その後、周平と美波は話し続けた。美波の痛みを少しでも癒すように、日が沈み、空で星が瞬き、違う方向から日が昇ってもずっと話し続けていた。

 ずっと話し続けて、分かったことがあった。狛犬によって意思の疎通をすることは可能であるが、個人を特定する情報についてはジャミングされるように、伝えることはできなかった。名前も、住所も、年齢も、個人を特定できる要素は何もかもが言葉にならない。今のところ、会話ができても何の進展もない状態だった。この状況が続いても、美波の心を繋ぎ止めることしかできない。それは重要なことではあるが、時間的な猶予は確実に短くなっていることもまた確かなことだった。

 カタカタと机の上にある狛犬が揺れる。窓ガラスがビリビリと響く。床に接している部位から、脳が振動を受け取る。今日の明け方から、明らかに増えた微振動。まるで何かが生まれてくるように、間隔が狭くなっている。もう、3時間ほどとかなり短い。周平は現状を踏まえて、神主の言葉を思い浮かべる。

 ―――――もし、もう一度天秤市直下で揺れることがあれば、そのときは本当に世界の終焉が始まる―――――

 神主の言葉が本当ならばその刻はもう目の前に迫っている。でも、止める方法は分かっている。阿吽の狛犬を揃えて天秤神社に行き、天秤に乗せればいい。ただ、それが分かってはいても、周平には吽の狛犬と持ち主を探し出す方法が分からない。やはり、拡声器を手に市内を練り歩くしかないのだろうか。

 原点に戻ろうとしたとき、周平はようやく凛音のアドバイスを思い出した。
 「探すのは現実的ではないから、名乗り出てもらうしかない」、と。そうだ。名乗り出なくても、決まった場所に、自分から来てもらえばいい。具体的な地名は言えない。待ち合わせの時刻を決めることも無理。それならば―――

「明日、花火大会があるよね」
 もう、二人は敬語で話しをすることをしなくなっていた。それに何の意味もないから。
「うん」
「自宅からも見えるし、わざわざ見に行くことはしなかったけど、今年は一番よく見える場所で見たいなって。そう思っているんだ」
「私も、今年は一番よく見えるところで見ようかな」
 思わず小さくガッツポーズをする周平。
 固有名詞もない、時間指定もない。可能性は高いと思ったが、会話の受け答えから、周平は言葉がそのまま伝わったことを確信した。もちろん、意図も確実に伝わっていると思う。問題になるのは、どこまで場所を限定できるかどうか。
「ただあそこ、立入禁止になるんだよね」
 平然とした口調で告げたあと、周平は祈るような思いで答えを待つ。これが許されるのであれば、かなり場所を絞り込むことができる。
「立入禁止になる場所なんかあるんだね、知らなかったよ」

 周平は全身の力を抜き、床に大の字に寝転んだ。会える確率が跳ね上がった。同じ場所を連想するかは分からないが、かなり限定できたと思う。しかも、花火大会の特性上、時間帯もかなり狭くなったはずだ。
 ほんの少しだけ、未来が明るくなった気がした。


 その後も、幼少期の話しや日常生活の話しが続いた。トイレ休憩とお風呂タイム以外、全ての時間をずっと2人は共有した。分かっていたことではあるが、吽の力は強かった。時間の経過とともに、終わりに繋がる力が強くなっていった。何の前触れもなく悲観的な言葉を連発したり、突然黙り込んだり、全く反応が無くなったり。もしこれが電話だったら、と思うと周平はゾッとする。
 同意はしない。
 でも、否定もしない。
 ただ光の方向に背中を押すだけ。


 ガタガタと窓枠が揺れ、本棚に並べてある歴史資料がバサバサと床に落ちる。部屋の四方がギシギシと唸る。
 天秤市を中心とする地震は、当初は先日の余震として扱われていた。しかし、徐々に間隔が短くなり、揺れも激しくなっていることからテレビのニュースでも取り上げられ始めている。直下にある中央構造線に関連する大地震の前兆ではないか、と言い始める地質学者も現れたようだ。当然、周平はそんな呑気なことは思っていない。既に抑えるものを失った竜脈はバランスを崩し、世界そのものが終わりを迎えようとしていることを知っているのだから。

「でもさ、こんな田舎の片隅で話している僕たちが、世界の崩壊を止めるカギだなんて笑っちゃうよね」
「うん。誰に言っても信じないと思う。あとでみんなに教えても、誰も信じないよね」
「でもさ、2人だけの秘密ってことで。その方がいいかもね」
「うん。そうだね。みんなにはナイショで世界を救っちゃおうか」


 間違いなく、その刻は近付いていた。
 2人が別々の場所で沈む夕日を目にし、長い夜を越える。
 2人が別々の場所で昇る朝日を目にし、長い一日を迎える。
 間違いなく、最初で最後のチャンス。
 
 17時過ぎ、ポケットに狛犬を入れた周平が、自転車に乗って自宅を出た。向かう場所は天秤神社。天秤市で花火が一番きれいに見える場所は、天神神社の階段を上りきった場所だ。それを相手が知っているかどうかは分からない。それでも、住民は毎年思っているはずだ。もし、花火大会の日に天秤神社が立入禁止にならなければ、一度は境内から花火が見たいと。真横から見た花火は、絶対にきれいだろうと。