『桃の里の姉さまと妹さま』
―はるか昔、風と花と、ふたりの姉妹の物語―
むかしむかし、桃の花がいちめんに咲く山里に、
姉妹がふたり、住んでおりました。
姉さまの名は「綾女(あやめ)」、
妹さまの名は「綾音(あやね)」といいました。
姉さまは口数すくなく、静かな娘。
妹さまは気がつよくて、美しく、
村のひとびとは「妹さまこそ、この家の宝」と言いました。
けれども、春が七つめ巡ったとき、
この山にまつられた神さまが――
あの姉さまを選んだのです。
「わたしの花嫁に、なってくれますか?」
そう言った神さまの名は、「八雲(やくも)」さま。
風を呼び、花を咲かせ、
春の気配をまとった、うつくしい神さまでした。
姉さまはびっくりして、
「わたしなんて……」とこわがったけれど、
神さまは、ただ、やさしく微笑みました。
「わたしは、そなたの静けさを、孤独を、愛しています」
ふたりは手を取りあい、
桃の社の奥へとしずかに消えてゆきました。
それからというもの――
里には春がやわらかく満ちるようになり、
桃の花は前よりずっと、あざやかに咲くようになりました。
人々はこう言いました。
「姉さまは、神さまに愛されたんだね」
「人知れず咲いていた花が、春の女神になったんだ」
けれども、それを遠くから見ていた妹さまは、
心に黒い雲をかかえてしまったのです。
(どうして、わたしではなく姉さまなの……?)
怒り、悔しさ、羨ましさ。
たくさんの感情がまざって、
妹さまの心は、すっかりくもってしまいました。
でも――月日が流れ、
神さまと姉さまの子が大きくなったころ。
妹さまは、ぽつりと、風に言いました。
「ごめんなさい。
わたし、ずっと、姉さまを許せなかった。
でも、本当は、ただ……さみしかっただけなの」
そのとき、風がふわりと吹いて、
桃の花びらが舞い上がり――
誰かが、妹さまの涙を、そっとぬぐったのです。
それは、もう神ではないけれど、
だれよりも静かで、あたたかい人。
そして妹さまは、知りました。
(わたしは、ひとりじゃなかったんだ)
(愛されることを、諦めなくてよかったんだ)
そののち、姉さまの娘は、また新しい世代へと語りました。
「姉妹は、仲が悪いまま終わったのではなく――
きちんと、おたがいを許して、
おたがいを愛することができたのです」
だから、桃の花が咲くときには、
この里の子どもたちは、風に向かって言うのです。
「綾女さま、綾音さま、また春をありがとうございます」
「今年も桃の花がきれいに咲きましたよ」
そうして語り継がれます。
愛は、選ばれなかった日からも始められる。
人は、許しあうことで、また春を迎えられる――と。
──そして、いまもどこかで。
社の奥の風のなか、ふたりの姉妹が手をつなぎ、
桃の花びらに耳をすませています。
──神話『桃の里の姉さまと妹さま』・おわり──



