「朝日がいない日常に戻ろうとしてたの」
「なんでそんなこと……」
「だって、もう一ヶ月は過ぎてるでしょ。朝日と私はもう他人だよ」
振り向いたヨルの表情はとても明るかった。夕暮れに照らされた笑顔に、俺は思わず手を離しそうになった。
「急に他人に戻るのは大変だからね。だから少しずつ距離を置いて、朝日がいない世界に慣れようとしてたんだ」
明るくヨルの語る声は震えていた。そのせいですぐに取り繕った笑顔だと分かった。
なんでそんな強がるんだ。俺の前では強がらないでいて欲しかった。なのに、ヨルは俺に笑顔を向け続けていた。
「一ヶ月だけって約束で付き合い始めたのは覚えてるよね。だから一ヶ月を過ぎた今、朝日と私は元カレと元カノの関係だよ」
「ヨル、俺は」
「彼氏じゃないのに呼び捨てにしちゃ駄目か。西宮くんの方がいいよね」
「なぁ、聞いてくれよ」
「こんな二人でいるところ見られたら誤解されちゃうね。私から離れた方がいいよ――」
「ヨル!」
ヨルの言葉に被せるようにヨルを呼ぶ。ヨルの手を握る力も自然と強くなる。
先ほどまで繕っていたヨルから笑顔がすっと消えた。
「……離して」
「離さない」
「離してよ」
「絶対に嫌だ」
突き放すような言い方のヨルに負けず、俺は首を振って応える。
少しでも力を抜いたら、ヨルは手を振り払って立ち去ってしまうかもしれない。そんなことをさせないと、俺はヨルの手をしっかりと握る。
「連絡が取れなくなってから、俺はヨルのことをなにも知らないって気がついた。俺は付き合うだけ付き合って、ヨルのことを知ったつもりでいたんだ。だから、ヨルの本音を教えて欲しい」
日常に戻るなんて理由で連絡を取らなくなったなんて思わなかった。思いたくなかった。きっと他に理由があるはずだ。
「連絡を取らなくなった理由が俺にあれば謝る。この際なにも隠さずに伝えて欲しい」
「朝日はなにも悪くないよ。全部私が悪いの」
ヨルは俺から視線を逸らしてふぅと息を吐く。
「もし仮に全部を話したら、朝日は私のことを嫌いになる。そうなる前に、ヨルとして綺麗な思い出のまま終わらせた方がいいよ。その方が幸せになれる。朝日も、私も」
「嫌いになんてならない。だから教えてくれ」
「朝日が良くても私が駄目。朝日との思い出を綺麗なままにしておきたい」
思い出なんて綺麗なものばかりじゃないことの方が多い。それに、ヨルとの思い出の中に今さらなにが来たって汚されるなんてことはない。
「ひと夏の思い出じゃなくて、ひと冬の思い出。そういうのも素敵じゃないかな」
「なにが、そんなに嫌なんだ」
冷静さを取り戻し始めた俺が尋ねると、ヨルは目を伏せて首を振る。
「『私』なんかが、朝日と一緒にいちゃ駄目だからだよ」
消えてしまいそうな笑顔に、俺は耐えきれずにヨルの手を引き寄せた。そのまま強く抱きしめ、ヨルを包み込む。
「俺はヨルと一緒にいたい。……お願いだ。教えて」
言葉と共に、抱きしめる力が強くなる。
今ヨルがどんな気持ちでいるかは分からない。この行動も俺の衝動とエゴだ。ヨルを手放したくないという気持ちの表れだ。くさい台詞を言っている自信もある。それでも、ヨルを離したくなかった。
時間にしてどのくらいだろうか。しばらく無言でヨルを抱きしめる時間が続いた。
「……ずるいよ。朝日、そういうとこがかっこいいんだから」
ヨルは静かに俺から離れ、小さく笑みを見せた。繕った笑顔ではない、本心から出た笑顔だと俺にも伝わった。
「そんな風にお願いされたらいいって言っちゃうよ」
一人呟くようにヨルは言い、俺から視線を外して星が見え始めた空を見上げる。
「私、ずっと朝日と出かけた場所に一人で出かけてたんだ。朝日との思い出を一人で楽しんでたの。ここで会ったってことは、多分朝日も同じことを考えてたんだよね」
ヨルの問いかけに俺は頷く。同じことを、同じ気持ちでしていたとは思わなかった。
俺がヨルを忘れられない未練がましい行動かと思っていたが、同じ気持ちを抱いてここに辿り着いたのか。ならば、偶然なんかじゃない。
「俺から聞いてもいいか?」
「うん。なんでも聞いていいよ」
「なんで海に行きたいって言ったんだ?」
「純粋に朝日と見に行きたかったの。それで、そこで私のことを話そうかなと思ってた。でも直前になって怖気づいて、逃げ出しちゃった」
本当なら、あの日にヨルのことを知れるはずだったのか。本当の自分を知ってもらうには勇気がいるから、その勇気が突如消えてしまったのだろう。それでヨルを責め立てる気持ちはない。俺だってヨルと同じ立場になったら逃げ出してしまうかもしれない。
「それと、あの海の近くにあった学校。ヨルが通ってるんだろ」
俺が言うと、ヨルは分かりやすく動揺した。困惑が混じった表情は、「どうして朝日が知ってるの」と迫ってきそうな雰囲気だった。
学校も教えていないのにどうやって辿り着いたのかと思うだろう。あのときの俺は探偵も顔負けの行動力だったと思う。
「色々あったけど、ジャージで判断した。バッティングセンターで履いてただろ」
「……そういうことか。制服でバレないと思ってたけど、そこまでは気が回ってなかったな」
スカートをひらりと翻すヨル。コートの下から見えるのは見慣れた制服ではなく、紺色の膝丈ほどのスカートだった。
「制服は、今着てるのが本当の制服だよな」
「そうだよ。今まで着てたのは通販で買ったんだ」
「なんで制服をわざわざ用意したんだ?」
「だって、この制服ダサいでしょ。朝日の横に並ぶなら可愛い制服じゃなきゃ」
そこまで拘る理由が俺には分からなかった。なぜ制服まで偽る理由があったのか。
ヨルはなにが本当で、なにが偽物なのか分からなくなり始めた。それでもヨルは本音を話すと伝えてくれた。だから俺はヨルの話を信じることにした。
「なんでそんなこと……」
「だって、もう一ヶ月は過ぎてるでしょ。朝日と私はもう他人だよ」
振り向いたヨルの表情はとても明るかった。夕暮れに照らされた笑顔に、俺は思わず手を離しそうになった。
「急に他人に戻るのは大変だからね。だから少しずつ距離を置いて、朝日がいない世界に慣れようとしてたんだ」
明るくヨルの語る声は震えていた。そのせいですぐに取り繕った笑顔だと分かった。
なんでそんな強がるんだ。俺の前では強がらないでいて欲しかった。なのに、ヨルは俺に笑顔を向け続けていた。
「一ヶ月だけって約束で付き合い始めたのは覚えてるよね。だから一ヶ月を過ぎた今、朝日と私は元カレと元カノの関係だよ」
「ヨル、俺は」
「彼氏じゃないのに呼び捨てにしちゃ駄目か。西宮くんの方がいいよね」
「なぁ、聞いてくれよ」
「こんな二人でいるところ見られたら誤解されちゃうね。私から離れた方がいいよ――」
「ヨル!」
ヨルの言葉に被せるようにヨルを呼ぶ。ヨルの手を握る力も自然と強くなる。
先ほどまで繕っていたヨルから笑顔がすっと消えた。
「……離して」
「離さない」
「離してよ」
「絶対に嫌だ」
突き放すような言い方のヨルに負けず、俺は首を振って応える。
少しでも力を抜いたら、ヨルは手を振り払って立ち去ってしまうかもしれない。そんなことをさせないと、俺はヨルの手をしっかりと握る。
「連絡が取れなくなってから、俺はヨルのことをなにも知らないって気がついた。俺は付き合うだけ付き合って、ヨルのことを知ったつもりでいたんだ。だから、ヨルの本音を教えて欲しい」
日常に戻るなんて理由で連絡を取らなくなったなんて思わなかった。思いたくなかった。きっと他に理由があるはずだ。
「連絡を取らなくなった理由が俺にあれば謝る。この際なにも隠さずに伝えて欲しい」
「朝日はなにも悪くないよ。全部私が悪いの」
ヨルは俺から視線を逸らしてふぅと息を吐く。
「もし仮に全部を話したら、朝日は私のことを嫌いになる。そうなる前に、ヨルとして綺麗な思い出のまま終わらせた方がいいよ。その方が幸せになれる。朝日も、私も」
「嫌いになんてならない。だから教えてくれ」
「朝日が良くても私が駄目。朝日との思い出を綺麗なままにしておきたい」
思い出なんて綺麗なものばかりじゃないことの方が多い。それに、ヨルとの思い出の中に今さらなにが来たって汚されるなんてことはない。
「ひと夏の思い出じゃなくて、ひと冬の思い出。そういうのも素敵じゃないかな」
「なにが、そんなに嫌なんだ」
冷静さを取り戻し始めた俺が尋ねると、ヨルは目を伏せて首を振る。
「『私』なんかが、朝日と一緒にいちゃ駄目だからだよ」
消えてしまいそうな笑顔に、俺は耐えきれずにヨルの手を引き寄せた。そのまま強く抱きしめ、ヨルを包み込む。
「俺はヨルと一緒にいたい。……お願いだ。教えて」
言葉と共に、抱きしめる力が強くなる。
今ヨルがどんな気持ちでいるかは分からない。この行動も俺の衝動とエゴだ。ヨルを手放したくないという気持ちの表れだ。くさい台詞を言っている自信もある。それでも、ヨルを離したくなかった。
時間にしてどのくらいだろうか。しばらく無言でヨルを抱きしめる時間が続いた。
「……ずるいよ。朝日、そういうとこがかっこいいんだから」
ヨルは静かに俺から離れ、小さく笑みを見せた。繕った笑顔ではない、本心から出た笑顔だと俺にも伝わった。
「そんな風にお願いされたらいいって言っちゃうよ」
一人呟くようにヨルは言い、俺から視線を外して星が見え始めた空を見上げる。
「私、ずっと朝日と出かけた場所に一人で出かけてたんだ。朝日との思い出を一人で楽しんでたの。ここで会ったってことは、多分朝日も同じことを考えてたんだよね」
ヨルの問いかけに俺は頷く。同じことを、同じ気持ちでしていたとは思わなかった。
俺がヨルを忘れられない未練がましい行動かと思っていたが、同じ気持ちを抱いてここに辿り着いたのか。ならば、偶然なんかじゃない。
「俺から聞いてもいいか?」
「うん。なんでも聞いていいよ」
「なんで海に行きたいって言ったんだ?」
「純粋に朝日と見に行きたかったの。それで、そこで私のことを話そうかなと思ってた。でも直前になって怖気づいて、逃げ出しちゃった」
本当なら、あの日にヨルのことを知れるはずだったのか。本当の自分を知ってもらうには勇気がいるから、その勇気が突如消えてしまったのだろう。それでヨルを責め立てる気持ちはない。俺だってヨルと同じ立場になったら逃げ出してしまうかもしれない。
「それと、あの海の近くにあった学校。ヨルが通ってるんだろ」
俺が言うと、ヨルは分かりやすく動揺した。困惑が混じった表情は、「どうして朝日が知ってるの」と迫ってきそうな雰囲気だった。
学校も教えていないのにどうやって辿り着いたのかと思うだろう。あのときの俺は探偵も顔負けの行動力だったと思う。
「色々あったけど、ジャージで判断した。バッティングセンターで履いてただろ」
「……そういうことか。制服でバレないと思ってたけど、そこまでは気が回ってなかったな」
スカートをひらりと翻すヨル。コートの下から見えるのは見慣れた制服ではなく、紺色の膝丈ほどのスカートだった。
「制服は、今着てるのが本当の制服だよな」
「そうだよ。今まで着てたのは通販で買ったんだ」
「なんで制服をわざわざ用意したんだ?」
「だって、この制服ダサいでしょ。朝日の横に並ぶなら可愛い制服じゃなきゃ」
そこまで拘る理由が俺には分からなかった。なぜ制服まで偽る理由があったのか。
ヨルはなにが本当で、なにが偽物なのか分からなくなり始めた。それでもヨルは本音を話すと伝えてくれた。だから俺はヨルの話を信じることにした。
