「……そっか。じゃあ駄目だね」

 俺の気持ちが伝わったのか、えりは静かに目を伏せた。
 自然と拳に力が込められていたのに気がつき、俺は息を吐いて力を抜く。

「ただやめとくって言えばいいのに、わざわざ好きな子がいるって教えてくれたね」
「これは、その、理由もなく断るのは申し訳ないかなって思って……!」
「分かってるよ」

 俺の必死な様子が可笑しかったのか、えりは吹き出す。

「西宮って昔から正直者だよね。馬鹿正直」

 ケラケラと笑うえりは、確実に俺を揶揄っているのだと分かった。俺は嘘が苦手だし嘘がつけないのは、えりもよく分かっている。

「だから、あたしは西宮と付き合おうって思ったんだよね」

 椅子に寄りかかり、だらけた格好で天井を見上げる。

「いいところは優しくて正直者ってだけで、成績もそこまでいいとは言えないのにね。あ、顔はかっこいいと思うよ。後輩もかっこいいって言ってたし」

 褒められているのか貶されているのかイマイチ分からない。いい部分だけ受け取ることにしよう。

「だから、西宮と付き合ってて楽しかったよ。今も十分楽しいけど」

 えりは気恥ずかしそうに笑う。今が楽しいと言ってくれただけで俺は安心した。

「俺もえりと付き合えて良かった。……別れるのは辛かったけど」

 えりとの思い出がいくつも頭をよぎり、別れ話を切り出されたときのことが脳裏に浮かぶ。気まずそうにしているえりの表情は今でも忘れられない。

「本当は別れたくなかった。けど、えりが言いにくそうにしてたから思わず別れようって口に出してた」
「……そうだったんだ」
「でも、今はもう前を向いてる」

 俺の言葉は自分でも思うくらいに力強かった。過去の出来事が砂のように流れ落ちていって、ヨルの姿が映し出されたような気がした。

「俺は告白して、えり以上に幸せになるから」
「……西宮、本当に正直者だね」

 椅子から立ち上がり、ふふ、と可笑しそうに笑う。

「そういうとこ、嫌いじゃないよ」
「ありがとな。褒め言葉として受け取るよ」

 空気が和んだところで見回りの先生に追い立てられ、俺たちは自然と校舎を出る形になった。
 えりは自転車通学をしているので、一緒に駐輪場に向かう。俺は先に帰ろうとしたが、「せっかくだから一緒に帰ろうよ」と引き止められた。俺は自転車を出すえりを苦い顔をして見守る。

「彼氏に見られたらどうすんだよ。責め立てられるのは勘弁だぞ」
「優しいからそんなことしないよ。彼氏も前の彼女と仲良いって言ってたし」

 そういうものなのか。寛容というか、そこに関してはドライなのかもしれない。それなら気にせず一緒に帰らせてもらおう。
 もしかしたら明日、えりと歩いているところを目撃した同級生から噂が広まるかもしれないが、断じてそんなことはないと割り切ろう。実際なにもないのだから。

「そういえば西宮はさ、なんで一人で教室に残ってたの?」

 えりの問いかけに俺は心臓が跳ねる。
 これはヨルとのことを正直に伝えた方がいいのだろうか。流石に本名も知らずに期間限定で付き合っているなんて言えない。

「……さっき言った好きな子からの連絡を待ってた、かな」
「そうなんだ。いいね」

 嘘は言っていない。えりもすぐに納得してくれたようで、自転車を押して歩き出した。
 もしかして、えりにヨルのことを相談したらいい答えが返ってくるだろうか。大きく深呼吸をして、意を決した俺は口を開く。

「なぁ。また連絡するよって言われて、一週間来なかったらこっちからかけてもいいよな?」
「当たり前でしょ。ていうかそれ、西宮からの連絡待ちでしょ」
「でも、俺がいくらかけても出ないんだよ」
「はぁ、変なの」

 えりは納得いかない表情で首を傾げる。どうやら同性のえりから見てもヨルの行動は不思議に思うらしい。
 うーん、とえりは自転車を押しながら難しい顔をする。

「西宮を意図的に避けてるような感じするね。嫌われるようなことした?」
「してない……と思う」
「なんで自信ないの。してないなら自信持ちなよ」

 初詣のときは特になにもしていない。強いて言えばおみくじで俺が中吉、ヨルが末吉だったくらいだ。流石のヨルでも、そんな子供じみた理由で連絡を取らないとは思えない。その後も電話で連絡を取っていたし、失言はしていない。
 体調不良なら、治ったらなにかしら連絡をしてくれるはずだし、やはり心当たりがなかった。

「クラスの誰か?」
「他校……のはず」
「じゃあ学校に直接行ってみたら? もしかしたら会えるんじゃない?」

 やっぱり、連絡が取れないなら直接会いに行くのが普通だよな。でも、普通じゃないからそれができない。

「……学校、知らない」
「なんでよ。学校くらい流石に知ってるでしょ」

 俺の沈んだ表情から悟ったのか、えりから向けられた顔には軽蔑や驚きが混ざっているような気がした。

「好きな子なのに、学校も知らないの?」
「っ……確かに、なにも知らない」

 言い返せなかった。俺はヨルのことをなにも知らない。知ったつもりでいた。ヨルが隠し通すからという理由だけで、ヨルのことを知ろうとしなかったのは俺だ。全ては俺の怠慢が引き起こしたのだ。
 えりもなにも返さず、自転車の小さく鳴るホイールの音だけがしばらく響いていた。

「じゃあさ」

 自転車を押すのをやめたえりは声を上げる。見ると、名案を思いついたかのような明るい表情を見せていた。

「制服教えてよ。制服で高校探してたときあったし、近場なら大体分かるよ」

 制服から学校を探すというのはすっかり頭から抜け落ちていた。しかも詳しいえりなら、尚更すぐに答えに辿り着けそうだ。
 俺はヨルの着ていた制服の特徴を伝えていく。えりはすぐに「あそこかな」とか「あっちかも」と候補を絞っていく。いくつかの高校のホームページも一緒に調べながら、情報をまとめていった。
 ようやくヨルに近づけるのかと、俺は段々と希望が見えてきた。
 ヨルの着ていた制服の特徴を伝え終えると、えりは悩んだ素振りを見せた後に呟いた。

「多分だけど、通販とかで買ったのを組み合わせてる……と思う」

 えりから伝えられた事実は、俺を現実に引き戻すには十分すぎるものだった。つまり、ヨルは既存ではない制服を着て俺と会っていたことになる。

「調べたのとあたしが知ってる高校にはないし……だから、私服がオッケーな学校か、そもそもその子が制服を着て会ってないんだと思う」
「……そっか」

 ヨルが制服まで隠して俺と会っていたという事実に、ほんの少しだけ悲しくなった。それくらいなら曝け出してくれるだろうという希望があったからこそ。だったら、徹底的にヨルを暴いてみせようという気持ちにさせてくれた。

「ごめん。役に立たなくて」
「いや、それが分かっただけで十分だよ。ありがとう」

 駅に着いたところでえりとは別れた。
 えりとはあんなに普通に話せたから、俺も過去を乗り越えたのだと成長を実感できた。
 後は俺がヨルを見つけ出す番だ。ヨルを必ず見つけ出して、話をして、告白をする。

『困ったらいつでも連絡してよね』

 帰宅すると、えりからコメディチックなスタンプと共にメッセージが届いていた。
 えりが協力的なことに感謝しつつ、俺はなにか困ったら助けて欲しいという内容の返信をした。
 とにかくヨルを見つけるしかない。話はそれからだ。俺は改めて決意を固めた。