ヨルとのクリスマスデートが終わっても、俺の浮ついた気持ちは消えなかった。翌日の二十五日は家族とクリスマスを過ごしたが、ずっと上の空で寿司とケーキを食べていた。
 クリスマスに予定がないと嘆いていたクラスメイトたちは、宣言していた通りピザパを開催していた。パーティーの様子がSNSに投稿されていて、なんだかんだ全力でクリスマスを楽しんでいたようだった。
 俺はヨルからもらったお菓子――中身はチョコレートだった――を毎日一粒ずつ丁寧に味わっていた。冷蔵庫にしまっているため、どうしても親にチョコレートの存在を知られてしまう。そこで親には「クラスメイトとのプレゼント交換でもらった」とあまりにも適当な嘘をついておいた。
 世間もクリスマスが終われば、すぐに年末年始に向けて動き出す。近くのスーパーやコンビニもクリスマスの装飾はすっかりなくなり、和風の装いへと変わっていた。いつも思うが、日本人のイベントの切り替えの速さは驚きを超えて笑ってしまう。
 冬休みを謳歌している俺に襲いかかるのは冬休みの宿題だ。と言っても、量は夏休みほど多くない。計画的にやれば終わるはずだ。
 なんて意気込みながらベッドで動画を見ている。計画的にできていれば俺の成績はもっと良くなっているからだ。
 現在見ている動画は、ヨルが勧めてくれたチャンネルの動画。投稿主は何匹も猫を飼っていて、それぞれの猫が過ごす様子が微笑ましい動画となって投稿されている。
 最新の動画を見終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。夕食を食べ終えて、風呂に入って部屋に戻る。
 ベッドに横になって俺はスマホを開き、大きな溜め息をついた。画面には十一桁の数字が表示されている。
 俺は数日、ずっとこれを繰り返している。果たしてヨルに電話をかけていいのか、一人で頭を悩ませていた。数日だけだが会えていないという寂しさと、なによりもヨルの声を聞きたかった。
 ヨルはいつでも電話をしてきていいと言っていたが、急に電話をかけていいか分からなかった。「今から電話していい?」と聞ければ良かったものの、その手段がない。つまりアポなしで直接電話をかけるしかない。
 かけたところで、もし留守番電話サービスに繋がるとか、ヨルが応答しなかったら落ち込むどころではない。
 そこで俺は推測する。この時間なら夕食も終わり、自由な時間を過ごしているはずだ。今なら出てくれる可能性が高い。
 悩んでいても進まない。ようやく決意した俺はベッドに正座し、大きく息を吐く。
 通話ボタンをタップすると、通話画面に移行する。
 押してしまった。しかしここまで来てしまったら戻れない。ヨルが出てくれると信じてコール音を聞きながら息を呑む。手にじっとりと汗が滲んできた。
 数秒待機したのち、コール音が途切れた。出てくれたと分かり、同時に俺の心臓が跳ねる。

『もしもし』

 電話の向こうから聞こえたのは落ち着いた声。いつも聞く優しい声とは異なり、静かで低めの声だった。ヨルの声なのは間違いないが、こんな声も出るのかと内心ビクつく。
 もしかしたらセールスや業者と疑われている可能性がある。一刻も早く名前を名乗らなければ。

「あ、俺。西宮朝日」
『あぁ、朝日だ』

 俺が名乗ると、声が一気に明るくなった。やはり俺ではないと疑われていたようだ。よく考えれば、俺はヨルに電話番号を教えていなかった。
 少しの申し訳なさを覚えながら、『数日ぶりだね』という言葉に相槌を打つ。

「今大丈夫か?」
『うん。ちょうど宿題終わったところだから大丈夫だよ』

 ヨルとようやく会話ができたことに安心して、俺はベッドに寝転がる。耳元で聞こえる声はヨルがすぐ近くにいるような感覚がして、一人でくすぐったくなっていた。

『もっと早く電話くれるかと思ったけど、意外と遅かったね』
「あー……どうしようか迷ってさ。もしかしたらヨルも忙しいかと思って」

 本音ではないが、嘘ではない。電話一本もかけられない意気地なしと思われたかもしれない。言い訳じみた俺の言葉にヨルの苦笑する声が聞こえる。

『朝日が思うほど忙しくないよ。それにしても、朝日と電話で話すの初めてだから、なんか新鮮な感じ』

 ふふ、とヨルの声が俺の耳元で囁かれる。
 電話の相手の声は本人に近い声――合成音声がデータになって送信されているから、本人とは違う声だと聞く。今電話をしているヨルの声もデータとなって送信されているが、いつも話している声とそっくりだ。限りなく近い声をデータの中から選んで送信しているのだろう。

『それで、どうしたの? 電話してきたからなにか用事あったんだよね』

 ヨルの問いかけに俺はギクリとする。
 ヨルの声が聞きたくて電話をしたなんて恥ずかしくて言えなかった。彼女側からそんな発言をすれば可愛い奴だと流せるが、男から言われたら気持ち悪いと言われてしまうに違いない。
 なんと言えばヨルは納得してくれるだろうか。必死に考えを働かせて言葉を組み立てていく。

「ほら、年が明けたらタイムリミットまで残り二週間だし、せっかくだから色んなところに遊びに行きたいなって思って……」

 なんとか伝えられる言葉にはなったはずだ。残り二週間という限られた時間の中で、ヨルと出かけたいのは本当だ。
 ヨルは返事を考えているのか、数秒の沈黙ののちに息を吸う音が聞こえた。

『つまり、私に会いたいってこと?』

 ヨルの純粋な問いかけは俺に突き刺さった。声だけのやり取りだから誤魔化すこともできるが、本当だから嘘をつくことができない。

「そう、です……」

 今の俺の顔はさぞ赤くなっているだろう。ビデオ通話じゃなくて本当に良かった。
 俺が発した声は小さく、電話の向こうのヨルに届いているのかは不明だ。あはは、と笑う声が聞こえたから、ちゃんと聞こえていたようだ。

『いいよ。どこ行こっか』

 思いがけない形でデートが決まった。次の予定は元日と決めていたのに、どうしても会いたいとがっついた男と思われたらどうしよう。会いたいのは事実だが。
 出かける場所についてだが、年末年始に開いている店は限られる。ファミレスでも楽しめるのは間違いないが、せっかく会うのだからデートらしい場所がいい。欲張りな願望だが、ヨルと会うのだから適当な場所では会いたくない。
 そのとき、ふと叶えられそうな場所が思いついた。

「映画はどうだ?」

 映画館なら年末年始も開いている場所も多い。昨今は動画配信サービスが充実しているから、映画館で映画を見る機会も減っている。久しぶりに大きなスクリーンで映画を見たいという気持ちも心のどこかにあった。

『映画かぁ。最近映画館で見てないから行きたいな』

 どうやらヨルも同じ状況だったらしい。ヨルも同意してくれたことで、急遽映画館に行くことが決まった。

「このままチケット取るか。見たい映画とかあるか?」
『ちょっと待ってね。上映スケジュール確認してみる』

 ヨルの声が少し遠くなり、すぐに元に戻る。スピーカーに切り替えたらしく、ヨルの声がさっきより響いて聞こえた。

『洋画もいいよね。あ、このアニメ映画化してるんだ。うーん、この映画も面白そう』

 電話の向こうから聞こえる声でどんな表情をしているのかを想像して、俺は思わずくすりと笑う。カフェでメニューを選んでいたときも同じように悩んでいたな、と声を聞きながら懐かしさを覚えた。

「ヨルはどんなジャンルが好きなんだ?」
『基本はなんでも見るからなぁ。朝日こそ見たい映画はないの?』
「俺かぁ……」

 ヨルに会えて一緒に映画を見られるならどれでもいい、と言いかけたが、しっかりと心の中に留めておいた。適当な返事をして怒られるのだけは避けたい。
 俺もヨルと同じように上映スケジュールを確認する。今はちょうど新作映画が大量に放映されているようで、一番下の画面に移動するまでそこそこの画面をスクロールした。ヨルが悩む理由が分かった気がする。

『朝日。私これ、見たいかも』

 ヨルが口にしたタイトルは恋愛ものの映画。制服を着た男女が背中合わせで写っているポスターは、いかにも恋愛映画だと言っているようなものだった。恋愛映画はあまり見ないから、この映画も新鮮な気持ちで見られるだろう。

「じゃあこの作品でチケット取るよ」
『ありがとう。お願い』

 チケットの予約が完了し、そのまま待ち合わせ場所も流れで決めていく。すんなりと予定は決まり、通話も自然と終わりへ向かっていく。

『それじゃあ、映画楽しみにしてるね』

 これは通話が終わる流れだと俺はすぐに察した。予定が決まった以上引き延ばすのも野暮だし、名残惜しいが今日はここで終わりにしよう。

『おやすみ』
「あぁ。おやすみ」

 ヨルの優しい声を最後に通話が切れる。画面が暗くなって沈黙が訪れても、俺はスマホを握りしめたままぼんやりと天井を見上げていた。
 姿も表情も見えない、声だけのやり取りなのにこんなに胸が高鳴るなんて思わなかった。俺はヨルの声にも惹かれていたのだと今さら気がついた。

「映画、楽しみだな……」

 静かな部屋で一人、俺はぽつりと呟いた。