しっとりとした空気に爽やかな風が吹き込む田園に、瓦屋根の屋敷が立ち並ぶ。
東の国、壬生領。
私は艶やかな黒髪をゆるやかな風に遊ばせながら、瓦屋根の東屋で緑茶を嗜んでいた。
「東の暮らしは慣れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
藍色の和装に身を包んだユヅルが私の対面に腰を下ろし、私を見つめて微笑んだ。
主従関係は続いているけれど、東の地ではそれは表立って出さないように命じている。だって私は、”今は”由緒ある斉明寺家の女では無いから。
「我が領を象徴する浅葱色のお着物がよくお似合いです」
「あら、ありがとう。貴方、和装も似合うじゃない」
「俺は執事の洋装の方が性に合っていますが……」
「ふふっ、それはまたいずれね」
穏やかな陽光の中で飲む摘みたての緑茶は、香り高くて清涼感がある。
徒花楼の食事とは比べ物にならないわ。
「それにしても驚いたわ。貴方、東雲家の三男なのね」
目の前で緑茶を飲むユヅルの銀髪が風にさらりと流される。
「はい。俺に相続権は無いので、華族の執事として奉公に出ておりました」
次男以降の士族の者が家族や皇族の奉公に出るのは珍しい話では無いわ。出会った時から、ユヅルは所作が美しかったもの。
器を茶托に置くと、ユヅルは少し申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「華族の出の澄華様には、この暮らしは物足りないでしょうが……」
「あらそんな事無いわよ。私は和装の方が好みだし」
東の地は西と違ってまだ和装が主流だわ。でも、私はこちらの方が着慣れているから文化の違いはすぐに飲み込めた。
「恐れ入ります」
深々と頭を下げる姿は、斉明寺家で私の専属執事をしていた頃と何も変わらないけれど……東の地の者には、正式な呼び名を心がけなければ。
今の私は、斉明寺の女では無いのだから。
「弓琉」
彼の漢字を意識して呼ぶ。
東雲 弓琉。それが彼の本当の名なのだから。
「はい、澄華様」
弓琉にふっと微笑みを向ける。
ここでの暮らしは申し分ないわ。でも……私はここで満足出来る性ではないの。
「あの文書、届けて下さったかしら?」
すっと目を細める。私の意図を察してか、弓琉が執事の様にすっと居住いを正した。
「勿論でございます。……文車一族に、しかと運んで頂きました」
弓琉の言葉に自然と口角が引き上がる。
「あら、文車一族。ふふ……っ。ふふふっ……!そう、そうよねあの一族なら嬉々として送るでしょうね。――不幸の文専門の、配達妖怪ですもの」
ああ、私の実家が慌てふためく様が瞼に映る様ね。
私は瞼を伏せ、優雅に緑茶を口に含んだ。
◇
斉明寺家、夕刻。
ガラガラと黒い馬車が鬼火の灯りと共に斉明寺家に降り立つ。
「……――様。斉明寺家のご当主さまァ」
斉明寺家当主の部屋に浮かび上がったのは、片目を幾つもの文で覆い隠した艶姿の女の妖怪――文車妖妃だった。
「こんばんわ、醜悪で素敵な夜ですね」
「なっ!何をしに来た貴様!おい誰か!誰かおらんか!?」
「貴方様に文のお届けがございまァす。――しかと、お目通しになってくださいまし」
文車妖妃が袖から真白の封筒を取り出す。
封筒の中を検めた瞬間、当主の血相が変わった。
side:百華
なに?一体何が起こっているの?
斉明寺家の大広間で、あたしは立ち竦んでいた。
「夏生!これはどういうことだ!!」
いつも通り夏生さんにプレゼントされた豪華な貴金属に心躍らせていたのに、いきなり大広間に入って来たお父様が怒りの形相で夏生さんの胸倉を掴み上げた。
空いている方の手に、真白の封筒を握りしめて。
「夏生!我が斉明寺家の金を横領していたとはどういう事だ!?」
「ち……っ、違う!僕は騙されたんだ!!」
「違うものか!!貴様やけに羽振りが良いと思っていたが、横領をしていたなぞ言語道断だ!貴様も追放だ!!二度と斉明寺家の敷居をまたぐな!」
お父様が夏生さんを突き飛ばして、夏生さんが床に尻餅をつく。高級そうなタキシードが汚れて、夏生さんがザアッと青ざめる。
「そっ、そんな!?お許しください旦那様!旦那様ああああああ!!」
なに?何がどうなっているの?
やっとあの女がいなくなって、この家も華族の一人娘という地位も、何もかもあたしの物になったのに、この惨状は何なの?
「触れるな屑がぁ!!」
縋りつく夏生さんとお父様がもみ合いになった瞬間、真白の封筒が放り出された。
あたしの元へ真白の手紙がひらりと落ちた。
震える手で封筒の中の手紙を取る。それを開いた瞬間、恐怖で顔が引き攣った。
そこには夏生さんが斉明寺家のお金を横領していた証拠と……徒花楼で賭け事に大敗したお父様宛の、多額の請求書が同封されていた。
「なっ!なんなのこれ……!?」
あたしが取り乱して叫んだ瞬間、廊下からザッザッと規則的な隊列の音がした。
バンッと大きな音と共に黒い軍服を来た警察の部隊が大広間に押し寄せた。
警視みたいな人が書状を取り出し、朗々と告げる。
「御用改め仕ります。さる方からの告発により、斉明寺明仁様に違法賭博の疑惑、並びに西郷里夏生様に斉明寺家の資金を横領した疑いがございます。――お二方、刑務所までご同行願います」
胸に付いた銀のバッジを見てあたしは限界まで目を見開いた。黒の軍服に銀のバッジは――国一番の刑務所を所有する、東の警察組織の証だから。
後ろに控えていた警察達がお父様達を包囲する。
あたしはもう頭が真っ白で、ガクガク震えながら両手で口元を覆う事しか出来ない。
「なんだ貴様らは!?儂を誰と心得る!?」
「斉明寺明仁様でお間違いございませんね。――捕えろ」
「やっ、やめろ!離せ!離せええええ!!」
暴れるお父様に何人もの警察が押し寄せて地に頭を擦り付けられる。威厳があっても、お年を召したお父様が敵う相手じゃない。
警察から逃れようとナメクジみたいに体をくねらせるけど、ぜえぜえと息を切らせて動かくなり、お父様はそのままあっさりと捕らわれてしまった。
「夏生様、貴殿もご同行願います」
「いっ、いやだ!いやだあああああああ!!」
腰を抜かしたまま逃走しようとする夏生さんを冷たく見つめ、警視が冷たく言い放った。
「捕えろ」
「はっ!」
夏生さんはあっという間に警察たちに捕らえられた。めちゃくちゃに暴れる夏生さんを、屈強な警察官たちは容易く制圧した。
「いやだあ!離せえ!たすけっ!みっ、見逃してくれぇええええええ!!」
夏生さんが顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら私に手を伸ばす。
やめてよ、気持ち悪い!……でも、夏生さんがいなくなるのは不味いわ!
「なっ、夏生さぁん!」
手を伸ばしたけれど、二人には手錠がかけられ、あっという間に大広間から連行されて行く。
「では、我々はこれで」
「待って!あの……っ!あたし、ここの一人娘になったばかりなの!あたし一人で、どうすればいいの……?」
咄嗟に警視に縋り付いて上目遣いで見つめる。助けてお願い!斉明寺家の一人娘の頼みよ!?
「……さあ?」
あたしの思いとは裏腹に、至極どうでも良さそうに警視が言葉を吐いた。
「……えっ?」
「後の事はどうぞご自由に。我々はこれで失礼致します」
「そっそんな!待って!連れて行かないで!あたしを助けてよ!」
必死で警視の袖を掴んでも、無情に振り解かれる。
「終わりだ……この家は没落だ……。儂の余生が……華族の、地位が……」
お父様がヨロヨロと覚束ない足取りで引きずられて行った。
絶望で枯れ枝の様に老け込んだお父様の言葉が、あたしの心に突き刺さる。
「いっ、いや!やめてお願い!行かないでお父様!いやぁあああああああ!!」
化粧が崩れて簪が落ちるのも構わずに叫び散らす。
嫌よ!!せっかくあの女を追放したのに!
使用人の目を盗んでがしゃどくろと契約して、その罪を全部あの女に擦り付けられたのに!
華やかな華族の生活も、あたしに侍る男も手に入れたはずだったのに!
「お助け下さい百華様!!」
「な、なにするのよ!?離してっ!」
大広間に一人取り残された私に縋り付いたのは、茶髪を振り乱した私の専属侍女。
「澄華様なき今、斉明寺家には貴女様しかいません!どうか!当主として我々をお救い下さい!!どうか、どうか私を解雇しないで!!」
その言葉に怖気が走り、力任せに茶髪の侍女を引き倒した。
「じょっ、冗談じゃないわ!!」
叫んだ瞬間、あたしを見ていた周りの使用人達が絶望したように青ざめた。
茶髪の侍女が恥も外聞もかなぐり捨てて、床に頭を擦り付けてあたしに土下座した。
「どうかお願い致します百華様!!もう貴女様しか居ないのです!どうか斉明寺家を没落させないで下さい!どうかっ!西の華族の統治を!!」
「いっ……いや……っ!」
斉明寺家に仕える数百人の使用人の面倒に、西の華族の統治ですって!?そんなの平民上がりのあたしに出来る訳無いじゃない!!
もう誰も頼れないの?なんで皆いなくなるの?……あたし、独りなの……?
「……んで……っ!」
あの女がいなくなって清々したのに!あの女の婚約者候補も地位も、あたしが奪ってやったはずなのに!
「なんでよ!!なんで……っ、こうなるのよぉおおおおお!!?」
大広間の混沌に、あたしの掠れた絶叫が響き渡った。
◇
side:澄華
「……ふふっ」
爽やかな風を浴びながら、私は緑茶を飲み干して茶托に置く。
ああ本当に、この東の地は過ごしやすいわ。
目を閉じれは、今にもあの芋娘の断末魔が聴こえてくる様ね。
「私を陥れた事をどうぞ後悔なさって?私、キッチリ報復するまで気が済まない性ですの」
あの醜聞が世に出ればお父様と夏生はもう終わりね。
私は秘密裏に弓琉に調べさせていた真実を書き記しただけだけれど。
「ご馳走様。とても美味しかったわ。……では、そろそろ参りましょうか」
私は立ち上がり、ハーフアップにまとめ上げていた簪を外す。豊かな黒髪が風に踊る。
「はい。"お嬢様"」
私の意思を汲んだ弓琉が呼び名を変え、立ち上がって私の後ろに控える。
「斉明寺家を、あるべき私の元へと戻しましょう」
「その時は、俺も再び貴女様の執事として」
「ええ。穏やかな東の地も良いけれど……私には、苛烈な西が似合うわ」
日が暮れて緋色に染まる夕空が私を照らす。
私の報復は、まだこんなものでは終わらなくってよ。
「地の果てまでもお供いたします。澄華お嬢様」
私を見つめる弓琉の瞳には、私への執着が滲む。私はそれが堪らなく心地良い。
首を洗って待ってなさい。斉明寺家の真の主は――この私よ。
「行くわよ、弓琉。着いてきなさい」
「仰せのままに」
私は悪女。
悪女の花道が指し示す先は修羅か極楽か――未来が楽しみね。
END
東の国、壬生領。
私は艶やかな黒髪をゆるやかな風に遊ばせながら、瓦屋根の東屋で緑茶を嗜んでいた。
「東の暮らしは慣れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
藍色の和装に身を包んだユヅルが私の対面に腰を下ろし、私を見つめて微笑んだ。
主従関係は続いているけれど、東の地ではそれは表立って出さないように命じている。だって私は、”今は”由緒ある斉明寺家の女では無いから。
「我が領を象徴する浅葱色のお着物がよくお似合いです」
「あら、ありがとう。貴方、和装も似合うじゃない」
「俺は執事の洋装の方が性に合っていますが……」
「ふふっ、それはまたいずれね」
穏やかな陽光の中で飲む摘みたての緑茶は、香り高くて清涼感がある。
徒花楼の食事とは比べ物にならないわ。
「それにしても驚いたわ。貴方、東雲家の三男なのね」
目の前で緑茶を飲むユヅルの銀髪が風にさらりと流される。
「はい。俺に相続権は無いので、華族の執事として奉公に出ておりました」
次男以降の士族の者が家族や皇族の奉公に出るのは珍しい話では無いわ。出会った時から、ユヅルは所作が美しかったもの。
器を茶托に置くと、ユヅルは少し申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「華族の出の澄華様には、この暮らしは物足りないでしょうが……」
「あらそんな事無いわよ。私は和装の方が好みだし」
東の地は西と違ってまだ和装が主流だわ。でも、私はこちらの方が着慣れているから文化の違いはすぐに飲み込めた。
「恐れ入ります」
深々と頭を下げる姿は、斉明寺家で私の専属執事をしていた頃と何も変わらないけれど……東の地の者には、正式な呼び名を心がけなければ。
今の私は、斉明寺の女では無いのだから。
「弓琉」
彼の漢字を意識して呼ぶ。
東雲 弓琉。それが彼の本当の名なのだから。
「はい、澄華様」
弓琉にふっと微笑みを向ける。
ここでの暮らしは申し分ないわ。でも……私はここで満足出来る性ではないの。
「あの文書、届けて下さったかしら?」
すっと目を細める。私の意図を察してか、弓琉が執事の様にすっと居住いを正した。
「勿論でございます。……文車一族に、しかと運んで頂きました」
弓琉の言葉に自然と口角が引き上がる。
「あら、文車一族。ふふ……っ。ふふふっ……!そう、そうよねあの一族なら嬉々として送るでしょうね。――不幸の文専門の、配達妖怪ですもの」
ああ、私の実家が慌てふためく様が瞼に映る様ね。
私は瞼を伏せ、優雅に緑茶を口に含んだ。
◇
斉明寺家、夕刻。
ガラガラと黒い馬車が鬼火の灯りと共に斉明寺家に降り立つ。
「……――様。斉明寺家のご当主さまァ」
斉明寺家当主の部屋に浮かび上がったのは、片目を幾つもの文で覆い隠した艶姿の女の妖怪――文車妖妃だった。
「こんばんわ、醜悪で素敵な夜ですね」
「なっ!何をしに来た貴様!おい誰か!誰かおらんか!?」
「貴方様に文のお届けがございまァす。――しかと、お目通しになってくださいまし」
文車妖妃が袖から真白の封筒を取り出す。
封筒の中を検めた瞬間、当主の血相が変わった。
side:百華
なに?一体何が起こっているの?
斉明寺家の大広間で、あたしは立ち竦んでいた。
「夏生!これはどういうことだ!!」
いつも通り夏生さんにプレゼントされた豪華な貴金属に心躍らせていたのに、いきなり大広間に入って来たお父様が怒りの形相で夏生さんの胸倉を掴み上げた。
空いている方の手に、真白の封筒を握りしめて。
「夏生!我が斉明寺家の金を横領していたとはどういう事だ!?」
「ち……っ、違う!僕は騙されたんだ!!」
「違うものか!!貴様やけに羽振りが良いと思っていたが、横領をしていたなぞ言語道断だ!貴様も追放だ!!二度と斉明寺家の敷居をまたぐな!」
お父様が夏生さんを突き飛ばして、夏生さんが床に尻餅をつく。高級そうなタキシードが汚れて、夏生さんがザアッと青ざめる。
「そっ、そんな!?お許しください旦那様!旦那様ああああああ!!」
なに?何がどうなっているの?
やっとあの女がいなくなって、この家も華族の一人娘という地位も、何もかもあたしの物になったのに、この惨状は何なの?
「触れるな屑がぁ!!」
縋りつく夏生さんとお父様がもみ合いになった瞬間、真白の封筒が放り出された。
あたしの元へ真白の手紙がひらりと落ちた。
震える手で封筒の中の手紙を取る。それを開いた瞬間、恐怖で顔が引き攣った。
そこには夏生さんが斉明寺家のお金を横領していた証拠と……徒花楼で賭け事に大敗したお父様宛の、多額の請求書が同封されていた。
「なっ!なんなのこれ……!?」
あたしが取り乱して叫んだ瞬間、廊下からザッザッと規則的な隊列の音がした。
バンッと大きな音と共に黒い軍服を来た警察の部隊が大広間に押し寄せた。
警視みたいな人が書状を取り出し、朗々と告げる。
「御用改め仕ります。さる方からの告発により、斉明寺明仁様に違法賭博の疑惑、並びに西郷里夏生様に斉明寺家の資金を横領した疑いがございます。――お二方、刑務所までご同行願います」
胸に付いた銀のバッジを見てあたしは限界まで目を見開いた。黒の軍服に銀のバッジは――国一番の刑務所を所有する、東の警察組織の証だから。
後ろに控えていた警察達がお父様達を包囲する。
あたしはもう頭が真っ白で、ガクガク震えながら両手で口元を覆う事しか出来ない。
「なんだ貴様らは!?儂を誰と心得る!?」
「斉明寺明仁様でお間違いございませんね。――捕えろ」
「やっ、やめろ!離せ!離せええええ!!」
暴れるお父様に何人もの警察が押し寄せて地に頭を擦り付けられる。威厳があっても、お年を召したお父様が敵う相手じゃない。
警察から逃れようとナメクジみたいに体をくねらせるけど、ぜえぜえと息を切らせて動かくなり、お父様はそのままあっさりと捕らわれてしまった。
「夏生様、貴殿もご同行願います」
「いっ、いやだ!いやだあああああああ!!」
腰を抜かしたまま逃走しようとする夏生さんを冷たく見つめ、警視が冷たく言い放った。
「捕えろ」
「はっ!」
夏生さんはあっという間に警察たちに捕らえられた。めちゃくちゃに暴れる夏生さんを、屈強な警察官たちは容易く制圧した。
「いやだあ!離せえ!たすけっ!みっ、見逃してくれぇええええええ!!」
夏生さんが顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら私に手を伸ばす。
やめてよ、気持ち悪い!……でも、夏生さんがいなくなるのは不味いわ!
「なっ、夏生さぁん!」
手を伸ばしたけれど、二人には手錠がかけられ、あっという間に大広間から連行されて行く。
「では、我々はこれで」
「待って!あの……っ!あたし、ここの一人娘になったばかりなの!あたし一人で、どうすればいいの……?」
咄嗟に警視に縋り付いて上目遣いで見つめる。助けてお願い!斉明寺家の一人娘の頼みよ!?
「……さあ?」
あたしの思いとは裏腹に、至極どうでも良さそうに警視が言葉を吐いた。
「……えっ?」
「後の事はどうぞご自由に。我々はこれで失礼致します」
「そっそんな!待って!連れて行かないで!あたしを助けてよ!」
必死で警視の袖を掴んでも、無情に振り解かれる。
「終わりだ……この家は没落だ……。儂の余生が……華族の、地位が……」
お父様がヨロヨロと覚束ない足取りで引きずられて行った。
絶望で枯れ枝の様に老け込んだお父様の言葉が、あたしの心に突き刺さる。
「いっ、いや!やめてお願い!行かないでお父様!いやぁあああああああ!!」
化粧が崩れて簪が落ちるのも構わずに叫び散らす。
嫌よ!!せっかくあの女を追放したのに!
使用人の目を盗んでがしゃどくろと契約して、その罪を全部あの女に擦り付けられたのに!
華やかな華族の生活も、あたしに侍る男も手に入れたはずだったのに!
「お助け下さい百華様!!」
「な、なにするのよ!?離してっ!」
大広間に一人取り残された私に縋り付いたのは、茶髪を振り乱した私の専属侍女。
「澄華様なき今、斉明寺家には貴女様しかいません!どうか!当主として我々をお救い下さい!!どうか、どうか私を解雇しないで!!」
その言葉に怖気が走り、力任せに茶髪の侍女を引き倒した。
「じょっ、冗談じゃないわ!!」
叫んだ瞬間、あたしを見ていた周りの使用人達が絶望したように青ざめた。
茶髪の侍女が恥も外聞もかなぐり捨てて、床に頭を擦り付けてあたしに土下座した。
「どうかお願い致します百華様!!もう貴女様しか居ないのです!どうか斉明寺家を没落させないで下さい!どうかっ!西の華族の統治を!!」
「いっ……いや……っ!」
斉明寺家に仕える数百人の使用人の面倒に、西の華族の統治ですって!?そんなの平民上がりのあたしに出来る訳無いじゃない!!
もう誰も頼れないの?なんで皆いなくなるの?……あたし、独りなの……?
「……んで……っ!」
あの女がいなくなって清々したのに!あの女の婚約者候補も地位も、あたしが奪ってやったはずなのに!
「なんでよ!!なんで……っ、こうなるのよぉおおおおお!!?」
大広間の混沌に、あたしの掠れた絶叫が響き渡った。
◇
side:澄華
「……ふふっ」
爽やかな風を浴びながら、私は緑茶を飲み干して茶托に置く。
ああ本当に、この東の地は過ごしやすいわ。
目を閉じれは、今にもあの芋娘の断末魔が聴こえてくる様ね。
「私を陥れた事をどうぞ後悔なさって?私、キッチリ報復するまで気が済まない性ですの」
あの醜聞が世に出ればお父様と夏生はもう終わりね。
私は秘密裏に弓琉に調べさせていた真実を書き記しただけだけれど。
「ご馳走様。とても美味しかったわ。……では、そろそろ参りましょうか」
私は立ち上がり、ハーフアップにまとめ上げていた簪を外す。豊かな黒髪が風に踊る。
「はい。"お嬢様"」
私の意思を汲んだ弓琉が呼び名を変え、立ち上がって私の後ろに控える。
「斉明寺家を、あるべき私の元へと戻しましょう」
「その時は、俺も再び貴女様の執事として」
「ええ。穏やかな東の地も良いけれど……私には、苛烈な西が似合うわ」
日が暮れて緋色に染まる夕空が私を照らす。
私の報復は、まだこんなものでは終わらなくってよ。
「地の果てまでもお供いたします。澄華お嬢様」
私を見つめる弓琉の瞳には、私への執着が滲む。私はそれが堪らなく心地良い。
首を洗って待ってなさい。斉明寺家の真の主は――この私よ。
「行くわよ、弓琉。着いてきなさい」
「仰せのままに」
私は悪女。
悪女の花道が指し示す先は修羅か極楽か――未来が楽しみね。
END

