朝、目を覚ますと、やわらかな風が頬を撫でた。
「……ん……八雲、さま……?」
薄い陽射しが差し込む中、隣では八雲さまが寝間着姿のまま、わたしを見つめていた。
「おはよう、綾女。……今日も、かわいい寝顔だったな」
「っ……う、うそ……!」
「本当だ。まるで桃の花がほころぶ瞬間のようだった」
そう言って、彼の手がそっと頬に添えられる。なめらかな指先が耳に触れた瞬間――ふわっと全身がくすぐったくなって、顔が真っ赤になってしまう。
「……恥ずかしいです……」
「ふふ、そう言うところも、好きだよ」
そうして彼は、するするとわたしを布団ごと抱き寄せる。
まだ眠り足りない身体が、その胸の中でとろんと力を抜いてしまった。
「……ん……朝、です、よ……?」
「なら、朝から甘えてもいいだろう?」
「っ……だめ、ですって……」
そう言いながらも、腕の中はあたたかくて、どこにも行きたくない。
「……せめて、顔を埋めさせて。そなたの香りで、今日も力が湧いてくる」
「も、もう……八雲さまって、ずるい……」
くすぐったいくらいに愛されて、
朝ごはん前だというのに、心がとろけそうだった。
* * *
朝食は、ふたり並んで台所に立つ。
といっても、八雲さまは包丁が苦手らしく、
「見ているだけで幸せだ」と言って、わたしの手元をじーっと見つめてくる。
「八雲さま、そんなにじっと見られると手が震えます……!」
「仕方ないだろう。綾女があまりに愛らしいから」
「もうっ……!」
それでも、できあがったお味噌汁を一口食べたとき――
「……美味しい。……綾女の味だ」
「へ、変な言い方しないでください!」
「だって本当のことだ。……身体に、沁みるよ」
目を細めて微笑む顔が、あんまりうれしそうで――
わたしは湯気の向こうで、ちょっとだけ泣きそうになった。
* * *
午後は、ふたりで読書をしたり、縁側で日向ぼっこをしたり。
ときどき、八雲さまが指でわたしの髪をすくっては、風を通す。
「綾女の髪は、春の風に似ているな。
やわらかくて、すぐに頬をすり抜けていく」
「……そんなふうに言われるの、わたしだけだと思います」
「もちろんだ。そなたは、私のただ一人の嫁だからな」
……その言い方が、もう、ずるいのだ。
八雲さまに名前を呼ばれるたび、
心の奥の方が、ぽうっとあたたかくなって、
そのたびに、好きの気持ちが積もっていく。
* * *
そして夜――
寝殿に入る前、髪を解いていると、後ろからそっと抱きしめられた。
「……綾女、今夜はずっと、そばにいていいか」
「……わたし、どこにも行きませんよ」
「うん……。でも、こうして触れていないと、寂しくなる」
「八雲さまの方が……甘えんぼです」
「……そなたの前では、甘えてしまうのだよ。神も男も、恋すれば同じだ」
そのまま髪を撫でられ、頬にくちづけを落とされる。
くすぐったくて、うれしくて、どこまでも幸せで――
今夜も、ふたりはひとつ布団にくるまりながら、
愛の言葉をささやき合い、何度も何度も、口づけを交わした。
「……綾女。そなたと、こうして生きていけることが、私にとって、何よりの奇跡だよ」
「わたしも……ずっと、八雲さまのそばにいます」
ふたりの想いは、風に乗ってやさしく夜を包みこみ、
そのまま朝が来るまで、誰にも邪魔されることなく――
甘く、甘く、重なり合っていた。



