未だに静かな体育館の横を足早に通り過ぎ、周平は自転車に跨った。目指す場所は天秤神社だ。直通の車道を知っている周平ではあるが、とても自転車で登れる坂ではない。それに、蛇行しなければならないため距離的には階段の数倍はあるだろう。比較検討した結果、周平が選んだ道は当然のように階段だった。
 10分後、天秤神社に到着した周平は、頂上が見えない階段を見上げて大きく息を吐き出した。

 1000段を超える石段は、太陽フレア付きの炎天下には地獄の行軍だった。それでも、軽く35度を超える気温の中、周平は天秤神社を目指して上り続ける。以前来た時は300段辺りで休憩を挟んだが、今回は余力を残して通過する。毎日の体力作りによって、脚力が戻ってきているに違いない。

 ひたすら上り続けた周平は、1時間も経たないうちに境内に辿り着いた。石造りの鳥居を潜り、両側に陣取る狛犬の石像と並ぶ位置で立ち止まる。その場で周囲を見渡してみるが、周平の目には特に変化は見られなかった。ひとまず安堵した周平が拝殿に向かって歩き始めた、そのとき、しばらく耳にしていない声が聞こえてきた。

「可成っ」

 社務所の方から響いた声は、当然のように千代のものだった。中学時代のジャージに体操服といういい加減な格好のまま、パタパタと駆け寄ってくる。
「なあに?私に会えなくて寂しくなったとかかな?照れちゃうなあ」
「いや、神主さんに会いにきたんだけど、どこ?」
 周平を揶揄(からか)う気満々だった千代を即座に一蹴し、周平は父親である神主の居場所を訊ねる。
「もう、ホントにつまんないヤツだなあ。 あの地震の直後は書庫に()もって何か調べてたみたいだけど、今は社務所にいるよ。こっち来て」
 千代に促されるまま、周平は社務所に向かって歩き始めた。

「ちょっと待っててね」
 社務所の玄関に着くと、千代は神主を呼びに廊下の奥へと姿を消した。
 そして、それから10秒も経たないうちに、千代が向かった方向から足音が近付いてきた。
「やあ、可成君だったよね。今日は一体何の用事かな?今はちょっと手が放せないから、あまり時間がなくてね。手短に済ませて貰えれば助かるのだけど」
 会って早々に、今は相手ができないと告げられてしまったため、周平は冒頭から本題に入る。
「天秤市直下で発生した地震で、御神体である天秤が倒れているのではないですか?そして、天秤に分銅代わりに乗っていた狛犬が無くなった―――とか」
 穏便に周平を追い返そうとしていた神主の表情が変わる。
「実は、阿の狛犬は僕が持っています。今は、吽の狛犬を探しているところです」

「マジ?」
 神主は驚愕に目を見開いたまま、素で言葉を発した。


 神主は周平を玄関先に座らせると、自らも腰を下ろした。そして、千代に麦茶を持って来るように伝えると、周平を見て何を納得したのか何度も頷いていた。
「過去の文献等を調べてみたところ、竜脈の暴走を止めるためには再度封印をするしかないことが分かっているんだ。そのためには、阿吽の狛犬を乗せた天秤を元の位置に設置しなければならない」
 確かに、それが一番可能性が高いと周平も思う。元の状態に戻せば、再度封印ができるような気がする。逆に、それで無理ならば、もうどうすることもできない。

「そのためには」
 そこで言葉を切って、神主が周平の前に2本の指を立てる。
「必要なものは2つある。1つは吽の狛犬」
 そのことについては、周平も分かっていたためコクリと頷く。
「もう1つは、重石だ。この重石の方が問題かも知れない。吽の狛犬は見付かる可能性がある。だが、重石は準備できるものではないんだ」
「重石って、天秤の中心に在った碁石サイズの石のような物ですよね?」
 周平が御神体を見たときの記憶を頼りに訊ねると、神主が大袈裟に頷いた。
「そう、その重石が無いと天秤が固定できずに倒れてしまうんだ」

 重石って何だ?
 御神体の場所で説明を聞いた時点では、「重石が一体何でできているのか分からない」とのことだった。それが未だに解明できていなないのであれば、天秤を元通りにりにできたとしても、また崩れてしまうのではないだろうか。

「それで、重石が何できているのか分かったんですか?」
 周平の問いに、神主は左右に首を振る。
「重石を維持するために、法律を作ったことは分かっているのだけどね。
「ああ、養老律令ですね」
 周平の答えに、神主が目を見開く。
「そうだが、なぜそれを、可成君が知っているんだ?」
 周平は夢バーの顔を思い出しながら、曖昧に返事をして受け流した。

「とりあえず、吽の狛犬を持っている人を探し出して、ここに連れて来ます。ですから、重石については調べて下さい」
 周平の申し出に、神主が頷く。現状、そうするしか方法がない。
「可成君、ただ、もうあまり時間がないようだ。
 今日のニュースを見ても分かるが、中央構造線上の地震が頻発している。テレビが注目するくらいにね。中央構造線を中心とした巨大地震が起きる、などという特集も組まれている。一般人が気付く位には進行しているということだ。もし、もう一度天秤市直下で揺れることがあれば、そのときは本当に世界の終焉が始まる」


 周平は社務所をあとにすると、境内を階段に向かって歩き始める。階段を下り始める直前、眼前に広がる景色に思わず息を飲んだ。前回来たときには裏道を自動車で下ったため気付かなかったが、さすがに天秤市で一番高い場所だ。透き通るような青空の下、街を縦断する大川が海へと向かって流れていた。