから「おーい」と誰かに呼ばれる。

目を凝らすとクラスメイトの東条 真人だった。

「おー、真人じゃねーか!部活はー?」

「サボりー」

「おいコラ」

遠くで話すのも疲れるため、海に断ってから駐輪場を出て真人に近づく。

ガタイのいい体に日に焼けた肌。運動部ならではの元気の良さも真人の良いところだった。

「いや、冗談だって。今日は放課後からグラウンド整備で休みなんだよ」

「あー、だからいつもより静かなのか」

「そういうこと」

「んで?どうしたんだ?」

「いや、特に用はないんだけど翼が見えたから声掛けただけ」

「なるほどな」

しばらく真人がこちらの様子を伺うような素振りを見せた後、口を開いた。

「あのさ、」

「なんだ?」

「その、あんまり無理するなよ。アイツも弱った翼とか見たくないと思うからさ」

「え?」

「……いや、俺が言うようなことじゃなかったわ。悪かったな」

「ん?えっと…」

「じゃあ俺も帰るからさ」

「お、おう。気をつけてな」

自転車に乗り、真人は帰って行った。

真人が何を言いたいのかよく分からなかったが、とりあえず海の元へ戻ることにした。

戻ると海はまたぼーっとしていた。

「海」

「ん~?」

「どうした、脱水か?」

「そこは熱中症じゃないの」

「お前が揶揄うことが目に見えてたから言わなかったんだよ」

「僕に対する信頼無いな~」

鈴を転がすような声で笑いながら海は自転車を漕いでいた。

カラカラカラカラ、と際限なく回るタイヤを見つめる。

夏の風が心地いい。

「戸田」

「げっ、先生」

「そんな嫌な顔をするな」

「何でここが分かったんすか」

「お前と水谷はよくここに居たからな」

クールビズなのか、先生はネクタイをしていない。

しかしそれでも暑いのか手で顔を扇いでいる。

「……で、何か用ですか?」

「いや、特にないが……まぁ強いて言えば進路と夏休みの予定でも聞いておこうかと思ってな」

「は?」

「ほら、そろそろ進路も本格的に定めないとだろ?ここじゃ暑いからクーラーがついてる進路指導室行くぞ」

先生はこちらの返答を聞かないまま、歩き出す。

仕方ないので着いて行くと、先生に椅子を勧められる。

「んで、志望校とか就職先はもう決めてるのか?」

「……まだですけど」

「もう3年生の夏だし、早めに決めた方がいいぞ。ほら、本当はダメだけど俺の電話番号教えておくから何かあったら連絡してくれ」

「はい」

先生の電話番号が書かれた紙を渡される。

それを鞄にしまい、しばらく無言の時間が過ぎる。

クーラーの涼しい風が汗を冷やして何となく寒かった。先生はまだ暑いようでシャツを扇いでいた。

「…夏休み、どうするんだ?」

「まぁ大人しく勉強でもしようかと思ってますよ」

「そうじゃなくて。娯楽的なさ」

どうしてここまで踏み込んでくるのか不思議だが、何となく思ったことを答える。

「あー…1人旅行とか行きたいっすね。海とか、夏ならではの所に行きたいです」

そういえば、アイツも海が好きだったな。

海という名前の影響か分からないが、現実の海にも変わった親近感を寄せていたようだ。一緒に行ってもいいかもしれないな。

「ダメだ」

「は?」

「1人で遠くに行くな」

「何でですか。高校生だからとか?」

急に怖い顔になった先生に少し驚きながらも理由を聞く。

すると、先生は驚いたような表情をして固まってしまった。

「ちょっと、なんなんですか」

「…おま、え」

「……さっきから皆おかしいですよ。何か隠しているみたいに何もはっきり言わない」

自分で言っていて悲しくなる。

何故、こうも隠し事をされるのか。

すると、先生は諦めたように息を吐いた。

そして、意を決した様に口を開いたその時だった。部屋の扉がノックもなしに開けられた。

「あ、使用中でしたか。すみません」

どうやら他の先生も進路指導室を使おうとしていたようで、俺たちを見てすぐに謝って出て行こうとする。

今しか逃げられないと思い、急いで立ち上がり呼び止める。

「あの!ちょうど話し終わったので使ってください!じゃあ先生、さよなら!!」

「お、おい!」

鞄を掴んで急いで部屋を出る。

これ以上何も聞きたくなかった。

息を切らしながら駐輪場まで走れば、海は先程と同じように自転車を漕いでいた。

「海!」

「ん、どしたの?」

海の肩を掴み、思いきり揺らす。首を振られている海は何が起きているか分からないようで目を白黒させている。

「な、なに!?」

「俺、お前と一緒にどこか遠くに行きたい」

「はぁ!?」

俺の言葉を聞いて、さらに困惑する海に構わず続ける。

「皆がおかしいんだよ!何か隠してて…」

「…そうなんだ」

海は不意に俺の頭に手を置いた。そのまま優しく撫で始めた。

「大丈夫だよ。翼には僕がいるから」

「……」

海の声がやけに心に染みた。

海はそれ以上何も言わずにただ頭を撫でてくれた。

それが風に撫でられているようで心地いい。

「…泣いてるの?」

「え」

海に言われて目元を拭えば、確かに濡れていた。

「あれ、おかしいな。何で泣いてんだろ」

「……疲れたんじゃない?進路とかいろいろ考えないといけないことあるしさ」

「…海は進路決めた?」

「うーん。なりたい職業はあったんだけど、もう無理なんだよね」

困ったように笑う海は寂しげに見えた。

しかし、その表情の意味が分からず黙っていると海はまたいつものように笑っていた。

「そんなこと分かんないだろ」

「…そうだね」

「……そろそろ帰るか」

「うん」

なんだかもっと海と話していたくて、自転車を押してゆっくり歩いて帰った。

日がまだ長くて、夕焼けに染まるまで時間があるようだった。

最近なかなか寝付けないことが多いから、少しだけ眠い。欠伸をすれば海に顔を覗き込まれる。

「寝不足?」

「うーん、不眠症かもな」

「それ大丈夫?病院行った方がいいんじゃない」

「めんどい」

「またそんなこと言って」

呆れたような顔をしているが、心配してくれているらしい。

病院、か。まぁ、前向きに考えておくか。

何でもない話をしていれば、いつの間にかいつもの分かれ道に着いていた。

「じゃあね」

「あぁ、また明日」

その道で別れ、家に帰る。

家に着けば、誰もいなかった。

どうせ親は仕事だろう。適当に食事を済ませ、風呂に入る。

今日は早めに寝ようとベッドに入ると、睡魔はすぐにやってきた。