「……朝日。根本のこと聞かないんだね」
ヨルは眉を下げて笑う。根本とはなんのことか。俺が頭の中で答えを探っていると、ヨルは続ける。
「なんで、私が朝日にバッティングセンターで声をかけたのかって」
「それは……偶然あそこにいたからじゃないか?」
「違うよ。最初に会ったときに、朝日は私に言ったよ」
記憶を辿り、ヨルとの初邂逅を思い出す。俺はヨルになにを言った?
思い出せ。思い出せ。思い出せ。
……そうか、あれだ。
――もしかして……あなたはストーカー、ですか……?
――うーん。そうかもしれないし、そうとは言えないかもしれない。
今の今まで忘れていた。最初、ヨルのことを半ストーカーだと疑っていたのを。
「私、実は朝日のことを一ヶ月以上前から知ってたんだ」
思いもよらない発言に次は俺が戸惑う。
あの衝撃的な出会いよりさらに前から、ヨルは俺を知っていた?
ただの偶然かと思っていた出会いは偶然じゃなく、必然だったのか?
混乱している俺に、ヨルは困ったように笑う。そうだよね、と俺の気持ちを汲み取りながらヨルは続ける。
「最初は電車で通学してるのを見かけてね。単語帳と格闘してたのをよく覚えてるよ。そのときの横顔がかっこいいなって思った、それが始まり」
当時を懐かしむように、ヨルは柔らかな笑みを浮かべる。まるでヨルの周りだけが春の昼下がりのような空気感があった。
「気づいたら目で追ってたんだよね。制服ですぐに学校も分かったし、どこで乗り降りしてるのかも乗ってるうちに把握した。それから朝日の横に並べる人になろうって決めて、髪を染めてメイクもネイルも覚えた。かっこいい朝日の横に並ぶには、そのくらいしなきゃいけないって思ってたから。でも、声をかける勇気はなかった。外側だけ変わっても中身はなにも変わってなかった。声をかけなきゃ、朝日は私のことを知らないのに。……そうしてうじうじ悩んでるうちに、朝日に彼女ができた」
笑顔で語っていたヨルは一瞬詰まらせたような様子を見せた後、話を続ける。
「ショックだったよ。しかもとっても可愛い彼女だったから。やっぱり私なんかじゃ朝日の横に並べないんだって思い知った。でも、諦めきれなかった。いつか朝日の横に並べる人になれるようにって願ってた」
ヨルの言う彼女とはえりのことだろう。一緒に電車で通学をしようと言ったのは過去にえりしかいないから。
ヨルの話に口を挟んではいけない。そんな気がしたから、俺はヨルの話を黙って聞いていた。
「そうしたら、朝日がまた一人で通学するようになった。落ち込んでるように見えたし、別れたんだってすぐに分かったよ。あるとき、私は朝日を追いかけてバッティングセンターに向かった」
それでフラれて傷心していた俺との出会いに繋がるのか。
ヨルがそんな気持ちを抱いて俺に話しかけていたとは思わなかった。まさかそんな経緯があったなんて知らなかった。
マフラーから見える髪を耳にかけ、ヨルは再び作った笑顔を俺に向ける。
「ヨルって名乗ったのも、本当の私じゃ朝日の横に並べないって気持ちがあったから、偽りの私に頼ることにしたの。朝日の名前を知って、すぐに思いついたんだ」
都合がいいとかミステリアスなんて簡単な理由じゃなかった。ヨルの本心に関わっていたなんて。
「私、とっても自分勝手でしょ。彼女にフラれてすぐなのに付き合おうとか言って、前の彼女のことを忘れさせるとか言うなんてさ」
「そんなことない。俺が過去を乗り越えるきっかけになったよ」
ヨルがいなければ、未練を抱いて引きずったままになっていただろう。ヨルのおかげで乗り越えられたと言っても過言ではない。
「クリスマスのときに電話番号を教えたのも、サプライズとか言ったけど結局は私のエゴ。朝日から電話をかけて欲しい口実だった」
「電話番号を教えてくれて嬉しかった。俺もヨルと電話がしたかった」
「それなら良かった。……でも私、教えたのはちょっと後悔してるんだよね」
「……どうしてだ?」
まさか後悔しているなんて言葉が返ってくると思わなかった。連絡先を知って喜んでいたのは俺だけだったのかと、ほんの少し胸が痛んだ。
「電話が来たときは嬉しかったよ。でも、前よりずっと朝日との距離が近くなっちゃったなって思って。別れるのが決まってるのに、どんどん距離が縮まってく。そんなの耐えられないよ」
ヨルは笑顔を作ったまま俯く。
俺は純粋に距離が縮まったことを喜んでいた。一方で、ヨルはそんな気持ちを抱いていたなんて。本当に俺はヨルのことをなにも分かっていなかった。
「最初はただの思い出にするつもりだったんだよ。だから一ヶ月って言ったの。朝日が楽しそうにしてくれて、名前を呼んでくれて、優しくしてくれて。とても嬉しかった」
静かに語るヨルは声が震えていた。笑顔なのに声が震えていて、間違いなく表情と感情がごちゃごちゃに入り混じっている。
「朝日」
唇を噛み、ヨルは俺に向き直る。大きく息を吸い、満面の笑みを見せる。
「私は、朝日が私と出会う前から、ずっと朝日のことが好きでした」
その瞬間、ヨルの目から涙が溢れた。涙は頬を伝い、マフラーに落ちていく。
俺がヨルと出会う前から、ヨルはずっと俺のことを好きだった。
その事実が俺の胸に突き刺さる。俺は黙って立ち尽くすことしかできなかった。
「朝日は太陽みたいにすごく眩しいんだ。だから友達も少ない、趣味もつまらない、勉強が少しできるだけの凡人の私には釣り合わない。私は一ヶ月だけでも朝日と一緒に過ごせて良かった」
ヨルは涙を拭わず、声を震わせながら思いの丈を俺にぶつけていく。必死に言葉を紡ぐ様子は、まるで今生の別れのように思えてしまった。
「夢を見せてくれて、ありがとう」
堪えられなかったのだろう。ヨルは顔を覆って啜り泣いた。
これ以上泣かないようにと声を押し殺して嗚咽をこぼす様子は、見ている俺も辛くて胸が張り裂けそうな光景だった。
だが、このままでは終わらせない。
ヨルは眉を下げて笑う。根本とはなんのことか。俺が頭の中で答えを探っていると、ヨルは続ける。
「なんで、私が朝日にバッティングセンターで声をかけたのかって」
「それは……偶然あそこにいたからじゃないか?」
「違うよ。最初に会ったときに、朝日は私に言ったよ」
記憶を辿り、ヨルとの初邂逅を思い出す。俺はヨルになにを言った?
思い出せ。思い出せ。思い出せ。
……そうか、あれだ。
――もしかして……あなたはストーカー、ですか……?
――うーん。そうかもしれないし、そうとは言えないかもしれない。
今の今まで忘れていた。最初、ヨルのことを半ストーカーだと疑っていたのを。
「私、実は朝日のことを一ヶ月以上前から知ってたんだ」
思いもよらない発言に次は俺が戸惑う。
あの衝撃的な出会いよりさらに前から、ヨルは俺を知っていた?
ただの偶然かと思っていた出会いは偶然じゃなく、必然だったのか?
混乱している俺に、ヨルは困ったように笑う。そうだよね、と俺の気持ちを汲み取りながらヨルは続ける。
「最初は電車で通学してるのを見かけてね。単語帳と格闘してたのをよく覚えてるよ。そのときの横顔がかっこいいなって思った、それが始まり」
当時を懐かしむように、ヨルは柔らかな笑みを浮かべる。まるでヨルの周りだけが春の昼下がりのような空気感があった。
「気づいたら目で追ってたんだよね。制服ですぐに学校も分かったし、どこで乗り降りしてるのかも乗ってるうちに把握した。それから朝日の横に並べる人になろうって決めて、髪を染めてメイクもネイルも覚えた。かっこいい朝日の横に並ぶには、そのくらいしなきゃいけないって思ってたから。でも、声をかける勇気はなかった。外側だけ変わっても中身はなにも変わってなかった。声をかけなきゃ、朝日は私のことを知らないのに。……そうしてうじうじ悩んでるうちに、朝日に彼女ができた」
笑顔で語っていたヨルは一瞬詰まらせたような様子を見せた後、話を続ける。
「ショックだったよ。しかもとっても可愛い彼女だったから。やっぱり私なんかじゃ朝日の横に並べないんだって思い知った。でも、諦めきれなかった。いつか朝日の横に並べる人になれるようにって願ってた」
ヨルの言う彼女とはえりのことだろう。一緒に電車で通学をしようと言ったのは過去にえりしかいないから。
ヨルの話に口を挟んではいけない。そんな気がしたから、俺はヨルの話を黙って聞いていた。
「そうしたら、朝日がまた一人で通学するようになった。落ち込んでるように見えたし、別れたんだってすぐに分かったよ。あるとき、私は朝日を追いかけてバッティングセンターに向かった」
それでフラれて傷心していた俺との出会いに繋がるのか。
ヨルがそんな気持ちを抱いて俺に話しかけていたとは思わなかった。まさかそんな経緯があったなんて知らなかった。
マフラーから見える髪を耳にかけ、ヨルは再び作った笑顔を俺に向ける。
「ヨルって名乗ったのも、本当の私じゃ朝日の横に並べないって気持ちがあったから、偽りの私に頼ることにしたの。朝日の名前を知って、すぐに思いついたんだ」
都合がいいとかミステリアスなんて簡単な理由じゃなかった。ヨルの本心に関わっていたなんて。
「私、とっても自分勝手でしょ。彼女にフラれてすぐなのに付き合おうとか言って、前の彼女のことを忘れさせるとか言うなんてさ」
「そんなことない。俺が過去を乗り越えるきっかけになったよ」
ヨルがいなければ、未練を抱いて引きずったままになっていただろう。ヨルのおかげで乗り越えられたと言っても過言ではない。
「クリスマスのときに電話番号を教えたのも、サプライズとか言ったけど結局は私のエゴ。朝日から電話をかけて欲しい口実だった」
「電話番号を教えてくれて嬉しかった。俺もヨルと電話がしたかった」
「それなら良かった。……でも私、教えたのはちょっと後悔してるんだよね」
「……どうしてだ?」
まさか後悔しているなんて言葉が返ってくると思わなかった。連絡先を知って喜んでいたのは俺だけだったのかと、ほんの少し胸が痛んだ。
「電話が来たときは嬉しかったよ。でも、前よりずっと朝日との距離が近くなっちゃったなって思って。別れるのが決まってるのに、どんどん距離が縮まってく。そんなの耐えられないよ」
ヨルは笑顔を作ったまま俯く。
俺は純粋に距離が縮まったことを喜んでいた。一方で、ヨルはそんな気持ちを抱いていたなんて。本当に俺はヨルのことをなにも分かっていなかった。
「最初はただの思い出にするつもりだったんだよ。だから一ヶ月って言ったの。朝日が楽しそうにしてくれて、名前を呼んでくれて、優しくしてくれて。とても嬉しかった」
静かに語るヨルは声が震えていた。笑顔なのに声が震えていて、間違いなく表情と感情がごちゃごちゃに入り混じっている。
「朝日」
唇を噛み、ヨルは俺に向き直る。大きく息を吸い、満面の笑みを見せる。
「私は、朝日が私と出会う前から、ずっと朝日のことが好きでした」
その瞬間、ヨルの目から涙が溢れた。涙は頬を伝い、マフラーに落ちていく。
俺がヨルと出会う前から、ヨルはずっと俺のことを好きだった。
その事実が俺の胸に突き刺さる。俺は黙って立ち尽くすことしかできなかった。
「朝日は太陽みたいにすごく眩しいんだ。だから友達も少ない、趣味もつまらない、勉強が少しできるだけの凡人の私には釣り合わない。私は一ヶ月だけでも朝日と一緒に過ごせて良かった」
ヨルは涙を拭わず、声を震わせながら思いの丈を俺にぶつけていく。必死に言葉を紡ぐ様子は、まるで今生の別れのように思えてしまった。
「夢を見せてくれて、ありがとう」
堪えられなかったのだろう。ヨルは顔を覆って啜り泣いた。
これ以上泣かないようにと声を押し殺して嗚咽をこぼす様子は、見ている俺も辛くて胸が張り裂けそうな光景だった。
だが、このままでは終わらせない。
