「ええい!澄華はまだ来ぬのか!」

襖越しにお父様の怒鳴り声が聞こえてくる。
全く、当主としての品格はどこへ行ったのやら。
傍に控えていたユヅルが一礼しながら襖に手をかけて引いた。

煌びやかな大広間の左右には使用人が立ち並び、最奥のお父様が肩を怒らせている。
私が足を踏み入れた瞬間、左右に一列に並んだ使用人が揃って頭を下げた。
私は悠然と床を踏みしめてお父様に近づき、ふっと微笑んだ。

「お待たせ致しましたわ、お父様」
「貴様!一体どこで油を売って――」

「あ、あのっ!貴女があたしのお義姉様ですか!?」

お父様の背後から聴こえてきた甲高い声に眉を顰める。
……なんなの?当主の言葉を遮るなんて無礼な子ね。
さっとお父様の背後から出てきたのは、ピンク色の着物に身を包んだ小柄な女だった。

「あたしっ……あ、えっと、私!斉明寺 百華(さいめいじ ももか)って言います!よろしくお願いします!お義姉様!」
「……」

ばっと頭を下げる女をじっと見定めた。
亜麻色のふわふわとした髪、金色の瞳、とろんと丸く落ちた眦。
所作がまるでなっていないという事は、平民の家の出ね。……こんな芋娘が私の義妹ですって?

「あの……お義姉様?」

こてんと小首をかしげる仕草も、甲高く甘い声色も、私ともお母様とも何一つ似ていない。
鋭くなる視線をきつく瞬きをすることで堪える。
初対面だもの、礼儀は重んじないとね。
ふっと相好を崩し、目の前の義妹と名乗る女に微笑んだ。

「百華さん、とおっしゃるのね。私、斉明寺澄華と申します。――一つ、よろしいかしら?」
「はいっ!」

笑顔のまま近寄り、恐らく母譲りであろう亜麻色の髪の登頂付近を掴んで力を込めて引っ張った。

「きゃあっ!痛いっ!!」
「何をしている!?やめないか澄華!!」
「まったく、羽虫の声が煩いわね。――ユヅル」
「はっ」

私の後ろに控えていたユヅルが怒りで顔を赤くするお父様の前に立ち、静止した。

「どかぬか!!私に寄るな!半妖風情が!!」
「ねえ、百華さん」

ぱっと百華の髪を離す。
髪を押さえて膝を折った百華を上から見下ろし、背を屈めて目を見開いた。

「私、貴女を義妹だなんて認めないわ。二度と私を義姉(あね)だなんて呼ばないで」

「そっ、そんな!あたし……っお義姉様と仲良くなりたくて!」
「あら聴こえなかったのかしら?……この耳は飾りなの?」

もう片方の空いている手で耳の縁を摘まむ。

「いっ、痛い!止めてお義姉様!」

「いいこと?西の華族、斉明寺家の一人娘はこの私。当主になるのも私よ。貴女は屋敷の片隅で一から貴族の作法でも学びなさい。――平民上がりの芋娘が」

心の奥底から怒りが湧き上がってくる。
何よこんな女。こんな平民上がりの芋娘が一夜にして西の華族の娘ですって?馬鹿も休み休み言いなさい。

「ひっ……!う、うぅ……っ!」

百華の眦に大粒の涙が溜まり、ぽろぽろと零れ落ちた。
百華に冷えた一瞥を送り、くるりと身を翻す。

「ユヅル。用はもう済んだわ。戻るわよ」
「はい」

お父様の傍から離れたユヅルを連れ立って、騒然とする使用人の波を牽制する。そのまま、大広間から廊下に繋がる襖に手をかけた。

「あっ、あたし!!」

甲高い声が大広間に響く。耳障りの悪さを覚えながら振り返ると、涙を流しながらお父様や使用人に助け起こされた百華がキッと上目遣いに私を見た。

「あたし諦めませんっ!あたし、お義姉様になんか……負けませんっ!」

聴く価値も無いわ。
私は前に向き直って大広間を後にした。

「だって……っだって……!」

「――もう、この家はあたしのものだもん……♪」

ユヅルが襖を閉める音と共に、震え交じりの勝気な呟きが聴こえた……気がした。



私に戸籍上の義妹が出来た。
部屋も違う。夕食は偶に共にする。会話なんてしてあげないけれど。
あんな芋娘なんて関わりたくも無い。私はそう思っているのだけれど、百華はどうやらそうではないらしい。
邪険にしても、百華は嬉々として私に付き纏う。

良く晴れた午後。
庭園の東屋でティータイムをしていると、百華が遠くからぱたぱたと駆けてきた。

「お義姉様っ」

「その名で呼ぶなと言ったはずよ」
「で、でも……澄華お義姉様は、私の唯一の姉ですから」

許可も無く私の向かいのテーブルに腰掛けた百華が、ティーポットを自分の顔の前に掲げた。

「あのっ。あたし、お義姉様の為に初めてハーブティーを作ってきたの!よろしければ召し上がって下さい!」

「まあなんて健気なの……」
「あの澄華様相手に、あんなに心を砕かれるなんて」

周りの侍女たちは、日に日に百華に好意を抱いてゆく。あの女、人を誑し込む才能でもあるのかしら。

「どうでしょうか?」
「お断りよ」
「そ、そんなっ!あたし、一生懸命作ったのに……」

分かりやすく肩を縮めてしゅんと項垂れる。そんな百華を見て侍女たちがまた百華に哀れみの目を向ける。

「毒でも入れられたらたまらないわ」
「そんな事いたしませんっ!侍女さんと、一生懸命作りました」

ああ、そうやって侍女を懐柔するのね。

「ユヅル」
「はい」

私の後ろに控えるユヅルを呼び、百華の持つティーポットを扇子で指した。

「毒味なさい」
「かしこまりました」
「あ、あのユヅルさんっ!あたしが注ぎます!」
「いえ、百華様にそのような手を煩わせるわけには参りません」

無表情のまま一礼をしたユヅルがティーポットを受け取り、恭しく空のティーカップに注いだ。

「では、失礼致します」

薄い唇で一口飲んだ瞬間、ユヅルが僅かに眉根を寄せた。

「どうかしら?」
「毒はありません。……ですが、これは……」

珍しく言い淀むユヅルを一瞥して、私は手を差し出した。

「……毒でないのなら、まあいいわ」

私の為に手ずから淹れてきたというのなら、一口くらいは口を付けてやってもいいわ。
温めの温度にはなっている様だしね。
ユヅルからおずおずと差し出されたティーカップを受け取り、一口あおる。

「……」
「どうですか?あたし、お義姉様の為に精一杯作りましたっ!」

媚びを売る様に両手を組んだ百華の手には絆創膏が散らばる。それを見て、また侍女たちが感心したように頬に手を当てた。

「指先を怪我してまで澄華様の為に……」
「心の清らかな方だわ」

見る目の無い侍女たちを視界から外し、ティーカップから口を放した。

「百華さん」
「はいっ!」

私は立ち上がると、ティーカップを高く掲げて――百華の頭目がけてひっくり返した。

「きゃああっ!」

百華が叫び、亜麻色の髪を濡らしながら信じられない物を見る目で私を見る。
何よその目は、信じられないのは私よ。

「貴女の味覚はどうなっているの?こんな不味いハーブティーは初めて飲んだわ。……いいえ、ハーブティーと言うのも失礼だわ。こんなもの、雑草を煮詰めただけね」

「ひ、ひどい……!私は、お義姉様の為に……!」
「私の為を思うのならそもそも一度も作った事の無いものを差し出すのはお門違いでは無くて?ちゃんと味見はしたのかしら?」
「そっ、それは……っ。一番最初に、お姉様に飲んでもらいたくて……っ!」
「……呆れた」

自分で味見もしないだなんて。
こんなものを華族である私に差し出すだなんて、この子は私を舐めているのかしら。

「それでは、今ご自身で味わってごらんなさい」

白いソーサーに跳ねたハーブティーを、百華の眼前に差し出した。

「ほら、這いつくばって犬のように舐めとってはいかが?」

「ッ……!!」

ギリ、と百華が鬼のような形相で歯噛みした瞬間――外から声が飛んできた。

「やめないか!!」

よく通る男の声に、私は不機嫌を隠しもせずに顔を上げた。

「……うるさくてよ、夏生(なつお)さん」

茶色のクセ毛を揺らしながら駆けて来たのは、西郷里 夏生(にしごおりなつお)
形式上は私の婚約者候補の男だけれど、他人に媚びばかり売る主体性のない男なんて、まったくもってタイプじゃないわ。

「どうして君はそんなに攻撃的なんだ!こんなに可憐な義妹相手にあんまりじゃないか!?」

百華を庇いながら、夏生は私を睨みつける。

「礼節が成ってない義妹に、義姉として躾をしたまでよ」
「あっ、あなたは……?」
「僕は夏生。斉明寺の分家の者だ。――僕が来たからにはもう安心だ。怖かったね」

夏生が上着を脱いで百華に被せる。次いで優しく抱きしめると、百華は躊躇なく縋りついた。

「こ、怖かったですうぅ……!」
「ああこんなに泣いて!この悪女め!」

百華を抱きしめながら私を睨みつける夏生に辟易する。
仮にも私の婚約者候補である者が私を前に別の女と抱き合うとはどういう事?私は侮辱されているのかしら。

私の後ろから拳を握り締める音がする。
恐らく夏生を睨みつけているであろうユヅルを片手を上げて制す。
一つため息を吐くと、私はわざとらしくニコリと微笑んだ。

「……あら、夏生さん。それは私に向かって言ったのかしら?」
「君以外に誰が……っ!」

食ってかかる夏生を、目を見開いて表情を消しながら視界に収めた。

「この”華族たる斉明寺家の嫡子である私に向かって”暴言を吐いたと、そのような認識で良いのかと聞いているのよ」

懐から扇子を取り出し、夏生の顎先に差し込んで顔を固定する。

「ひっ……!」

夏生の顔が分かりやすく引きつる。

「で、でも……さっきのは、いくらなんでも……」
「聴こえなくてよ」
「……っ……!」

どんどん声が細くなり、夏生は口を引き結んで黙り込んだ。
ほらやっぱり、何も言えない。本当に――小さい男。

私は扇子を離し、空いている方の手でパシッと音を鳴らした。

「お二人共、”公衆の面前で堂々と抱き合う程仲がよろしい”なら、お二人で片付けでもなさってはいかが?私は興が削がれたからもう
帰らせて頂くわ。――ユヅル」

「はい、お嬢様」

ユヅルが一礼すると、携えていた白いレースの日傘を私に差す。そのまま優雅に庭園から踵を返した。
ちらりと後ろを見ると、百華が夏生に縋りついて泣いていた。

「ごめんなさい夏生さん……!あたしなんかを庇ったばかりに……!」
「何を言うんだ、可憐なご令嬢が悪女に虐められたていたら、助けるのが紳士と言うものさ」
「優しいのね、夏生さん。……っ、う、うぅ……っ」
「泣かないでおくれ、百華さん……!そうだこれ、百華さんへのプレゼントだ。受け取ってくれないか」

甘い声音と共に、夏生が懐から包装された箱を取り出し、桃色のリボンを解いてゴテゴテと宝石があしらわれたネックレスを百華に差し出した。

「こ、こんな高価なネックレスっ!あたしのために……?」
「ああ、君に似合うと思ってね」

あの男、また貴金属を貢ぎに来たの?
趣味が悪いから私は全て突っぱねているけれど、毎回違う包み紙、毎回違う大粒の宝石がいくつもはめ込まれたアクセサリーを持って来る。
……随分羽振りがよろしいのね。あの分家のどこにそんな資金があるのだか。

「ユヅル」
「はい」

少し屈んで耳を貸すユヅルに、私は呟いた。

「”アレ”、調べておきなさい」
「はっ」

未だに抱き合う二人から目線を外し、私は美しい庭園の風景と天高く上る太陽を見た。

「日差しが強いわね」

ちらりとユヅルを見る。
私に日傘の全てを差し出したユヅルの銀髪と真白の肌が、日の光を反射して輝いている。
……そう言えば、ユヅルは蛇と人間との半妖だから直射日光が苦手だったかしら。

「もう少し寄りなさい。頭まで一緒に入って良くってよ」
「……!」

ユヅルか軽く目を見開くと、そっと私との距離を詰めた。

「お心遣い、痛み入ります……」

そんな事くらいなんでも無いわ。私、従順な従者には優しくってよ。