「咲夜様、私には妖を統べる能力があるのですよね?」
「そうだ」
少し落ち着いてきた梗華は顔を上げ、咲夜に尋ねる。
「私は、この能力を使いたいとは思いません……」
咲夜は何も言わず、梗華の話を静かに聞いている。
「人と妖はそもそも、何故争わなくてはいけないのでしょうか。私は、人も妖もわかり合えるのではないかと、思います……」
「ほう?」
咲夜が面白いとでも言うかのように、狐のように少しつった瞳を細くする。
「だってこうして咲夜様は、私のような人間の話を聞いてくださいます……。もしかしたら他の妖だって、話し合えばわかってもらえるのではないかと、思ったのですが……」
自分の意見など言ったことのなかった梗華だ。最後の方は自信がなく、尻つぼみになってしまった。
そんな梗華に咲夜はふっと笑った。
「私も同意見だ」
「え?」
「だからこそ、梗華との婚姻が必要なのだ」
「それはどういう?」
「人と妖の婚姻は今まで為し得なかったものだ。しかし、妖を統べる私と、人の世界で強大な力を持つ梗華。我々が婚姻することによって、その和平を結ぼうと思っていたのだ」
「そう、でしたか……」
咲夜も考えていたことを、少し自信満々に語ってしまった梗華は、恥ずかしくなって俯いた。しかしその頭を咲夜は優しく撫でた。
「そのような考えを持ってくれているからこそ、私の妻に相応しいのだ」
梗華は頬を赤らめる。
妖と言えど、男性とこんなに密に話すことも初めての梗華だ。しかも何度も求婚ととれる言葉を平気で紡ぐ咲夜に、梗華の心は少し忙しなく動いていた。
「しかしその前に、貴女の姉を止めなくてはならない」
仙花の人生を繰り返す能力。これをなんとかしない限り、梗華と咲夜は永遠に結ばれることはないだろう。
そしてまた繰り返されるようなことがあれば、梗華がどんな酷い目に遭わされるかわからない。
「姉様の力を、止めることなどできるのでしょうか……?」
仙花が死ねば、世界が巻き戻り、繰り返される。そんな能力に対抗できるものなどあるのだろうか。
梗華の心配をよそに、咲夜は落ち着いて頷いた。
「梗華、貴女の力ならそれができる」
「え……?私の……?」
「そうだ、貴女の妖を統べる力があれば。仙花の中にいる繰り返しの力を持った妖を貴女が御するのだ」
「そ、そんなこと急に言われても……」
自分に妖を統べる力があると言われても、どう扱っていいかなどまったくわからない梗華だ。仙花を止める自信などない。
「咲夜様、私……」
どうしたらよいのか、そう尋ねようとした瞬間、大きな音を立てて蔵の扉が吹き飛んだ。
目を丸くする梗華を強く抱き寄せる咲夜。
「来たか」
咲夜の呟きと同時に、仙花が蔵に足を踏み入れる。
「梗華……?またなの……?」
「姉、様……?」
確かに仙花の声、姿のはずなのだが、梗華にはその姿が姉のものとは思えなかった。
(これが、妖……?)
紫の炎のようなどろどろした空気を身に纏った仙花は、目や身体のあちこちから血を流している。
「梗華にもやっと見えるようになったか。あれは随分前からあの姿だ。あれこそが、妖に魂を売った人間の末路だ」
咲夜の説明に、目を見開き、後退る梗華。
「そんな……姉様……っ」
今までの梗華は妖を見ることもできなかった。しかし仙花は、もうずっと前から人を逸した姿になっていたのだった。
「人の理をとうに逸している。仕方のないことだろう。妖の力は、人間には耐えられない。六回も繰り返せていたのが奇跡だろう」
「ね、姉様は、どうなってしまうのですか……?」
梗華の質問に咲夜はさらっと答える。
「死ぬだろう。しかしあれはかなり執念深い。あと何度繰り返そうとするかわからないな」
「何をごちゃごちゃと話しているのかしら?梗華、この妖には会ってはいけないの」
仙花はそう言いながら、ふらふらとこちらに近寄ってくる。
「ねえ、どうしてなの?どうして何度繰り返しても、私の人生は変わらないの?また梗華に何もかも奪われるの?どうして?」
仙花の放つ妖の瘴気に、梗華は息ができなくなる。
しかし、そんな梗華を咲夜が優しく支える。
「梗華、大丈夫だ」
そう言われても、梗華の脚はがたがたと震え、足が竦む。
「梗華、私、思いついたの。貴女達が出逢わないようにって、何度も繰り返してきたけれど、結局それは変えられなかった。だからね」
仙花はそこまで言うと、胸元から短刀を取り出した。
「二人共殺すわ!なんでこんなに手っ取り早い方法を思いつかなかったのかしら!?殺してしまえばいいのだわ!!殺す!殺す殺す!きゃはははははっ!」
仙花は高らかに笑い、短刀を持って梗華の胸元に飛び込んでこようとする。
梗華は思わずぎゅっと目を瞑る。しかし予想された衝撃は襲ってこず、梗華の手にぽたりと何か生暖かいものが伝った。
恐る恐る目を開けると、短刀を素手で握って止めた咲夜の姿があった。
「咲夜様……っ!」
「梗華、仙花に触れるのだ」
「え?」
「そうすれば、自ずと貴女の力が助けてくれるだろう」
「妖狐めぇ……っ!!消滅させてやるっ!!!」
仙花が祓いの札を取り出そうとした隙を見て、梗華は仙花に触れた。
すると、世界が暗転した。
「え?咲夜様……?姉様……?」
そこにはただ、真っ暗な世界があるだけだった。
ふらふらと歩いていると、小さな女の子が蹲って泣いている姿を見つけた。
梗華はその女の子に駆け寄り、背中をさすってやろうとして、その手は空を切った。
「どうしてっ、どうして私じゃないのっ」
「え……?」
小さな女の子だと思っていた姿は、気が付けば梗華と同じくらいの歳の娘になっていて。
「どうして、どうして梗華ばかりなの?お母様もお父様も、あんなに可愛がってくれたじゃない」
その姿は仙花になっていた。
「私の力こそが、貴宝院には必要だって、言ってくれていたじゃない……それなのに、それなのに……」
仙花の声は、女性のものからしゃがれた獣のような声へと変わった。
「梗華のせいだわ。あの子が私よりも強大な力を手に入れてしまったから……!だから私はいらなくなったんだわ……!梗華のせい梗華のせい何もかも梗華のせい。私の人生が上手くいかなくなったのは梗華のせい。呪ってやる呪ってやる。幸せになるなんて許さない。私が、私がこの世で一番幸せになるべき人間だ。妖も人も、私の邪魔をするものは消す。消えろみんな消えろ」
ぶつぶつと呟く仙花を呆然と見つめていた梗華の後ろで、強大な力の気配がして、梗華は慌てて振り返った。
そこには鬼のような顔をした真っ黒な妖が、仙花を見て笑っていた。
「貴方、ですね……、姉様に繰り返しの力を渡したのは」
梗華の言葉に、鬼は高らかに笑う。
「滑稽よな。思い通りになる人生などあろうはずもないというのに、こやつは幾度となく人生を繰り返している。その精魂尽き果てるまで」
『もうこんなこと、やめさせてください』
梗華が言うと、鬼は驚いたように梗華を見た。
「なんだ貴様は?今、何をした?」
「え?」
「私に命令したのか?」
「あ、いえ、そういうわけでは……。でも、もうやめていただきたいのです。この繰り返しの能力は、妖のものですよね?人が使っていいものではないと」
「その通りだ。しかしあれが望んだのだ。人生をやり直したいと。人の憎しみや負の感情は妖にとって力の源になる。其方もそのくらい承知しておるであろう?最後まで堪能させてもらう」
『彼女を普通の人に戻してほしいのです。もうこんな人生の繰り返しは終わらせてほしいのです』
梗華が言うと、また鬼は驚いたように目を丸くした。そうして、なにか合点がいったかのように、大きく頷いた。
「そうか、貴様が、咲夜様が探していた……。なるほど。いいだろう、咲夜様に言われてきたのだろう。あの方は自然の理を重んじるお方だ。この娘に与えていた繰り返しの能力を返してもらうこととする」
鬼の言葉に、梗華はほっと胸を撫で下ろす。
「よかった……。ありがとうございます」
「しかし、もう手遅れだ」
「え?」
「彼女はもう普通の人には戻れない。妖の力を使い過ぎた。繰り返しの能力がなくなったからと言って、普通の人間には戻れないぞ。ただ、己の意思を失い、抜け殻のようになって生きるのみだ」
「そんな……」
梗華が言葉を失っていると、巨大な鬼が光に包まれ、黒髪の青年へと姿を変えた。
その姿に、梗華はまた目を丸くする。
「何を驚くことがある?咲夜様も人のような姿で過ごしているであろう?」
「そ、そうですが……」
先程まで桃太郎に出て来る鬼のような姿をしていたものだから、急な容姿の変化に梗華は少なからず驚いた。
「人の営みは儚いな。もう少し遊びたかったが、咲夜様に目をつけられては、どうしようもない」
鬼が仙花に触れる、その瞬間眩い光に包まれ……。
はっと気が付くと、梗華の目の前で仙花が倒れていた。
隣には咲夜もおり、そこが貴宝院の蔵の中だとすぐに気が付いた。
「姉様……っ!」
梗華は慌てて倒れている仙花の元に駆け寄るが、仙花はどこか虚ろな瞳を空に彷徨わせ、なにかぶつぶつ呟いている。
「梗華、よくやった。彼女から妖の能力は消えた」
「しかし、姉様が……」
梗華の言葉に、咲夜は首を振る。
「彼女はもうどうにもならないだろう。妖の力を使いすぎたのだ。その代償は魂。生きているだけ驚くべきことだ」
自分では話せず、歩くことも、食事を取ることもできない姿になってまで生きていることが、本当に仙花にとってよかったことなのか、梗華にはわからなかった。
「姉様……」
しかし梗華は散々仙花に虐げられてきた。それこそ、人とは思えない残虐な心を仙花は梗華に向けてきたのだ。
「行こう、梗華」
「え?」
「貴女は私の妻となるのだ。これから妖の世界に連れて行く」
「でも、それじゃあこの世界は、」
「大丈夫だ。人と妖、もうこれ以上争うことのない世界を作っていくつもりだ。それには梗華、貴女の力が必要なのだ。妖と人の懸け橋になってほしい」
「はい……!」
争いで誰かが命を落とすことのないように、仙花のような悲劇をもう二度と生まないためにも、梗華にできることがあるのなら、梗華は頑張ってみたいと思った。
きっとそれこそが、自分がこの世界に生まれた意味なのだから。
「さあ、行こう」
蔵を出ると、狐がちょこんと座って待っていた。咲夜の遣いとして、梗華を見守っていた狐だ。
梗華はその狐を優しく撫でると、狐は嬉しそうに梗華に頬擦りをした。
「また一緒に月を見ましょう。そしてお団子を食べましょう」
梗華の言葉に、狐がくるんと飛び跳ねると突風が吹き、次に目を開けたとき、そこは竹に囲まれた紫陽花が咲く場所だった。
「あれ、ここは……」
「ここは人と妖の世界を繋ぐ道だ。この先を抜ければ、妖の世界はもうすぐそこだ」
「咲夜様と私が、初めて出逢った場所……?」
咲夜は驚いたように目を見開き、嬉しそうに微笑んだ。
「そうだ。私と梗華が初めて逢った場所だ」
一度目の人生。
梗華は紫陽花に囲まれたそこで、初めて咲夜に出逢った。
それはまだ梗華が十にもなっていない齢の頃であった。
梗華を見定めに来ていた咲夜に、梗華は声を掛けたのだ。
「ここ、どこですか?私、迷っちゃったみたいで」
咲夜の妖の姿に驚くことなく、梗華はにこにこと笑いかけた。
「素敵なお耳!妖さんなのですか?可愛い!」
「可愛い……?私が、妖が怖くはないのか?」
「怖くないよ!人と妖が争ってるって、母様も父様もよく話してるけど、なんでなの?人も妖も仲良くすればいいと思うんだ!だってこんなにもふもふで優しそうなのに!」
梗華の清らかで純粋な心に、咲夜は思わず顔を綻ばせた。
「貴女ならきっと、この世界を変えられるだろう」
「え?」
咲夜は幼い梗華へと手を伸ばす。
「必ず迎えに来る。どんな世界だろうと、私は貴女を必ず迎えに行く。約束する」
梗華はそんなことを思い出して、頬を赤らめる。
(約束、守ってくださったのね……。だから何度繰り返しても、咲夜様は私を迎えに来てくれた……)
咲夜が差し出した手を握ると、彼は優しく握り返してくれた。
「共に生きよう。人と妖が争わずに済む世界を、二人で作っていこう」
「はい……!」
梗華と咲夜は再び歩き出す。
そうして人の世界から、妖の世界へと足を踏み入れたのだった。
終わり



