「……っし、準備完了」

 鏡の前で俺は意気込んだ。
 待ちに待ったデート当日。俺は朝から張り切って準備をした。
 朝起きてから今に至るまで、一つ一つの準備をいつも以上に丁寧に行った。おかげで準備は万端だ。普段はつけない香水を振り撒いて、ヨルからもらったハンドクリームも念入りに塗り込む。これで手を繋いでも大丈夫だ。
 待ちきれない俺は急かされるように家を出発する。
 結果として、待ち合わせ場所には時間より早く到着してしまう。空風が俺の肌を刺した。一月に海に来る物好きはいないのか、俺以外に人は誰もいなかった。
 今日は週の中でも結構な寒さとの予報だったというのを思い出した。海だから海風もあってとにかく寒い。手袋をしてくれば良かったと思うが、生憎俺は手袋を持っていない。今日くらいは我慢しよう。
 そこで俺は閃いた。温かい飲み物を持って待っていればいいということを。手も体も温まるから、ホットドリンクはこの季節の最強アイテムだ。
 ちょうどコンビニがあったのでコンビニに入り、目についたココアを手に取る。
 そこで俺は再び閃いた。俺の分だけでなく、ヨルの分のココアも買えばいいのではと。冷えた手に温かいココアがあるだけで気持ちの暖かさも全然違う。待ち合わせに来たヨルにすかさず手渡し、心も体も温まってもらう。完璧だ。
 購入してコンビニを出て、ヨルを待つ。改札を抜けて笑顔で俺を見つけ駆け寄る。その姿を想像しただけで胸が高鳴る。
 そろそろ待ち合わせ時間になる。俺は今一度自分の身なりがきちんとしているかと確かめる。朝の寝癖も整えたし、服のほつれも埃もない。手には二本のココア。ヨルを待つ準備は今度こそ万端だ。
 しかし、待ち時間になってもヨルは来なかった。
 都会のような人混みは一切ないから、俺の姿はすぐに見つけられるはず。初詣のように電車が遅延しているのだろうか。焦ってもいいことはない。俺はひと足先にココアを飲んで待つことにした。
 十分後。まだ来ない。二十分後。まだ来ない。三十分後。まだ来ない。
 三十分を過ぎた頃から、俺はおかしいということにようやく気がついた。明らかに電車の遅延ではない。ここまで遅れるならなにかしらの連絡が来るはずだ。
 俺は電話をしたい気持ちをぐっと堪えた。連絡先を交換したとはいえ、最初の約束では一時間までに来なければ解散。また翌日に待ち合わせ。
 焦る気持ちと冷静になれという気持ちが心の中でせめぎ合っていた。
 だが、どうしても我慢できなかった。ここまで連絡が取れない以上、ヨルが心配だ。
 スマホを取り出して通話履歴を辿り、ヨルに電話をかける。
 コール音が響き、俺の心臓もバクバクと跳ねる。頼むから出て欲しいと願うばかりだ。

『……もしもし』

 十数秒のコール音の後、ヨルの静かな声がした。ヨルの声が聞けたことで、俺の強張っていた体はふっと力が抜けた。焦っていた感情を悟られないよう、できるだけ平静を装う。

「良かった。まだ来れてないけど、なにかあったのか?」
『……ううん、なんにもない』

 俺の問いに応えるヨルの声からは覇気が一切感じられなかった。もしかして、と俺の中に嫌な予感が生まれる。

「体調、悪いのか?」
『そんなことない。元気だよ……うん、元気』

 元気と言いつつ、ヨルの返答は非常に弱々しい。やはり体調が悪いのでは。

『……ごめんなさい』

 俺が言葉を紡ぐ前に、ヨルは謝罪の言葉を口にした。なぜこのタイミングで謝るのか、俺には分からなかった。

『行けなくて、ごめんなさい』

 ヨルの声は今にも泣き出しそうなくらいに弱かった。まるで行けないことを謝っているだけじゃないように思えてしまった。
 俺もヨルを責め立てる気持ちは一切なかった。不調の中で電話に出てくれただけで俺には十分だった。

「謝る必要ないって。また予定立てればいい話だろ」

 俺が言うと、ヨルは『うん』と何度も頷いていた。

『……また、こっちからかけ直すね』
「あぁ、待ってるよ」

 俺の言葉を最後に通話画面は暗くなる。スマホをしまい、一つ息を吐く。
 今日はヨルと会えない。つまり告白は延期。その事実をゆっくりと受け止めた俺の間を一際強い風が吹く。コートを突き抜けて肌を刺した感覚がした。
 俺の持っていた二本のペットボトルは、すっかり冷めきっていた。

   * * *

 それから、一週間が経った。
 ヨルからは一度も連絡がなく、俺はスマホの画面をぼんやりと見つめる人間になっていた。かけ直すと言ってくれたから、俺はとにかくヨルを信じて待つことにした。待ちすぎて最早抜け殻と化している状態だ。

「西宮、元気ないな」

 クラスメイトも俺の異変には気がついているようで、机に突っ伏している俺を囲んで雑談を始めた。特に深刻そうには思われていないようだ。

「そろそろテストだし、夜中も勉強してんのか?」
「だよな。じゃないとこの腑抜け具合はなかなか見ない」

 茶化してくれるだけで有り難い。じゃないと俺は耐えきれずにおかしな行動に出ていたかもしれないから。

「それにしても、一月ももう中旬だな」
「それな。ついこの間年を越したばっかりなのに、早いよな」

 中旬か。ヨルと初詣に行ったのが遠い昔に感じてしまう。
 ……ん? 待てよ。
 今は、一月中旬?
 俺は慌てて起き上がる。椅子がガタガタと音を立て、驚いたクラスメイトたちが一斉に俺を見る。

「どうした西宮」
「今日って何日だ!?」

 俺の詰め寄らんばかりの勢いに圧倒されながら、クラスメイトたちは各々日付を確認する。

「今日は……十五日だな」

 俺も急いでスマホを開き、カレンダーアプリで日付を確認する。そこには、確かに一月十五日に印がついていた。

「なぁ、どうしたんだよ」
「タイムリミットだ……」
「タイムリミット?」

 俺はぼーっとしていて全く気にしていなかった。すっかり頭から抜け落ちていた。
 今日は、一ヶ月のタイムリミットを迎える日だった。