1階の奥にある参考書のコーナーで数学の問題集を手に取っている美波は、少し離れた場所で本棚を眺めている北方の様子を窺う。予想以上に北方は執拗に美波に纏わり付いてきた。これまで通り穏便に済ませたかったが、このままでは帰宅することさえできない。だからといって、明確に言葉にすることも憚られた。男女違うとはいえ夏休みでも部活で顔を合わせる機会は多いし、そもそもクラスメートなのだ。

 どうしたものかと美波が思案していると、突然、書店内の照明がバチバチと音を立てて点滅を繰り返した。同じ1階にあるゲームコーナーを見ると、新作ゲームソフトのデモプレイが流れていたディスプレイが一瞬消え、砂嵐を表示してザーザーと音を立て始めた。周囲の異変に北方の視線が美波から外れる。その瞬間を、美波は見逃さなかった。北方がいる本棚の反対側を回り、外に向かって走り出した。

 「屈伸運動、ね」と思い出しながら、美波は自動ドアを目指す。
 簡単に置き去りにできるはずだった。しかし、北方の反応は早かった。美波がいなくなったことに気付くと即座に周囲を見渡し、その後ろ姿を見付けると未だに混乱する店内を駆け抜けた。

 どうにか自動ドアを通り抜けた美波だったが、背後から北方が追い掛けて来ていることに気が付いた。なぜか立ち止まっている人々の間をすり抜け、美波は繁華街方面に走る。しかし、商店街と繁華街の境界線になっている道路を越えたところで、北方に腕を掴まれた。
「オレを放置して、どこに行こうとしてるんだよ!!」
「放して!!」
 振り解こうとして腕を大きく振るが、当然のように北方の手が美波を開放することはない。
 いつも通り流そうとしていた美波であったが、こうなってしまうと絶縁するつもりで対応しなければならない。美波は強い言葉を使う覚悟を決め、北方に向き直る。口を開き掛けた美波は、北方の表情を目にして言葉を発することができなくなった。

 北方は目を血走らせ、目を吊り上げて美波を引き寄せる。
「美波ぃ、テメエは何様のつもりなんだよ!!オレがこれほど愛してるっていうのに、何でオレを無視しやがるんだ!!これほど、いつも、いつも、いつも、いつも、いつだってオマエのことを考えてるのに、何でオマエはオレのものにならない。これ以上、待ってらんねえ。もう、我慢できねえよ。無理矢理にでも、オマエをオレのものにしてやるぜ!!」

 狂気に満ちた北方を前にし、身の危険を感じた美波は必死に抵抗する。しかし、北方は180センチ近くあり、腐ってもスポーツ系クラブの部員である。非力な美波が力で勝てるはずがなかった。無理矢理引っ張られ、繁華街の方向に美波は引き摺られる。
「い、いや・・・やめて!!」
 必死に足を踏ん張るが、それでも少しずつ身体が運ばれる。ここで、周囲に聞こえるように、精一杯の音量で美波が悲鳴を上げた。

「おいおい、楽しそうだなあ」
「オレたちも混ぜてくんないか?」

 突然周囲から声が聞こえ、北方が立ち止まった。手首を掴まれたままの美波が、状況を確認するために周囲を見渡す。すると、どこから現れたのか、4人の男たちが2人を取り囲んでいた。真正面のリーダー格と思われる男は北方よりも一回りは大きく、しゃがんでいる赤髪の男はグチャクチャとガムを噛みながら笑っている。その他の2人は逃がさないようにサイドに移動し、ビール瓶を手にして北方を睨み付けていた。

 4人に囲まれ、昂ぶっていた北方のテンションが下がっていく。当たり前に考えて、4対1の時点で勝てる可能性は限りなく低い。それでも、最後の賭けに出ている北方は、簡単に引き下がらない。

「4人で囲みゃあ、頭を下げるとでも思ってんのか?これだけ騒いでたんだ、ここで殴り合いのケンカでも始めりゃあ、誰かが警察に通報すんだろ。そうすりゃ、アンタらもいろいろと困るんじゃねえのか」
 ニヤケながら挑発した北方に対し、赤髪の男が笑いながら立ち上がる。
「オマエ、まだ状況が分かってないんだな。周りを見てみろよ。何でみんな立ち止まってスマホ弄ってんだ?何でそこら中のテレビが映ってないんだ? なあ、オマエのスマホは警察に通報できるのか?」

 意味が分からず、それでも北方は男たちを警戒しながらポケットからスマホを取り出す。
「圏外・・・圏外だと?街中で圏外とか、有り得ねえだろ」
 赤髪の男は2メートルほど距離まで近付くと、笑顔を消して北方を睨む。
「で、どうすんだ?」
 凄まれた北方は慌てて美波から手を放し、何も言わず商店街の方に向かって走り出した。所詮、美波は獲物であって、守る対象ではないのだ。

 狂気に染まった北方が去り、ようやく美波は安堵する―――という訳にはいかなかった。どう考えても、この4人が善意で助けてくれたとは思えなかったからだ。北方1人から4人になったことで、むしろ状況は悪化したと言えた。しかも、電波に異常が出ているということは助けを呼ぶこともできない、という訳なのである。