見てはいけない。
絶対に見てはいけないんだ。

分かっていても、抑える事は出来なかった。

音も無く落ちて行く赤い帽子。
露わになる愛原の本当の姿。
遮る物が無くなった艶やかな栗色の髪が、自由を謳歌するように風に靡いている。
 
それはとても美しくて――、
 
 
不可解だった。


一体、どういう事だ?
なぜ?
どうして?
 
疑問ばかりが浮かぶ。

愛原が帽子で隠していた傷跡、それは――、
 

「大神君、どうしたの?」


不意に名前を呼ばれ、我に返った。

俺の異変に気付いた愛原が、一歩二歩と近づいてくる。
自分に起きている大事件には気付いていない様子だ。
 
早く、伝えなければ……。
 
それなのに、かける言葉を探す俺の体は、金縛りにでもあったかのように動かない。
懸命に、やっとの思いで言葉を紡いだ。

「愛原、帽子……落ちたぞ」
「え……?」
 
困惑するように恐る恐る頭に手を伸ばした愛原は、瞬く間に顔色を変える。
その表情は、不安や怖れと言った物では無く、今にも泣き叫びそうな痛々しい物だった。
いや、本当に痛みを感じているのかもしれない。
見ている俺まで辛くなるほど、愛原の状態は異常だった。

「愛原……」
「――っ!?」
 
俺が声をかけると、愛原は肩を大きく震わせ、足許の帽子を勢いよく拾い上げる。
見守る事しか出来ない俺の横を、愛原は帽子を被り直しながらすり抜けた。
夕方を知らせるチャイムが響く中、俺はその場に立ち尽くす。
 
どう、整理すればいいのか。

すれ違う瞬間に見えた愛原の瞳には涙があふれていた。
それは、帽子の秘密を知ってしまった俺のせい。
偶発的ではあるが、彼女が隠して来た真実を見てしまったからだ。
罪悪感が胸を支配する。

追いかけるか?
追いかけて呼び止めてどんな言葉をかける?
なんて言ったら愛原は傷つかない?

これ以上、愛原の抱えた傷を広げないためには、どうしたら――。

気が付けば、愛原の所では無く自分の居場所に帰っていた。
溜息交じりの帰宅の挨拶に返事は無い。
代わりに、聞き慣れないカタカタとした機械音が返って来た。

「ただいま」
 
二度目の帰宅の挨拶をしながら居間を覗くと、気配に気づいたルミさんが俺に笑顔をくれる。正面には年季の入った大きなミシンが鎮座していた。

「あら、帰ってたのね。おかえりなさい」
「あの、それって」

ルミさんの手元には、色鮮やかでカラフルな生地。

「あぁ、これ、鈴の帽子を作ってるの」
「派手……ですね」
「えぇ、ワザとよ」
「ワザと?」
「嫌になるくらい派手にしたら、被らなくなるかなーなんて、ちょっとしたイジワルかな」
 
そう話すルミさんの表情はとても寂しそうだった。
公園での愛原の姿が脳裏を過る。

「ルミさんは見た事あるんですよね、愛原の帽子の下」
「さぁ、どうだろうね」

はぐらかすような曖昧な返事。
今まで避けて来た話題なだけに、ルミさんも困った様子だ。
何か話そうとしているそぶりはあるものの、なかなか言葉を続けてくれない。
たまらず俺の方が口を開く。

「俺、見てしまいました」