女の子の発言に俺の思考は停止する。俺の彼女になる?
いきなりなにを言っているんだ。彼女になろうだなんて、そんな気軽に言えるような言葉ではない。告白も、ムードもシチュエーションもなにもかもすっ飛ばしている。
「どう?」
女の子はずいっと俺に迫る。柔軟剤のフローラルな香りがふわりと俺に届くが、堪能することはなかった。距離の詰め方がバグっていたために俺は一歩退く。
「どうって言われましても……流石にないですよ。そもそも初対面ですし」
「初対面じゃなきゃ彼女になってもいいの?」
「そういうことじゃなくて……」
女の子は前向きに捉えるのが上手いらしい。戸惑う俺にぐいぐいと迫り続ける。
「クリスマス」
俺への歩みを止めたかと思うと、女の子はぽつりと呟く。
「一緒に過ごす人ができるよ。クラスの男の子じゃなくて、女の子と二人で」
女の子の言葉に俺の心は一瞬ぐらついた。まさにクラスの男子と過ごそうと決めていたから、心のうちを見透かされているかのように感じられた。
「どこ行こうか。今だとイルミネーションとか綺麗だよね。他には……冬らしくスケートもいいかもね」
俺の返答を待たず、女の子は嬉々として話を続ける。
話を聞きながら、俺の中の天秤がぐらぐらと揺れていた。クリぼっちを回避できる。だが初対面の人。彼女もできる。だがたった数分話しただけの人。
そこまで考えて、引っ掛かっている部分が初対面ということだけに気がつく。
いや、落ち着け俺。相手を全く知らないし、一切好意を抱いていない。しかも半ストーカーというマイナスな状態から始まっているというのに。
「君の考えていること、当ててあげようか」
「え?」
「色々あるだろうけど……一番は私を知らないのに付き合えない、でしょ」
悩んでいる部分をピタリと当てられ、女の子はエスパーなのかと疑ってしまう。俺の考えが浅いところを漂っていて、誰でも答えられると言ってしまえばそれだけの話だが。
「そういうお付き合いもいいんじゃないかな。いわゆる、とりあえず付き合うってやつだよ。そこから関係を深めていこうよ」
ニコリと笑いかけられ、答えを迫られる。
隠す理由もないので言ってしまおう。俺は迷っている。どちらの選択肢もアリだと思っているからだ。特に今の発言でだいぶ揺らいできた。
「じゃあ……一ヶ月。試しに付き合ってみるのはどうかな?」
「一ヶ月?」
渋っていた俺に、女の子は新たな提案をしてきた。
「そう、一ヶ月間だけ付き合うの。それならクリスマスも年末年始のイベントも一緒に過ごせるよ」
女の子の提案は、まるでサブスクのトライアル期間のようだ。
そこまで緩い条件にしてくれたことで、俺はようやく首を縦に振った。
「まぁ、一ヶ月なら……」
一ヶ月ならあっという間だ。夏休みより短いし、今から数えたら年が明けてすぐくらいで一ヶ月が経つ。後腐れなく別れる未来も今からなんとなく見えている。
フラれて寂しいひと冬を埋めてくれる人が隣にいればいい。
「これで、晴れて彼氏と彼女だね」
女の子の向日葵のような明るい笑顔に、俺の凍えていた心はほんの少しだけ暖かくなった。
「早速だけど、名前教えて」
「西宮朝日」
「朝日か。いい名前だね」
女の子から名前を呼ばれるのは元カノ以来だからむず痒くなる。朝日、と事あるごとに呼んでいた元カノの姿が脳裏に浮かんだ。
いやいや、とすぐに振り払うように頭を振る。もう新しい彼女ができたのだから忘れよう。今は目の前のことに集中しなければ。
「そしたら……私のことはヨルって呼んで」
ヨル。女の子の名前にしては変わっている。キラキラネームとまではいかないが、変わった名前の部類には入るだろう。
「変わった名前ですね。でも覚えやすくていいと思います」
「ううん、違うよ」
「え?」
傷つけないようフォローを入れながら感想を述べると、女の子――ヨルは平然と答えた。
「私の名前じゃないよ」
「というと……?」
「偽名ってやつ」
戸惑う俺とは反対に、ヨルは涼しい顔をして言ってのけた。まさか偽名を教えられるとは思わず、俺は唖然とする。
「な、なんで偽名を教えたんですか……?」
「その方がミステリアスでいいでしょ」
ミステリアスなんて単語で片付けていいものなのか。プライバシーの観点を気にしたからか。それでも彼氏にプライバシーを、しかも一番大事な名前を隠すなんてあるか?
「逆に偽名でいいんですか……?」
「うん。一ヶ月だけだから、その方が都合がいいし。あとタメ口でいいよ」
確かに、一ヶ月だけなら適当な名前でも誤魔化せないことはない。都合がいいかは不明だが、俺も同じようにすれば良かったかもしれない。名乗ったあとに今さら後悔した。
ここまでのやり取りで、ヨルは結構やり手かもしれないと思った。雰囲気からして経験も豊富そうだし、初対面なのに俺とのやり取りもこなれている。交際経験人数が少ない俺からしたら羨ましい限りだ。
「聞いてもいいか? ヨルの学校はどこなんだ?」
「内緒」
「じゃあ中学は?」
「内緒」
「家はどの辺?」
「内緒」
「……血液型は?」
「内緒」
ヨルはのらりくらりと俺の質問を躱していく。なにも教えてくれないなんて思わなかった。名前以外の情報も徹底的に隠すつもりだと、このとき確信した。
「そんなに私のことを知りたいんだね」
「仮にも彼氏になったからな」
なになら教えてくれるかと、頭の中で必死に思考を巡らせる。学校関連は無理となれば、なになら教えてくれるんだ。冗談で聞いた血液型も――向こうも冗談だと分かっているだろうからこれはいい。
名前が駄目なら、質問できる内容はだいぶ絞られる。せめて共通点になるものがあれば……あれならどうだろう。
「ヨル」
「ん?」
「せめてこれくらいは教えてくれ。ヨルは何歳だ?」
「まだ誕生日来てないから十六歳。高校二年生だよ」
予想に反してあっさり教えてくれた。教える情報と教えてくれない情報の線引きが分からないが、ひとまず教えてくれたことに感謝しよう。
付き合えばそのうち教えてくれるかもしれないと希望的観測をしながら、俺はバットを片付けに行く。
いきなりなにを言っているんだ。彼女になろうだなんて、そんな気軽に言えるような言葉ではない。告白も、ムードもシチュエーションもなにもかもすっ飛ばしている。
「どう?」
女の子はずいっと俺に迫る。柔軟剤のフローラルな香りがふわりと俺に届くが、堪能することはなかった。距離の詰め方がバグっていたために俺は一歩退く。
「どうって言われましても……流石にないですよ。そもそも初対面ですし」
「初対面じゃなきゃ彼女になってもいいの?」
「そういうことじゃなくて……」
女の子は前向きに捉えるのが上手いらしい。戸惑う俺にぐいぐいと迫り続ける。
「クリスマス」
俺への歩みを止めたかと思うと、女の子はぽつりと呟く。
「一緒に過ごす人ができるよ。クラスの男の子じゃなくて、女の子と二人で」
女の子の言葉に俺の心は一瞬ぐらついた。まさにクラスの男子と過ごそうと決めていたから、心のうちを見透かされているかのように感じられた。
「どこ行こうか。今だとイルミネーションとか綺麗だよね。他には……冬らしくスケートもいいかもね」
俺の返答を待たず、女の子は嬉々として話を続ける。
話を聞きながら、俺の中の天秤がぐらぐらと揺れていた。クリぼっちを回避できる。だが初対面の人。彼女もできる。だがたった数分話しただけの人。
そこまで考えて、引っ掛かっている部分が初対面ということだけに気がつく。
いや、落ち着け俺。相手を全く知らないし、一切好意を抱いていない。しかも半ストーカーというマイナスな状態から始まっているというのに。
「君の考えていること、当ててあげようか」
「え?」
「色々あるだろうけど……一番は私を知らないのに付き合えない、でしょ」
悩んでいる部分をピタリと当てられ、女の子はエスパーなのかと疑ってしまう。俺の考えが浅いところを漂っていて、誰でも答えられると言ってしまえばそれだけの話だが。
「そういうお付き合いもいいんじゃないかな。いわゆる、とりあえず付き合うってやつだよ。そこから関係を深めていこうよ」
ニコリと笑いかけられ、答えを迫られる。
隠す理由もないので言ってしまおう。俺は迷っている。どちらの選択肢もアリだと思っているからだ。特に今の発言でだいぶ揺らいできた。
「じゃあ……一ヶ月。試しに付き合ってみるのはどうかな?」
「一ヶ月?」
渋っていた俺に、女の子は新たな提案をしてきた。
「そう、一ヶ月間だけ付き合うの。それならクリスマスも年末年始のイベントも一緒に過ごせるよ」
女の子の提案は、まるでサブスクのトライアル期間のようだ。
そこまで緩い条件にしてくれたことで、俺はようやく首を縦に振った。
「まぁ、一ヶ月なら……」
一ヶ月ならあっという間だ。夏休みより短いし、今から数えたら年が明けてすぐくらいで一ヶ月が経つ。後腐れなく別れる未来も今からなんとなく見えている。
フラれて寂しいひと冬を埋めてくれる人が隣にいればいい。
「これで、晴れて彼氏と彼女だね」
女の子の向日葵のような明るい笑顔に、俺の凍えていた心はほんの少しだけ暖かくなった。
「早速だけど、名前教えて」
「西宮朝日」
「朝日か。いい名前だね」
女の子から名前を呼ばれるのは元カノ以来だからむず痒くなる。朝日、と事あるごとに呼んでいた元カノの姿が脳裏に浮かんだ。
いやいや、とすぐに振り払うように頭を振る。もう新しい彼女ができたのだから忘れよう。今は目の前のことに集中しなければ。
「そしたら……私のことはヨルって呼んで」
ヨル。女の子の名前にしては変わっている。キラキラネームとまではいかないが、変わった名前の部類には入るだろう。
「変わった名前ですね。でも覚えやすくていいと思います」
「ううん、違うよ」
「え?」
傷つけないようフォローを入れながら感想を述べると、女の子――ヨルは平然と答えた。
「私の名前じゃないよ」
「というと……?」
「偽名ってやつ」
戸惑う俺とは反対に、ヨルは涼しい顔をして言ってのけた。まさか偽名を教えられるとは思わず、俺は唖然とする。
「な、なんで偽名を教えたんですか……?」
「その方がミステリアスでいいでしょ」
ミステリアスなんて単語で片付けていいものなのか。プライバシーの観点を気にしたからか。それでも彼氏にプライバシーを、しかも一番大事な名前を隠すなんてあるか?
「逆に偽名でいいんですか……?」
「うん。一ヶ月だけだから、その方が都合がいいし。あとタメ口でいいよ」
確かに、一ヶ月だけなら適当な名前でも誤魔化せないことはない。都合がいいかは不明だが、俺も同じようにすれば良かったかもしれない。名乗ったあとに今さら後悔した。
ここまでのやり取りで、ヨルは結構やり手かもしれないと思った。雰囲気からして経験も豊富そうだし、初対面なのに俺とのやり取りもこなれている。交際経験人数が少ない俺からしたら羨ましい限りだ。
「聞いてもいいか? ヨルの学校はどこなんだ?」
「内緒」
「じゃあ中学は?」
「内緒」
「家はどの辺?」
「内緒」
「……血液型は?」
「内緒」
ヨルはのらりくらりと俺の質問を躱していく。なにも教えてくれないなんて思わなかった。名前以外の情報も徹底的に隠すつもりだと、このとき確信した。
「そんなに私のことを知りたいんだね」
「仮にも彼氏になったからな」
なになら教えてくれるかと、頭の中で必死に思考を巡らせる。学校関連は無理となれば、なになら教えてくれるんだ。冗談で聞いた血液型も――向こうも冗談だと分かっているだろうからこれはいい。
名前が駄目なら、質問できる内容はだいぶ絞られる。せめて共通点になるものがあれば……あれならどうだろう。
「ヨル」
「ん?」
「せめてこれくらいは教えてくれ。ヨルは何歳だ?」
「まだ誕生日来てないから十六歳。高校二年生だよ」
予想に反してあっさり教えてくれた。教える情報と教えてくれない情報の線引きが分からないが、ひとまず教えてくれたことに感謝しよう。
付き合えばそのうち教えてくれるかもしれないと希望的観測をしながら、俺はバットを片付けに行く。
