しゃがれた声に気付いた美波が立ち止まり、周囲を見渡して声の主を見付ける。
 そこには黒い魔女帽子を被った、あからさまに怪しい小柄な老婆が座っていた。
 夏だというのに真っ黒な長袖の服を纏い、すっかり白髪になった頭には黒い三角帽子を被っている。持ち運びが簡単そうな小さい机に紫色の布を掛け、隅には「占い」と書かれた小型の灯篭が置がこれ見よがしに置いてある。年齢的には70歳を過ぎたくらいだろうか。

「ちょっと、ここに座りなさい」
 占い師はそう言って、自分の対面にあるパイプ椅子を美波に勧める。美波は占い師に指示されるまま、素直に椅子に腰を下ろした。

「お嬢さん。オマエさんは近い将来、世界の未来を決める事件に巻き込まれるじゃろう。それに気付いたときは、己の心に従ってはいけない、己が望むままにしてはいけない。小さな声に耳を傾けるのじゃ。そうすれば、必ず道は開ける。
 ちなみに、健康運は悪い。学業は花丸。恋愛運は土砂降りのち晴れ。金運は下降気味じゃ。
 見たところ高校生じゃな。初回じゃし、500円じゃな」
「え、有料なんですか?」

 美波はオレオレ詐欺にでも遭ったかのような気持ちになったが、これも何かの縁と思い財布から500円玉を取り出して払った。
 占い師は500円玉を受け取り、満足したように何度も頷いた。
「お嬢さん、素直で良い子じゃな。最近の若い子は言葉の重さを分かっておらん。せっかくアドバイスをしても、文句しか言わんからのう。ああ、あと、カバンはしっかり持っておきな。書店の中で屈伸運動はしておいた方が良いぞ」

 少し離れた場所で見詰めている北方を確認し、占い師の前から立ち上がった美波は、素早く書店の自動ドアをくぐった。


 美波が北方に付き纏われながら書店に入った20分ほどあと、占い師の前に周平が姿を見せた。周平は占い師の目の前に立つと、軽く頭を下げる。
「こんばんは、占い師のおばあさん」
 占い師は周平を見上げると、わざとらしく立腹した様子を見せ声を荒げる。
「おお、この前の少年か。言っておくが、ワシはまだまだ『ばあさん』じゃない。そうじゃの、夢子さんと呼べ。夢子さんと。間違っても、夢バーとか呼ぶんじゃないぞ」
 フリですか?と、目で確認しながら、周平が御礼を口にする。
「先日はありがとうございました。夢バー」
 それを耳にした夢バーは、眉間にしわを寄せながらもパイプ椅子を指差す。「フリじゃないんじゃ、フリじゃあ」とブツブツ言いながらも周平に向き直る。

「少年。もう、オマエさんに伝えることは無いんじゃがなあ。ただ、『近い将来』は、本当に目の前じゃ。いつ訪れても不思議ではない。3時間後か、30分後か、3分後か。それくらい、すぐにじゃ。まあ、そのときが来れば分かるじゃろう。
 あとは、そうじゃのう・・・言葉は言の葉じゃ。言葉には意味があり枝や葉を付けどんどん広がっていく。それ故に、言葉には言霊(ことだま)と呼ばれる魂が宿る。本来、言葉は軽いものではなく、人の思いを伝える重要な役割を持つものなのじゃ。仕方のないことかも知れないが、便利になったがために数だけが増え、軽くなってしまった。数さえも減ってしまったら、どうなってしまうんじゃろうな。おっと、ちょっとサービスし過ぎじゃな。
 ちなみに、健康運はまあまあ。学業は普通。恋愛運はボチボチ。金運は下降気味じゃ。
 2回目じゃから、800円じゃな」
「値上げっ!?」

 初回の割引分が300円だったことを理解した周平は、料金が高いのか安いのか判断できないまま、とりあえず1000円札を渡し200円を受け取る。周平の目の前に座る夢バーの顔には、「とっとと帰れ」と書いてある。とりあえず用事は済んだからいいか、と周平が椅子から立ち上がろうとしてスマホに手を伸ばした。


 ―――――そのときだった。

 周辺にパリパリッという甲高い音が響き、圧迫感のある突風が吹き下ろした。
 空気が動いた気配がないにも関わらず、確かに周平は頭の先から押し潰されるような圧力を感じた。
 風が通り抜けると同時に、周囲の照明がバチバチと点滅を繰り返した。
 広告用のディスプレイの映像が途切れ、白黒の砂嵐が波を打つ。
 未だに通り抜ける人が多いアーケードの下で、なぜか立ち止まる人が続出した。
 全員が申し合わせたように、スマホの画面を凝視している。
 イヤホンを何度も付け直す人がいる。
 周囲から音が消えた。
 周平がスマホに手を伸ばして確認する。
 いつもは表示されている電波マークの位置に「圏外」と表示されていた。
 全てのネットワークが途切れた。
 一瞬で面が線になり、線が点になる。
 心無き者が目を覚ます。
 分別が無い者が動き出す。


 突然発生した異常事態に周平が目を見開く。
 その直後、書店の自動ドアが開き、女子高校生が飛び出してきた。
 女子高生は、周平の背後を繁華街方向に向かって駆け抜ける。
 そのすぐ後を、大柄の男子高校生が追い掛けて行った。

「猿や犬が英雄を気取る。世界が終焉に向かって動き始める。
 少年よ、オマエさんは、心のままに選択すれば良い」

 そう呟くと、夢バーは静かに目を伏せた。