「めでたく彼氏と彼女になったし、早速デートしよっか」
「はいはい。どこ行きたいんだよ」
「そうだなぁ、どこがいいかなぁ」

 ヨルはうきうきとした調子で思案する。浮かれる様子はミステリアスさが多少なくなり、年相応の雰囲気を見せていた。元カノと付き合い始めたときも、初めはこんな風に行きたいところを一生懸命考えてくれていた。
 そこまで考えて俺は気がついてしまった。まだ俺は彼女に対して未練を抱いているのだと。ヨルと重なる瞬間があるたびに頭の中でちらついている。未練がましいのか、女々しいのか。別れて間もないから考えてしまうのも許して欲しい。

「さっき朝日がやってたし、私もバッティングしてみたいな」

 と言って、ヨルは鼻歌を歌いながらバットを借りてくる。一丁前に構えてその場で素振りもしていた。危ないから周りに迷惑をかけるのだけはやめてくれ。一緒にいる俺も同罪になる。
 戻ってきたヨルは、鞄から臙脂色のジャージを取り出してスカートの下に履いていく。
 男子の目の前で堂々と着替えるなんて、恥じらいというものはないのかと言いたくなる。とにかく目のやり場に困るから、もう少しこっそりと着替えて欲しい。目を離さない俺も俺で文句を言われるかもしれないが。
 着替え終わったヨルは再びバットを持ち、ネットの向こうのバッターボックスに視線を移す。

「どうやって打てばいいの? 来たことないからやり方知らないんだよね」
「バッターボックスに入ったら、横の機械でボールの速度を決めて、あとは狙いを定めて打つだけ」
「簡単なんだね。あとはやってみれば分かるかな」

 ヨルは軽い足取りでバッターボックスに入り、バットを構える。女子らしい可愛らしい構えだ。
 ヨルの運動神経はどんなもんかと、俺は腕を組んで後方から見守ることにした。運動ができない俺ができる態度ではないが。
 ――結果は、非常に上手かった。
 最初は空振りや軽く当たる程度だったが、何本かやっているとボールを確実に打てるようになっていた。なんなら今ホームランを打って、遠くの的に当たった。

「どう? 意外と上手いでしょ」

 全てのボールを打ち終えたヨルは振り返り、俺に得意げに笑って見せる。夕方だというのに眩しい笑顔で、俺は思わず目を細めた。

「……否定できない」
「なにそれ。捻くれてないで褒めてよ」

 唇を尖らせて、バットをぶんぶんと振るヨル。

「……あ。もしかして」

 なにかに気がついたのか、表情を一転させてヨルはニヤリと笑う。

「私の方が上手いから、認めるのが癪なんでしょ」
「なっ……!」
「一緒にやろうって言わないのも、苦手なのがバレるから恥ずかしくて言えないんでしょ」

 図星だ。的確に指摘された俺はなにも言えなくなってしまう。
 俺は運動が苦手だし、特に球技系はさっぱりだ。野球なんて体育の授業でしかやったことがないし、ポジションも役に立たないから外野でほとんど立ち尽くしていただけだ。

「彼女にフラれた悲しみをぶつけてたんだもんね。打つよりぶつける。無闇な打ち方をされてボールくんが可哀想」

 ケラケラとヨルに笑われ、俺のプライドに火がついた。

「そこまで言うならやってやるよ」

 俺にだってプライドはある。見事なバッティングを決めてヨルを見返してやろうじゃないか。
 俺はバットを受け取り、バッターボックスに立つ。
 ヨルより華麗にボールを打って、ホームランも何本も決めてやる。苦手でも最初から諦めてはいけない。やれると思えばやれる。一種の自己暗示だ。
 速度を決めると、ボールが勢いよく俺の元に射出される。
 俺は飛んできたボールを打つ――ことはなかった。空振り、空振り、空振り。見事に三振。
 ここまで打てないものかと、自分の運動神経と反射神経の悪さに泣きたくなる。
 笑い声が聞こえて振り返ると、ヨルが手を叩いて笑っていた。

「あー、面白。あれだけ意気込んでたのに」
「人の失敗を笑うとか最低だな」
「ごめんごめん。つい面白くて」

 ヨルは目元に溜まった涙を拭いながら謝る。誠意が一切見えないと怒りたいが、今はヨルではなくボールに集中したい。
 俺はバットを構え直し、飛んでくるボールを見据える。
 一度目は外れたが、二度目は掠った。負けじとバットを振り続けていると、ボールが当たるようになってきた。ほとんどゴロで、ボールが真っ直ぐ飛んでいくことはなかったが、俺にとっては大きな成長だ。
 ボールを全て打ち終えると、ヨルが笑顔で「お疲れ」と言ってきた。

「頑張ってたね。最後の方とかいい感じだったよ」
「もう一回やる」
「もう一回? いいよ、後ろで応援してるね」

 嫌な顔をせず、ヨルは「頑張れー」と応援の言葉をかけてくれた。
 ここまで来ると意地だ。今度こそホームランを打ってやる。運動神経が悪くて打てないという自分に負けたくなかった。
 ボールの速度を追えるギリギリにしたところで、にこやかに見守っているヨルに視線がいく。俺に付き合わせているのだから期待に応えなければと、バットを握る手が自然と強くなる。
 何度か振るうちに感覚を掴めるようになってきた。次第に真っ直ぐ打てるようになり、バットとボールがぶつかる小気味いい音が響き始めた。
 カキーン。
 最後の一球。ボールをしっかりと捉えてバットを振る。ボールは高く飛び、遠くのネットに当たった。
 ホームランを決めた。俺が、この手で。的には当たらなかったが、ホームランといっても差し支えはないだろう。
 俺の中にじわじわと嬉しさが込み上げてきて、蹲って喜びを噛み締めた。

「っしゃあ!」

 恥も忘れて達成感と感動に震えた俺は勢いよく立ち上がり、ヨルの方に振り返る。

「見たか! 俺だってやればできるんだよ!」

 俺は全力のドヤ顔をヨルに向ける。まぐれなのは間違いないが、これで多少なりとも見直してくれたはずだ。

「すごいね。流石朝日だよ」

 ヨルははしゃぐわけでもなく、穏やかな微笑みで俺を称えてくれた。

「お、おぉ、ありがと……」

 母親が子供を褒めるような反応をすると思わなかったから、どうも気恥ずかしい。俺はバットを軽く回して、当然だという風に誤魔化した。

「どう、満足した?」
「おかげさまで。一応ホームランも打てたし」

 お互い十分打ったので、バッティングセンターを出ることにした。