それからひと月。
義妹が出来てからも私の生活は変わらない。ただ、周囲からのあの女に対する評価は日を追うごとに上がっていく。

「百華様、この頃よく旦那様とお二人でディナーに行かれますのね」
「夏生さんも最近は百華様の元へ大量のアクセサリーを持って足しげく通っておられるそうじゃない」
「まあ。でも分かる気もするわ。愛嬌があるというか……守ってあげたくなってしまうのよね、百華様。私たち侍女にもアクセサリーを分け与えて下さるほどお優しくて……」

なんなの。全員、目が腐っているのかしら。
縁側を進む最中、そんな会話が飛び込んでくる。
庭園で噂話に花を咲かせる侍女を視界から外すと、斜め後ろに控えたユヅルがそっと呟いた。

「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「いいえ何も。あの芋女はずいぶんと異性に取り入るのがお上手な様ね」
「おいそれと手玉に取られる方が馬鹿でございます」
「……っ……」

あまりのストレートな物言いに口元を手で押さえて、口角が上がりそうになるのを堪える。

「すみません、失言でした」

一欠片も感情が籠っていない言葉に、私はふっと相好を崩した。

「許すわ」
「ありがとうございます」

そのまま廊下を歩いていると、庭園を整えている使用人からも百華の噂が聴こえてくる。

「しっかし百華様、お可哀そうに。まるで”シンデレラ”だな」

あら。
シンデレラ?確か童話ね。どういった内容だったかしら。

「ユヅル。童話”シンデレラ”をご存じ?」
「……姉に虐げられて灰かぶりと呼ばれた娘が、王子様に見初められて嫁ぐ話でしょうか?」
「ああ、そんなストーリーだったわね」

悲劇のヒロイン、シンデレラ。

「シンデレラ”ごっこ”でしたら、確かにあの芋娘にはお似合いですわ」
童話の主人公と違って、あの女の灰被りは贋作ですけれど。

「きゃっ」

ふいに、別の侍女がユヅルに肩からぶつかった。その拍子に手に持っていた洗濯物の山を崩した。

「あっ、申し訳ございません。半妖の衣服など、触れるのが嫌で」

……なんなのこの侍女。

「洗濯に出していたユズルさんのお召し物でございます。あまり汚れが取れませんでしたけれど……半妖の肌着は、やはり尊き人間とは違いますのね」

「貴女、無礼では無くて?」

生乾きでまともに洗った形跡も無いじゃない。なんなのこの半端な仕事は。
肩越しに睨みつけると、茶髪の侍女は恭しく頭を下げた。

「澄華様、ご機嫌麗しゅう。……ああ、すみません。旦那様からも夏生様からも疎まれては、麗しいどころではありませんか」
「貴女……解雇されたいのかしら」

「ふふっ、あいにく私は尊き百華様の専属ですので、澄華様の命令は聞けませんわ」

「なんですって?」
「お嬢様」

一歩踏み出した私をユヅルが手で制する。
ばっと振り返ると、フルフルと無表情のまま首を横に振った。

「衣服、感謝致します。……お嬢様、自室に置きましたらすぐにお傍に戻ります」
「……分かったわ」

「では私はこれで。ご機嫌麗しゅう、澄華様」

茶髪の侍女は金色のブレスレットを私に見せつける様に一礼し、反対側の廊下へ歩き去って行った。
ユヅルも一礼して、宿舎へ戻って行った。

「……なんなの」

最近、神経を逆撫でする事が多い。
私の専属だった侍女がこぞって百華の専属となり、解雇されないのを良い事に日増しに舐めた態度を取られる。
あの金のブレスレットだって、おおかた夏生からのプレゼントを横流しにした物でしょう。

男には愛嬌。女には金品。
……本当、抜け目のない女。
グッと奥歯を噛みしめると、大広間への扉を開いた。

「あっ、すみませんっ!あたしったら、また足を踏んじゃって……!」
「いえいえ、始めたてでこれだけ出来れば十分ですよ」
「ありがとうございます……!先生、お優しいのですね」
「いえそんな……百華様こそ可憐であらせられる」

大広間では来月の社交パーティーに向けてダンスレッスンが行われていた。
若い男教師と洋装に身を包んだ百華が未熟なステップを踏んでいる。……距離が近すぎるのではなくって?胸元が触れ合う程密着するようなダンスを踊る場では無いわ。

「澄華お嬢様、ご機嫌麗しゅう」
「まあお義姉様っ。お姉様専属の侍女さんはとっても優しいのね!お譲り下さってありがとうございますっ」

譲る、だなんて一言も言っていないのだけれど。

「帰ってよろしいかしら。私、その程度のダンスなら態々(わざわざ)習い直すほどでもないわ」
「そっ、そうですね!澄華様には簡単過ぎますね。では百華様、また私と二人きりで……」
「そうですか?あたしは嬉しいですけど……お義姉様が除け者みたいでなんだか可哀そう」
「結構よ」

眉を下げて教師に寄り添う百華に、胃の奥から怒りがせり上がる。でも、この女の挑発に乗るのはもっと癪だわ。くるりと踵を返すと、教師から信じられない言葉が飛んできた。

「この位出来れば、来月の西の名家が揃う社交パーティーに間に合いますね」

「は……?」

目を見開いて振り返る。

「貴方、今なんて言ったのかしら?」
「え?パーティーの場を借りて百華様の社交界デビューと、斉明寺家の娘と公表する、と……旦那様より通達が来たのですが」

何ですって?こんな芋女が社交界デビュー?
その言葉を聞いた瞬間、頭の奥がカッと沸き立った。

「西の貴族達に、こんな女が斉明寺の娘だなんて公表していい訳が無いでしょう!?」

「す、澄華様……」

青ざめる教師を睨みつける。

「ひと月経っても礼儀作法もまるでなっていない、ダンスも素人、そんな女が斉明寺家の娘だなんて恥晒しもいい所よ!!」
「そっ、そんな……っ!あたしは、一生懸命頑張って……!」

瞬時に涙の膜を張って眦を下げる百華を喝破(かっぱ)する。

「頑張っただけで当主の娘が務まるものですか!!華族をなんだと思っているの!?」

「お義姉様はまたそうやってあたしを虐める!あたしがお父様にも使用人にも、夏生さんにも気に入られてるのがそんなに気に入りませんか……っ?」
「…………」

目を見開いて、目の前の女を凝視する。

「ええ」

口から零れた声は、氷のような冷たさを孕む。

「貴女という存在を快く思ったことなんて、ただの一度も無いわ」

私の言葉に、百華はボロボロと泣き出して男教師に縋りついた。

「ひどい……っ!お義姉様はあたしのこと、お嫌いですか……?」
「当たり前でしょう」

懐から扇子を取り出して百華に近寄る。その丸い顎を扇子で掬い取って、グッと顔を上向かせる。

「出会ったその日から貴女の事は軽蔑しているわ。――心の底からね」

「やめないか澄華っ!!」

バンッと扉が開く。お父様がやって来て、私と百華の間に手を入れて強引に引き剥がされた。

「お前はどこまで百華を苦しめるのだっ!この女狐がっ!!」

怒りで顔を染めたお父様が、私に向かって太い腕を振り上げた。

「お嬢様!!」

私の視界を黒い影が覆う。
それが遅れてやってきたユヅルだと認識した瞬間、お父様の拳がユヅルの頬に直撃した。

「……ぐ……ッ!」

ユヅルが木製の床に倒れ伏した。その頬は赤く腫れて、白い鱗にひびが入っていた。
こんな力で私を殴ろうとしたの?社交界前の女の顔に?

「ユヅル!」
「問題ありません。すぐ回復します」

ユヅルが手で押さえた腫れた頬のヒビが蠢く。白い鱗が再生され、じわじわと元に戻る」

「ひっ!なんておぞましい……!」
「半妖はこれだから……!」

あからさまに嫌悪を表す百華に寝返った侍女たちを睨みつける。

「よいのです、お嬢様」
「良い訳が無いでしょう!?私の専属執事が嘲られているのを、また黙って見ていろと言うの!?」

ユヅルは銀髪を揺らしながら頭を振る。
私と相対するように立ったお父様が、すかざず私を指さした。

「貴様が百華に何度も手を上げた事は侍女どもが証明済みだ!いいか、女狐!来月のパーティーでは必ず百華こそが娘と公表する!貴様のような性悪こそ、斉明寺の汚点だっ!!」

「…………」

ああ、本当、こんな男と同じ血が流れている事を心の底から嫌悪するわ。

「……そう」

胃からせり上がる嫌悪感を噛み殺しながら、洋装の裾を摘まんで会釈する。

「当主であるお父様のお言葉ですもの。甘んじてお受けいたしますわ」

顔を上げると、私はそのまま踵を返した。

「では私はこれで。ユヅル、戻りましょう」
「逃げるのか貴様っ!!」
「逃げる?とんでもない」

扉の先に進み、くるりと優雅にロングスカートを揺らして、見せつける様に華麗に一礼した。

「先ほども言いましたが、私はもうこの程度のダンスを教わる必要などありませんので」

「……っ、なによそれ……!」

百華が目を見開いてカッと顔を赤く染める。
独り言のつもりでしょうが、聴こえていてよ。

「ああ、それと」

次いで、お父様に向かってニコリと微笑んだ。

「私、その女に躾として手を上げた事は確かに御座いますわ。……先ほどのお父様に似たのですかね」

「な……っ!!」

そのまま踵を返して、今度こそ広間を後にした。

「……っっ……!女狐がァ……!」

怒りでヒキガエルのように潰れたお父様の罵声を背景に、私はユヅルを従えて大広間を後にした。