「かまって欲しくてわざと休んでたんじゃない?」

聞き取れたのはこの一言だけだったが、愛原を傷つけるには十分な言葉だった。
 
こんな薄汚れた空間に、愛原を置いておきたくない。
 
俺はすぐさま踵を返した。
拒絶される事を覚悟で愛原の席へ向かう。

「愛原、顔色が悪い。保健室に行こう」

いきなり現れた俺に、愛原の肩が揺れた。

「……大丈夫、だよ」

予想通りの反応。
どんな言葉をかければ愛原は首を縦に振ってくれるだろうか。
何も考えずに来てしまった事を後悔していると、近くで様子を窺っていた女子が心配そうに近づいて来た。

「愛原さん、あまり無理しないで」

クラス委員の天城(あまぎ)エマ……だったかな。
 
天城は真面目で大人しく穏やかな人物――だと思っていたが、近くで見るとなかなか気の強そうな雰囲気を纏っていた。
笑顔はとても柔らかいのに、メガネの奥で光る切れ長の双眸はとても力強い。
その鋭い眼光が、教室の隅に屯する下品な女たちに向けられていた。
 
なるほど、聞こえていたのか。
天城とは気が合いそうだ。

「愛原、少し外の空気を吸った方が良い」
「でも……」
 
俺が嫌なのか、単純に無理をしているだけなのか、愛原の体は椅子に張り付いているかのように微動だにしない。
連れ出すのは無理かと諦めようとした時、天城が愛原の肩にそっと手を添えた。

「愛原さん、何か心配事?」

囁くような問いかけに、愛原は落ち着いた様子で口を開く。

「授業、だいぶ進んでるみたいだから……」
「なんだそんな事。お昼休みで良ければ私が教えてあげる」
「え? そんな、悪いよ」
「大丈夫、私、教えるの好きだし得意なの。だから、愛原さんは心置きなく保健室で休んできて、ね?」
「……いいの?」

窺うような可愛らしい表情に、天城は大きく頷き満足気に微笑んだ。
あっという間に説得してしまった天城の姿に唖然としていると、

「じゃあ、後はお願いね、大神君」
 
愛原を包んでいた笑顔が俺に向けられ体が跳ねる。
何だか母親と話してるような気分だ。

「あぁ、分かった。愛原、歩けるか?」
「うん、大丈夫」

――と、言いつつも、気まずそうに立ち上がり背を向けられてしまうと、なけなしの自信が底をつきそうになる。
俺は肩を落としながらも、ゆっくり教室を出た。
間もなく始まる授業を前に、廊下から生徒達が消えて行く。
 
気まずい無言の時間。
 
会話の糸口を探すものの、気の利いた言葉が見つからず、あっという間に保健室についてしまった。