「や、山本君?」

愛原は泣きそうな声で山本の名前を呼び、困惑している。
頼みの星崎は頭を抱え、無関係を決め込んでいた。

ここで助けに入ったら星崎の好感度は爆上がりだと思うんだがな……。

仕方ないか。

「愛原、今日の夕飯何か知ってる?」

静かな教室に俺の声だけが響く。
愛原は戸惑いながらも、俺の問いかけに縋るように言葉を探していた。

「え? えーっと、確か鍋って言ってたけど」
「あぁ、鍋か、良いね、鍋、うん。おやすみ」

入眠の挨拶をして再び机に突っ伏すと、山本はバツの悪そうな笑い声を上げる。

「あ、あっはっはー、良いな―鍋、俺も食べたい。じゃあ」
「え? あ、う、うん……」

戸惑う愛原を残し、山本は脱兎の如く星崎の元へ戻った。

「おい、何やってんだよ」 
「わりーわりー、作戦失敗」

小声で交わされる星崎と山本の会話。
愛原に聞こえていない事を祈りながら、クラスメイト達の反応に耳を傾ける。
男子はいつものバカ騒ぎに戻ったが、女子達は嬉々として愛原の元に集結した。

「ねぇねぇ、今のどういう事? どうして愛原さんに夕飯聞くの? もしかして付き合ってるの?」
 
一人の女子が愛原に声をかけると、教室の彼方此方からどよめきが生まれる。
星崎ファンの連中の声も聞こえた。
 
すまん、愛原……。
 
俺は心の中で謝罪し、狸寝入りを続ける。

「え? ち、違うよ。今、大神くん、私のお婆ちゃん家に下宿してて、今日はたまたま私も行くから……」
 
慌てふためく愛原の声。
その様子に納得したらしい女子は、嘆くような溜息を吐いた。

「なんだー、つまんない。期待してそんしたぁー」
「期待って?」
「ほら、漫画とかであるじゃん。不良少年とピュアな女の子の恋愛話」
「不良少年って大神くんの事?」
「え? 愛原さん知らないの?」
「う、うん……」
 
愛原の純粋無垢な感情が俺の胸を抉る。
 
そうだった……。
 
愛原はまだ、俺の過去を知らないんだった。
本当は知られたくない。
今すぐにでも間に割って入り愛原を連れ出したい。
けれどそれは、愛原から友達を作るチャンスを奪ってしまう行為だ。
 
噂話でクラスメイト達と打ち解けられるのなら、俺の過去なんて――
 
「あのね、大神くんってさ、中学の時……」

一人の女子が声を潜めて語り出す。
女子達のざわめきで、最後まで聞き取る事は出来なかった。
いや、聞こえなくて良かった。
自分でも恥じている過去を、他人の口からは聞きたくない。
愛原はどう思っただろうか。
ただの噂話だと一蹴してはくれないだろうか。
直接俺に事情を聞いて来てはくれないだろうか。
 
覚悟は決めていたはずなのに、胸の奥がチクチク痛んだ。
 
こんな事になるなら、先に話しておけば良かったな……。

教室の騒々しさを静めるように、始業の予鈴が鳴る。
次第に静寂を取り戻す教室で、久々の睡魔に襲われた。
頭を使いすぎてせいだろうか。
 
考えなければいけない事はまだまだ沢山あるのに、俺の思考は微睡みの中に消えて行った。

★★★