放課後。授業が終わるとすぐに教室を飛び出し、人気の少ない体育館裏へ駆け込む。スマホを取り出し、通話履歴を辿ってヨルに電話をかける。
一定のペースで鳴り続けるコール音は、今の俺には苛立ちを覚える対象でしかなかった。ようやくコール音が途切れ、無音になる。
「もしもし、ヨル――」
『留守番電話サービスに接続します。ピーという発信音の後に、お名前とご用件を――』
すぐさまヨルを呼んだが、繋がったのはヨルではなかった。俺は流れる機械音を呆然と聞き流していた。
「なんで繋がらないんだよ……!」
通話を切り、スマホを強く握りしめる。
悔しい。タイムリミットを迎えることさえ気づけなかった俺に、ヨルを待つばかりでなにも気にしていなかった俺に。あまりにも情けなくて怒りも湧いてくる。
どうすればヨルに会える。またあの海に行けば会えるだろうか。焦るばかりで気持ちが追いつかない。
ヨルと会う方法が俺には思いつかなかった。本名も知らない、住所も知らない、電話番号しか知らない。しかも今は連絡が取れない。そんな人にどうやって会えと言うのか、一切思いつかなかった。
無力感に襲われた俺は、教室で机に突っ伏していた。ヨルから電話がかかって来て欲しいと、心のどこかで願っていた。スマホを机の上に置き、いつかかってきてもいいように心の準備をする。
今頃、ヨルのスマホには俺の不在着信が大量に届いている。電話をかけたことも分かっているはずだ。
「西宮、帰らねぇの?」
「……まだ残る」
「うっす。じゃあまた明日」
残っていたクラスメイトたちも俺の雰囲気を察したのか、無理に誘わずに帰っていった。窓の外では部活に勤しむ声が聞こえてきたが、今の俺には素直に応援する気にはなれなかった。
結局、ヨルからの電話はかかって来なかった。
「……帰るか」
外もだいぶ暗くなってきて、部活終わりの賑やかな声が俺の耳に届いた。
この時間なら家に帰るまで電話は来ないだろう。予想した俺は鞄を持って出ようとする。
「西宮?」
教室の外から俺を呼んだのは、帰れと急かす先生でも、戻ってきたクラスメイトでもなかった。
声をかけたのは、元カノ――えりだった。
「……え?」
思わぬ人物の登場で、俺はその場に硬直する。
反対に、えりは特に気にした様子もなく、教室に一人きりの俺を見据えていた。
「ごめん。今日は先帰ってて」
えりは同じテニス部であろうジャージ姿の女子生徒に声をかけると、女子生徒たちは空気を読んで立ち去っていった。そして教室には二人きり。
俺はなにも言葉を発せないまま、鞄を持って立ち尽くしていた。
なぜえりがここにいるのか。なぜ二人きりという状況を作ったのか。いくつもの疑問が頭に浮かぶが、どれも言葉にならずにかき消えた。
「元気?」
ジャージ姿のえりは、教室の端にあった椅子を引き寄せて腰掛ける。俺に向ける表情は昔と変わらず、爽やかで明るいものだった。
俺がなにも返せていないのを気にしたのか、えりは小さく眉を寄せる。
「なにその反応。無視されるのは流石に傷つくんですけど」
「え、あ、いや……一応、別れたわけだし……直接会うのはどうなのかなって……」
「えぇ? 別に絶交したわけじゃないでしょ」
「それは、そうだけど……」
もっともなことを言われ、俺はなにも言えなくなってしまう。確かに縁を切ったわけではない。ただ交際が終わった関係というだけだ。
それでも気まずいのは間違いない。なのに、えりは何事もないかのように振る舞っていて、俺がおかしいのかと錯覚してしまう。できるだけ顔を合わせず、隣のクラスも余程の用事がない限り行くのを避けていたのに。
元々えりはサッパリしている性格だし、俺と別れてもそこまで引きずるようなタイプではないのはなんとなく理解している。だからこそ、今俺に話しかけて以前と変わらない雰囲気で話せているのだろう。
逆に俺はとても未練タラタラで、ヨルにも慰められていたのが女々しいように思えてしまう。
「最近の西宮、楽しそうだよね。なにかいいことあった?」
付き合っていたときは名前呼びだったのに、何食わぬ顔で名字で呼んで会話を続けている。えりのそういうところは本当にメンタルが図太いと思う。
えりに言われ、思い当たることはもちろんある。ヨルとの出会いだ。
普通ならフラれて傷心して落ち込んでいるだろうが、以前と変わらない明るさを保てているのはヨルがいたからだ。ヨルがいたから、俺の人生は以前より輝いている。
「……まぁ、いいことはあったな」
「へぇ。それはなにより」
俺の少し和らいだ表情からなにかを察したのだろう。えりもニヤリと笑って相槌を打つ。
「今日話しかけたのは雑談もそうだけど、西宮に話があって」
「話?」
同じ部活の人に先に帰ってと言うくらいだから、なにか大事な話があるのだろう。
話とはなんだろうか。勉強のことはわざわざ俺に聞く必要がないから、俺とえりに関係があることなのは違いない。だったらやはり、これまでの交際のことや今現在のことに絞られる。
これまで付き合ったときの金を返せだとか、プレゼントを返せだとか言われるのだろうか。えりに限ってそんなことはないと信じたい。
それとも、今の彼氏と上手くいかないからどうすればいいかという相談か。ゲームセンターで見かけたときは順調な気もしたが。
どんな話をされてもいいように俺は身構える。
「西宮のこと、いいって言ってる子いるんだ」
えりから言われたのは、全く予想していない言葉。いいと言っている。それはつまり。
「別れたあたしから言うのも変かもしれないけど、紹介するよ」
そう来たか。予想外の提案に俺は息を呑む。
別れた俺を気遣ったのか、それとも前からいいと思っていたが、えりがいたから言い出せなかったのか。真意は不明だが、えりは厚意で言ってくれていることだけは確かだ。
「テニス部の後輩なんだけどね。控えめだけどいい子だし、西宮とも上手くやっていけると思うよ」
えりの言う後輩はどのタイミングで俺を知ったのか。他学年を知る機会なら体育祭か、それとも文化祭か。そこまで目立っていたつもりはないが、なにかしらのきっかけで俺を知ってくれたのだろう。
「どう?」
首を傾げて問いかけるえり。
これが誰も相手がいないのなら、絶好の機会だろう。しかも相手は俺をいいと思ってくれている。普通なら逃していいチャンスではない。俺もなにもなければえりの誘いに乗っていただろう。
だが、今の俺は違う。
「……悪いけど、やめとく」
俺には、ヨルがいる。
ヨルがいるから、俺の世界は変わった。一ヶ月という短い期間で、あれだけ濃密な時間を過ごせたのはヨルがいたからだ。ヨル以外の誰かじゃ過ごせなかった。ヨルじゃなきゃ駄目なんだ。
「俺には好きな子がいる」
ヨルが好きだ。ヨルの姿を、笑顔を、もう一度この目で見たい。
俺はえりを真っ直ぐ見つめる。
一定のペースで鳴り続けるコール音は、今の俺には苛立ちを覚える対象でしかなかった。ようやくコール音が途切れ、無音になる。
「もしもし、ヨル――」
『留守番電話サービスに接続します。ピーという発信音の後に、お名前とご用件を――』
すぐさまヨルを呼んだが、繋がったのはヨルではなかった。俺は流れる機械音を呆然と聞き流していた。
「なんで繋がらないんだよ……!」
通話を切り、スマホを強く握りしめる。
悔しい。タイムリミットを迎えることさえ気づけなかった俺に、ヨルを待つばかりでなにも気にしていなかった俺に。あまりにも情けなくて怒りも湧いてくる。
どうすればヨルに会える。またあの海に行けば会えるだろうか。焦るばかりで気持ちが追いつかない。
ヨルと会う方法が俺には思いつかなかった。本名も知らない、住所も知らない、電話番号しか知らない。しかも今は連絡が取れない。そんな人にどうやって会えと言うのか、一切思いつかなかった。
無力感に襲われた俺は、教室で机に突っ伏していた。ヨルから電話がかかって来て欲しいと、心のどこかで願っていた。スマホを机の上に置き、いつかかってきてもいいように心の準備をする。
今頃、ヨルのスマホには俺の不在着信が大量に届いている。電話をかけたことも分かっているはずだ。
「西宮、帰らねぇの?」
「……まだ残る」
「うっす。じゃあまた明日」
残っていたクラスメイトたちも俺の雰囲気を察したのか、無理に誘わずに帰っていった。窓の外では部活に勤しむ声が聞こえてきたが、今の俺には素直に応援する気にはなれなかった。
結局、ヨルからの電話はかかって来なかった。
「……帰るか」
外もだいぶ暗くなってきて、部活終わりの賑やかな声が俺の耳に届いた。
この時間なら家に帰るまで電話は来ないだろう。予想した俺は鞄を持って出ようとする。
「西宮?」
教室の外から俺を呼んだのは、帰れと急かす先生でも、戻ってきたクラスメイトでもなかった。
声をかけたのは、元カノ――えりだった。
「……え?」
思わぬ人物の登場で、俺はその場に硬直する。
反対に、えりは特に気にした様子もなく、教室に一人きりの俺を見据えていた。
「ごめん。今日は先帰ってて」
えりは同じテニス部であろうジャージ姿の女子生徒に声をかけると、女子生徒たちは空気を読んで立ち去っていった。そして教室には二人きり。
俺はなにも言葉を発せないまま、鞄を持って立ち尽くしていた。
なぜえりがここにいるのか。なぜ二人きりという状況を作ったのか。いくつもの疑問が頭に浮かぶが、どれも言葉にならずにかき消えた。
「元気?」
ジャージ姿のえりは、教室の端にあった椅子を引き寄せて腰掛ける。俺に向ける表情は昔と変わらず、爽やかで明るいものだった。
俺がなにも返せていないのを気にしたのか、えりは小さく眉を寄せる。
「なにその反応。無視されるのは流石に傷つくんですけど」
「え、あ、いや……一応、別れたわけだし……直接会うのはどうなのかなって……」
「えぇ? 別に絶交したわけじゃないでしょ」
「それは、そうだけど……」
もっともなことを言われ、俺はなにも言えなくなってしまう。確かに縁を切ったわけではない。ただ交際が終わった関係というだけだ。
それでも気まずいのは間違いない。なのに、えりは何事もないかのように振る舞っていて、俺がおかしいのかと錯覚してしまう。できるだけ顔を合わせず、隣のクラスも余程の用事がない限り行くのを避けていたのに。
元々えりはサッパリしている性格だし、俺と別れてもそこまで引きずるようなタイプではないのはなんとなく理解している。だからこそ、今俺に話しかけて以前と変わらない雰囲気で話せているのだろう。
逆に俺はとても未練タラタラで、ヨルにも慰められていたのが女々しいように思えてしまう。
「最近の西宮、楽しそうだよね。なにかいいことあった?」
付き合っていたときは名前呼びだったのに、何食わぬ顔で名字で呼んで会話を続けている。えりのそういうところは本当にメンタルが図太いと思う。
えりに言われ、思い当たることはもちろんある。ヨルとの出会いだ。
普通ならフラれて傷心して落ち込んでいるだろうが、以前と変わらない明るさを保てているのはヨルがいたからだ。ヨルがいたから、俺の人生は以前より輝いている。
「……まぁ、いいことはあったな」
「へぇ。それはなにより」
俺の少し和らいだ表情からなにかを察したのだろう。えりもニヤリと笑って相槌を打つ。
「今日話しかけたのは雑談もそうだけど、西宮に話があって」
「話?」
同じ部活の人に先に帰ってと言うくらいだから、なにか大事な話があるのだろう。
話とはなんだろうか。勉強のことはわざわざ俺に聞く必要がないから、俺とえりに関係があることなのは違いない。だったらやはり、これまでの交際のことや今現在のことに絞られる。
これまで付き合ったときの金を返せだとか、プレゼントを返せだとか言われるのだろうか。えりに限ってそんなことはないと信じたい。
それとも、今の彼氏と上手くいかないからどうすればいいかという相談か。ゲームセンターで見かけたときは順調な気もしたが。
どんな話をされてもいいように俺は身構える。
「西宮のこと、いいって言ってる子いるんだ」
えりから言われたのは、全く予想していない言葉。いいと言っている。それはつまり。
「別れたあたしから言うのも変かもしれないけど、紹介するよ」
そう来たか。予想外の提案に俺は息を呑む。
別れた俺を気遣ったのか、それとも前からいいと思っていたが、えりがいたから言い出せなかったのか。真意は不明だが、えりは厚意で言ってくれていることだけは確かだ。
「テニス部の後輩なんだけどね。控えめだけどいい子だし、西宮とも上手くやっていけると思うよ」
えりの言う後輩はどのタイミングで俺を知ったのか。他学年を知る機会なら体育祭か、それとも文化祭か。そこまで目立っていたつもりはないが、なにかしらのきっかけで俺を知ってくれたのだろう。
「どう?」
首を傾げて問いかけるえり。
これが誰も相手がいないのなら、絶好の機会だろう。しかも相手は俺をいいと思ってくれている。普通なら逃していいチャンスではない。俺もなにもなければえりの誘いに乗っていただろう。
だが、今の俺は違う。
「……悪いけど、やめとく」
俺には、ヨルがいる。
ヨルがいるから、俺の世界は変わった。一ヶ月という短い期間で、あれだけ濃密な時間を過ごせたのはヨルがいたからだ。ヨル以外の誰かじゃ過ごせなかった。ヨルじゃなきゃ駄目なんだ。
「俺には好きな子がいる」
ヨルが好きだ。ヨルの姿を、笑顔を、もう一度この目で見たい。
俺はえりを真っ直ぐ見つめる。
