「おはようございます」
10時を過ぎた時間帯ではあったが、周平はいつものように挨拶をして部室を覗き込む。いったい何時からいるのか分からないが、部長である凛音と副部長の拓真は自分たちの定位置に着席していた。周平にとって見慣れた光景ではあるが、部室に顔を出して2人がいなかった記憶がない。
「ああ、おはよう」
「おお、おはよう。今日はチョコミントクッキーを試作したから食べて感想を聞かせてくれ」
だーかーらー、夏にチョコレートはやめろよ!!と思っても口に出せない周平は、笑顔で頷いて自分の席に向かう。長机の自席に座り、開いている隣の席に視線を送る。夏休みに入って以降、千代が部活に顔を出していないのだ。
「あの、部長」
周平が凛音に声を掛ける。オカルト研究部は基本的に自由参加、自由行動、自己責任が原則の部活だ。凛音と拓真、それに周平が異常なだけで、毎日部活のためだけに夏休みまで登校する必要はない。当然のように、その異常な一員に千代も入っていた訳である。しかし、部活に来なくなったからといって、それはそれとして理由を確認するつもりはない。
周平が気になっていたのは千代の動向ではなく、天秤神社のことである。天秤市を震源とする地震はその後発生していないが、中央構造線周辺での地震は頻発している。その理由を考えると、天秤神社で何か異変があったのではないかと考えることはごく自然なことだ。しかも、あれ以降、千代が登校していないことを考えると、その可能性は非常に高くなる。少しでも千代が部活に顔を出せば訊ねようと思っているものの、それも叶わない状況が続いている。
「うむ、連絡は無いし、何をしているのかは分からない。我が部の方針としても、部員の自由を縛ることはしないし、報・連・相を義務付けてもいない」
凛音はチョコミントクッキーを摘んだ手を舐めながら、周平の質問を先取りして答える。
周平は飛鳥時代から平安時代にかけての文献や歴史による予言を、趣味で調べているだけに過ぎない。文献の解釈を多角的に分析し、それを楽しんできただけの存在だ。いわば、完全な傍観者だ。しかし、天秤神社は1300年以上に渡り世界の崩壊と向き合ってきた当事者だ。聖徳太子から始まり、吉備真備と託された願いと希望を受け取り、現在まで引き継いできたのである。そこに、自分のような第三者が好奇心で入り込むべきではない。そう、周平は思っている。だから、最初の一歩を踏み出すことに対し、ずっと躊躇しているのだ。
「だがね、同級生が、クラスメートが、部活の仲間が、心配して、近況を確認する行為はごく当たり前のことだと思うのだよ。そういう体で連絡することは、部活動とは別の話だと、私は思うのだがね」
「うむ。これが天秤神社の電話番号だ。公衆電話は事務室の前にあったと思うぞ。それよりも、まだチョコミントクッキーを食べてないだろ?とりあえず1つ口に入れて、感想を教えてくれないか」
凛音の言葉で決断し、拓真から渡された電話番号を手にした周平は、チョコミントクッキーを1つ口に入れて絶賛したあとに部室を出た。
何もできないかも知れない。いや、できることなどない。そもそも、単なる好奇心かも知れない。様々なことが頭の中をグルグルと回ったものの、結局は音の言葉通りの結論に辿り着く。同じ部活の仲間として連絡するだけだと、自分に言い訳をしたところで周平は事務室の前に到着した。
周平は事務室の前に設置された公衆電話の前に立ち、財布から10円玉をあるだけ取り出してコインの投入口付近に積み上げる。準備万端の状態で受話器を持つと、ゴクリと唾を飲み込んだ。
考えてみれば、周平はこれまでの人生で、いわゆる家電に電話をした経験がない。本人が出る可能性はあるが、確率的には他の家族が電話に出る可能性の方が高い。そのとき、一体何を話せばいいのだろうか。神主ならばまだいい。会ったこともない母親だと、周平はパニックになるかも知れない。
受話器を持ったまま周平が唸っていると、その様子を事務室の中から見ていた職員と目が合った。ニヤける事務員に向いて必死に首を左右に振ると、その勢いで周平は10円玉を投入してダイヤルをプッシュした。
呼び出し音が1回、2回、結局10回ほど鳴ったところで応答があった。
「天秤神社です」
そのハキハキとした口調と声の特徴で、周平は電話を取った人物が千代だと確信する。
「もしもし、可成です」
意外な人物からの連絡に一瞬驚いた千代は、数拍置いて再起動した。
「ああ、何かご無沙汰だね。こんなに話さなかったのは久し振りだよね。ああ、宿題は見せないよ?」
いつもの憎まれ口を叩きながら、受話器の向こう側から聞こえる笑い声に周平は安堵する。同時に、体調が悪いとも思えない様子から、やはり神社で何かあったのだと理解した。
「冗談はさておき、アレが聞きたいんでしょ?」
周平が電話をしてきた理由を察した千代が、電話でも分かるくらいの苦笑いをしながら続ける。
「まあ、可成の想像していることが起きているってこと。それで、お父さんは解決方法を探して色々ろ調べ物をしていてね、私もその手伝いやらでどうにもならない状態なのよね。あ、部長にも当分行けそうにないけど、『私は元気です!』てキキっぽく伝えてくれる?」
「キキって誰だよ。具体的には、アレだよね。天秤のバランスが崩れて、落下した。って感じだよね?」
周平の問いに、千代が息を飲む。
「何で、分かったの?」
周平は電話を切るとニヤけている事務員を無視し、ひとまず部室に帰ることにした。
10時を過ぎた時間帯ではあったが、周平はいつものように挨拶をして部室を覗き込む。いったい何時からいるのか分からないが、部長である凛音と副部長の拓真は自分たちの定位置に着席していた。周平にとって見慣れた光景ではあるが、部室に顔を出して2人がいなかった記憶がない。
「ああ、おはよう」
「おお、おはよう。今日はチョコミントクッキーを試作したから食べて感想を聞かせてくれ」
だーかーらー、夏にチョコレートはやめろよ!!と思っても口に出せない周平は、笑顔で頷いて自分の席に向かう。長机の自席に座り、開いている隣の席に視線を送る。夏休みに入って以降、千代が部活に顔を出していないのだ。
「あの、部長」
周平が凛音に声を掛ける。オカルト研究部は基本的に自由参加、自由行動、自己責任が原則の部活だ。凛音と拓真、それに周平が異常なだけで、毎日部活のためだけに夏休みまで登校する必要はない。当然のように、その異常な一員に千代も入っていた訳である。しかし、部活に来なくなったからといって、それはそれとして理由を確認するつもりはない。
周平が気になっていたのは千代の動向ではなく、天秤神社のことである。天秤市を震源とする地震はその後発生していないが、中央構造線周辺での地震は頻発している。その理由を考えると、天秤神社で何か異変があったのではないかと考えることはごく自然なことだ。しかも、あれ以降、千代が登校していないことを考えると、その可能性は非常に高くなる。少しでも千代が部活に顔を出せば訊ねようと思っているものの、それも叶わない状況が続いている。
「うむ、連絡は無いし、何をしているのかは分からない。我が部の方針としても、部員の自由を縛ることはしないし、報・連・相を義務付けてもいない」
凛音はチョコミントクッキーを摘んだ手を舐めながら、周平の質問を先取りして答える。
周平は飛鳥時代から平安時代にかけての文献や歴史による予言を、趣味で調べているだけに過ぎない。文献の解釈を多角的に分析し、それを楽しんできただけの存在だ。いわば、完全な傍観者だ。しかし、天秤神社は1300年以上に渡り世界の崩壊と向き合ってきた当事者だ。聖徳太子から始まり、吉備真備と託された願いと希望を受け取り、現在まで引き継いできたのである。そこに、自分のような第三者が好奇心で入り込むべきではない。そう、周平は思っている。だから、最初の一歩を踏み出すことに対し、ずっと躊躇しているのだ。
「だがね、同級生が、クラスメートが、部活の仲間が、心配して、近況を確認する行為はごく当たり前のことだと思うのだよ。そういう体で連絡することは、部活動とは別の話だと、私は思うのだがね」
「うむ。これが天秤神社の電話番号だ。公衆電話は事務室の前にあったと思うぞ。それよりも、まだチョコミントクッキーを食べてないだろ?とりあえず1つ口に入れて、感想を教えてくれないか」
凛音の言葉で決断し、拓真から渡された電話番号を手にした周平は、チョコミントクッキーを1つ口に入れて絶賛したあとに部室を出た。
何もできないかも知れない。いや、できることなどない。そもそも、単なる好奇心かも知れない。様々なことが頭の中をグルグルと回ったものの、結局は音の言葉通りの結論に辿り着く。同じ部活の仲間として連絡するだけだと、自分に言い訳をしたところで周平は事務室の前に到着した。
周平は事務室の前に設置された公衆電話の前に立ち、財布から10円玉をあるだけ取り出してコインの投入口付近に積み上げる。準備万端の状態で受話器を持つと、ゴクリと唾を飲み込んだ。
考えてみれば、周平はこれまでの人生で、いわゆる家電に電話をした経験がない。本人が出る可能性はあるが、確率的には他の家族が電話に出る可能性の方が高い。そのとき、一体何を話せばいいのだろうか。神主ならばまだいい。会ったこともない母親だと、周平はパニックになるかも知れない。
受話器を持ったまま周平が唸っていると、その様子を事務室の中から見ていた職員と目が合った。ニヤける事務員に向いて必死に首を左右に振ると、その勢いで周平は10円玉を投入してダイヤルをプッシュした。
呼び出し音が1回、2回、結局10回ほど鳴ったところで応答があった。
「天秤神社です」
そのハキハキとした口調と声の特徴で、周平は電話を取った人物が千代だと確信する。
「もしもし、可成です」
意外な人物からの連絡に一瞬驚いた千代は、数拍置いて再起動した。
「ああ、何かご無沙汰だね。こんなに話さなかったのは久し振りだよね。ああ、宿題は見せないよ?」
いつもの憎まれ口を叩きながら、受話器の向こう側から聞こえる笑い声に周平は安堵する。同時に、体調が悪いとも思えない様子から、やはり神社で何かあったのだと理解した。
「冗談はさておき、アレが聞きたいんでしょ?」
周平が電話をしてきた理由を察した千代が、電話でも分かるくらいの苦笑いをしながら続ける。
「まあ、可成の想像していることが起きているってこと。それで、お父さんは解決方法を探して色々ろ調べ物をしていてね、私もその手伝いやらでどうにもならない状態なのよね。あ、部長にも当分行けそうにないけど、『私は元気です!』てキキっぽく伝えてくれる?」
「キキって誰だよ。具体的には、アレだよね。天秤のバランスが崩れて、落下した。って感じだよね?」
周平の問いに、千代が息を飲む。
「何で、分かったの?」
周平は電話を切るとニヤけている事務員を無視し、ひとまず部室に帰ることにした。


