「なに歌おうかな」

 ヨルは慣れた様子でタッチパネルを操作して曲を選んでいく。

「朝日は普段なに歌うの?」
「有名どころと、たまにアニソン」
「アニソン歌うんだ。意外」
「アニメ好きな奴が周りに割といるからな。俺は有名なやつしか知らないけど」
「じゃあこれとか歌える?」

 ヨルがタッチパネルを見せてくる。表示されているのは最近放送されているアニメの主題歌だった。俺も配信で見ているから曲は知っている。

「一番なら歌えるけど……二番からは知らないな」
「じゃあ二番からは私が歌うよ」

 タッチパネルを操作し、曲が送信される。流れるようにマイクも渡され、音楽が始まった。
 これはカラオケあるあるだと思うが、採点機能を入れていなくても上手く歌おうとしてしまう。友人が採点至上主義だから最近は特に音程を意識している。音程や点数なんか気にせずに気楽に歌えればいいのだが、それは歌が上手い人が言うから説得力があるのであって。俺のような並の歌唱力の人間は、とにかく音程を意識して歌うのが一番だ。
 歌詞を追いながらなんとか歌い切り、間奏に入る。ところどころ怪しかった気もするが、声は出ていたしリズムもそれほど崩れなかった。俺なりに頑張った部類だと思う。ヨルも拍手をして俺を称えてくれた。

「上手いよ。流石朝日」
「一曲目だからまだ本調子じゃないけどな」
 音程のガイドがないから音程が合ってるかは分からないが、そこまで悪くない歌唱だったと思う。本調子ではないのは事実だが。言い訳染みていてちょっと恥ずかしい。

「そろそろ私の番だね」

 マイクを構え、息を吸い、ヨルは歌い始めた。
 一言で言えば、上手い。低音もきちんと聴こえるし、高音も伸びがあって聴いていて耳が痛くならない。ヨルの優しい声は歌声になっても変わらず、曲と歌詞に合わせた感情も伝わってくる。プロレベルかと言ったら褒め過ぎかもしれないが、アマチュアなら十分すぎる歌唱力だ。
 俺は途中から手を止めて、ヨルの歌に惹き込まれていた。
 最後まで歌いきると、ヨルは大きく息を吐いた。

「はー、緊張した。どうだった?」
「予想以上に上手かった。俺の知ってる中なら一番上手いと思う」
「そこまで褒めてくれるなんて嬉しいよ」

 笑顔のヨルはマイクを置いてドリンクを飲む。

「次は朝日が歌っていいよ」

 タッチパネルを渡され、俺はタッチパネルと真剣に向き合う。今日このときのために授業中も選曲をしていたのだから迷う理由がない。と、思っていた。
 こうして実際来るとなにを歌おうか考えてしまう。しかもヨルがあんなに上手いと思わなかったから、俺も十八番やそれに並ぶ自信曲を歌うしかない。ランキングから呑気に選んでいる場合ではない。そんなヨルは俺の気も知らずに「朝日がどんな曲歌うか楽しみだなぁ」なんて言っている。

「私しかいないんだから気楽に歌っていいよ。それとも全力で盛り上げた方がいい? タンバリン借りてくる?」

 冗談めいた風に笑うヨルが優しく見えて、そこまで気負う必要はなかったのかもしれないと気づかされた。
 画面からアーティストの番宣CMがいくつも流れてきて、俺の中で吹っ切れた気がした。悩みに悩んだ挙句、俺はいつもカラオケに行くクラスメイトと歌う曲を選曲した。つまり上手さなど度外視した盛り上げ重視の曲だ。
 言い換えれば自棄にも近い。とにかくテンションを上げて、歌唱力なんかどうでもいいと思うくらい歌えばいいという結論に至った。この曲も自信があるわけではない。ただ、どうせ聴いてもらうなら楽しいと思ってもらえる方がいい。
 曲名を見てヨルも「この曲知ってるよ」と楽しそうな声を上げた。

「テンション上がるよね。盛り上がる曲の定番だね」
「そしたら全力で盛り上げて欲しい」

 一瞬キョトンとしていたヨルだが、すぐに満面の笑みを見せる。

「任せて」

 俺はロックバンドの歌手ばりに全力で歌い上げた。間違いなく隣の部屋にいた客に歌声は聴かれていただろう。しかしそんなものはどうでもよかった。音程もリズムも百点には確実に届かない。でも、選んだ曲のおかげで爽快感が尋常ではなかった。
 ヨルも俺に合わせてか、合いの手を全力で入れて盛り上げてくれた。

「そうそう。カラオケはこうやって盛り上がらなきゃ」

 歌い終えた俺は息が上がっていた。これはライブに行ったときの高揚感に近い。額に滲んだ汗すらも楽しい証拠だった。
 楽しそうなヨルにつられて、俺も自然と笑みがこぼれる。

「朝日、笑ったね」
「俺をなんだと思ってんだよ。俺だって笑うよ」
「私の前で笑ったの、ホームラン打った以来だったからね」

 ヨルに言われて、出会ってから今日までのことを思い返した。確かに、ホームランで子供のようにはしゃいだことくらいしか記憶にない。ホームランを打ててはしゃいだのが恥ずかしくなってくる。

「私も元気になる曲入れよっと」

 タッチパネルを操作すると、イントロで分かる有名なアニメソングが流れた。ヨルの言う通りタンバリンを借りてきた方が良かったかもしれない。
 それからフリータイムのギリギリまで、俺たちは全力で歌い続けた。