小さな勇気を受け取り美波は立ち上がった。
 美波には行かなければならない場所がある。余計な邪魔が入らないうちに、この足が動くうちに辿り着かなければならない。あの日、書店の前に座っていた占い師に言われた言葉を、美波は思い出したのだ。

―――――己の心に従ってはいけない、己が望むままにしてはいけない―――――

 今は鎮痛剤が効いているような状態で、絶望感が薄れている。でも、この状態が長く続かないことを、美波は不思議と理解していた。悲観的な思考傾向が変わることはないだろう。環境が悪化していくことを止められるとは思えない。周囲が暗くなり、部屋で一人きりになれば、今日のことを思い出して泣いてしまうかも知れない。自暴自棄になるまで、そんなに時間がかかるとは思えない。自分の終わりに向かって、一歩ずつ歩いている気がする。だからこそ、美波はあの占い師に会いたかった。どうしても、会って話しを聞きたかった。

 周囲を警戒しながら学校を後にした美波は、部活に向かう生徒たちとすれ違いながら駅に向かった。


 だから今、美波はおぼつかない足取りで、フラフラと商店街を歩いている。

 そして周平が立ち去って10分もしないうちに、美波は書店前に座っている占い師の前に辿り着いた。美波の姿を目にした占い師、夢バーはさすがに驚いた。ほんの僅かな時間差で、当事者たちが訪れたからだ。ほんの少しでもタイミングがズレていれば、この場所で阿吽が出会っていたかも知れないのだ。
 だが、夢バーは自嘲して左右に首を振った。世界はそんなに簡単には救えない。

「お嬢さん、オマエさんに起きている現象について話しをしよう。まあ、そこに座りなさい」
 美波は夢バーの言葉に驚き、慌てて小型のパイプ椅子に腰を下ろした。
「みなまで説明すると長くなるでの、要点だけを話そうかの。
 まず、前回も話したが、オマエさんは世界の滅亡というとんでもない事件に巻き込まれている・・・のじゃが、まあ、そういう反応になるわな、ふつう」
 キョトンとした表情で小首を傾げる美波に、夢バーは大きいタメ息を吐いた。当たり間に考えて、こんな話しを信じる方がどうかしている。芸能人であれば、周囲に小型カメラを探すレベルだ。

「そうじゃな、オマエさんは小さな狛犬を拾ったであろう。口をこう、しっかりと閉じたやつじゃ」
 誰にも狛犬の話しをしていない美波は、夢バーが指で示した大きさも含め目を見開いた。
「それは、吽の狛犬じゃ。狛犬は阿と吽という2種類が一対になっておる。阿の狛犬は始まりを司り、吽の狛犬が終わりを司る。つまりじゃ、オマエさんが持っている狛犬は、終わりを呼び寄せる。ほれ、思い当たることがあるんじゃないかの?」
 夢バーの言葉に、美波がコクリと頷いた。
「そうじゃろうな。オマエさんにには酷だとは思うが、それを止める手立てはない。じゃから、前回来たときに言ったのじゃ。終わりに飲み込まれるな、とな」
「それで、『己の心に従ってはいけない、己が望むままにしてはいけない』と言ったんですね」
「そうじゃ」
 そう言って、夢バーが大きく頷いた。

「吽の狛犬は、オマエさんを宿主と決めておるようじゃ。どんな方法を使っても、引き剥がすことは不可能。もし捨てたとしても、いつの間にか戻ってきている。だから、少しでも心が絶望に染まらないように、抗って時間を稼ぐしかないのじゃよ」
「つまり、今の状況が今後も続くということですか・・・」
 さすがに、美波も項垂れる。この話しを聞いただけで、人生が終わったような気持ちになってしまう。
「それで、私の役目は何でしょうか?」
 美波から発せられた問いに、さすがの夢バーも驚く。本来であれば前向きな質問ができるはずがないからだ。

「オマエさんの仕事は終わりに飲み込まれないように抗って、阿の狛犬を持つ人物と合流することじゃな。元来、狛犬は阿吽で一対。二匹揃って力を発揮するものじゃ。二匹が揃い、初めて人々に希望が生まれる。それが、世界を救うカギなのじゃ」
「自分さえ救えない私が、世界を救えるとはとても思えないんですけど・・・」
「まあ、オマエさんから探さなくても、阿の狛犬を持つ彼が、必ずオマエさんを探し出すじゃろよ」
 美波は夢バーの説明に疑問を覚えて問う。
「占い師さんは、持ち主に会ったことがあるんですか?」
「ある。が、名前も知らなければ、住んでいる場所も知らない。ただ、この街に住んでいる少年ということしか分からない」
 腹の底からタメ息を吐き、美波は再び項垂れる。それでは、何の情報も無いということに等しい。

 美波は夢バーからの話しが途切れたところで、ほぼ全ての情報を入手したと判断した。これ以上ここに居座っても迷惑だと考え、礼を言って立ち上がろうとしたとき夢バーが口を開いた。
「健康運は最悪。学業は普通。恋愛運は急上昇。金運はまあまあじゃ。
 2回目故に、800円じゃな。と言いたいところではあるが、まあ、今回だけは出血大サービスの無料(ただ)じゃ」
 相手が有料の占い師であるということを思い出し、美波は頭を下げて立ち上がった。
 訪れたときと同じように、覚束ない足取りで立ち去ろうとする美波に夢バーが声を掛けた。

「阿吽の呼吸を忘れないようにな。それと、次に来るときはハンバーガーを頼むぞ」

 重いリュックを背負い、美波は自宅に向かって歩き始めた。