時は流れ、社交パーティー当日。
日が暮れなずみ、薄紫色の空にはうっすらと月が滲む。
馬車に乗ってユヅルと共に会場に向かう最中、私はポツリと呟いた。
「もうすぐ日が暮れるわね」
「左様ですね」
窓から視線を外して向かいのユヅルに視線を寄こす。
ユヅルの顔の白い鱗は今は無い。時間はかかるが、妖力を制御すれば消せるらしい。
公式な場に出る時は毎回鱗を消してくれる。こうして見ると、まるで異国の青年の様だわ。
私はカーテンを開け、外を見た。
日暮れと共に色とりどりの提灯とランプの光が西の花街を彩る。
ああ、もうすぐこの街は姿を変えるわね。
西の花街、”極楽通り”。
昼は芸者の集う歓楽街、夜は遊郭。
日が沈むと共に艶やかな着物に彩られた遊女が遊郭への勧誘を始める。
極楽通りの遊女と男娼には妖、半妖、人間全ての人種が揃う街だわ。
馬車が進むと、裏通りへの路地が見えた。
色とりどりの提灯やランプが華やかに光る花街の一角に佇む闇溜まり。
あれは通り道。罪人や流浪の民が流れ着く贖罪の場。極楽通りの対、”地獄通り”。
「……地獄通りですね」
ユヅルがポツリと零す。
「ええ、相変わらずだわ」
斉明寺家の嫡子として何度か視察に行った場所。そして――私が、ユヅルと出会った場所。
「お嬢様。俺は、今となってはあそこに捕らわれて良かったと思っております。……貴女様に見つけて頂けたので」
「……そう」
薄紫色の夕日に照らされるユヅルは、柔くともどこか怪しげにほほ笑む。
そう、あの日も――こんな不安定な夕空だった。
◆
私がまだ社交界デビューする前の年端も行かぬ頃。
斉明寺家の嫡子は知っておくべきだとお父様に地獄通りに連れられた。
まあ、当の本人は遊女との賭け事に耽って公務なんて何もしなかったけれど。
地獄通りの娼婦たちは今日も、客を落とすべく艶めかしく色事に励んでいた。
「……醜悪な場所」
それが、私から見た地獄通りの第一印象。
――地獄通りの罪人収監遊郭、その名は徒花楼。
ここでは罪人に”何人の相手をすれば釈放出来るか”が言い渡される。
何人、何百人と相手にしなければならないから、娼婦たちは死に物狂いで”接客”する。
私が蝋燭の頼りない光で照らされた徒花楼の廊下を歩いていると、左右の牢の木柵から無数の手が伸び、私を手招く。
「ねえ可憐なお嬢さん。寄って行かない?お姉さん、サービスしてあげるわ」
「僕は猫又の半妖なんだ。どう?気にならない?」
白い人間の手、蹄の付いた異形の手、伸ばされるそれらを睨みつけて一蹴した。
「私に触れるな、無礼者ども」
「ッ……」
ビクリと手が止まり、おずおずと柵の中へ引っ込んだ。
奥からひどく淀んだ臭気が、ぬるま湯のような風と共に流れ込む。なんて匂いなの、むせ返りそうだわ。
「ちょっと貴方、いくら罪人蔓延る徒花楼とはいえ空気が悪すぎるわ。週一で風の妖術師を寄越させるから管理なさい」
「はっ、はい!」
前を歩く守衛がたじろぐ。
そのまま歩いていると、一つの牢獄が目に付いた。
格子戸が付いた牢獄は、外の西日を煌々と写した。
なんて毒々しい夕日。あんな強い日差しが牢の中に降り注ぐだなんて、過ごしづらいったら無いわ。
「……あら」
牢の中で青年が倒れ伏している。
必死に夕日を避ける様に、わずかな影の中で身を縮こまらせている。
「ねえ、あの男は死んでいるのかしら」
「そ、そんなはずは……!」
守衛が分かりやすく狼狽える。なんなの、ここの管理が守衛の仕事では無いの?
「そこの牢を開けなさい」
「は、はいっ!」
守衛が焦りながら牢を開ける。
「ねえ貴方。気は確か?」
しゃがんで青年を見ると、顔の半分を覆う蛇のような白い鱗に銀髪が視界に入った。……妖か、半妖かしら?
よく見ると粗末な着物の隙間から覗く体にも、部分的に白い鱗が這っている。
傍には残飯と呼ぶにふさわしい粗末な食べ物が、腐った木の器に手付かずのまま置かれていた。
ああ、異臭の原因はこれね。
私は立ち上がると、振り返って守衛を睨み上げた。
「何かしらこれは。罪人とは言え遊女と男娼という立場の者の主食が残飯でいいはずがないでしょう」
「もっ、申し訳……!」
「この愚図」
残飯の入った木の器を守衛目がけて投げつける。ばしゃ、と襟から腹部にかけて残飯が守衛の服を汚した。
「今すぐ全て回収して作り直しなさい!」
「はっ、はいぃ!申し訳ございません!!」
バタバタと情けない足取りで駆け出す守衛を見送ると、粗末な床に倒れ伏す青年に視線を戻した。
「そこの貴方、蛇の妖怪なの?」
「半妖、だ……」
ひび割れた唇から引っ張り出された言葉は掠れていてか細い。明らかに水分不足ね。肌も乾燥して白い鱗が乾ききっている。
「そう、水は飲める?」
「……」
「無言は肯定と受け取るわ」
懐から取り出した竹筒をひっくり返し、水を顔にかけた。
「……っ……」
「身体にも……というより、その鱗にもかけた方が良いかしら」
鱗の辺りを重点的に水をかけると、乾燥でヒビが走っていた鱗が僅かに艶を取り戻した。流石半妖ね。再生能力が高いわ。
「後はお好きにどうぞ」
竹筒を青年の眼前に放ると、青年は私と竹筒を虚ろな瞳で交互に見つめ、わずかに潤った手を口元に当てて飲み始めた。
水を飲み干して上体を起こした青年と目線を合わせる様にしゃがんでその顔を見る。
艶の無い荒れた銀髪の隙間から覗き込む瞳を見て少し驚いた。美しい金色だわ。
「ねえ、貴方何人刑なの?」
「……七十五人」
「随分重たいのね。横領でもなさって?」
私の言葉を聞いた瞬間、青年が回復しきらない喉を震わせて声を上げた。
「違う……っ。俺は、何もしていない……!」
「ならば話してごらんなさい」
青年は一度口を開けて逡巡するように閉じたけれど、私が見つめ続けると観念したように話し始めた。
「俺は、元は東の華族の執事だ。仕えていた主に迫られ、それを突っぱねたら主より”強姦をされた”とあらぬ誤解をかけられ……この、徒花楼送りなった」
不愉快な話ね。西の地ではよくあるけれど、東の地でもそういった事があるのね。……いえ、事例が少ないから華族の証言を鵜呑みにしてしまったのかしら。
いえ、それよりも……。
「貴方、かつての職は執事なのね」
「……ああ」
ああ、それは……願っても無い事だわ。
私は立ち上がると、長い黒髪をさらりと流して艶然と微笑んだ。
「でしたら丁度良いわ。――私が、貴方を身請けしてあげる」
「は……?」
青年が目を見開いた。縦長の瞳孔が走る美しい瞳を、私はしっかりと見据えた。
「丁度執事が欲しかったのよ。身請けしてあげるから、今日から私に仕えなさい」
「……待て。お前、見たところ華族だろう」
「ええ。西一番の名家、斉明寺家の嫡子ですわ」
「華族のお屋敷が俺のような半妖を雇うなぞ、当主が許すはずがない」
「お父様の意見なんてどうでもいいのよ」
青年の指摘をバッサリと切る。
あんな花街通いの色情魔の言う事なんて、誰が聞くものですか。
「なにより大事なのは私自身の意志よ」
胸元に手を当てて微笑む。
「貴方、名を名乗りなさい」
「……ゆ、」
「ユヅル……だ」
ぎこちなく告げられた名前は、存外耳馴染みが良い。
「あら、中々いい名前じゃない」
軽く居住まいを正すと、ユヅルに向かって真っすぐ手を差し伸べた。
「――命令よ、ユヅル」
「貴女は今日この瞬間をもって私の執事となり、生涯私に仕えなさい」
ユヅルは困惑するように目を見開いて、次いで眉根を寄せた。
「……俺が恐ろしくないのか?俺は、見た通り半妖だ」
「そんな事が何だというの?ああ、その鱗?」
軽く背を屈めてユヅルの右頬に触れる。この白い鱗、存外滑らかな肌触りね。
「中々美しいじゃない。貴方はそのままの姿で、私に仕えなさい」
「……っ……!」
ひゅ、とユヅルが息を呑む。ごくりとつばを嚥下すると、頬に沿えた私の手を恭しく取った。
「分かった。……いや、委細承知いたしました」
片膝を折って、ユヅルは私に跪いた。
「お名前は?」
「斉明寺 澄華よ」
「澄華様、貴女は俺の救いの女神だ」
ユヅルが私の手に顔を寄せ、手の甲に唇を寄せた。
「この先何があろうとこのユヅル、誠心誠意貴女様だけにお仕え致します」
執事らしく膝を折って恭しく首を垂れるユヅルに、私は微笑みでもって返した。
◇
「……」
記憶の海から戻り、ちらりと向かいに座るユヅルを見た。
私の視線を感じ取って微笑んだユヅルは、あの頃とは見違える様ね。
艶のある銀髪に、上品な光を宿す金色の瞳。上質な布で作られた黒の燕尾服は、彼によく似合っている。
そんな事をぼんやり考えていると、馬車がゆっくりと停止した。
「パーティー会場に着きましたね。では参りましょう。……お嬢様、お手を」
「ええ」
ユヅルのエスコートを受けながら、私は馬車を降りる。
すっかり暮れた空には夜の帳が降りる。
パーティー会場はレンガ造りの洋館で、窓や扉から鮮やかな明かりが煌々と灯っている。
豪奢な扉が開かれると当時に、私たちは会場に足を踏み入れた――。
日が暮れなずみ、薄紫色の空にはうっすらと月が滲む。
馬車に乗ってユヅルと共に会場に向かう最中、私はポツリと呟いた。
「もうすぐ日が暮れるわね」
「左様ですね」
窓から視線を外して向かいのユヅルに視線を寄こす。
ユヅルの顔の白い鱗は今は無い。時間はかかるが、妖力を制御すれば消せるらしい。
公式な場に出る時は毎回鱗を消してくれる。こうして見ると、まるで異国の青年の様だわ。
私はカーテンを開け、外を見た。
日暮れと共に色とりどりの提灯とランプの光が西の花街を彩る。
ああ、もうすぐこの街は姿を変えるわね。
西の花街、”極楽通り”。
昼は芸者の集う歓楽街、夜は遊郭。
日が沈むと共に艶やかな着物に彩られた遊女が遊郭への勧誘を始める。
極楽通りの遊女と男娼には妖、半妖、人間全ての人種が揃う街だわ。
馬車が進むと、裏通りへの路地が見えた。
色とりどりの提灯やランプが華やかに光る花街の一角に佇む闇溜まり。
あれは通り道。罪人や流浪の民が流れ着く贖罪の場。極楽通りの対、”地獄通り”。
「……地獄通りですね」
ユヅルがポツリと零す。
「ええ、相変わらずだわ」
斉明寺家の嫡子として何度か視察に行った場所。そして――私が、ユヅルと出会った場所。
「お嬢様。俺は、今となってはあそこに捕らわれて良かったと思っております。……貴女様に見つけて頂けたので」
「……そう」
薄紫色の夕日に照らされるユヅルは、柔くともどこか怪しげにほほ笑む。
そう、あの日も――こんな不安定な夕空だった。
◆
私がまだ社交界デビューする前の年端も行かぬ頃。
斉明寺家の嫡子は知っておくべきだとお父様に地獄通りに連れられた。
まあ、当の本人は遊女との賭け事に耽って公務なんて何もしなかったけれど。
地獄通りの娼婦たちは今日も、客を落とすべく艶めかしく色事に励んでいた。
「……醜悪な場所」
それが、私から見た地獄通りの第一印象。
――地獄通りの罪人収監遊郭、その名は徒花楼。
ここでは罪人に”何人の相手をすれば釈放出来るか”が言い渡される。
何人、何百人と相手にしなければならないから、娼婦たちは死に物狂いで”接客”する。
私が蝋燭の頼りない光で照らされた徒花楼の廊下を歩いていると、左右の牢の木柵から無数の手が伸び、私を手招く。
「ねえ可憐なお嬢さん。寄って行かない?お姉さん、サービスしてあげるわ」
「僕は猫又の半妖なんだ。どう?気にならない?」
白い人間の手、蹄の付いた異形の手、伸ばされるそれらを睨みつけて一蹴した。
「私に触れるな、無礼者ども」
「ッ……」
ビクリと手が止まり、おずおずと柵の中へ引っ込んだ。
奥からひどく淀んだ臭気が、ぬるま湯のような風と共に流れ込む。なんて匂いなの、むせ返りそうだわ。
「ちょっと貴方、いくら罪人蔓延る徒花楼とはいえ空気が悪すぎるわ。週一で風の妖術師を寄越させるから管理なさい」
「はっ、はい!」
前を歩く守衛がたじろぐ。
そのまま歩いていると、一つの牢獄が目に付いた。
格子戸が付いた牢獄は、外の西日を煌々と写した。
なんて毒々しい夕日。あんな強い日差しが牢の中に降り注ぐだなんて、過ごしづらいったら無いわ。
「……あら」
牢の中で青年が倒れ伏している。
必死に夕日を避ける様に、わずかな影の中で身を縮こまらせている。
「ねえ、あの男は死んでいるのかしら」
「そ、そんなはずは……!」
守衛が分かりやすく狼狽える。なんなの、ここの管理が守衛の仕事では無いの?
「そこの牢を開けなさい」
「は、はいっ!」
守衛が焦りながら牢を開ける。
「ねえ貴方。気は確か?」
しゃがんで青年を見ると、顔の半分を覆う蛇のような白い鱗に銀髪が視界に入った。……妖か、半妖かしら?
よく見ると粗末な着物の隙間から覗く体にも、部分的に白い鱗が這っている。
傍には残飯と呼ぶにふさわしい粗末な食べ物が、腐った木の器に手付かずのまま置かれていた。
ああ、異臭の原因はこれね。
私は立ち上がると、振り返って守衛を睨み上げた。
「何かしらこれは。罪人とは言え遊女と男娼という立場の者の主食が残飯でいいはずがないでしょう」
「もっ、申し訳……!」
「この愚図」
残飯の入った木の器を守衛目がけて投げつける。ばしゃ、と襟から腹部にかけて残飯が守衛の服を汚した。
「今すぐ全て回収して作り直しなさい!」
「はっ、はいぃ!申し訳ございません!!」
バタバタと情けない足取りで駆け出す守衛を見送ると、粗末な床に倒れ伏す青年に視線を戻した。
「そこの貴方、蛇の妖怪なの?」
「半妖、だ……」
ひび割れた唇から引っ張り出された言葉は掠れていてか細い。明らかに水分不足ね。肌も乾燥して白い鱗が乾ききっている。
「そう、水は飲める?」
「……」
「無言は肯定と受け取るわ」
懐から取り出した竹筒をひっくり返し、水を顔にかけた。
「……っ……」
「身体にも……というより、その鱗にもかけた方が良いかしら」
鱗の辺りを重点的に水をかけると、乾燥でヒビが走っていた鱗が僅かに艶を取り戻した。流石半妖ね。再生能力が高いわ。
「後はお好きにどうぞ」
竹筒を青年の眼前に放ると、青年は私と竹筒を虚ろな瞳で交互に見つめ、わずかに潤った手を口元に当てて飲み始めた。
水を飲み干して上体を起こした青年と目線を合わせる様にしゃがんでその顔を見る。
艶の無い荒れた銀髪の隙間から覗き込む瞳を見て少し驚いた。美しい金色だわ。
「ねえ、貴方何人刑なの?」
「……七十五人」
「随分重たいのね。横領でもなさって?」
私の言葉を聞いた瞬間、青年が回復しきらない喉を震わせて声を上げた。
「違う……っ。俺は、何もしていない……!」
「ならば話してごらんなさい」
青年は一度口を開けて逡巡するように閉じたけれど、私が見つめ続けると観念したように話し始めた。
「俺は、元は東の華族の執事だ。仕えていた主に迫られ、それを突っぱねたら主より”強姦をされた”とあらぬ誤解をかけられ……この、徒花楼送りなった」
不愉快な話ね。西の地ではよくあるけれど、東の地でもそういった事があるのね。……いえ、事例が少ないから華族の証言を鵜呑みにしてしまったのかしら。
いえ、それよりも……。
「貴方、かつての職は執事なのね」
「……ああ」
ああ、それは……願っても無い事だわ。
私は立ち上がると、長い黒髪をさらりと流して艶然と微笑んだ。
「でしたら丁度良いわ。――私が、貴方を身請けしてあげる」
「は……?」
青年が目を見開いた。縦長の瞳孔が走る美しい瞳を、私はしっかりと見据えた。
「丁度執事が欲しかったのよ。身請けしてあげるから、今日から私に仕えなさい」
「……待て。お前、見たところ華族だろう」
「ええ。西一番の名家、斉明寺家の嫡子ですわ」
「華族のお屋敷が俺のような半妖を雇うなぞ、当主が許すはずがない」
「お父様の意見なんてどうでもいいのよ」
青年の指摘をバッサリと切る。
あんな花街通いの色情魔の言う事なんて、誰が聞くものですか。
「なにより大事なのは私自身の意志よ」
胸元に手を当てて微笑む。
「貴方、名を名乗りなさい」
「……ゆ、」
「ユヅル……だ」
ぎこちなく告げられた名前は、存外耳馴染みが良い。
「あら、中々いい名前じゃない」
軽く居住まいを正すと、ユヅルに向かって真っすぐ手を差し伸べた。
「――命令よ、ユヅル」
「貴女は今日この瞬間をもって私の執事となり、生涯私に仕えなさい」
ユヅルは困惑するように目を見開いて、次いで眉根を寄せた。
「……俺が恐ろしくないのか?俺は、見た通り半妖だ」
「そんな事が何だというの?ああ、その鱗?」
軽く背を屈めてユヅルの右頬に触れる。この白い鱗、存外滑らかな肌触りね。
「中々美しいじゃない。貴方はそのままの姿で、私に仕えなさい」
「……っ……!」
ひゅ、とユヅルが息を呑む。ごくりとつばを嚥下すると、頬に沿えた私の手を恭しく取った。
「分かった。……いや、委細承知いたしました」
片膝を折って、ユヅルは私に跪いた。
「お名前は?」
「斉明寺 澄華よ」
「澄華様、貴女は俺の救いの女神だ」
ユヅルが私の手に顔を寄せ、手の甲に唇を寄せた。
「この先何があろうとこのユヅル、誠心誠意貴女様だけにお仕え致します」
執事らしく膝を折って恭しく首を垂れるユヅルに、私は微笑みでもって返した。
◇
「……」
記憶の海から戻り、ちらりと向かいに座るユヅルを見た。
私の視線を感じ取って微笑んだユヅルは、あの頃とは見違える様ね。
艶のある銀髪に、上品な光を宿す金色の瞳。上質な布で作られた黒の燕尾服は、彼によく似合っている。
そんな事をぼんやり考えていると、馬車がゆっくりと停止した。
「パーティー会場に着きましたね。では参りましょう。……お嬢様、お手を」
「ええ」
ユヅルのエスコートを受けながら、私は馬車を降りる。
すっかり暮れた空には夜の帳が降りる。
パーティー会場はレンガ造りの洋館で、窓や扉から鮮やかな明かりが煌々と灯っている。
豪奢な扉が開かれると当時に、私たちは会場に足を踏み入れた――。

