「まあ、どうしたのでしょう」

パーティー会場に入った私の耳に届いたのは、不愉快な雑音だった。

「あの斉明寺家の澄華様が婚約者候補様と一緒に会場入りされないなんて」
「やはりあの噂は本当なのかしら。ほら、夏生様も斉明寺のご当主様も、新しい妹君に夢中だとか……」
「でもお気持ちは汲めますわ。澄華様はほら……気性が荒くていらっしゃるから」
「それもそうね」

「あら皆さま、ご機嫌麗しゅう」

私が通り抜け様にふっと微笑むと、貴婦人方はそそくさと離れていった。
相対する覚悟も無いのに、聴こえる様に私の噂をする口だけは達者ね。
私の姿を見ると、周りの貴族達が一斉に私の周りにやってきた。

「これはこれは澄華様!また一段とお綺麗になられて!」
「ええ本当に!黒のレースがふんだんにあしらわれた紫色のドレスが良くお似合いで!」
「まあ、どうも。皆様もお美しいですわ」

ふっと柔らかく眦を緩め、淑女の微笑みを受け取る。
貴族達と話に花を咲かせていると、正面に坐する重厚な扉がゆっくりと開いた。
やって来た使用人が声を張り上げる。

「西の華族、斉明寺家のご息女と婚約者様のご入場です!!」

ざわっと周囲に動揺が走る。
鮮やかな桃色のドレスに身を包んだ百華が、タキシード姿の夏生のエスコートを受けながら入場する。
周りの分家や貴族達が私と百華を交互に見て視線を彷徨わせる。まあ、こうなるのは無理もないわ。
次いで上等な和装に身を包んだお父様が入場し、手を上げる。

ざわめいていた周囲が一気に静寂に包まれた。
私以外の全員が固唾を飲んで見守る中、お父様が当主らしく朗々と告げる。

「皆々様、このような良き日にお集まり頂き、大変光栄と存じます」

胃の奥から沸々と湧き上がる怒りを、下唇を噛んで堪える。どうせ、告げる言葉は決まっているわ。

「西の華族、斉明寺の当主として宣言する。――ここにいる百華こそが斉明寺の真の娘だ。百華、挨拶を」

「はいっ!」

百華は公式な場とは思えないほど軽やかなステップで前に進み、緊張したようにはにかむ。

「心配しないで、僕が付いている」
「夏生さん……!」

夏生が百華の腰を抱き寄せて付き添う。百華がそれに合わせて上目遣いですり寄る。
公衆の面前で何をしているのあの馬鹿共は。"百華の"挨拶の場ではないのかしら。
歪む口元を、扇子を広げて覆い隠した。

「皆様、お初にお目にかかります。あた……っ、わ、私っ。斉明寺家の一人娘、斉明寺百華と申します!よろしくお願い致します!」

スパンコールの散りばめられたドレスの裾を摘んでちょこんとお辞儀する。
なんなのあれは。礼儀作法を教える教師は何をしていたの。
扇子で口元を隠して黙り込む私とは裏腹に、周囲の分家達は波紋が広がる様にざわめき立った。

「えっ……!?」
「何?どういう事でして?」
「一人娘とはどういう意味?澄華様は……?」

グッと手持ちの扇子を持つ手に力を込める。
全員を見渡した夏生が、高らかに宣言する。

「そして、僕からも宣誓がございます。――澄華さん!!」

周囲の人々が一斉に私を見つめる。そして、波を引くように夏生と私の間の道を開けた。

「お嬢様」

ユヅルが庇う様に私の前に立つ。けれど、私は無言でそれを制して後ろに下がらせたら。
夏生と、真正面から相対する。

「僕は今この瞬間をもってあなたの婚約者候補を辞退する!そして――次期斉明寺家当主たる百華様の婚約者となる事を、ここに宣誓する!!」

ざわっと周囲の動揺が膨れ上がった。
追い討ちをかける様に、勇み出たお父様が私を力任せに指さした。

「澄華!貴様の積み重ねてきた悪事もここまでだ!当主として命じる!――貴様のような女は、今この瞬間を持って斉明寺家から破門だ!!」

「……――は?」

目は確かに開けているのに、前が真っ暗になった様な錯覚を起こす。
何を言っているの?斉明寺から破門?……この私が?

「理由をお伺いしても?」

喉の奥から冷たい声が零れ落ちる。

「百華さんを散々虐めておいてなにをとぼける!?この悪女め!」
「貴方には聞いていなくってよ!!」

横槍を入れる夏生を一喝するが、夏生は更に一歩踏み出した。

「うるさい!口を慎め!僕はもう貴女の命令なんか聞かないぞ!!」

「澄華!貴様の行いは目に余る!使用人達への高圧的な態度、百華への度重なる狼藉!上げても上げても切りが無い!貴様のような女が斉明寺を名乗るなぞ一族の恥晒しだ!」

お父様の目が血走り、会場内に深く反響する程の怒鳴り声を発した。

「百華に謝罪し、二度と我が家の敷地を跨ぐな!この女狐が!!」

「……は……っ」

私は扇子を畳むと、震える唇で言葉を発した。
畏怖では無い――腹の奥から迫り上げる怒りだ。

「恥晒しはどっちよ!!」

会場全てに轟く様に声を張り上げる。
抑え込んでいた怒りが、私の口を突いて溢れ出した。

「そんな女が誇りある斉明寺家の娘だなんて片腹痛いわ!結局ひと月与えても、作法もダンスも振る舞いも、何もかもままならないじゃない!外で作って来た女が妙齢になったら今更娘ですって!?冗談も大概になさい!!」
「おっ、お義姉様ひどい……!あたしはいつも一生懸命頑張っているのに、お姉様が私の邪魔ばかりするから……っ!」
「貴女こそ、教師の方々とは大層"仲がよろしい"のに、なぜ一般的な作法すら身につかないの?」
「ッッ……!」

百華がカアァっと顔を赤く染めてグッと黙り込んだ。あら、教養が身に付いていない自覚はあったのね。

「百華さんを虐めるな!百華さんは平民上がりなんだぞ!?」
「あらそう。ですが社交の場に出ると決めたなら、間に合うように努力すれば良いのではなくて?よくもそんな中途半端な状態で登壇出来たものよ」
「……!!」

百華が夏生に縋り付きながら目を見開いて睨みつけてくる。羞恥と怒りで染まったその顔が、貴女の仮面の下の顔かしらね。

「この期に及んでまだ百華さんを傷つけるつもりか性悪め!」
「部外者は引っ込んでいなさい!」
「何だと!?僕は百華さんの婚約者で、斉明寺の跡取りだぞ!!」
「私にとっては既に赤の他人よ!この愚図!!」

百華の隣で喧しく吠える夏生を𠮟り飛ばす。本当に、この男は誰かの盾が無いと発言すらもままならないのかしら。

「……どい……」

喧騒の中、百華がぶるぶると震えながらポツリと呟いた。

「ひどい……ひどいひどいひどい……っ!公衆の面前であたしを辱めるなんて!全部お義姉様のせいよ!ねえっ、皆さんもそう思うでしょう!?」

大粒の涙を溢しながら百華が周りの貴族を見つめるけれど、貴族達はそっと目線を逸らして小声で話し合う。

「確かに、澄華様の態度は横暴だよな……」
「ええ。今までも澄華様に耐えられず、侍女が何人も辞めたとか……」
「その証拠にほら……醜い半妖なんて執事にして」

周囲の視線が私の後ろに控えるユヅルに突き刺さる。
ユヅルはグッと唇を噛み締めて俯いた。追い打ちをかける様に、貴族の一人が口を開いた。

「なにより、半妖の執事以外誰も澄華様を庇わないのがその証拠よね」

何が半妖よ。
そんなものが、私に仕えるにおいて何の障害になるというの?

「……うふふっ」

夏生の裾に隠れて百華が勝ち誇った様に口角を上げる。
そういう時は扇子で表情を隠すものよ、芋娘。

「でも……でもさ」

百華の振る舞いをちらりと見て、また別の貴族が口を開いた。

「澄華様の代わりがあの子で大丈夫なのか……?」

遠慮がちに告げられた言葉は、それでもしっかりと周囲に伝播した。

「見た所立ち振る舞いも発言も幼いし……」
「まあ、霊力はありそうだけど……」

「えっ?」

場の雰囲気を敏感に感じ取った百華が顔を強張らせ、ぎこちなく笑みを張り付ける。

「み、皆さん?皆さんは私の味方ですよね?童話のシンデレラのような私の不幸な境遇、皆さんは分かってくれますよね……?」

「…………」

周りの貴族たちは揃って微妙そうな表情を浮かべる。
あら、流石は貴族の皆様だわ。節穴ばかりというわけでも無いのね。

「……どうして?」

唇を戦慄かせて、百華がゆらりと私の方に一歩踏み出した。
蜂蜜色の瞳には、非難の色がありありと浮かんでいる。

「どうしてみんな分かってくれないの?誰がどう見たって全部お義姉様が悪いじゃない。私がお義姉様に虐められたのだって、本当なのに……っ」

私は背筋を伸ばしながら唇を引き結んだ。
それについては否定するつもりはないわ。芋娘の態度が目に余るほど無礼だったのだから。

「ひどい」

百華が言葉を落とす。あの子は困るとそれしか言えないの?

「ひどいひどいひどいっ!!お義姉様の悪魔!皆さんを洗脳するなんて酷すぎるわ……!」
「何を言っているの?私に妖術の類は使えなくってよ」
「ひどいっ!」

百華の周りに霊力を纏った風が吹く。百華の霊力がぐらぐらと不安定に揺れて乱れていくのを肌で感じ、ハッと目を見開いた。
なんて濃い霊力なの。これではまるで、妖を召喚する前兆よ。

「百華!今すぐその霊力を制御なさい!!」

私の声を弾くように大きく首を左右に振ると、百華は大きく息を吸う。そして、霊力をありったけ込めて叫んだ。

「お義姉様なんか……っ、お義姉様なんか、だいっきらい!!」

霊力の籠った言葉が会場中に放たれた瞬間、壁にビキビキとヒビが走った。
百華様の後ろの壁がガラガラと音を立てて崩れ、人ひとりを包み込めそうなほど大きな手の骨が百華に向かって伸びる。

――――ギ、ギギ――――ッ――――

壁を突き破って現れたのは、六尺はあろうかという巨大ながしゃどくろだ。
頭蓋骨に巻かれた黒い数珠が、霊力を貪るように怪しげに光る。

「きっ、きゃああああああああああ!!」
「うわあああああ!妖怪だ!!」

会場が騒然となり、ドレスとタキシードを振り乱しながら貴族たちが一目散に距離を取る。
がしゃどくろが百華に手を伸ばし、その頭を鷲掴もうと指の骨をギシギシと蠢かせた。

「うわああああああ!助けてくれええええええ!!」
「もっ、百華!儂と共に来い!貴様ら何を呆けてる!?命を賭して儂らを守らぬか間抜け共!!」
「ひっ、ひぃいいいいいい!」

夏生が腰を抜かしながらみっともなくカーペットを這い、お父様に連れられて顔を伏せる百華と、ガタガタ震えながらかろうじて前に立つ使用人たち。ああ、みっともない。あれが西を統べる華族の姿かしら?

私は懐から炎の霊符を取り出すと、百華に迫るがしゃどくろの腕目がけて投擲した。

――――ギ、ギイィイイイ――――ッ――――

がしゃどくろは霊符から放たれた紅い炎に苦しみ、もがくように腕を振り上げた。
ああやはり、骨は良く焼けるわね。
空洞のはずの目の部分から殺気を感じると同時に、もう片方の手が私に向かって振り下ろされた。

「お嬢様!!」

ユヅルが私を庇う様に前に立ち、懐から取り出した短剣を放つ。銀の短剣は的確にがしゃどくろの関節を貫き、ボロボロと骨が崩れ落ちる。
これなら、押し切れるわ!

「貴方達邪魔よ!どきなさい!!」

逃げ惑う周囲を払いのけ、ユヅルよりも前に進み出た。私の使う炎の霊符は、ユヅルの体質と相性が悪いわ。

「ユヅル!霊符を使うわ!離れなさい!!」
「しかし、お嬢様!」
「二度は言わないわ!!」

一喝すると、ユヅルが唇を噛みしめながら後ろに下がった。

懐から護身用の霊符を取り出して赤黒い炎を顕現させる。
集中して霊力を込めると、霊符が呼応するように炎の渦を作った。

「人ならざる妖、がしゃどくろ」

私に呼ばれ、がしゃどくろは頭蓋骨を蠢かす。
私はそれを正面から見据え、クッと口角を持ち上げた。

「皮と中身を無くされたのなら、大人しく灰になるのが筋では無くて?」

練り上げた霊力を開放し、霊符をがしゃどくろの頭蓋骨目がけて投擲した。

「灰に還りなさい!!」

――――グ、ギ、ギイィイイイ――――ッ――――!!!

全身を炎に焼かれたがしゃどくろがのたうち回り、全身が崩れ落ちていく。さながら火葬ね。
がしゃどくろはあっと言う間に灰となり、跡形もなく霧散した。

「お義姉様お怪我は!?あたしを庇ったばっかりに!」

ふっと息を付いた瞬間、百華が素早く私の肩に腕を回した。
百華が抱き着いた拍子に、ボトリと黒い数珠がカーペットに落ちる。

「あら?お義姉様、これなあに?」

「は……?」

私は自身の眼を疑った。
――それは、がしゃどくろの頭にも付いていた、契約の黒い数珠だ。

「澄華。貴様、そこまで妹が憎いか」

震えて動けない使用人をどかしながら近づくお父様の言葉が信じられない。

「妖怪に百華を襲わせようとするなど言語道断だ!もう許せん!貴様のような悪辣な女狐は徒花楼送りだ!!百人刑に処せ!!」

「お父様!何を見ていたの!?これは百華が落としたのよ!」

私は見た。私に抱き着く百華の手に黒い数珠が握られていたのを。

「貴様ら何を呆けておる!?その女を捕らえろ!」
「はっはい!!」

使用人たちが慌てふためきながら私に迫る。

「お義姉様……。あたし達、分かり合えないのね……」

私の肩に顔を埋めた百華は震えている。
百華がぱっと顔を上げる。その顔は――喜色満面だった。

「お義姉様ぁ!今生の別れなんて寂しいですぅ!……なんて、ウソだけどね♡」

「っ……!?」
「徒花楼で百人も小汚い妖や人間の相手をしなきゃいけないなんてこわ~い。あたし絶対むりぃ~」

霊力を使った影響で体が痺れて上手く動かない。
百華は至近距離で私の顔を覗き込むと、嘲るように眉を下げて口角を吊り上げた。

「永遠にさようならっ!……おバカな女狐お義姉様っ♪」

「……!!貴様ァ……!!」

私が声を荒げると、百華はするりと私の身体から手を離してわざとらしく悲鳴を上げた。

「きゃあぁっ!助けてえ!」
「何をしておる!?使用人共!早くその女を地獄通りに連行しろ!!」

使用人たちが束になって私に掴みかかり、頭や腕をカーペットに押さえつけられる。

「離しなさい!!わたくしを誰だと思っているの!?」

「お嬢様……っ!お嬢様!!」

私と同じように使用人達に地面に押さえつけられながら、ユヅルが必死に私に向かって手を伸ばす。
手を伸ばしたくとも、手を拘束された私には、髪を振り乱しながら視線を投げる事しか出来ない。

「お嬢さ……っ、澄華様!!」

ユヅルが声を張り上げる。
鋭く凛とした声は、混沌と化す雑踏の中でもはっきりと私の耳に届いた。

「俺が、絶対に貴女を徒花楼から救い出します!!どうかお待ち下さい!……貴女には、俺がいます!!」

「……ユヅル……」

従者に引きずられながら、私の視界は拘束用の布を当てられて暗転した――。