斉明寺澄華は悪女である。
私と接する者は、口を揃えてそう言うでしょうね。
「まあなんて艶やかな御髪に紫水晶のような瞳!いつにも増して美しいですわ」
そんなの当たり前よ。
「学力も霊力も申し分ありませんわ。流石西の華族、斉明寺家の一人娘様」
あら、当たり前すぎてつまらないおべっか。私を誰と心得ていて?
「澄華様は本当に素敵なお嬢様ですわ!……ですので、その、新人の侍女にもう少しお優しく接して頂くことは、可能でしょうか……?」
震える手で紅を引いた侍女頭と目を合わせる。
ちょっと、手の震えのせいで紅がはみ出していてよ。
「侍女?……貴女、私より平民上がりの愚図の肩を持つの?貴女も解雇して差し上げましょうか」
「もっ、申し訳ございません!」
「化粧はもういいわ。――ユヅル」
「はい、お嬢様」
私の後ろに控えていた銀髪で黒の燕尾服に身を包んだ執事が、凛とした低音で応えた。
「命令よ。――その女を叩き出しなさい」
「仰せのままに」
「おっ、お許しください!澄華様!澄華様あああああああああ!!」
ユヅルが暴れる侍女頭を羽交い絞めにして、金細工の施された扉から引きずって行った。
ああ清々した。
私の人生に不要なものは要らないわ。だって私は華族の一人娘――斉明寺澄華よ?
化粧台の鏡を見てふっと微笑む。赤地に黒のレースがたっぷりとあしらわれた和装は中々気に入ったわ。化粧も、紅以外は中々良いじゃない。
「澄華、また新人の侍女を解雇したのか」
「あら、お父様。ご機嫌麗しゅう」
ノックもせずに入って来た実の父親に鏡越しに目線を寄越す。
「ですが、レディのお化粧中に室内に入るのは無作法では無くて?」
「お前はいついかなる時も美しいだろう。亡き母さんに似てな」
「ええ、そうでしょうとも。……で?今日は何ですの?用事も告げずに正装しろ、だなんて」
「お前の義妹がここに来る」
「……は?」
鏡から首を動かして振り返る。
皺の刻まれた威厳のある顔つきのまま佇むお父様に向かって、訝し気に眉根を寄せた。
「義妹?どういう事?私は一人娘でしてよ」
「ああ、お前の母との子はお前だけだ。だが、間違いなく”あの子”は我が斉明寺の血を引く子だ」
「……キツネ遊びが過ぎましてよ、お父様」
今度は明確にお父様を睨めつける。
キツネ遊び、すなわち遊郭通い。――花街の遊女を孕ませたとでも言うの?
「我が西の領土で一番の名家、斉明寺家の跡継ぎがお前一人きりという訳にも行かんのだ。分かってくれ、澄華」
「分かりませんわ」
私のぴしゃりとした物言いが癇に障ったのか、お父様が私を睨みつける。
「澄華、これは当主命令だ。義妹と仲良くしろ」
ああまただわ、当主命令。お父様は人を従わせる時に必ずそう言う。
「それと、そこの半妖の従者を連れるなら、その醜い鱗くらい消させろ」
「……」
侍女頭を追いやったユヅルが、音を立てず部屋に戻って来た。
さらりとユヅルの銀髪が揺れ、髪で隠れた右頬の白い鱗が垣間見える。
「でなければ、同伴は認めん」
「……かしこまりましたわ」
それだけ言い残すと、父は大股で私の自室を去って行った。
「貴女達、もういいわ下がりなさい」
オロオロしながら事の成り行きを見守っていた侍女たちを一瞥する。
「で、ですがまだお支度が……」
「下がれと言ったのが聴こえなかった?」
「もっ、申し訳ございません!」
びくりと肩を跳ねさせ、侍女たちがそそくさと歩き去った。
部屋に私とユヅルが二人きりになったのを見はからって、私は赤い紅に彩られた唇を開いた。
「ユヅル」
「はい、お嬢様」
「髪を梳いて」
「かしこまりました」
恭しく一礼し、椿油の塗り込まれた櫛で長い黒髪を梳かれる。
ユヅル。私専属の半妖の執事。
流れるような銀髪に、爬虫類のような縦長の瞳孔を持つ金色の瞳。そして、頬に白蛇のような鱗か走る青年。
ユヅルは人からも妖からの忌み嫌われる半妖だわ。でも、有能なのに種族だけで差別するのはおかしいでしょう?
「簪はどういたしましょうか」
「貴方に任せるわ」
「……でしたら、金細工で」
「あら、意外ね」
「貴女様の紫水のような瞳と黒檀の様な黒髪には、金細工が良く映えます」
光に透ける艶やかな黒髪をハーフアップにまとめ上げ、金の花があしらわれた簪を飾られる。
「そう、悪くないわ」
鏡には完璧な淑女が映る。
そうよ。由緒ある斉明寺の嫡子はこうでなくては。
「……何が……」
鏡に映る私の顔が怒りで歪む。握り締めた拳は、怒りでぶるぶると震え始めた。
「何が義妹よ!お父様の色情魔が……っ!!」
お父様が斉明寺の名を存分に利用して花街の遊郭に足しげく通っているのは知っている。
それが、私は許せない。
「どこの遊女よ!お母様の服忌令が開けた途端にこれだなんて信じられない!あの下種、私が主になったら破門してやる……っ!!」
ダンッと化粧台に拳を打ち付け、怒りを収める。
ちらりと衣装箪笥の上に飾られたセピア色の写真を見る。そこには、優美な笑顔で微笑むお母様の遺影が飾られている。
黒い髪に白い肌。
ああ、本当、私はお父様に似なくて良かったわ。
「お嬢様」
ユヅルが屈み、そっとハンカチーフで私の唇からわずかにはみ出した紅を拭った。
「本日も、大変お美しゅう御座います」
「……」
ユヅルの表情は動かない。でも私は知っている。この男は私に世辞など使わないという事を。
「では、大広間へ向かいましょうか」
「ああ、そうだユヅル。その鱗、どうするの?」
飾られた爪で頬の鱗を指すと、少しばつが悪そうに私から目を逸らした。
「……髪で隠せばよいかと」
「妖力で何とかならない?」
「……少々時間がかかります故」
まあ、生まれ持ったものを消すのは容易では無いわよね。
「分かったわ。ユヅル、ここに座りなさい」
「……はい」
私の向かいに椅子を寄せて座ったのを確認すると、化粧台の引き出しからピンを取り出た。
ユヅルの長い前髪をピンで留めた。露わになった顔は、右半分の生え際から頬にかけて白い鱗が生えている。
引き出しから練り粉を数種類取り出し、筆に取ってユヅルの頬に伸ばしていく。
「お嬢様にその様な真似をさせるなど……」
「動かないの。色情魔とその娘なんて、待たせておくに限るわ」
「……お衣装が汚れてしまいます」
「あら、貴方私がそんなヘマをするとでも?」
「申し訳ありません、失言でした」
何色かの練り粉を混ぜて塗布し、最後に軽く白粉をまぶせば、ユヅルの白い鱗が隠れた。
「出来たわ。鏡を見てごらんなさい」
ちらりと鏡を見たユヅルは、長い睫毛を持ち上げて目を見開いた。
「……素晴らしいです」
「ええ、そうでしょうとも」
素直な賞賛は悪い気がしないわ。
「別に、私はそんな鱗ごときで人を判断しないけれど」
「……あの時も、そう言ってくださいましたね」
「あら、何だったかしら」
「俺を、”地獄通り”からお救い下さった、あの時からです」
ユヅルが私に向き直って柔らかく微笑む。
ああ、あの日。――私が、貴方を見つけた日。
「……そんなもの、当たり前すぎて忘れたわ」
立ち上がって扉を見る。
当然憶えているけれど、言うのはなんだか癪だわ。
「では行きましょうか」
ふっと口角を上げて目を細める。
「会ってやろうじゃない。――私の”義妹”とやらに」
私と接する者は、口を揃えてそう言うでしょうね。
「まあなんて艶やかな御髪に紫水晶のような瞳!いつにも増して美しいですわ」
そんなの当たり前よ。
「学力も霊力も申し分ありませんわ。流石西の華族、斉明寺家の一人娘様」
あら、当たり前すぎてつまらないおべっか。私を誰と心得ていて?
「澄華様は本当に素敵なお嬢様ですわ!……ですので、その、新人の侍女にもう少しお優しく接して頂くことは、可能でしょうか……?」
震える手で紅を引いた侍女頭と目を合わせる。
ちょっと、手の震えのせいで紅がはみ出していてよ。
「侍女?……貴女、私より平民上がりの愚図の肩を持つの?貴女も解雇して差し上げましょうか」
「もっ、申し訳ございません!」
「化粧はもういいわ。――ユヅル」
「はい、お嬢様」
私の後ろに控えていた銀髪で黒の燕尾服に身を包んだ執事が、凛とした低音で応えた。
「命令よ。――その女を叩き出しなさい」
「仰せのままに」
「おっ、お許しください!澄華様!澄華様あああああああああ!!」
ユヅルが暴れる侍女頭を羽交い絞めにして、金細工の施された扉から引きずって行った。
ああ清々した。
私の人生に不要なものは要らないわ。だって私は華族の一人娘――斉明寺澄華よ?
化粧台の鏡を見てふっと微笑む。赤地に黒のレースがたっぷりとあしらわれた和装は中々気に入ったわ。化粧も、紅以外は中々良いじゃない。
「澄華、また新人の侍女を解雇したのか」
「あら、お父様。ご機嫌麗しゅう」
ノックもせずに入って来た実の父親に鏡越しに目線を寄越す。
「ですが、レディのお化粧中に室内に入るのは無作法では無くて?」
「お前はいついかなる時も美しいだろう。亡き母さんに似てな」
「ええ、そうでしょうとも。……で?今日は何ですの?用事も告げずに正装しろ、だなんて」
「お前の義妹がここに来る」
「……は?」
鏡から首を動かして振り返る。
皺の刻まれた威厳のある顔つきのまま佇むお父様に向かって、訝し気に眉根を寄せた。
「義妹?どういう事?私は一人娘でしてよ」
「ああ、お前の母との子はお前だけだ。だが、間違いなく”あの子”は我が斉明寺の血を引く子だ」
「……キツネ遊びが過ぎましてよ、お父様」
今度は明確にお父様を睨めつける。
キツネ遊び、すなわち遊郭通い。――花街の遊女を孕ませたとでも言うの?
「我が西の領土で一番の名家、斉明寺家の跡継ぎがお前一人きりという訳にも行かんのだ。分かってくれ、澄華」
「分かりませんわ」
私のぴしゃりとした物言いが癇に障ったのか、お父様が私を睨みつける。
「澄華、これは当主命令だ。義妹と仲良くしろ」
ああまただわ、当主命令。お父様は人を従わせる時に必ずそう言う。
「それと、そこの半妖の従者を連れるなら、その醜い鱗くらい消させろ」
「……」
侍女頭を追いやったユヅルが、音を立てず部屋に戻って来た。
さらりとユヅルの銀髪が揺れ、髪で隠れた右頬の白い鱗が垣間見える。
「でなければ、同伴は認めん」
「……かしこまりましたわ」
それだけ言い残すと、父は大股で私の自室を去って行った。
「貴女達、もういいわ下がりなさい」
オロオロしながら事の成り行きを見守っていた侍女たちを一瞥する。
「で、ですがまだお支度が……」
「下がれと言ったのが聴こえなかった?」
「もっ、申し訳ございません!」
びくりと肩を跳ねさせ、侍女たちがそそくさと歩き去った。
部屋に私とユヅルが二人きりになったのを見はからって、私は赤い紅に彩られた唇を開いた。
「ユヅル」
「はい、お嬢様」
「髪を梳いて」
「かしこまりました」
恭しく一礼し、椿油の塗り込まれた櫛で長い黒髪を梳かれる。
ユヅル。私専属の半妖の執事。
流れるような銀髪に、爬虫類のような縦長の瞳孔を持つ金色の瞳。そして、頬に白蛇のような鱗か走る青年。
ユヅルは人からも妖からの忌み嫌われる半妖だわ。でも、有能なのに種族だけで差別するのはおかしいでしょう?
「簪はどういたしましょうか」
「貴方に任せるわ」
「……でしたら、金細工で」
「あら、意外ね」
「貴女様の紫水のような瞳と黒檀の様な黒髪には、金細工が良く映えます」
光に透ける艶やかな黒髪をハーフアップにまとめ上げ、金の花があしらわれた簪を飾られる。
「そう、悪くないわ」
鏡には完璧な淑女が映る。
そうよ。由緒ある斉明寺の嫡子はこうでなくては。
「……何が……」
鏡に映る私の顔が怒りで歪む。握り締めた拳は、怒りでぶるぶると震え始めた。
「何が義妹よ!お父様の色情魔が……っ!!」
お父様が斉明寺の名を存分に利用して花街の遊郭に足しげく通っているのは知っている。
それが、私は許せない。
「どこの遊女よ!お母様の服忌令が開けた途端にこれだなんて信じられない!あの下種、私が主になったら破門してやる……っ!!」
ダンッと化粧台に拳を打ち付け、怒りを収める。
ちらりと衣装箪笥の上に飾られたセピア色の写真を見る。そこには、優美な笑顔で微笑むお母様の遺影が飾られている。
黒い髪に白い肌。
ああ、本当、私はお父様に似なくて良かったわ。
「お嬢様」
ユヅルが屈み、そっとハンカチーフで私の唇からわずかにはみ出した紅を拭った。
「本日も、大変お美しゅう御座います」
「……」
ユヅルの表情は動かない。でも私は知っている。この男は私に世辞など使わないという事を。
「では、大広間へ向かいましょうか」
「ああ、そうだユヅル。その鱗、どうするの?」
飾られた爪で頬の鱗を指すと、少しばつが悪そうに私から目を逸らした。
「……髪で隠せばよいかと」
「妖力で何とかならない?」
「……少々時間がかかります故」
まあ、生まれ持ったものを消すのは容易では無いわよね。
「分かったわ。ユヅル、ここに座りなさい」
「……はい」
私の向かいに椅子を寄せて座ったのを確認すると、化粧台の引き出しからピンを取り出た。
ユヅルの長い前髪をピンで留めた。露わになった顔は、右半分の生え際から頬にかけて白い鱗が生えている。
引き出しから練り粉を数種類取り出し、筆に取ってユヅルの頬に伸ばしていく。
「お嬢様にその様な真似をさせるなど……」
「動かないの。色情魔とその娘なんて、待たせておくに限るわ」
「……お衣装が汚れてしまいます」
「あら、貴方私がそんなヘマをするとでも?」
「申し訳ありません、失言でした」
何色かの練り粉を混ぜて塗布し、最後に軽く白粉をまぶせば、ユヅルの白い鱗が隠れた。
「出来たわ。鏡を見てごらんなさい」
ちらりと鏡を見たユヅルは、長い睫毛を持ち上げて目を見開いた。
「……素晴らしいです」
「ええ、そうでしょうとも」
素直な賞賛は悪い気がしないわ。
「別に、私はそんな鱗ごときで人を判断しないけれど」
「……あの時も、そう言ってくださいましたね」
「あら、何だったかしら」
「俺を、”地獄通り”からお救い下さった、あの時からです」
ユヅルが私に向き直って柔らかく微笑む。
ああ、あの日。――私が、貴方を見つけた日。
「……そんなもの、当たり前すぎて忘れたわ」
立ち上がって扉を見る。
当然憶えているけれど、言うのはなんだか癪だわ。
「では行きましょうか」
ふっと口角を上げて目を細める。
「会ってやろうじゃない。――私の”義妹”とやらに」

