夏休みに入って1週間ほどが過ぎ、インターネットの無い生活に世界は順応しつつあった。
周平は早朝のランニングを続ける中で、すれ違う人たちがコード付きのイヤホンをしていることに気付いた。そのコードは腰に付けられた薄型の機器に繋がっているようだ。3日前から公園でのラジオ体操に参加するようになった周平は、健康のために運動している年配の人にも知り合いが増えてきた。
顔馴染みのひとりもコード付きのイヤホンをしていたため、周平は思い切って訊ねてみた。
「おはようございます。あの、それは何ですか?」
声を掛けられた60歳前後と思われる男性が、周平の指先にある機器を確認して答えた。
「うーん、何て言えば良いのかな。携帯型の音楽プレーヤー、とういう感じかな」
男性は腰に巻いたベルトに付けていた機器を外して周平に見せてくれる。
「ネット系の音楽アプリもプレーヤーも使えないからさ、30年以上前のカセットテープを聴きながら走ることにしたんだよ。試してみたらまだ動いたし、カセットテープも段ボール箱に入れて保管していたんだ。伸びてなかったし、懐かしい曲を聴きながら走るのも良いものだよ」
その説明を聞いた周平は、以前テレビで見た昭和のブームを思い出した。ウオークマンだったか、当時若者たちの間でブームになっていたとか。まだインターネットなど普及していなかったし、当時のものであればこの環境でも使用できるのだろう。
いつまで続くか分からない磁気嵐。今朝のテレビニュースでも、終息の気配すらなく、現在太陽の表面で巨大フレアが暴れ回っているようだ。そのため、毎日登校するための通学路でも異変が起きていた。あちらこちらで、電話回線の工事が行われているのだ。少なくとも1ヶ月は続くと予想されている電波障害が回復するまで、仕事も交友関係も待ってはくれない。そのため、「家電」を復活させようとしている大勢の人たちが我先にと電話回線の敷設工事を依頼しているのである。
それらの工事のために片側交互通行になっている道路を、周平は自転車に乗って学校に向かう。
駅前を通り掛かる周平の目に、明らかにいつもより多くの人たちが写り込んだ。周平が見た昨夜のニュースによると、あの人たちは待ち合わせのために立っているとのことだった。簡単に連絡が取れなくなったため約束の重みが増し、時間を厳守する人が増えたのだとか。磁気嵐が起きる前に見たニュースでは、20歳未満の人に「8時10分前」は何時何分ですか?と質問すると、約8割の人が「8時7分」と答えたと言っていた。今同じ質問をすれば、普通に「7時50分」と答えるだろう。
利用者が多い駅には、「伝言板」と呼ばれるホワイトボードが設置された。待ち合わせをしている人たちの伝言用に用意されたのであるが、なぜか全ての伝言板には「xyz」という謎の言葉が記入されているらしい。
その他、「伝言ダイヤル」なるサービスが復活したとかどうとか。結局、電話機や電話ボックス等が無いため、何の役にも立っていないらしいが。
周平の乗る自転車は、特に問題も無く学校に到着した。夏休みということもあり駐輪場はガラガラで、適当な場所に停めても文句を言われることはない。自転車を校舎から一番近い位置に停め、いつものように本館の2階にある2年3組に向かう。日頃の習慣が拭えないため、周平は本館の2階にある自分の教室前を通り、渡り廊下を利用して旧館にある部室に向かっている。どこをどう移動しても距離も所要時間も変わらないため、周平にその経路を変更するつもりはない。
ちょうど2年3組の前を通り掛ったときだった。夏休みの教室から声が聞こえた気がして、周平は扉の前で立ち止まった。夏休みの補習授業は磁気嵐の影響もあり中止になったため、蒸し風呂状態の教室に人がいるとは思えないのではあるが。
施錠されていない扉をゆっくりとスライドさせ、扉の隙間から教室の中には入らないまま周平は中を確認する。当然のように、教室の中に人の姿は見えない。周平は首を傾げながら、もう一度教室の中を見渡す。何度確認しようと、いないはずの人は見付からない。自分の空耳だと判断した周平が、扉を閉めようとしたときに黒板に書かれた文字が目に写った。
教室の壁半分以上を占める教壇側の黒板。
その端っこに、小さな文字が真っ白なチョークで書かれていた。
――――― 助けて ―――――と。
誰が、誰に宛てたのか、何のために書いたのか。
ただ、その震える文字からは悲痛な叫びが聞こえてくるようだった。
周平は今までに、これほど感情が込められた文字を見たことがなかった。
いや、あの頃、自分がノートに書き殴った文字以外には、見たことがない。
周平はしばらくその文字を見詰めていたが、やがて扉を閉めてその場を後にした。
周平は早朝のランニングを続ける中で、すれ違う人たちがコード付きのイヤホンをしていることに気付いた。そのコードは腰に付けられた薄型の機器に繋がっているようだ。3日前から公園でのラジオ体操に参加するようになった周平は、健康のために運動している年配の人にも知り合いが増えてきた。
顔馴染みのひとりもコード付きのイヤホンをしていたため、周平は思い切って訊ねてみた。
「おはようございます。あの、それは何ですか?」
声を掛けられた60歳前後と思われる男性が、周平の指先にある機器を確認して答えた。
「うーん、何て言えば良いのかな。携帯型の音楽プレーヤー、とういう感じかな」
男性は腰に巻いたベルトに付けていた機器を外して周平に見せてくれる。
「ネット系の音楽アプリもプレーヤーも使えないからさ、30年以上前のカセットテープを聴きながら走ることにしたんだよ。試してみたらまだ動いたし、カセットテープも段ボール箱に入れて保管していたんだ。伸びてなかったし、懐かしい曲を聴きながら走るのも良いものだよ」
その説明を聞いた周平は、以前テレビで見た昭和のブームを思い出した。ウオークマンだったか、当時若者たちの間でブームになっていたとか。まだインターネットなど普及していなかったし、当時のものであればこの環境でも使用できるのだろう。
いつまで続くか分からない磁気嵐。今朝のテレビニュースでも、終息の気配すらなく、現在太陽の表面で巨大フレアが暴れ回っているようだ。そのため、毎日登校するための通学路でも異変が起きていた。あちらこちらで、電話回線の工事が行われているのだ。少なくとも1ヶ月は続くと予想されている電波障害が回復するまで、仕事も交友関係も待ってはくれない。そのため、「家電」を復活させようとしている大勢の人たちが我先にと電話回線の敷設工事を依頼しているのである。
それらの工事のために片側交互通行になっている道路を、周平は自転車に乗って学校に向かう。
駅前を通り掛かる周平の目に、明らかにいつもより多くの人たちが写り込んだ。周平が見た昨夜のニュースによると、あの人たちは待ち合わせのために立っているとのことだった。簡単に連絡が取れなくなったため約束の重みが増し、時間を厳守する人が増えたのだとか。磁気嵐が起きる前に見たニュースでは、20歳未満の人に「8時10分前」は何時何分ですか?と質問すると、約8割の人が「8時7分」と答えたと言っていた。今同じ質問をすれば、普通に「7時50分」と答えるだろう。
利用者が多い駅には、「伝言板」と呼ばれるホワイトボードが設置された。待ち合わせをしている人たちの伝言用に用意されたのであるが、なぜか全ての伝言板には「xyz」という謎の言葉が記入されているらしい。
その他、「伝言ダイヤル」なるサービスが復活したとかどうとか。結局、電話機や電話ボックス等が無いため、何の役にも立っていないらしいが。
周平の乗る自転車は、特に問題も無く学校に到着した。夏休みということもあり駐輪場はガラガラで、適当な場所に停めても文句を言われることはない。自転車を校舎から一番近い位置に停め、いつものように本館の2階にある2年3組に向かう。日頃の習慣が拭えないため、周平は本館の2階にある自分の教室前を通り、渡り廊下を利用して旧館にある部室に向かっている。どこをどう移動しても距離も所要時間も変わらないため、周平にその経路を変更するつもりはない。
ちょうど2年3組の前を通り掛ったときだった。夏休みの教室から声が聞こえた気がして、周平は扉の前で立ち止まった。夏休みの補習授業は磁気嵐の影響もあり中止になったため、蒸し風呂状態の教室に人がいるとは思えないのではあるが。
施錠されていない扉をゆっくりとスライドさせ、扉の隙間から教室の中には入らないまま周平は中を確認する。当然のように、教室の中に人の姿は見えない。周平は首を傾げながら、もう一度教室の中を見渡す。何度確認しようと、いないはずの人は見付からない。自分の空耳だと判断した周平が、扉を閉めようとしたときに黒板に書かれた文字が目に写った。
教室の壁半分以上を占める教壇側の黒板。
その端っこに、小さな文字が真っ白なチョークで書かれていた。
――――― 助けて ―――――と。
誰が、誰に宛てたのか、何のために書いたのか。
ただ、その震える文字からは悲痛な叫びが聞こえてくるようだった。
周平は今までに、これほど感情が込められた文字を見たことがなかった。
いや、あの頃、自分がノートに書き殴った文字以外には、見たことがない。
周平はしばらくその文字を見詰めていたが、やがて扉を閉めてその場を後にした。


