夏休みまで残り日数が1週間を切ると、教室内をいつもとは違う空気が支配する。いつもであれば「宿題が」や「抜き打ちテストが」と、勉強に関する話題がトップ10の大半を占める。しかし、試験が終わり、夏休みを待つだけとなった現在、教室の至る所でグープごとに「夏休みの計画について」の熱い議論が行われている。「プールに行こう」とか、「キャンプに行こう」とか、「花火大会に行こう」とか、高校2年生の夏休みにしかできないような予定が教室内を飛び交う。来年は大学入試直前ということもあり、遊んでいる余裕はないだろう。実質的に、今年が楽しむことができる高校生活最後の夏休みといえる。
そんな浮わついた雰囲気の中でも、いつも通り周平は教室の隅で置物になっていた。高校に入学以降、積極的に人とコミュニケーションを取らなかったため、友人と呼べる者はいない。しかし、周平はそれを寂しいと思ったこともなければ、どこかのグループに飛入り参加して一緒に遊びに行きたいとも思っていない。他人への依存や期待が大きければ大きいほど、絶望感が底なしであることを周平は知っているからだ。
「それで、どうする花火大会?」
「当日、駅で合流して行けばいいんじゃない?」
「もしかして、浴衣で来たりとか?」
「えええっ、ないない。動き難いし、めんどくさいから」
教室の中央でクラスの中心人物たちが、周囲より一段階大きい声で自己主張する。
周平がそちらに視線を送ると、いつものように美波と北方を始めとする6人のグループが盛り上がっていた。美波と北方は学校内でも有名な生徒だ。その他の4人も、サッカー部の岸田と井口は私服を着崩したチョイ悪系でそこそこ人気があり、青髪ショートの川名と茶髪サイドテールの水川も美波ほどではないものの時々告白もされているらしい。
周平の目が美波を追う。恋愛感情よりも先に、周平にとって気になる人物だからだ。入学以来、クラスメートである今でも、美波と言葉を交わしたのは数回の挨拶くらいなのだが。
「オカルト研究部のボッチと姫とじゃあ、住む世界が違うからねえ」
不意に聞こえた声に顔を上げると、周平の隣に千代が立っていた。
「姫?ああ、姫ね。確かに、姫だな」
「まあ、私は巫女だけどさ」
美波を「姫」と表現した千代が、自分を巫女と呼ぶ。巫女を神様に仕える神聖な存在だと認識している周平は、呆気にとられた表情で苦笑する。千代に神聖さの欠片も感じられなかったからだ。
「むっ、失礼な。私は1300年以上続く由緒正しき神主の娘よ。年末年始にバイトしているニセモノではなく正真正銘の巫女なの!!」
「はいはい」
おざなりな同意に、千代が両頬を膨らませて怒りを表現する。
「いや、前から言ってるじゃん。そもそも、ウチは吉備真備が建てた神社なのよ。アンタからすれば、私は崇拝の対象になってもいいはずなんだけどね!!」
「は? 初耳なんだけど」
「え? 言ってなかったっけ」
周平は千代が口にした「吉備真備」という名前を聞き、反射的に真顔で千代を見上げた。その表情からは、先ほどまでの冗談を言い合っていたときの弛緩した笑みが消えている。
吉備真備という人物は西暦700年代に活躍した人物で、周平が研究している「邪馬台詩」を大陸から持ち帰ったとされる人物である。邪馬台詩はただの漢詩とされることもあるが、オカルトマニアなど超常現象を愛する者たちにとっては予言書なのである。
「マジ?」
「大マジ」
しばらく千代の顔を見詰めていたが、周平は周囲の反応に気付いて視線を逸らした。周平が普通に話すことができる唯一のクラスメートであるが、委員長オブ委員長の千代は美波レベルの有名人である。男子生徒と見詰め合っていれば、周囲が何事かと注目してしまうのも無理はない。しかし、クラスメートたちは相手が周平だと分かると、途端に興味を無くして会話に戻っていった。同じオカルト研究部のメンバーだと、全員が知っているからだ。
周囲の視線が四散したことを確認し、周平が口を開く。
「でも、それは自称だろ」
「アンタもしつこいわね。しつこい男はモテないわよ、ってモテてないか」
「うるさい」
「というか、中学2年生の途中まで一緒だった学校の名前覚えてる?」
「真備中学・・・真備?もしかして」
「そう、ウチの神社の周辺地域は真備地区。吉備真備によって開拓されたから、真備地区って呼ばれているのよ」
周平の頭の中で「ガーン」という鼓膜を破らん限りの鐘の音が響く。
灯台下暗し。今の話しが本当であれば、邪馬台詩を読み解く手掛かりが千代の自宅にあるかも知れない。
「ちょっと、ご両親にお話しをさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「ちょ、言い方!! まあ、確認してみるから、ちょっと待って」
「ははーっ!!由緒正しき巫女様っ」
周平は気持ち悪いほど目をキラキラさせながら、千代に向かって拝むように両手を合わせる。その豹変した態度に、千代は腕を組んで苦笑いしながら周平を見下ろした。
そんな浮わついた雰囲気の中でも、いつも通り周平は教室の隅で置物になっていた。高校に入学以降、積極的に人とコミュニケーションを取らなかったため、友人と呼べる者はいない。しかし、周平はそれを寂しいと思ったこともなければ、どこかのグループに飛入り参加して一緒に遊びに行きたいとも思っていない。他人への依存や期待が大きければ大きいほど、絶望感が底なしであることを周平は知っているからだ。
「それで、どうする花火大会?」
「当日、駅で合流して行けばいいんじゃない?」
「もしかして、浴衣で来たりとか?」
「えええっ、ないない。動き難いし、めんどくさいから」
教室の中央でクラスの中心人物たちが、周囲より一段階大きい声で自己主張する。
周平がそちらに視線を送ると、いつものように美波と北方を始めとする6人のグループが盛り上がっていた。美波と北方は学校内でも有名な生徒だ。その他の4人も、サッカー部の岸田と井口は私服を着崩したチョイ悪系でそこそこ人気があり、青髪ショートの川名と茶髪サイドテールの水川も美波ほどではないものの時々告白もされているらしい。
周平の目が美波を追う。恋愛感情よりも先に、周平にとって気になる人物だからだ。入学以来、クラスメートである今でも、美波と言葉を交わしたのは数回の挨拶くらいなのだが。
「オカルト研究部のボッチと姫とじゃあ、住む世界が違うからねえ」
不意に聞こえた声に顔を上げると、周平の隣に千代が立っていた。
「姫?ああ、姫ね。確かに、姫だな」
「まあ、私は巫女だけどさ」
美波を「姫」と表現した千代が、自分を巫女と呼ぶ。巫女を神様に仕える神聖な存在だと認識している周平は、呆気にとられた表情で苦笑する。千代に神聖さの欠片も感じられなかったからだ。
「むっ、失礼な。私は1300年以上続く由緒正しき神主の娘よ。年末年始にバイトしているニセモノではなく正真正銘の巫女なの!!」
「はいはい」
おざなりな同意に、千代が両頬を膨らませて怒りを表現する。
「いや、前から言ってるじゃん。そもそも、ウチは吉備真備が建てた神社なのよ。アンタからすれば、私は崇拝の対象になってもいいはずなんだけどね!!」
「は? 初耳なんだけど」
「え? 言ってなかったっけ」
周平は千代が口にした「吉備真備」という名前を聞き、反射的に真顔で千代を見上げた。その表情からは、先ほどまでの冗談を言い合っていたときの弛緩した笑みが消えている。
吉備真備という人物は西暦700年代に活躍した人物で、周平が研究している「邪馬台詩」を大陸から持ち帰ったとされる人物である。邪馬台詩はただの漢詩とされることもあるが、オカルトマニアなど超常現象を愛する者たちにとっては予言書なのである。
「マジ?」
「大マジ」
しばらく千代の顔を見詰めていたが、周平は周囲の反応に気付いて視線を逸らした。周平が普通に話すことができる唯一のクラスメートであるが、委員長オブ委員長の千代は美波レベルの有名人である。男子生徒と見詰め合っていれば、周囲が何事かと注目してしまうのも無理はない。しかし、クラスメートたちは相手が周平だと分かると、途端に興味を無くして会話に戻っていった。同じオカルト研究部のメンバーだと、全員が知っているからだ。
周囲の視線が四散したことを確認し、周平が口を開く。
「でも、それは自称だろ」
「アンタもしつこいわね。しつこい男はモテないわよ、ってモテてないか」
「うるさい」
「というか、中学2年生の途中まで一緒だった学校の名前覚えてる?」
「真備中学・・・真備?もしかして」
「そう、ウチの神社の周辺地域は真備地区。吉備真備によって開拓されたから、真備地区って呼ばれているのよ」
周平の頭の中で「ガーン」という鼓膜を破らん限りの鐘の音が響く。
灯台下暗し。今の話しが本当であれば、邪馬台詩を読み解く手掛かりが千代の自宅にあるかも知れない。
「ちょっと、ご両親にお話しをさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「ちょ、言い方!! まあ、確認してみるから、ちょっと待って」
「ははーっ!!由緒正しき巫女様っ」
周平は気持ち悪いほど目をキラキラさせながら、千代に向かって拝むように両手を合わせる。その豹変した態度に、千代は腕を組んで苦笑いしながら周平を見下ろした。


