300段ほど上ったところで、周平は階段に腰を下ろして休憩をする。
「あっちぃー」
カバンからペットボトルを取り出し、既に温くなったスポーツドリンクを喉に流し込む。
「大丈夫そう、だな」
そう呟いて、ズボンの裾を捲り上げる。
周平の左膝は、長めのサポーターでしっかりと保護されていた。そのサポータの上からマッサージをする。周平とこのケガとの付き合いは、もう少しで3年になる。激しい運動はできないかも知れないが、日常生活には支障がなくなった。
3年前、中学2年生の夏、周平は1人で男子バスケットボール準決勝の会場へと向かっていた。県大会の会場が近いこともあり、現地集合になっていたためだ。そもそも、弱小校であった中学校に送迎用のバスを手配する予定もなかった。
その途中で悲劇は起きた。周平が横断歩道を渡っていたとき、信号無視をしたオートバイに跳ね飛ばされたのだ。
そのまま意識を失った周平は救急車で病院に運ばれ、そのまま入院することになった。幸いケガは左膝の骨折だけで済んだものの、バスケットボール部の顧問にも連絡ができず、無断で大会を欠場する形になってしまった。主力であった周平が出場できなかったため、チームは県大会の準決勝という華々しい舞台で前代未聞の大敗。会場から失笑されるほどだった。この衆目の下で嘲笑された恥辱の捌け口を、部員たちは周平に向ける。
全ては、試合当日に来なかった周平が原因だ。
アイツが悪い。
周平は負けるのがイヤで逃げ出した。
アイツが悪い。
準決勝でミジメに負けるのが怖くて来なかった。
アイツが悪い。
せっかく、準決勝まで勝たせてやったのに裏切った。
アイツが悪い。
9月の中旬になり、退院した周平が登校すると、すっかり悪者に仕立て上げられて孤立していた。教室ではクラスメートに無視され、バスケットボール部は承諾もしていないにも関わらず退部させられていた。不運にも交通事故に遭い、意識を失ったまま搬送され、そのまま入院していただけだ。被害者であったはずの周平は、知らないところで、見に覚えのない罪を着せらて悪者にされていたのである。
全治2ヶ月の骨折。膝の間接部分の骨折であったため、「以前と同じように走ったり跳んだりできるようにはならない」。そう医者に告げられた。それでも、周平はリハビリを頑張って、以前のようにバスケットボールがしたいと思っていた。しかし、その思いはチームメイトとクラスメートによって打ち砕かれた。
周平は周囲の者たちに対し期待することをやめた。
少しだけ、心が安らかになった。
周平は周囲の者たちとの交流を絶った。
また、少しだけ、心が安らかになった。
周平は努力することをやめた。
周平は夢を見ることをやめた。
周平は自分の可能性を諦めた。
やっと、心に安寧が訪れた。
「可成、転校するの?」
「うん」
「また、高校で会えるといいね」
あの日以降、周平に声を掛けてきたのはたった一人。委員長オブ委員長の千代だけだった。
「ヨイショっと」
周平は立ち上がると、一直線に伸びる石段を見上げる。
一直線ではなく、先が見えないように曲がっていればいいのに。内心で愚痴を溢しながら上り始める。後遺症で正座はできなくなってしまったものの、全力でなければ走ることもできるようになった。こうして階段を上がっても膝が痛むこともなくなった。ほぼ傷は癒えた。しかし、周平に刻まれた心の傷は今でもジクジクと痛みを伴っている。
その後、2度の休憩を挟み、ペットボトル内のスポーツドリンクが切れると同時に、周平はとうとう終点の境内に辿り着いた。魂が半分口から出た状態の周平が、地面に這い蹲りながら目にしたのは2匹の狛犬と、整備された石畳の向こうに見える荘厳な神社だった。
「すごい・・・な」
思わず感嘆の言葉が口から溢れる。
掃き清められた幅4メートル以上ある石畳が100メートルほど続き、その先に派手さはないものの法隆寺を彷彿とさせる飛鳥様式の神社が厳かに存在している。張り出した屋根、それに膨らみのある柱。拝殿に近付くに従い、周平の鼓動が早くなる。完全な木造建築。金属的な部品は一切見当たらず、屋根を支える組木が構造的のみならず外観をも美しく成り立たせている。現物を目にしてしまうと、「1300年以上前から在る」という言葉を信じざるを得ない。
同時に、吉備真備と関係があるという天秤神社に一体何が遺されているのか。周平は数年振りに高揚感が抑えられなかった。
「あっちぃー」
カバンからペットボトルを取り出し、既に温くなったスポーツドリンクを喉に流し込む。
「大丈夫そう、だな」
そう呟いて、ズボンの裾を捲り上げる。
周平の左膝は、長めのサポーターでしっかりと保護されていた。そのサポータの上からマッサージをする。周平とこのケガとの付き合いは、もう少しで3年になる。激しい運動はできないかも知れないが、日常生活には支障がなくなった。
3年前、中学2年生の夏、周平は1人で男子バスケットボール準決勝の会場へと向かっていた。県大会の会場が近いこともあり、現地集合になっていたためだ。そもそも、弱小校であった中学校に送迎用のバスを手配する予定もなかった。
その途中で悲劇は起きた。周平が横断歩道を渡っていたとき、信号無視をしたオートバイに跳ね飛ばされたのだ。
そのまま意識を失った周平は救急車で病院に運ばれ、そのまま入院することになった。幸いケガは左膝の骨折だけで済んだものの、バスケットボール部の顧問にも連絡ができず、無断で大会を欠場する形になってしまった。主力であった周平が出場できなかったため、チームは県大会の準決勝という華々しい舞台で前代未聞の大敗。会場から失笑されるほどだった。この衆目の下で嘲笑された恥辱の捌け口を、部員たちは周平に向ける。
全ては、試合当日に来なかった周平が原因だ。
アイツが悪い。
周平は負けるのがイヤで逃げ出した。
アイツが悪い。
準決勝でミジメに負けるのが怖くて来なかった。
アイツが悪い。
せっかく、準決勝まで勝たせてやったのに裏切った。
アイツが悪い。
9月の中旬になり、退院した周平が登校すると、すっかり悪者に仕立て上げられて孤立していた。教室ではクラスメートに無視され、バスケットボール部は承諾もしていないにも関わらず退部させられていた。不運にも交通事故に遭い、意識を失ったまま搬送され、そのまま入院していただけだ。被害者であったはずの周平は、知らないところで、見に覚えのない罪を着せらて悪者にされていたのである。
全治2ヶ月の骨折。膝の間接部分の骨折であったため、「以前と同じように走ったり跳んだりできるようにはならない」。そう医者に告げられた。それでも、周平はリハビリを頑張って、以前のようにバスケットボールがしたいと思っていた。しかし、その思いはチームメイトとクラスメートによって打ち砕かれた。
周平は周囲の者たちに対し期待することをやめた。
少しだけ、心が安らかになった。
周平は周囲の者たちとの交流を絶った。
また、少しだけ、心が安らかになった。
周平は努力することをやめた。
周平は夢を見ることをやめた。
周平は自分の可能性を諦めた。
やっと、心に安寧が訪れた。
「可成、転校するの?」
「うん」
「また、高校で会えるといいね」
あの日以降、周平に声を掛けてきたのはたった一人。委員長オブ委員長の千代だけだった。
「ヨイショっと」
周平は立ち上がると、一直線に伸びる石段を見上げる。
一直線ではなく、先が見えないように曲がっていればいいのに。内心で愚痴を溢しながら上り始める。後遺症で正座はできなくなってしまったものの、全力でなければ走ることもできるようになった。こうして階段を上がっても膝が痛むこともなくなった。ほぼ傷は癒えた。しかし、周平に刻まれた心の傷は今でもジクジクと痛みを伴っている。
その後、2度の休憩を挟み、ペットボトル内のスポーツドリンクが切れると同時に、周平はとうとう終点の境内に辿り着いた。魂が半分口から出た状態の周平が、地面に這い蹲りながら目にしたのは2匹の狛犬と、整備された石畳の向こうに見える荘厳な神社だった。
「すごい・・・な」
思わず感嘆の言葉が口から溢れる。
掃き清められた幅4メートル以上ある石畳が100メートルほど続き、その先に派手さはないものの法隆寺を彷彿とさせる飛鳥様式の神社が厳かに存在している。張り出した屋根、それに膨らみのある柱。拝殿に近付くに従い、周平の鼓動が早くなる。完全な木造建築。金属的な部品は一切見当たらず、屋根を支える組木が構造的のみならず外観をも美しく成り立たせている。現物を目にしてしまうと、「1300年以上前から在る」という言葉を信じざるを得ない。
同時に、吉備真備と関係があるという天秤神社に一体何が遺されているのか。周平は数年振りに高揚感が抑えられなかった。


