「なんでだよおおぉぉぉぉ!」
俺の叫び声はバッティングセンターに虚しく響いた。気合を入れて振ったバットはボールに当たることなく、空振り。
寒風吹きすさぶ十二月の夕方。俺は悲しみをボールにぶつけていた。
西宮朝日、十七歳。春から付き合っていた彼女に先日フラれました。
漫画の一ページのように「ずっと好きでした」と告白され、高校に入って初めての彼女で俺は浮かれていた。デートで色んなところに出かけ、彼女の家にも何度か行った。親公認……かは分からないが、親御さんとの仲も悪くなかったはずだ。
そんな俺の華々しい青春は順風満帆のはず、だった。
なのに、別れはあまりにもあっさりとしていた。
「朝日って、本当に私のこと好きなの?」
放課後の空き教室に俺を呼び出し、彼女は俺に尋ねた。
まさか、今さら好意を確認されるとは思わなかった。彼女との思い出を脳裏に浮かべながら、俺は力強く「好きだよ。好きじゃなきゃ付き合わない」と答えた。
逡巡した様子の彼女は、控えめにこう続けた。
「そっか。ほら、これからお互い受験で忙しくなるしさ……」
彼女の紡ぐ語尾は非常に弱々しかった。明るい茶色に染められた髪の毛の先を触りながら、次の言葉を選んでいるようにも見えた。
受験というが、なにも受験勉強は二十四時間しているわけじゃない。食事とか睡眠とか必要な時間を差し引いて、多く見積もっても八時間くらいだ。
勉強以外にも、彼女はテニス部で精力的に活動していたし、試合にも出場していたから忙しいのはもちろん分かっている。だが、「忙しいけど合間に会っちゃおっか」なんてことも言える。
しかし、そんな合間の時間を作ってもらえないくらい、彼女の中の俺の優先度は低くなっていたのだろう。
俺は彼女が別れの言葉を告げるのを躊躇っているように見えたから、「……じゃあ、別れよっか」なんて助け舟を出してしまった。俺も同じ感情を抱いていると勘違いしたのか、彼女は安堵した表情で、俺の微塵も思っていない別れの言葉を受け入れた。
本当は別れたくなかった。でも、引き止めたら彼女が困りそうな気がしたから。だから、俺はいつも通りを装って彼女と別れを告げた。
そうして、俺は独り身になった。
なにもない季節だったら良かったものの、近々カレンダーの中でも特に重要な一大イベントが控えていた。
そう、クリスマスだ。
よりによってクリスマス前にフラれるとか最悪だ。子供じゃないが、俺は誰よりもクリスマスを楽しみにしていた。有名なイルミネーションを見て、ちょっといいレストランに行って、用意していたプレゼントを渡して、そして……なんてシミュレーションを何度したか分からない。SNSのおすすめ欄もクリスマスの情報で溢れている。
まだプレゼントを買っていなかったのが唯一の救いだ。もしプレゼントを買っていたなら虚しさに耐えきれず、プレゼントを抱えたまま真冬の川に飛び込んでいたかもしれない。
今思い返せば、クリスマスのことを話題に出してもあまり乗り気ではなかった気がする。きっとそのときから俺と別れることは頭の片隅にあったのだろう。
そこで嫌な予感が頭をよぎる。俺とは別に気になる人がいて、気持ちが傾いたから別れたのでは。俺よりもクリスマスを一緒に過ごしたい相手がいたのかもしれない。有り得ない選択肢ではない。
……いや、考えるのはやめよう。元カノになったとはいえ、彼女を悪く言うのは違う。
「クリぼっち、か……」
呟いた俺の顔を冷たい風が通り過ぎる。突き刺すような寒さに、体の芯から冷えていく感覚がした。
こうなったらクリスマスに予定のない奴らを誘って、男だらけのむさ苦しいクリスマス会でも開催してやろうか。暇な奴は間違いなくいる。「俺彼女いないからクリスマス暇だわー」と、謎のアピールをしていたクラスメイトも知っている。
こうなったら早速メンバーを集めなければ。残りのボールも打ち終えて――ほとんど空振ったが。悲しみのバッティングは無事に終了した。
運動が得意ではないのに、よりによって慣れないバッティングセンターに来るのは間違いだったか。明日は間違いなく筋肉痛だ。
「ねぇ、君」
バッターボックスを出ようとしたところで声をかけられた。透明感のある、澄んだ声。
声のした方を向くと、茶色のロングヘアの女の子がネットの向こうに立っていた。
俺と目が合うと、女の子は嬉しそうにひらひらと手を振った。
ブレザーの制服を多少着崩しているが、決して派手なわけではない。明るい雰囲気の中にどこか清楚さも感じられた。
「……どなたですか?」
俺の第一声はあまりにも間抜けたものだった。
本当に知らない人物だから間抜けた声も出てしまう。クラスメイトではないし、そもそも制服が違う。見たことない制服だから、近場の学校の生徒ではなさそうだ。
誰かと間違えていないかと疑ったが、女の子はネット越しの俺をしっかりと見据えている。
「なにか俺に用事ですか……?」
多少発散されたものの、傷心している俺にあまり話しかけないで欲しい。特に女子。
女子特有のネットワークというものはどうにも広いようで、クラスでも彼女と別れたことは即話題になった。俺は誰にも話していないため、間違いなく彼女が何気ない話題の中で口にしたのだろう。表向きは俺が別れを切り出したことになっているから、あれやこれやと噂を立てられた。
そんなわけで、俺は女子と関わることに恐れを抱いている。今この場もクラスメイトに見られたら、明日には教室中の話題が俺で持ちきりになってしまう。
女の子はさらさらとしたロングヘアを靡かせて、俺に微笑みかける。
「君、彼女にフラれたんでしょ」
「……は?」
女の子の言うことが聞き間違いではないかと、俺は必死に頭の中で反芻した。
彼女に、フラれた。女の子は確かにそう言った。
なんで見知らぬ他校の生徒が別れたことを知っているんだ。もしかして彼女の知り合いか?
知っていたとて、俺を俺と認識しているなんて余程じゃない限り有り得ない。
この子は何者だ?
訝しげな視線を送るも、女の子は笑顔を絶やさずに俺の視線を受け止めた。
「だって、毎日二人で通学してたでしょ。なのに最近は一人で通学してるから、もしかしてと思って」
女の子の推理は当たっている。毎日一緒に通学したいという彼女の要望により、お互いの中間の駅で合流してから通学していた。
だが、電車で見知らぬカップルがいたところで興味を持つ人間などほぼいない。つまり、俺たちの様子を普段から見ていることになる。
「もしかして……あなたはストーカー、ですか……?」
面と向かっておそるおそる尋ねた俺は、あまりにも頭が悪いと思った。もし目の前の女の子が本当にストーカーで、「ストーカーなんて呼ばないで! 私とあなたは愛し合っているのに!」と逆上されて刺されたらどうするんだ。
「うーん。そうかもしれないし、そうとは言えないかもしれない」
女の子は曖昧に答えた。予想していた返答が来なくて俺は内心でほっとした。
ほっとしたものの、ストーカーだと否定したわけではない。少しの恐怖心を抱きながら、俺は静かにバッターボックスを出る。
急に抱きつかれたりしたらどうしようかと思ったが、特にそういうことはなく。高鳴っていた俺の心臓も落ち着きを取り戻していった。
「……で、俺になんの用事ですか?」
女の子は俺にフラれたという事実を投げかけたに過ぎない。他に話題があるのかと、改めて問いかける。
女の子は居直り、俺に満面の笑みを見せる。
「私が君の彼女になってあげる」
「……は?」
小学生が友達になろうと誘うような気軽さで女の子は言った。
俺の叫び声はバッティングセンターに虚しく響いた。気合を入れて振ったバットはボールに当たることなく、空振り。
寒風吹きすさぶ十二月の夕方。俺は悲しみをボールにぶつけていた。
西宮朝日、十七歳。春から付き合っていた彼女に先日フラれました。
漫画の一ページのように「ずっと好きでした」と告白され、高校に入って初めての彼女で俺は浮かれていた。デートで色んなところに出かけ、彼女の家にも何度か行った。親公認……かは分からないが、親御さんとの仲も悪くなかったはずだ。
そんな俺の華々しい青春は順風満帆のはず、だった。
なのに、別れはあまりにもあっさりとしていた。
「朝日って、本当に私のこと好きなの?」
放課後の空き教室に俺を呼び出し、彼女は俺に尋ねた。
まさか、今さら好意を確認されるとは思わなかった。彼女との思い出を脳裏に浮かべながら、俺は力強く「好きだよ。好きじゃなきゃ付き合わない」と答えた。
逡巡した様子の彼女は、控えめにこう続けた。
「そっか。ほら、これからお互い受験で忙しくなるしさ……」
彼女の紡ぐ語尾は非常に弱々しかった。明るい茶色に染められた髪の毛の先を触りながら、次の言葉を選んでいるようにも見えた。
受験というが、なにも受験勉強は二十四時間しているわけじゃない。食事とか睡眠とか必要な時間を差し引いて、多く見積もっても八時間くらいだ。
勉強以外にも、彼女はテニス部で精力的に活動していたし、試合にも出場していたから忙しいのはもちろん分かっている。だが、「忙しいけど合間に会っちゃおっか」なんてことも言える。
しかし、そんな合間の時間を作ってもらえないくらい、彼女の中の俺の優先度は低くなっていたのだろう。
俺は彼女が別れの言葉を告げるのを躊躇っているように見えたから、「……じゃあ、別れよっか」なんて助け舟を出してしまった。俺も同じ感情を抱いていると勘違いしたのか、彼女は安堵した表情で、俺の微塵も思っていない別れの言葉を受け入れた。
本当は別れたくなかった。でも、引き止めたら彼女が困りそうな気がしたから。だから、俺はいつも通りを装って彼女と別れを告げた。
そうして、俺は独り身になった。
なにもない季節だったら良かったものの、近々カレンダーの中でも特に重要な一大イベントが控えていた。
そう、クリスマスだ。
よりによってクリスマス前にフラれるとか最悪だ。子供じゃないが、俺は誰よりもクリスマスを楽しみにしていた。有名なイルミネーションを見て、ちょっといいレストランに行って、用意していたプレゼントを渡して、そして……なんてシミュレーションを何度したか分からない。SNSのおすすめ欄もクリスマスの情報で溢れている。
まだプレゼントを買っていなかったのが唯一の救いだ。もしプレゼントを買っていたなら虚しさに耐えきれず、プレゼントを抱えたまま真冬の川に飛び込んでいたかもしれない。
今思い返せば、クリスマスのことを話題に出してもあまり乗り気ではなかった気がする。きっとそのときから俺と別れることは頭の片隅にあったのだろう。
そこで嫌な予感が頭をよぎる。俺とは別に気になる人がいて、気持ちが傾いたから別れたのでは。俺よりもクリスマスを一緒に過ごしたい相手がいたのかもしれない。有り得ない選択肢ではない。
……いや、考えるのはやめよう。元カノになったとはいえ、彼女を悪く言うのは違う。
「クリぼっち、か……」
呟いた俺の顔を冷たい風が通り過ぎる。突き刺すような寒さに、体の芯から冷えていく感覚がした。
こうなったらクリスマスに予定のない奴らを誘って、男だらけのむさ苦しいクリスマス会でも開催してやろうか。暇な奴は間違いなくいる。「俺彼女いないからクリスマス暇だわー」と、謎のアピールをしていたクラスメイトも知っている。
こうなったら早速メンバーを集めなければ。残りのボールも打ち終えて――ほとんど空振ったが。悲しみのバッティングは無事に終了した。
運動が得意ではないのに、よりによって慣れないバッティングセンターに来るのは間違いだったか。明日は間違いなく筋肉痛だ。
「ねぇ、君」
バッターボックスを出ようとしたところで声をかけられた。透明感のある、澄んだ声。
声のした方を向くと、茶色のロングヘアの女の子がネットの向こうに立っていた。
俺と目が合うと、女の子は嬉しそうにひらひらと手を振った。
ブレザーの制服を多少着崩しているが、決して派手なわけではない。明るい雰囲気の中にどこか清楚さも感じられた。
「……どなたですか?」
俺の第一声はあまりにも間抜けたものだった。
本当に知らない人物だから間抜けた声も出てしまう。クラスメイトではないし、そもそも制服が違う。見たことない制服だから、近場の学校の生徒ではなさそうだ。
誰かと間違えていないかと疑ったが、女の子はネット越しの俺をしっかりと見据えている。
「なにか俺に用事ですか……?」
多少発散されたものの、傷心している俺にあまり話しかけないで欲しい。特に女子。
女子特有のネットワークというものはどうにも広いようで、クラスでも彼女と別れたことは即話題になった。俺は誰にも話していないため、間違いなく彼女が何気ない話題の中で口にしたのだろう。表向きは俺が別れを切り出したことになっているから、あれやこれやと噂を立てられた。
そんなわけで、俺は女子と関わることに恐れを抱いている。今この場もクラスメイトに見られたら、明日には教室中の話題が俺で持ちきりになってしまう。
女の子はさらさらとしたロングヘアを靡かせて、俺に微笑みかける。
「君、彼女にフラれたんでしょ」
「……は?」
女の子の言うことが聞き間違いではないかと、俺は必死に頭の中で反芻した。
彼女に、フラれた。女の子は確かにそう言った。
なんで見知らぬ他校の生徒が別れたことを知っているんだ。もしかして彼女の知り合いか?
知っていたとて、俺を俺と認識しているなんて余程じゃない限り有り得ない。
この子は何者だ?
訝しげな視線を送るも、女の子は笑顔を絶やさずに俺の視線を受け止めた。
「だって、毎日二人で通学してたでしょ。なのに最近は一人で通学してるから、もしかしてと思って」
女の子の推理は当たっている。毎日一緒に通学したいという彼女の要望により、お互いの中間の駅で合流してから通学していた。
だが、電車で見知らぬカップルがいたところで興味を持つ人間などほぼいない。つまり、俺たちの様子を普段から見ていることになる。
「もしかして……あなたはストーカー、ですか……?」
面と向かっておそるおそる尋ねた俺は、あまりにも頭が悪いと思った。もし目の前の女の子が本当にストーカーで、「ストーカーなんて呼ばないで! 私とあなたは愛し合っているのに!」と逆上されて刺されたらどうするんだ。
「うーん。そうかもしれないし、そうとは言えないかもしれない」
女の子は曖昧に答えた。予想していた返答が来なくて俺は内心でほっとした。
ほっとしたものの、ストーカーだと否定したわけではない。少しの恐怖心を抱きながら、俺は静かにバッターボックスを出る。
急に抱きつかれたりしたらどうしようかと思ったが、特にそういうことはなく。高鳴っていた俺の心臓も落ち着きを取り戻していった。
「……で、俺になんの用事ですか?」
女の子は俺にフラれたという事実を投げかけたに過ぎない。他に話題があるのかと、改めて問いかける。
女の子は居直り、俺に満面の笑みを見せる。
「私が君の彼女になってあげる」
「……は?」
小学生が友達になろうと誘うような気軽さで女の子は言った。
