その後、静寂が数十秒続いたあと、美波が口を開いた。
「でも、それは貴方が元々優秀だったからではないですか?
元々、何でもできたから、何もかも持っていたから、だから、強制的な始まりも、終わりも平等なんて言えるんです。何でもできて、みんなの中心にいて、周囲を引っ張っていける人だから、呑気にまた始めればいいとか、やり直せばいいなんて言葉が出るんですよ!!何もできなかった私は、何も持っていなかった私は、長い時間を掛けて必死に積み上げていた全てを失った私には、よんな余裕なんかありません。また積み上げる?あんなに苦労して、必死で頑張ってようやく理想に近付いて、それを一瞬で失ったのに、この状況からやり直す?ゼロから始めた私のことなんか、貴方には分からない!!最初から足が速い人に、いつも最下位争いをしていた人の気持ちなんか分からない。3ポイントシュートを簡単に入れられる人に、リングまで届かなかった人の気持ちは分からない。人望があって人から推挙される人に、顔色を窺って過ごしている人の気持ちなんか分からない。絶対に分かりはしない!!貴方は知らない。底には穴が開いていて、そこからもっと下へ簡単に落ちていくんですよ。そこでドロドロに腐っても、また床に穴が開くんです。始まりと終わりが表裏一体で平等なんてことはないんですよ。天秤に乗せれば、一瞬で終わりに傾いて、そこで本当に終わりですよ、終わるんです!!」
一気に言い切った美波が再び口を噤む。
そして、今度は周平が沈黙を破った。
「僕がスポーツを、具体的にはバスケットボールですけど。バスケを始めたのは小学5年生のときでした。確かに、元々足は速い方ではありましたが、凄く速いという訳ではなく、クラスで5番目とかでしたね。球技などやったことがなくて、始めたばかりのときは10本の指を全部突き指しましたよ。球技全般が苦手で、びっくりするくらいセンスがなくて、ドリブルなんて真下に突くことさえできませんでした。でも、楽しかったので、上手くなりたくて、少しずつできることが増えることが嬉しくて、学校から帰っても夜遅くまでドリブルやターン、フェイントの練習をしました。持久力をつけるために毎日10キロくらいは走ってましたし、朝練も1時間以上は早く行ってシュート練習を一生懸命しましたよ。あのノータッチでボールがネットを抜ける音が好きで、時間が許す限りシュートをしてたと思います。その全てを、身に覚えのないことで失って。その絶望の中からまた始めようなんて、実際に挑戦してみると、そんなに簡単なことじゃないんですよ。だから、底が見えない暗闇に堕ちようとしている人も、最底辺から這い上がろうとしている人も現在位置は変わらない。
―――――僕たちは、今、同じ場所にいるんです」
周平の耳に、美波が息を飲む呼吸音が届く。
「阿吽の狛犬を元に戻しましょう。
一緒に、世界の救っちゃいましょう。
そして、全てが終わったら、また最初から始めましょう。
僕も全力で手伝いますから」
相手が誰なのか分からないのに、美波は周平の笑顔が見えた気がした。
相手が誰なのか分からないのに、周平は美波の嗚咽を聞いた気がした。
「毎朝みんなに挨拶しているけど、実は気付かないフリをしてスルーしている人もいるんだよ」
「それが普通じゃないかな。嫌な相手に無理して声を掛ける必要はないよ」
「いつも笑顔でいるようにしているけど、本当はほとんどが愛想笑いなんだよ。面白くないなあ、とか思いながら作り笑顔を浮かべているだけなんだよ」
「作り笑顔ができるだけでも凄いよ。普通だったら相手の気持ちなんか無視して、酷い仏頂面を見せるはずだよ」
「流行の歌やダンスなんかは帰宅後に必死で練習してたりするんだよ。人気があるタレントやドラマなんかもネットで調べて、録画までしてチェックしてる。本当は、何も知らない。知っているように見せ掛けているだけなの」
「それを、普通は知っているって言うんだよ。一生懸命情報を集めて勉強するってことは、他の人に教えてあげられるってことだよね」
「周りから可愛いって言われるけど、一生懸命コスメの勉強しているだけなんだ。ネットで最新のメイクとか覚えて、何度も練習するし。毎朝、登校する前に1時間以上準備もしているし。だからさ、みんなが言うほど、本当はそんなに可愛くなんてないんだ」
「毎日研究して自分に合うメイクを知ることや、自分がもっと可愛くなるために頑張ることは必要なことだよ。それに、すっぴんが可愛いからこそ、メイクしたあとに輝くんだよ」
「ああ、もうイヤだ。グチグチと文句ばかり、最終的にはフォローしてもらってさ。毒も吐きまくり。それでも私を見捨てないと分かっているから、私が、いや、私の持つ狛犬が必要だから、世界のために私の持つ狛犬が必要だから、絶対に離れないと知っているから、こんなに悪態ついて。もう、自分がイヤになる。イヤなヤツだ。そう、こんなダメで、イヤなヤツなんだ。もうホントに、自分がイヤで仕方がない。自分が嫌い・・・」
「確かに、僕は貴方を見捨てたりしない。どんなことがあっても絶対に離れたりもしない。確かに、貴方が持つ狛犬は必要だ。それは否定しないけど。もし、その手に狛犬がいなくても、僕は絶対に貴方の手を放したりしない。貴方は世界を救うなんて荒唐無稽な、妄想のようなことのために、どんなに自分が苦しくても頑張って耐えてきた。そんな真っ直ぐで優しい貴方を、絶対に一人ぼっちにはしない。
それに、全部終わったら、一緒に最初から始めようって約束したよね」
微かに震える声が阿の狛犬から聞こえた。
「・・・うん」
「でも、それは貴方が元々優秀だったからではないですか?
元々、何でもできたから、何もかも持っていたから、だから、強制的な始まりも、終わりも平等なんて言えるんです。何でもできて、みんなの中心にいて、周囲を引っ張っていける人だから、呑気にまた始めればいいとか、やり直せばいいなんて言葉が出るんですよ!!何もできなかった私は、何も持っていなかった私は、長い時間を掛けて必死に積み上げていた全てを失った私には、よんな余裕なんかありません。また積み上げる?あんなに苦労して、必死で頑張ってようやく理想に近付いて、それを一瞬で失ったのに、この状況からやり直す?ゼロから始めた私のことなんか、貴方には分からない!!最初から足が速い人に、いつも最下位争いをしていた人の気持ちなんか分からない。3ポイントシュートを簡単に入れられる人に、リングまで届かなかった人の気持ちは分からない。人望があって人から推挙される人に、顔色を窺って過ごしている人の気持ちなんか分からない。絶対に分かりはしない!!貴方は知らない。底には穴が開いていて、そこからもっと下へ簡単に落ちていくんですよ。そこでドロドロに腐っても、また床に穴が開くんです。始まりと終わりが表裏一体で平等なんてことはないんですよ。天秤に乗せれば、一瞬で終わりに傾いて、そこで本当に終わりですよ、終わるんです!!」
一気に言い切った美波が再び口を噤む。
そして、今度は周平が沈黙を破った。
「僕がスポーツを、具体的にはバスケットボールですけど。バスケを始めたのは小学5年生のときでした。確かに、元々足は速い方ではありましたが、凄く速いという訳ではなく、クラスで5番目とかでしたね。球技などやったことがなくて、始めたばかりのときは10本の指を全部突き指しましたよ。球技全般が苦手で、びっくりするくらいセンスがなくて、ドリブルなんて真下に突くことさえできませんでした。でも、楽しかったので、上手くなりたくて、少しずつできることが増えることが嬉しくて、学校から帰っても夜遅くまでドリブルやターン、フェイントの練習をしました。持久力をつけるために毎日10キロくらいは走ってましたし、朝練も1時間以上は早く行ってシュート練習を一生懸命しましたよ。あのノータッチでボールがネットを抜ける音が好きで、時間が許す限りシュートをしてたと思います。その全てを、身に覚えのないことで失って。その絶望の中からまた始めようなんて、実際に挑戦してみると、そんなに簡単なことじゃないんですよ。だから、底が見えない暗闇に堕ちようとしている人も、最底辺から這い上がろうとしている人も現在位置は変わらない。
―――――僕たちは、今、同じ場所にいるんです」
周平の耳に、美波が息を飲む呼吸音が届く。
「阿吽の狛犬を元に戻しましょう。
一緒に、世界の救っちゃいましょう。
そして、全てが終わったら、また最初から始めましょう。
僕も全力で手伝いますから」
相手が誰なのか分からないのに、美波は周平の笑顔が見えた気がした。
相手が誰なのか分からないのに、周平は美波の嗚咽を聞いた気がした。
「毎朝みんなに挨拶しているけど、実は気付かないフリをしてスルーしている人もいるんだよ」
「それが普通じゃないかな。嫌な相手に無理して声を掛ける必要はないよ」
「いつも笑顔でいるようにしているけど、本当はほとんどが愛想笑いなんだよ。面白くないなあ、とか思いながら作り笑顔を浮かべているだけなんだよ」
「作り笑顔ができるだけでも凄いよ。普通だったら相手の気持ちなんか無視して、酷い仏頂面を見せるはずだよ」
「流行の歌やダンスなんかは帰宅後に必死で練習してたりするんだよ。人気があるタレントやドラマなんかもネットで調べて、録画までしてチェックしてる。本当は、何も知らない。知っているように見せ掛けているだけなの」
「それを、普通は知っているって言うんだよ。一生懸命情報を集めて勉強するってことは、他の人に教えてあげられるってことだよね」
「周りから可愛いって言われるけど、一生懸命コスメの勉強しているだけなんだ。ネットで最新のメイクとか覚えて、何度も練習するし。毎朝、登校する前に1時間以上準備もしているし。だからさ、みんなが言うほど、本当はそんなに可愛くなんてないんだ」
「毎日研究して自分に合うメイクを知ることや、自分がもっと可愛くなるために頑張ることは必要なことだよ。それに、すっぴんが可愛いからこそ、メイクしたあとに輝くんだよ」
「ああ、もうイヤだ。グチグチと文句ばかり、最終的にはフォローしてもらってさ。毒も吐きまくり。それでも私を見捨てないと分かっているから、私が、いや、私の持つ狛犬が必要だから、世界のために私の持つ狛犬が必要だから、絶対に離れないと知っているから、こんなに悪態ついて。もう、自分がイヤになる。イヤなヤツだ。そう、こんなダメで、イヤなヤツなんだ。もうホントに、自分がイヤで仕方がない。自分が嫌い・・・」
「確かに、僕は貴方を見捨てたりしない。どんなことがあっても絶対に離れたりもしない。確かに、貴方が持つ狛犬は必要だ。それは否定しないけど。もし、その手に狛犬がいなくても、僕は絶対に貴方の手を放したりしない。貴方は世界を救うなんて荒唐無稽な、妄想のようなことのために、どんなに自分が苦しくても頑張って耐えてきた。そんな真っ直ぐで優しい貴方を、絶対に一人ぼっちにはしない。
それに、全部終わったら、一緒に最初から始めようって約束したよね」
微かに震える声が阿の狛犬から聞こえた。
「・・・うん」


